無我相経– tag –
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9,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」三つの我執を否定する一句──etaṃ mama・eso’ham asmi・eso me attā(SN 22.59 59-32〜38)
2025年12月20日 13:12 導入文無我相経(SN 22.59)59-32以降は、「非我」を宣言ではなく問答で確定していく場面です。59-32〜33では、無常で苦で変壊するものを 「私のもの(etaṃ mama)/私(eso’ham asmi)/自己(eso me attā)」 と把持する... -
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8,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」 非我相経の三段推論──「無常→苦→把持の不適切性」を問答で確定する(SN 22.59 59-27〜31)
2025年12月20日 02:41 導入文(59-27〜31 用) 無我相経(SN 22.59)は、前半で「自己なら統御できるはずだ」という反事実のテストによって五蘊の非我を論証し、後半でその理解を揺るぎないものにするための「合意形成の問答」へ移ります。59-27〜31は、そ... -
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7,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」識(viññāṇa)はなぜ非我なのか──「統御不能性」で読む非我相経(SN22.59 59-22〜26)
導入文 本節では、五蘊の最後であり、最も「これが私だ」と誤認されやすい識(viññāṇa)=意識・認識作用に対して、無我相経の同一論証が適用されています。身体(色)、感受(受)、認識(想)、形成作用(行)と同様に、識もまた意のままにならず、条件... -
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6,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」「統御可能性テスト」による非我論証――行(saṅkhārā)から識(viññāṇa)へ移行する継ぎ目(SN22.59 59-19〜21)の論理と文法
2025年12月19日 12:36 導入文 本節(59-19〜21)では、五蘊のうち行(saṅkhārā:意志・反応・心の形成作用)が、本当に「自己(attā)」と呼べるのかを検証していきます。 仏陀は、「もし諸行が自己であるなら、『こうであれ/こうなるな』と命じて思いど... -
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3, Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」「こうであれ」と命じられないものは我ではない― 色(rūpa)と受(vedanā)における非我の背理法(『相応部』)SN22.59(59-7〜10)
2025年12月15日 09:26 導入文 本節(SN 22.59/59-7〜59-10)は、「身体(色 rūpa)は自己(attā)ではない」ことを、仮定と検証で確かめる場面です。世尊はまずこう言います。もし身体が本当の自己なら、身体は病や苦(ābādha)に向かわず、さらに「こう... -
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2、 Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」(『相応部』22-59)アートマン(attā)概念への反証としての無我― 「意のままにならない」身体(rūpa)から始まる無我相経の論理(59-6)
2025年12月10日 01:31 導入文 本稿では『無我相経』(SN 22.59)59-6「Rūpaṃ, bhikkhave, anattā(比丘たちよ、色〔身体を含む物質〕は非我である)」を起点に、世尊が「無我/非我」を抽象論ではなく、検証可能な論理として提示していく入口です。 ここで...
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