正念誦之觀想 件遍
我所誦之真言入本尊勝輪住心月輪中
本尊所誦之真言入我頂上住心月輪中
心月輪布字口誦之真言同躰也心等於
語語等於心如此巡環旋轉無始無終也
本尊心月輪遍法界之故我住本尊心中
誦之我心又遍法界之故本尊住我心月
輪中誦之本尊三密與我三密平等平等
読み下し文
正念誦の観想。件遍。
我が前に誦するところの真言、本尊の勝輪より入て、心月輪の中に住す。
本尊誦じ給う所の真言、我が頂上より入って、心月輪の中に住す。
心月輪の布字と口誦の真言と同体なり。心は語に等しく、語は心に等し。
かのごとく循環旋転して、無始無終なり。
本尊の心月輪は法界に遍ずるの故に、本尊、我心中に住してこれを誦す。
我が心、また法界に遍ずるの故に、本尊は我が心月輪の中に住してこれを誦じ給う。
本尊の三密と我が三密と平等平等にして。
俱遍法界之故函蓋相稱三感能住所住
俱遍法界之故函蓋相稱互成能住所住
一味平等恒絶能所如本尊輿我一切如
來平等平等是心佛衆生三無差別之
別之故此三平等復更三世諸佛不二當也
遍下方無所不至是故真言投入來往
法界無一難處能入老處投不入處處投
能所本來一如也能能入也能入挙也普
恒是密印也前發言語無非真言前有心
読み下し文
俱に法界に遍ずるの故に、函蓋相称して、三感の能住・所住は
一味平等にして、恒に能所を絶す。本尊と我との如きは一切
如来と一切衆生とも亦復是の如し。心・仏・衆生、三差別無き
の故に、此の三平等の理は三世に亘って、常恒不変なり。
十方に遍じて、所として至らざること無し。是の故に、実には彼も来たらず。此れも往かず。
法爾にして瑜伽なり。誰をか能入の者と為す。誰をか所入の処と為さん。凡聖
能所は本来一如なり。能く此の趣を解する。人は挙手動足
恒に是れ密印也。所発の言語、真言に非ざる無し、所有の心
念自戌定慧鎮居解脱床青黄六大所成
念自戌定慧鎮居解脱床青黄六大所成
我身無覚無成至理何可断証論云一
世修行証有前後及逢悟已無去来今文
此謂欲大師言非冒地之難得遇此教之
不易也我等本来持法身三密居法佛渾
土幸遇密教之融然怒汲法海之一滴
誰猶作常没之想可喜可喜
本尊加持観想
念自定慧と成って。解脱の床に鎮(月輪)居す。貴きかな。六大の所成の
我が身、無覚無成の至る理、何ぞ苟(いやし)くも断證を労せん論にすべけん。論に云く、
三世の修行証に前後有れども、達悟に及び已んぬれば、古来今無しと、文
此の謂い欤、大師の言(玉はく)、冒地の得難きに非ず、此の教に遇うの
易からざればなり。我等、本来法身の三密を持して、
法仏の浄土に居す。幸いに密教の筏に遇って、恣に法海の一滴を汲む。
誰か猶お常没の想を作さん。喜可喜可。
本尊加持の観想。
大疏云如来種三業皆至第一実際妙極
之境心等於語語等於身云如来三密身
口意各各遍満虚空法界是故一指内抾
無量国土海一聲中盡地盡山毫毛理二念
上辨被塵劫事經云身口意業遍虚空演
説如来三密門文如諸佛三密衆生三密
亦復如此彼身即此身佛身即衆生身也
重々帝網之義可思之我等手作一契印
大疏に云く、如来種三業は、皆第一実際妙極の
境に至る。心は語に等しく、語は身に等しと。云々。如来の三密は、身
口意、各各に虚空法界に遍満す。是の故に一指の内に、無量の
国土海を収めて、一聲の中に地墨山毫の理を尽し、一念の
上に、微塵劫の事を辨じ玉う。経に云く、「身口意の業、虚空に遍じて
如来の三密門を演説す、文。諸仏の三密の如きは、衆生の三密も
亦復かくの如し。彼の身は即ち此の身、仏身即ち衆生身なり。
