サンユッタ・ニカーヤ– tag –
-
02. Kernel Source
完結18,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」非我相経の結語部に見る「理解→無執取→漏尽解脱」――定型句(Idamavoca…/Attamanā…)と決裁句(anupādāya…vimucciṃsu)の論理構造
1 Bentou Hinomaru 2025年12月22日 14:07 導入文(記事冒頭用) 本稿では、SN 22.59「無我相経(Anattalakkhaṇasuttaṃ)」の結語部、すなわち 59-60〜62 を取り上げます。ここは、長い無我論証そのものの“内容”ではなく、説法が完結したこと、聴... -
02. Kernel Source
17,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」「解脱智」と四句定型――無我相経が示す悟りの確証(SN 22.59 59-58〜59)
Bentou Hinomaru 2025年12月22日 03:26 導入文 無我相経(SN 22.59)は、五蘊がいずれも「我ではない」ことを論理と観察によって明らかにし、修行がどのように解脱へ至るのかを段階的に示す経です。その最終部にあたる 59-58〜59 では、解脱が成立した後に... -
02. Kernel Source
16,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」如実観から解脱へ― 厭離(nibbidā)・離貪(virāga)・解脱(vimutti)の必然的連鎖(SN 22.59)59-55〜57
Bentou Hinomaru 2025年12月21日 17:08 本節(SN 22.59・59-55〜57)は、三段否定(netaṃ mama/nesohamasmi/na meso attā)による如実観が、五蘊への同一化をほどき、**厭離(nibbidā)→離貪(virāga)→解脱(vimutti)**へ必然的に展開することを要約す... -
02. Kernel Source
15,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」過去・未来・現在、内外、粗細、優劣、遠近——識を全て検証対象にする論理(59-53〜54)
1 Bentou Hinomaru 2025年12月21日 17:24 導入文本稿では、『無我相経』(SN 22.59)59-53〜54を扱う。59-53は、過去・未来・現在、内外、粗細、優劣、遠近の別を尽くして、あらゆる識が例外なく同一の検証対象であることを示す。続く59-54は、その全域に... -
02. Kernel Source
13,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」三否定の観法を全蘊へ:無我相経(SN22.59)59-48〜50に見る「如実知見」の実践構造
Bentou Hinomaru 2025年12月21日 02:30 導入文(簡潔) 本稿では『無我相経』(SN22.59)59-48〜50を扱う。ここは、三否定の観法――「これは私のものではない/私はこれではない/これは私の自己ではない」――が確定され、それが 受(vedanā)→想(saññ... -
02. Kernel Source
12,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」三否定「netaṃ mama/neso’ham asmi/na meso attā」による無我観法の確立――如実知見を受(vedanā)へ全範囲適用する段(SN 22.59 59-45〜47)
Bentou Hinomaru 2025年12月21日 00:49 導入文 59-45〜47は、無我相経の論証が「理解」から「観法(実践指示)」へ確定される核心部です。59-45で五蘊に共通する三否定—『これは私のものではない/私はこれではない/これは私の自己ではない』—が、**如実... -
02. Kernel Source
10,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」最も微細な「私」を崩す論理──viññāṇa に貫徹する三段推論(59-39〜41)
2025年12月20日 13:25 導入文 59-39〜41は、識(viññāṇa)に対して定型推論を完結させる直前の要所です。識が無常であると確定したうえで(59-37〜38)、無常なものは苦であると合意し(59-39〜40)、さらに無常・苦・変壊するものを「私のもの/私/自己... -
02. Kernel Source
9,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」三つの我執を否定する一句──etaṃ mama・eso’ham asmi・eso me attā(SN 22.59 59-32〜38)
2025年12月20日 13:12 導入文無我相経(SN 22.59)59-32以降は、「非我」を宣言ではなく問答で確定していく場面です。59-32〜33では、無常で苦で変壊するものを 「私のもの(etaṃ mama)/私(eso’ham asmi)/自己(eso me attā)」 と把持する...
1