解脱道論第一ー書き下し

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阿羅漢優波底沙(梁に言う、大光)造
梁の扶南三藏僧伽婆羅訳

因縁品第一

世尊・應供・正遍知を禮す

戒・定・智慧、無上の解脱、此の法に隨って覺る、
稱ある瞿曇あり。

若し人、衆難を脱し已りて諸著を離るることを得て、勝分の心を成就せば、生老死を畏れ、善を樂しみ解脱を樂しみて、涅槃の樂に到らしめん。未だ彼岸に到らざる有らば、亦た具足することを得しめん。廣く修多羅・毘曇・毘尼の事を問うに、此の解脱道、我今當に説くべし。諦かに聽け。

問う、云何が戒と爲すや。答う、戒とは威儀の義なり。定とは不亂の義なり。慧とは知覺の義なり。解脱とは離縛の義なり。無上とは無漏の義なり。隨覺とは知得の義なり。此の法とは四聖法の義なり。瞿曇とは姓の義なり。稱有りとは世尊の義なり。戒・定・慧・解脱の殊勝の功徳を以て、能く最勝の名稱無量に到る。

解脱道とは何の義ぞや。解脱とは五解脱なり。伏解脱・彼分解脱・斷解脱・猗解脱・離解脱なり。云何が伏解脱なる。現に初禪を修行して諸蓋を伏す。此れを伏解脱と謂う。彼分解脱とは、現に達分定を修して諸見解脱す。此れを彼分解脱と謂う。斷解脱とは、出世間道を修して能く餘結を滅す。此れを斷解脱と謂う。猗解脱とは、果を得る時の如く、心猗を樂しむ。此れを猗解脱と謂う。離解脱とは、是れ無餘涅槃なり。此れを離解脱と謂う。

此の解脱道は解脱を得んが爲なり。是れ具足の道にして、戒・定・慧を以て解脱道と謂う。解脱道は、我今當に説くべし。

問う、何の用ありてか解脱道を説くや。答う、善人有りて解脱を得んことを樂しむも、解脱を説くことを聞かざるが故に、又解脱を伏せざるが故に、又正しく解脱を伏せざるが故に、盲人の導く無くして獨り遠國に遊ぶが如し。唯だ衆苦を嬰りて解脱を得ず。解脱を得んと欲すれども因る所無し。何を以ての故に。解脱は是れ因なり。佛の所説の如し。若し衆生有りて塵勞微細なるも、法を聞かざるが故に終に亦た退轉す。又佛の説きたもうが如し。諸の比丘、二因二縁有りて能く正見を生ず。云何が二と爲す。一には他より聞く。二には自ら正しく念ず。是の故に解脱を説く。

解脱を伏せざる者は、厭離を生ぜしめんが爲の故に解脱を説く。正しく解脱を伏せざる者は、不正道を除かんが爲に、禪解脱道を得んが爲の故に解脱を説く。遠行の人、善く示導を得るが如し。是れ伏解脱道なり。

三陰成滿す。何等をか三と爲す。謂く、戒陰・定陰・慧陰なり。云何が戒陰なる。正語・正業・正命及び種類の所攝、或いは戒陰の種種の戒功徳の聚なり。云何が定陰なる。正精進・正念・正定及び種類の定陰の所攝、或いは種種の定功徳の聚なり。云何が慧陰なる。正見・正思惟及び種類の所攝、或いは種種の慧功徳の聚なり。此の三陰成滿す。是れ伏解脱道なり。

當に三學を學すべし。謂く、增上戒學・增上心學・增上慧學なり。戒有り、增上戒學有り。定有り、增上心學有り。慧有り、增上慧學有り。

(続く)


解脱道論巻第一 書き下し文(続き)

