Rūpaṃ, bhikkhave, anattā. 「修行僧たちよ、**色(しき:肉体・物質)**は無我であ

‘‘Rūpaṃ, bhikkhave, anattā. 「修行僧たちよ、**色(しき:肉体・物質)**は無我である。」

59-7 Rūpañca hidaṃ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṃ rūpaṃ ābādhāya saṃvatteyya, labbhetha ca rūpe – 「もし修行僧たちよ、この色が我(自分自身)であるならば、この色が病(苦しみ)を招くことはないはずであり、また色に対して次のように命じることができるはずである。」

59-8 ‘evaṃ me rūpaṃ hotu, evaṃ me rūpaṃ mā ahosī’ti. 「『私の色はこのようになれ。私の色はこのようになるな』と。」

59-9 Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṃ anattā, tasmā rūpaṃ ābādhāya saṃvattati, na ca labbhati rūpe – 「しかし修行僧たちよ、色が無我であるからこそ、色は病(苦しみ)を招き、また色に対して次のように命じることはできないのである。」

59-10 ‘evaṃ me rūpaṃ hotu, evaṃ me rūpaṃ mā ahosī’’’ti. 「『私の色はこのようになれ。私の色はこのようになるな』と。」

したがって
もし修行者たちよ、我は非色である。   もし、この我が色であるならば、この我が病(苦しみ)をまねくことはないはずであり、また我に対して次のように命ずることができるはずである。

「私の我はこのようになれ。私の我はこのようになるな」と。  しかし修行者たちよ、我が非色であるからこそ、我は病(苦しみ)を招き、また我に対して次のように命ずることはできないのである。    「私の我はこのようになれ。私の我はこのよういになるな」と。

つまり、

‘‘Rūpaṃ, bhikkhave, anattā. 「修行僧たちよ、**色(しき:肉体・物質)**は無我である。」

59-7 Rūpañca hidaṃ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṃ rūpaṃ ābādhāya saṃvatteyya, labbhetha ca rūpe – 「もし修行僧たちよ、この色が我(自分自身)であるならば、この色が病(苦しみ)を招くことはないはずであり、また色に対して次のように命じることができるはずである。」

59-8 ‘evaṃ me rūpaṃ hotu, evaṃ me rūpaṃ mā ahosī’ti. 「『私の色はこのようになれ。私の色はこのようになるな』と。」

59-9 Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṃ anattā, tasmā rūpaṃ ābādhāya saṃvattati, na ca labbhati rūpe – 「しかし修行僧たちよ、色が無我であるからこそ、色は病(苦しみ)を招き、また色に対して次のように命じることはできないのである。」

59-10 ‘evaṃ me rūpaṃ hotu, evaṃ me rūpaṃ mā ahosī’’’ti. 「『私の色はこのようになれ。私の色はこのようになるな』と。」

59-11 ‘‘Vedanā anattā. 「**受(じゅ:感受作用)**は無我である。」

59-12-15 (中略:色と同様の論理で、受も自分の思い通りにならず、苦しみを生むため無我であると説かれます) (※受がもし我であれば、苦しみを生まず、「私の感覚はこうなれ」と制御できるはずだが、実際にはできないため無我である、という内容です。)

59-16 ‘‘Saññā anattā…pe… 「**想(そう:表象・イメージ)**は無我である……(以下同様)。」

59-17 saṅkhārā anattā. 「**行(ぎょう:意志・形成作用)**は無我である。」

59-18-21 (中略:行もまた、自分の思い通りにならず、苦しみを生むため無我であると説かれます)

59-22 ‘‘Viññāṇaṃ anattā. 「**識(しき:識別作用・意識)**は無我である。」

59-23-26 (中略:識もまた、自分の思い通りにならず、苦しみを生むため無我であると説かれます)

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