SN22.59– tag –
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5,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」「意志や心の形成作用(行)は、思いどおりに統御できないという事実によって、『我』ではありえないことが論理的に示される」(SN22.59 59-16~18:行蘊→識蘊)
2025年12月17日 18:02 導入文 ここでは、無我の論証を 想(saññā:認識・ラベリング) と 行(saṅkhārā:意志・反応・心の形成) に当てはめます。もしそれらが「自分そのもの」なら、苦に向かわず、**「こうであれ/こうなるな」**と... -
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4、Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」行から識へ:無我相経における「意のままにならない」無我論証の継承(SN22.59 59-11〜15)
導入文私たちは日々、「気持ち」や「感情」を自分そのもののように感じて生きています。嬉しい、苦しい、不快だ――それらはあまりに身近で、「これは私だ」と思ってしまいがちです。 しかし『無我相経(SN 22.59)』では、仏陀はこの**「受(vedanā)」**こ... -
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3, Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」「こうであれ」と命じられないものは我ではない― 色(rūpa)と受(vedanā)における非我の背理法(『相応部』)SN22.59(59-7〜10)
2025年12月15日 09:26 導入文 本節(SN 22.59/59-7〜59-10)は、「身体(色 rūpa)は自己(attā)ではない」ことを、仮定と検証で確かめる場面です。世尊はまずこう言います。もし身体が本当の自己なら、身体は病や苦(ābādha)に向かわず、さらに「こう...
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