復た次に、戒の戒學有り、戒の增上戒學有り。定の心學有り、定學の增上心學有り。慧の慧學有り、慧の增上慧學有り。

問う、云何が戒學なるや。答う、謂く相有る戒、是れを戒學と名づく。謂く達分の戒、是れ增上戒學なり。復た次に、凡夫の戒、是れを戒學と名づく。聖戒は是れ增上戒學なり。

問う、云何が心學なるや。答う、謂く欲定なり。

問う、云何が增上心學なるや。答う、色定及び無色定なり。此れを增上心學と謂う。復た次に、相有る定は心學なり。達分定及び道定、是れを增上心學と謂う。

云何が慧學なる。謂く世間の智、是れを慧學と名づく。四諦の相似智及び道智、是れを增上慧學と謂う。

世尊の如きは、鈍根の人の為に增上戒學を説き、中根の人の為に增上心學を説き、利根の人の為に增上慧學を説きたもう。

問う、學とは何の義ぞや。答う、學ぶ可きを學び、增上を學び、無學を學ぶ、學と名づく。是の如く此の三學を學ぶ。謂く伏解脱道なり。

三種の學を以て清淨を成就す。謂く戒清淨・心清淨・見清淨なり。是に於いて戒は是れ戒清淨なり。定は是れ心清淨なり。慧は是れ見清淨なり。戒は犯戒の垢を洗う。定は纒の垢を洗う。是れを心清淨と謂う。慧は無知の垢を除く。此れを見清淨と謂う。復た次に、戒は惡業の垢を除き、定は纒の垢を除き、慧は使の垢を除く。是の如く三清淨を以て、是れ伏解脱道なり。

又三種の善伏道を以てす。謂く初・中・後の善なり。戒を以て初と爲し、定を以て中と爲し、慧を以て後と爲す。

云何が戒を初善と爲すや。精進有る人、不退を成就し、不退なるを以ての故に喜ぶ。喜ぶを以ての故に踊躍す。踊躍するを以ての故に身猗す。身猗するを以ての故に樂し。樂しきを以ての故に心定まる。此れを初善と謂う。

定を中善と爲すとは、定を以て如實に知見す。此れを中善と謂う。

慧を後善と爲すとは、已に如實に知見して厭患す。厭患するを以ての故に離欲す。離欲するを以ての故に解脱す。解脱するを以ての故に自知を成ず。是の如く三善道を成就す。已に伏解脱道なり。

三種の樂を得。謂く無過樂・寂滅樂・正覺樂なり。彼れ戒を以て無過樂を得、定を以て寂滅樂を得、慧を以て正覺樂を得。是の如く三種の樂を得るを成就す。是れ伏解脱道なり。

二邊を遠離して中道具足を得。此の戒を以て善く諸の欲著を除く。無過樂に於いて情に欣樂を生ず。定を以て身羸を除く。寂滅樂に於いて喜樂を增す。慧を以て四諦を分別して中道具足す。正覺樂に於いて深く愛樂を懷く。是の如く二邊を遠離して中道具足を得。是れ伏解脱道なり。

戒を以て惡趣を除き、定を以て欲界を除き、慧を以て一切の有を除く。戒に於いて多く修し、定慧に於いて少く修すれば、須陀洹・斯陀含を成ず。戒定に於いて多く修し、慧に於いて少く修すれば、阿那含を成ず。三種を修して滿つれば、阿羅漢無上解脱を成ず。

分別戒品第二

問う、云何が戒なる。何の相ぞ。何の味ぞ。何の起ぞ。何の足處ぞ。何の功徳ぞ。何ぞ戒の義と戒行との差別なる。幾ばくの戒ぞ。何の所より起こるや。何ぞ戒の初中後なる。幾ばくの法か戒道を障礙するや。幾ばくか戒の因なる。幾種の戒ぞ。云何が戒をして清淨ならしむるや。幾の因を以て是の戒住するや。

答う、云何が戒なるとは、謂く思戒・威儀戒・不越戒なり。何者か思戒と爲す。我惡を作さず、作する者は自ら受く。何者か威儀戒なる。犯處を離る。云何が不越戒なる。若し戒有る人、身口に過無し。

復た次に、斷の義、威儀なり。一切の善法は是れ戒なり。阿毘曇に説くが如し。出離の法を以て欲欲を斷ず。是れ戒能く惡を離る。思戒・護戒・威儀戒なり。不瞋恚を以て瞋恚を斷滅す。光明相を以て睡眠を斷ず。不散亂を以て調戲を斷ず。法の起を見るを以て疑悔を斷ず。智を以て無明を斷ず。喜を以て無可樂を斷ず。初禪を以て五蓋を斷ず。二禪を以て覺觀を斷ず。三禪を以て喜を斷ず。四禪を以て樂を斷ず。空入定を以て色想乃至瞋恚及び種種の想を斷ず。識入定を以て虚空を斷ず。無所有定を以て識入の想を斷ず。非想非非想定を以て無所有を斷ず。