重々帝網の義、之を思うべし。我等、手に一契の印を作す。
時始本尊身印已成未成一切如来密印
時始本尊身印已成未成一切如来密印
無量涉入成周遍法界身密口誦一真言
已成未成一切如来諸業互相圓融成周
遍法界語密心住一三摩地時一切如来
內證三摩地彼此攝持成周遍法界意密
三三平等各各遍法界能住此觀万法悉
是我三密也普捨受取然則我等沉今所
修三密彼重如月殿三密自樂無二無別
時に本尊の身印より始めて、已成、未成の一切如来の密印
無碍渉入して、周遍法界の身密と成る。口に一の真言を誦することを、
已成未成の一切如来の諸業と互相に円融して、周遍
法界の語密と成る。心一の三摩地に住する時、一切如来の
内證三摩地と彼此に摂持して、周遍法界の意密と成る。
三々平等にして、各各に法界に遍ず。能く此の観に住するときは、万法悉く
是れ我が三密なり。焉捨て焉取す。然れば則ち我等、汎尒(しかる)に
修する所の三密と、彼の月殿の三密の自楽と重ねるが如く、無二無別なり。
漢字は「焉」
漢文などで使われる重要な助字で、主な読み方には以下のようなものがあります。 [1, 2, 3]
主な読み方
主な使われ方・意味
- 漢文の置き字:
文末に置いて「〜なのだ」という断定や確認の意味、または語調を整えるために使われます。この場合、基本的には書き下し文で読む必要はありません。 - 熟語での使用:
「終焉(しゅうえん)」や「忽焉(こつえん)」などの熟語で使われ、物事の終わりや状態を表します。 [1, 2, 3, 4, 5]
也経説越三時如来之日加持故身語意平等
也経説越三時如来之日加持故身語意平等
等句法門更非他事也
月輪観支
一心月輪與五大内外観想重重也或色圓
空心月輪在其中我心中有満月輪観是
也或心光顕外五大色住其中圓浄月輪
中置字印形等是也或色心共遍法界互
成能所各亡能所或空色想心別不図心
他経に、三時を越えの如来の日の加持の故に、身語意平等
等の句法門と説き玉う。更に他事に非ざるなり
月輪観の支
一心月輪と五大内外の観想と重重なり。或は色、空を囲めて
心月輪、其の中に在り。我が心中に満月輪有りと観ずる、是
なり。
或は心光外に顕れて五大の色その中に住す、円浄の月輪の
中に字・印・形等を置く、是なり。或は色心共に法界に遍じて互いに
能所と成し、各々能所を亡ず。或は色を以て心を摂して、別に心月輪を図せず。
月輪如釈五輪即是五智輪或々心摂色
月輪如釈五輪即是五智輪或々心摂色
別不観五大唯想圓明中不置餘法是也
凡六大無尋之故室々観想各不相違也
一周遍法界月輪随縁顕故或心内或前一
肘等前在不定也付之我等思掌中等小
處如何観周遍法界月輪愚少至實拙哉
三密平等定宗義我也心月輪既周遍身語
二密不尔耶挙一指時心佛衆生摂盡此
月輪を、五輪即ち是れ五智輪と釈するが如し。或は心を以て色を摂して、
別に五大を観ぜず、唯だ円明を想いて中に、余法を置かざる、是なり。
凡そ六大無碍の故に、室々の観想、各々相違せざるなり。
一周遍法界の月輪、縁に随て顕ずる故に、或は心内、或は前一
肘等、所在不定なり。之に付いて我等の思はく掌中等の小
処に如何んが周遍法界の月輪を観ぜんや。愚少にして至り実に拙なひかな哉。
三密平等は定れる宗義なり。心月輪は既に周遍す。身語二密
爾らざるや。一指を挙ぐる時、心・仏・衆生、此の中にを摂し尽す
中一稱一念又尔也是則諸法各各周遍
中一稱一念又尔也是則諸法各各周遍
法界不改故也此観若成十方無邊佛土
不起于座則到三世疊疊説教皆今日前
