初期仏教

02. Kernel Source

Tatiyasamādhisuttaṃ(第三の定経 / AN 4.94)

釈迦が説いた『第三の定経(AN 4.94)』のパーリ語対訳。心の静けさ「止(サマタ)」と解析力「観(ヴィパッサナー)」。自分に足りないモジュールを持つ者に教えを請うという、極めて論理的な「人間OS」の相互補完システムと、4つのタイプ別学習プロトコルを解説します。
02. Kernel Source

Vol.3 — 四梵住

カーラーマ経における「四梵住(慈・悲・喜・捨)」を解説。三善根を育てた心が全方向へ無量に展開する「ブロードキャストプロトコル」としての仕様を紐解きます。この四梵住が展開したとき、心はすでに現法(今ここ)において最大の安慰を得ているという、仏教実践の真髄に迫ります。
02. Kernel Source

Vol.2 — 三毒と三善根

カーラーマ経に説かれる「三毒(貪・瞋・痴)」と「三善根(無貪・無瞋・無痴)」を解説。Human OSの正常な動作を破壊する3種のマルウェアと、それを修復するパッチというシステム論的視点から、仏教における実践のフレームワーク(問答プロトコル)を分かりやすく紐解きます。
02. Kernel Source

Vol.1 — 十の判断基準

情報の氾濫に惑わされず「真実」を見極めるには?2,600年前にブッダがカーラーマたちに提示した、伝承・伝統・論理・聖典など10の「信頼できない判断基準」(アンチパターン)を解説。外部の権威ではなく「自ら知る」ことの重要性を紐解きます。
01,Core Specs

Pheṇapiṇḍūpamasutta(沫塊喩経)仕様書|五蘊システムの空性(rittaka)アーキテクチャ定義

相応部経典『沫塊喩経(Pheṇapiṇḍūpamasutta)』をシステム工学的な仕様書として定義。ブッダが説いた五つの比喩(沫塊、水の泡、陽炎、バナナの幹、手品)を用いて、五蘊(自分)にいかなる本質もないことを論理的に解説します。
02. Kernel Source

Pheṇapiṇḍūpamasutta(沫塊喩経)|

相応部経典『沫塊喩経(Pheṇapiṇḍūpamasutta)』のパーリ語原典と日本語対訳。ブッダは「自分」を構成する五蘊を、沫(あわ)、水の泡、陽炎、バナナの幹、手品の鮮やかな比喩で説き、その実体性のなさを暴きます。実践哲学の根幹を成す傑作を、正確かつ美しい翻訳で。
02. Kernel Source

カッチャーナゴッタ・スッタ(Kaccānagottasutta)仕様書

相応部経典SN 12.15(カッチャーナゴッタ・スッタ)をシステム仕様書形式で解説。「有・無」の両極端を離れた「正見」の定義と、それを実装する「中道=十二縁起」のロジックを記述。苦の生起と滅尽の連鎖を理解するシステムエンジニアリング的アプローチ。
01,Core Specs

得度と彼岸——無為法・有為法・非我の構造

苦しみの此岸(有為法)から安らぎの彼岸(無為法)へ。初期仏教の核心「非我」と「得度」の論理構造をHuman OSの視点で完全解読。なぜ人間は五蘊なのか?なぜ「私」はいないのか?システム移行(解脱)の全貌と「筏の比喩」の本質を解説します。
01,Core Specs

非我相経 原典解説(別記事)

非我相経(SN 22.59)の全容を論理的に解明。五蘊の「統御不能性」から無常・苦・非我の三段推論、三否定の実践、そして解脱への連鎖を解説します。Human OSをアップデートし、自己への執着という根本バグをアンインストールするための究極の仕様書です。
01,Core Specs

Anattalakkhaṇa suttaṃ  「非我相経」(『相応部』22-59)、苦しみの根源は「私」への執着:五蘊(体と心)をコントロールできない理由とは (59-1〜59-5)

「思い通りにならない」のは、あなたの心身に管理者権限(Root Access)がないからです。最古のOS仕様書『非我相経』をシステム工学的に再記述。物理ハードウェア(体)とメインOS(識)のバグを特定し、苦しみの無限ループを強制終了する手順を公開。