無常見を以て常想を斷ず。苦見を以て樂想を斷ず。無我見を以て我想を斷ず。不淨見を以て淨想を斷ず。過患見を以て愛想を斷ず。無染見を以て欲想を斷ず。滅見を以て集を斷ず。消見を以て厚を斷ず。分見を以て聚を斷ず。生滅見を以て常を斷ず。無相見を以て相を斷ず。無作見を以て作を斷ず。空見を以て入を斷ず。增上慧見を以て執著を斷ず。如實知見を以て無明の執を斷ず。過患見を以て居執を斷ず。彼觀見を以て不彼觀を斷ず。轉散見を以て和合の執を斷ず。

須陀洹道を以て見一處の煩惱を斷ず。斯陀含道を以て麁煩惱を斷ず。阿那含道を以て細煩惱を斷ず。阿羅漢道を以て一切の煩惱を斷ず。此れを不越戒・思戒・護戒・威儀戒と謂う。此れを戒と謂う。

何ぞ戒の相なるとは、威儀もて非威儀を除く。

問う、云何が非威儀と名づくるや。答う、謂く破法なり。破法に三種有り。一には波羅提木叉法を破す。二には縁法を破す。三には根法を破す。

云何が波羅提木叉法を破するや。謂く無慚無愧なり。如來に於いて信を離る。

云何が縁法を破するや。答う、命と形飾と相應して、知足を離る。

云何が根法を破するや。六根の門を閉ぢず、念慧を離る。此の三を以て非威儀を覆う。是れを戒の相と名づく。

何ぞ味、起、足處なるとは、無過樂は是れ味なり。無憂は是れ起なり。三善行は是れ足處なり。復た次に、悦勝を味と爲し、不悔を起と爲し、諸根を覆うを足處と爲す。

何ぞ戒の功徳なるとは、不悔は是れ戒の功徳なり。世尊の阿難に告げたもうが如し。不悔の戒善は是れ功徳の義なり。

復た次に、戒と名づくる者は、是れ無過樂なり、是れ衆姓の上なり、是れ財を富貴と爲す、是れ處を佛地と爲す、是れ浴に水無し、是れ香く普く薫ず、是れ影の形に隨うなり、是れ繖の覆う可きを覆うなり、是れ聖種なり、是れ學の無上なり、是れ善趣の道なり。

若し人戒有れば、戒有るが爲の故に、無畏を成就し、榮顯し、親友にして聖の怜愍したもう所なり。是れ親友の依なり。是れ善き莊嚴なり。是れ諸行を領す。是れ功徳の處なり。是れ供養の處なり。是れ貴ぶ可き同學の處なり。諸の善法に於いて畏れず退せず、一切の意願清淨を成ず。死すと雖も忘れず。伏解脱樂の方便を成ず。是の如く無邊の戒の功徳なり。

解脱道論巻第一 書き下し文(続き)

戒とは何の義ぞや。答う、冷の義なり。增上の義なり。行の義なり。自性の義なり。苦樂性相應の義なり。復た次に、頭の義、冷の義、安の義なり。

云何が頭を戒の義と爲すや。答う、人の頭無きが如し。一切の諸根、復た塵を取らず。是の時を死と名づく。是の如く比丘、戒を以て頭と爲す。若し頭斷ち已れば、諸の善法を失う。此の佛法に於いて之を死と謂う。是れ戒を頭の義と爲す。

何者か冷を戒の義と爲すや。摩勝冷栴檀の如し。則ち身熱を除き歡喜を成就す。是の如く戒は勝冷栴檀と爲りて、能く犯戒の恐畏心熱を滅し、歡喜を成就す。是れ冷を戒の義と爲す。