聞也非哉我等適手続月輪印心作十六
大等想時印小也十六大大也惟又見
頂上空大遍法界又足下地輪唯寸尺量
欲思之又観自身遍法界時他身質尋欲
疑之愚哉六大無尋四曼不離三密加持
中の一称一念もまた爾なり。是れ則ち諸法は各各、周遍
一称一念もまた爾なり。是れ則ち諸法は各各に、周遍し
法界に改まらざる故なり。此の観もし成ずれば、十方無辺の仏土、
座を起たずして則ち到り。三世無量の説教、皆な今日の所
聞なり。悲哉(ひかな)。我等、適手に月輪の印を結んで、心に十六
大等の想を作す時、印は小なり、十六大は大なり。之を怪しむ。又
頂上の空大は法界に遍じる文を見て、足下の地輪は唯だ寸尺の量かとや、
之を思わん。又自身遍法界と観ずる時、他身は質碍かとや。
之を疑う愚なる哉。六大無尋、四曼不離、三密加持三無差別は行住坐臥の
口遊なり。
三無差別行住坐臥之口遊也何聞一隅
三無差別行住坐臥之口遊也何聞一隅
不覚三端乎所詮依不染心於其物動観
想毫味也不可不熟
一一塵印法界義他宗談之雖然彼皆曰分
施設實根相歸性門談也實義唯在眞宗
性海果分上之六大無尋尋義之故凡眞
理愚遠近廉細分隔事自他宗同許之自
宗事事諸法不歸性而全如真理意得
読み下し文
三無差別は、行住坐臥の口遊なり。
何ぞ一隅を聞いて
三端を覚らざらんや。所詮、依りて心を其の物に染めず。動すれば観
想するは毫味なり。歎かざるにあるべからざるせざる。
一一塵印法界の義、他宗も之を談ず。然りといえども、彼は皆、眼分
施設・実には摂相・帰性門の談なり。実義は唯だ真宗に在り。
性海果分の上の六大無碍等の義の故に、凡そ真理には
愚遠近・廉細・分隔無き事、自他宗同じく之を許す。
自宗は事事の諸法の性に帰せずして、全く真理の如く意得なり。
也不尔者六大無尋等實義不可得其
也不尔者六大無尋等實義不可得其
意一切色法心法皆如真理虚通無尋也
依之事事圓融事理融即密依此道理
成之若事事終各別何又與真理相融乎
能得此旨時一微塵中収大山更無癡者也
心佛衆生三無差別者只此至理也恨被厚
無始間隔未得如實覺悟也凡本兩部三
寶加持護念令登證位
爾らざれば、六大無尋等の実義、其の意を得べからず。
一切の色法・心法、皆真理の如く虚通無尋なり。
之に依りて事事円融す。事理融昂も実には、此の道理に依りて
之を成ず。若し事事終に各別ならば、何ぞ又真理と相融するや。
能く此の旨を得る時は、一微塵の中に大山を収むること、更に疑い無きものなり。
心・仏・衆生の三無差別とは、只だ此の至理なり。恨むらくは厚き
無始の間隔に障へ被むる。未だ如実の覚悟のみを得ざるなり。凡そnamo両部三
宝加持護念して速やかに證位に登らしめん。
一文云初観之時如似月輪周遍之後無方
一文云初観之時如似月輪周遍之後無方
圓相文心月輪周遍法界等與虚空無邊
際無分別依之大日経云心虚空界菩提
三種無二文空無相状而能含容万象心
月輪又尔也亡方圓想而又具諸相疏釈
空與不空畢竟無相而具一切相故名大空
三昧是也前念万象實又空相也経云諸
法無相謂虚空相文如具心月輪也自宗談
一文に云く、「初観の時、月輪の如くに似たりども。周遍の後は、方
円の相なし。文。心月輪は法界に周遍すれば、虚空と等しくして、
無辺際も無し。分別も無し。之に依りて大日経に云く、心・虚空界・菩提
の三種は無二なり」と。文。空は相状無くして、而も能く万象を含容す。心
月輪もまた爾なり。方円の想を亡じて、又諸相を具す。疏に
「空と不空と、畢竟無相にして一切の相を具するが故に、大空
