パーリ語

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【21】悟りは「主体」の達成か、条件的な「出来事」か。——コーンダンニャの命名が示す仏教の根本思想

初転法輪のクライマックス、釈尊による「ついにコーンダンニャは悟った!」という感嘆と命名の場面をパーリ語原典から精読。文法構造の分析を通じ、悟りを「固定的な主体の達成」ではなく「条件的な出来事」として捉える、初期仏教の根本思想「無我」と「縁起」の論理を解き明かします。
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20初転法輪における宇宙的徴相と仏陀の確証:パーリ語原典から読み解く縁起的宇宙観

釈尊の初転法輪において、一万世界体系はなぜ震動したのか。パーリ語経典の緻密な文法解析を通じ、神話的描写の背後にある初期仏教の核心「縁起」と「無我」の論理構造を解明します。創造神のいない宇宙が法(Dhamma)に応答するメカニズムに迫る論考です。
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5,Anattalakkhaṇasuttaṃ  「非我相経」「意志や心の形成作用(行)は、思いどおりに統御できないという事実によって、『我』ではありえないことが論理的に示される」(SN22.59 59-16~18:行蘊→識蘊)

「自分の意志なのに、なぜコントロールできないのか?」『無我相経(SN22.59)』は、意志や心の反応(行蘊)に対し人間が「Root権限」を持たない事実を証明します。「もし意志が自分なら、思い通りになるはずだ」という背理法を用い、統御不能な心のシステムを解明する技術仕様書的解説。
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4、Anattalakkhaṇasuttaṃ  「非我相経」行から識へ:無我相経における「意のままにならない」無我論証の継承(SN22.59 59-11〜15)

「もし感情が『私』なら、苦しまず思い通りにできるはずだ」。釈尊は背理法を用い、感受(受)に対する支配権の不在を論理的に証明します。『無我相経(SN22.59)』原文解説。システム管理者(私)が存在しないバグの深層を解読する技術仕様書。