何者か安を戒の義と爲すや。答う、若し人戒有れば、風儀整肅にして恐畏を生ぜず。是れ安を戒の義と爲す。

行と何ぞ差別あるや。修行・精進・受持・頭陀、是れ行にして戒に非ず。戒も亦た行と名づく。戒を威儀と名づけ、受も亦た行と名づく。

幾ばくの戒ぞや。謂く三種の戒なり。善戒・不善戒・無記戒なり。

云何が善戒なる。謂く善身口業及び正命なり。過患無きが故に果報愛す可し。

云何が不善戒なる。謂く惡身口業及び邪命なり。過患有るが故に果報愛す可からず。

云何が無記戒なる。無漏の身口業及び清淨の命なり。過患有ること無く亦た果報無し。

云何が戒を起こすや。善心の起こす所は善戒なり。不善心の起こす所は不善戒なり。無記心の起こす所は無記戒なり。

何ぞ戒の初中後なるとは、受戒は是れ初なり。越えざるは是れ中なり。歡喜は是れ後戒なり。

幾ばくの法か障礙し、幾ばくか戒の因なるや。答う、三十四法は是れ障礙の道なり。三十四法は是れ戒の因なり。所謂、忿・惱・覆・熱・慳・嫉・幻・諂・恨・競・慢・增上慢・傲慢・放逸・懶惰・貪欲・不知足・不從智・不正念・惡口・惡友・惡智・惡見・不忍・不信・無慚・無愧・營身・口味・狎俗・親近女人・不敬師學・不攝諸根・於食不節・初夜後夜、禪誦に墮せず。此の三十四法は是れ障礙の道なり。若し障礙すれば戒成滿せず。若し成滿せざれば必ず還りて退失す。若し是の法に反すれば三十四種、是れを戒の因と名づく。

戒に幾種有りや。謂く二種・三種・四種有り。

云何が二種なる。謂く性戒・制戒なり。身口の所行、佛斷じて行ぜず。是れを性戒と名づく。身口行ず可きも、佛斷じて行ぜず。是れを制戒と名づく。性戒は信精進を以て能く具足せしむ。制戒は信念持を以て能く具足せしむ。

復た次に、戒に二種有り。退戒・得戒なり。云何が退と名づくる。能く非戒を滅す。云何が得と名づくる。衆善法を得。諸の非戒を除くこと、光影を斷つが如し。非戒を斷つを以て諸の惡趣を離る。正戒を得るを以て能く善道に趣く。非戒を斷つを以て住分を成就す。

復た次に、戒に二種有り。世戒・出世戒なり。云何が出世戒なる。聖道果の得る所の戒の如き、是れ出世戒なり。餘は世戒なり。世戒を以て成就するが故に具足有り。出世戒を以て成就するが故に解脱有り。

復た次に、戒に二種有り。有量・無量なり。具足せざる戒、是れを有量と名づく。若し具足の戒、佛の斷ぜし所を以てす。是れを無量と名づく。

復た次に、戒に二種有り。有邊・無邊なり。云何が有邊なる。若し人、世の利の爲、勝の爲、親友の爲、身の爲、命の爲、所依を越えんとして而して戒を行じ受く。彼の戒は利養を邊と爲し、稱譽を邊と爲し、身有るを邊と爲し、命有るを邊と爲す。

云何が無邊なる。此の比丘、出の利の爲、勝の爲、身の爲、命の爲、如法に戒を受け、犯心を起こさず。何ぞ況んや故に犯さんや。此れを無邊の戒と謂う。

復た次に、戒に二種有り。有依・無依なり。云何が有依なる。相有る戒は愛に依る。戒盜相應の戒は見に依る。自ら譽め他を毀る相應の戒は慢に依る。此れ有依の戒なり。若し解脱の資用を成就すれば、是れ無依の戒なり。若し有依の戒は慧人の樂しむ所に非ず。若し無依の戒は是れ慧人の樂しむ所なり。

復た次に、戒に二種有り。梵行の初と學の微細戒となり。云何が梵行の初なる。正業・正語・正命の攝する所の戒、此れを梵行の初と謂う。餘の學戒有り、此れを輕戒と謂う。

復た次に、戒に二種有り。有心相應・無心相應なり。云何が有心なる。謂く初めて梵行を學ぶなり。云何が無心なる。謂く餘の輕戒なり。聲聞、梵行の初の堅戒上戒に於いては、此の輕戒に於いて犯を得、起を得。何を以ての故に。佛此れ解脱を障うと説きたまわざればなり。

復た次に、二種の戒有り。謂く無犯戒・清淨戒なり。云何が無犯なる。謂く聲聞の戒なり。云何が清淨戒なる。佛及び縁覺の戒なり。

復た次に、戒に二種有り。謂く時分戒及び盡形戒なり。少時暫く受けて形命に倶せず。謂く時分戒なり。師より始めて誓い、乃ち壽を捨つるに至る。謂く盡形戒なり。時分戒は、果報時有り。盡形戒は、果報時無し。