三昧と名づくと釈し玉う。是なり。所含の万象は実に又空相なり。経に云く、「諸
法無相、謂く虚空相と。文。是の如し。心月輪所照の万法還って又。心月輪なり。自宗に
離心の外、更に無き一法と談ずる。の実義、茲(ここに)あり。
離心之外更無一法之實義在兹
離心之外更無一法之實義在兹
耶万法離心月輪自性不可得故心月輪之自
性不可得也前観月輪本不生不可得故能
観智前後降斯本不生也能所共不可得
之故不可得又不可得也於兹分別既亡
本不生理智自有理智自覺本不生無覺無
成之心月輪是也
心を離れて外に、更に一法の実義無し。茲に在り。
耶、万法は、心月輪を離れて自性不可得の故に心月輪も又自
性不可得なり。所観の月輪本不生、不可得の故に
能観の智、前後際断じて本不生なり。能所共に不可得の
故に、不可得も又不可得なり。茲に於いて分別既に亡じて。
本不生の理、自ら理智有り。自ら本不生を覚す。無覚無
成の心月輪、是なり。
余自若少昔恒願往生極樂積善餘慶漸
余自若少昔恒願往生極樂積善餘慶漸
開發時時在道場修供養若住三摩地入
深観時无離滅去来身定生佛一如土
又淨穢不二也無覚無成至理中誰爲本
尊誰爲行者聞九品蓮臺於已心方寸何
必待来迎若出數門作厭求想時暫閉目
思量我今命終如来不達越本願與聖衆
俱来迎實哉當此時永別沈淪苦海始到不
余、若少の昔より、恒に往生極楽を願う、積善の余慶漸く
開発するが時より時、道場に在りて供養を修するに、若し三摩地に住して
深観に入る時は、元より生滅去来を離れる。身は是れ生佛一如土は
又浄穢不二なり。無覚無成の至理の中には、誰しか本
尊と為し、誰しか行者と為さん。九品の蓮台を已心の方寸に聞く、何
ぞ必ずしも来迎を待たん。若し散門を出でて厭求の想を作す時、暫く目を閉じて
思量すらく。我今命終す。如来本願を違越えず。聖衆と
俱に来迎したまう。貴きかな哉。此の時に当て、永く沈淪の苦海を別て、始めて不
退の楽岸に至り。
退樂岸歡喜何事如之此想念不幾經又思此
退樂岸歡喜何事如之此想念不幾經又思此
界前用未盡若只今他界不辦事可非一
依此念慮頃動心自然出来愚癡至言語
道断次第也聖衆照讃廿コメ拙思食可恥
々々可悲々々身命有限事無盡期假令
經千年万年後壽終何有無事思耶猶
在此土度前以如何不辦事何事耶若自證
也厄於此國當時殊以智者断絶文義解
退きて楽岸に歓喜す。
何に事か之に如かん。此の想念、幾ばくならざる程に、又思はく此
の界の所用、未だ尽きず。若し只今他界しなば、不辦の事。非一なる可し。
此の念慮に依りて、頃動の心、自然に出来す。愚癡の至りて言語
道断の次第なり。聖衆の照讃して、廿コソハ、拙く思食すらして恥ずべし。
恥ずべしべきかな、悲しむべし、悲しむべし。身命は限り有り事は、事は尽期無し。仮令(たとい)
経に千年万年を経て後、寿を終へぬとも、何ぞ無事の思ひ有らん耶。抑々猶し
此の土に在り、度き所以如何ん。不辦の事何に事かや。若し自證
なり。凡そ此の国に於いて。当時、殊以(に)智者断絶せり、文義の解了。
了猶以彈問無人何况於證道親教耶然
了猶以彈問無人何况於證道親教耶然
生淨土人直在眞實佛會聞法得悟豈不
快乎若又化佗也夫我等作法对真付俗
自分猶不足何能益他然生佛土蒙真佛
加持力可化用自在又不樂耶
或抄於欣求淨土門中有十門釈
常可見之是永観往生
十因之事也
二利共無可比之物心靜能々思之正
了す。
猶おし以て、弾問するに人無し。何に況んや。證道の親教においてをや。
然るに浄土に生ずる。人は、直に真実の仏会に在りて、法を聞きくを得悟す。
豈に快からざらんや。若し又化陀なり。夫れ我等作法、真に付き俗に付き、
自分猶おし足らず、何ぞ能く他を益せん。然るに仏土に生じなばて真仏の
加持力を蒙りて、化用自在なるべし。又楽しまざらんや。
或る抄に、欣求浄土門の中において十門の釈有り。
常に之を見るべし。是れ永観か往生
十因の事なり。
二利共に対比の物なるべきは無し。心を静めて能く能く之を思へ。正使(たとい)
*永観の『往生拾因』(おうじょうじゅういん)**についてです。
著者・概要
永観(ようかん/えいかん、1033–1111)は平安後期の僧で、三論を学びつつ浄土教に帰依した人物です。禅林寺(現・永観堂)の中興の祖とされ、自ら「念仏宗 永観」と称しました。『往生拾因』は康和5年(1103)頃の成立とされ、大正蔵第84冊に収録されています。
この書は、**一心に阿弥陀仏の名号を称えること(称名念仏)**によって必ず往生できる理由を、十の因に開いて説いたものです。各因はいずれも「一心称念阿弥陀仏……故、必得往生」という形で述べられています。
十因の内容
- 広大善根
称名は広大な善根となる(『阿弥陀経』の「少善根では生ぜず」に対し、称名が大善根であることを示す)。 - 衆罪消滅
称名によって衆罪が消滅する(『観経』下品上生などの根拠)。 - 宿縁深厚
阿弥陀仏との宿縁が深い。 - 光明摂取
阿弥陀仏の光明に摂取される。 - 聖衆護持
聖衆に護持される。 - 極楽化主
極楽の化主(阿弥陀仏)の力による。 - 三業相応
身口意の三業が相応する。 - 三昧発得
称名によって三昧(等持)を発得する。 - 法身同体
法身と一体となる。 - 随順本願
阿弥陀仏の本願(第十八願)に随順する。善導の『観経疏』「就行立信釈」を重視した点が特徴です。
特徴
- 称名念仏を一貫して強調し、道綽・懐感らの儀軌にも言及しています。
- 「一心」を単なる散心ではなく、定・散に通ずる等持の心として捉えています。
- 南都(奈良)の浄土教を代表する著作の一つで、後の法然らにも影響を与えました。
- 巻末には「南都東大寺沙門永観草 願共結縁者往生安楽国」とあり、新しい宗派を立てるというより、念仏者の結縁を意図したものです。
写本に出てきた「永観の往生十因」は、この『往生拾因』を指しています。
使雖三界第一樂果望往生極樂爭百執
使雖三界第一樂果望往生極樂爭百執
心何况我朝於南州内尤邊鄙境也當世
特一夫勤乱萬事不正也人皆以太焦心
領知國郡於父母無孝於沙門無敬前來
聖帝賢臣前寺附佛餉僧供悉還成糒
鷹牛馬之口分舉自茲閑林之誦経之聲
深菊絶修禪之室矣貧道久欲來空閑地
修道未得其處既過五十余春秋常歎楚
使
三界第一の楽果なりと雖も、往生極楽に望みては争うてか執心有らん。
何に況んや我が朝は、南列の内に於いては尤も辺鄙の境なり。当世
特に一夫勤乱して、万事正しからずなり。人皆、犬馬の心を以て
国郡を領知す。父母に於いて孝無く、沙門に於いて敬無し。前来の
聖帝賢臣の寄附し玉う所の仏に餉し僧供、悉く還りて糒(らい)鷹(よう)
牛馬の口分と成る。畢(おわ)り。茲に回って閑林の誦経の声乏しく
深領に、修禅の室絶えたり。矣。貧道、久しく空閑の地を求めて道を修せんと欲するに
未だ其の処を得ず。既に五十余の春秋を過ぎて、常に歎く楚河、未だ決せず。
「領」は、ここでは「領する」「受け取る」「治める」といった意味で使われています。
先の箇所を「深山領終」と読む場合、
- 深山に領して終る
→ 深山に(その声が)領せられ、終わってしまった
または
- 深山の領、終る
→ 深山における(誦経などの)領有・継続が終わった
という意味合いになります。
文脈全体では、
「閑林の誦経の声が、深山に領せられて終わり、修禅の室も……」
というように、かつて閑林で行われていた誦経や修禅が途絶えてしまったことを嘆く表現です。
「領」は「その場に受け止められる/そこに属する」というニュアンスで使われていると考えられます。
河末天周朝就肆世濁乱人弥爲畜逐日
河末天周朝就肆世濁乱人弥爲畜逐日
倍増誰於此境無厭離心就中我身於此
國又最愚貧世飢日食常望不来之物勞
時服還壞光足之人明四禪名具不知之
六通七覚義無辨之對有智墙面實福泥
足可恥惡業之報可愍命濁之身假使可
受辰且月氏生於今果報乖生一念若況
於往生極樂大利半剛瓦華糞不欲翔漢
河
末だ決せず。周鮒肆(ほしいまま)に就くことを、世濁乱し、人と弥々畜と為ること、日を逐んで
倍増す。誰か此の境に於いて厭離の心無からん。中に就て、我が身、此の
国に於いて、又最も愚貧なり。日食に飢えて常に不来の物を望み、
時服を労して還って、充足の人を嫉む。三明四禅はの名づく。具には之を知らず。
六通七覚は義、之を辨ずる無し。有智に対して面てを墙にし、貴福に向けて、足を泥す
恥づべし。悪業の報、悪むべし。命濁の身、仮使(たとひ)べくと。云々
辰旦月氏の生を受く。、今の果報に於いて、争いが一念の着を生ぜん。況んや
往生極楽の大利に於いてをや。かわらの虫の糞に楽たのしんで、漢(はつる)に翔(かけ)ることを欣(ねがは)ず。
「周鮒」は、中国の古い思想書『荘子(外物篇)』に登場する有名な寓話(たとえ話)に由来する言葉、またはその登場人物である「荘周(荘子)」と「鮒(フナ)」のことを指します。 [1, 2]
この二者のやり取りから、「切迫した危機にある者」や「今すぐ必要な救いの手」を象徴する言葉として知られています。
| カタカナの並び | 当時の読み方の復元 | 現代語としての意味 |
|---|---|---|
| ル(「翔」の右下) | 翔(かけ)る / 翔(と)ぶ | 仏が天空を飛び去る |
| ハ、ツ、シ、ニ (「漠」の右側) | 果(は)つるに / 果(は)つしに | 虚しく終わってしまう / 救いから漏れて尽きてしまう |
。
尚不足爲喩也何夫劣乎於此間義景勝
尚不足爲喩也何夫劣乎於此間義景勝
地人之所欣也然則春山翫花之好士貶
故鄉芳信ちりう人後をれんとす
詠 朧月移思之遊客志並枕愛執残
國婦孤夢之恨何况黄金林樹不朽之芬
郁乎満等常恒之光輝一足速到一念早
見存念何爲生猶預乎
尚ほ喩と為するに足らず。何ぞ夫れ此に劣らるや。此の間に於いてすら、義景勝
地は、人の欣ふ所なり。然れば則ち、春山に花を翫(もてあそ)ぶの好士、
故郷の芳信を厭(いとって)て、ちりうん後をまてとさらさらよしと。
詠し。朧月に思を移すの遊客は、志は並枕(へいしん)の愛執を忘れて。
国婦の孤夢(ぼうの)の恨を残せり。何に況や黄金林樹、不朽の芬
郁。半満月等、常恒のこうこう晃輝、一足も速かに到り、一念も早く
見んとこそ存念すべきに。何苟くも猶預を生ぜんや、法とめよ、法とめよ
1.正念誦等用意(しょうねんじゅとうようい)(Shounenjutouyoui),
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