何者をか三と爲す。謂く止惡不犯・受不犯・斷不犯なり。云何が止惡不犯なる。未だ受を受けざると雖も、所行の處に非ざれば心に犯を生ぜず。是れを止惡不犯と謂う。云何が受不犯なる。受を受けてより已に終に復た犯さず。是れを受不犯と謂う。云何が斷不犯なる。聖人、聖道を以て諸の惡因を斷ず。是れを斷不犯と謂う。

復た次に、戒に三種有り。謂く觸戒・不觸戒・猗戒なり。云何が觸と爲す。有爲の相、初めて愛を見るを觸と爲す。是れ凡夫の善戒なり。資用して道に入るは、是れを無觸戒と謂う。云何が猗戒なる。謂く阿羅漢の戒なり。

復た次に、三種有り。謂く依世戒・依身戒・依法戒なり。何者か依世戒なる。若し人恐怖有りて、世の意を將護し諸の惡法を除く。是れを依世と名づく。何者か依身戒なる。若し人恐懼有りて、身命を將護し諸の惡法を除く。是れを依身と名づく。何者か依法戒なる。若し人驚畏して、正法を將護し諸の不善を除く。是れを依法と名づく。

復た次に、戒に三種有り。謂く所願不等・所願等・無所願なり。云何が所願不等なる。他を惱まして戒を受く。此れを所願不等と謂う。云何が所願等なる。戒を受けて現有の樂及び未來の解脱樂の爲にす。是れを所願等と謂う。云何が無所願なる。戒を受けて悔いず、他を饒益せんが爲なり。此れを無所願と謂う。

復た次に、戒に三種有り。謂く清淨戒・不清淨戒・有疑戒なり。云何が清淨戒なる。二因縁を以て戒清淨を成ず。一には犯さず。二には犯して已に能く悔ゆ。此れを清淨戒と謂う。二因縁を以て不清淨を成ず。一には自ら故に犯す。二には犯して悔いず。此れを不清淨と謂う。

云何が有疑戒なる。三因を以ての故に有疑を成就す。一には處を分別せざるを以てなり。二には犯を分別せず。三には不正行を分別せず。此れを有疑戒と謂う。若し坐禪の人、戒清淨ならざれば、深く慚悔を生じ清淨樂を成ず。又疑惑有れば、現に罪を知らしめ、安樂を成ることを得。

復た次に、戒に三種有り。謂く學・無學・非學非無學なり。云何が學と爲す。七學人の戒なり。云何が無學なる。阿羅漢の戒なり。云何が非學非無學なる。凡夫人の戒なり。

復た次に、戒に三種有り。謂く畏戒・憂戒・癡戒なり。云何が畏と爲す。人有りて罪を畏れ敢えて惡を爲さず。斯れを畏戒と謂う。云何が憂と爲す。若し人、親友を離るるを念じて暫く愁苦を生ず。愁苦を以ての故に諸惡を起こさず。斯れを憂戒と謂う。云何が癡戒なる。人有りて牛戒狗戒を受く。斯れを癡戒と謂う。癡戒若し成ずれば則ち牛狗と爲る。若し復た成ぜざれば則ち地獄に墮す。

復た次に、戒に三種有り。謂く下・中・上なり。云何が下と爲す。謂く上煩惱・上上煩惱・大煩惱の觸する所なり。知足せざる所の染なり。此れを下戒と謂う。云何が中と爲す。細煩惱の觸する所、知足の所の染なり。此れを中戒と謂う。云何が上と爲す。觸する所無く、知足の所の染なり。此れを上戒と謂う。下戒成滿すれば人の具足を令む。中戒成滿すれば天の具足を令む。上戒成滿すれば解脱を得しむ。

復た次に、戒に四種有り。謂く退分・住分・勝分・達分なり。云何が退分なる。道の障礙を除かず。精進を離れたる人なり。知りて而して故に犯す。犯して已に覆藏す。此れを退分と謂う。云何が住分なる。戒に於いて成就して放逸を起こさず。寂見を生ぜず、住分を成就す。戒定に於いて成滿して放逸を起こさず。寂見を生ぜず、勝分を成就す。戒定に於いて成滿して放逸を起こさず。寂見を生ずるを以て達分を成就す。

(続く)

解脱道論巻第一 書き下し文(続き)

復た次に、戒に四種有り。比丘戒・比丘尼戒・不具足戒・白衣戒なり。云何が比丘戒なる。波羅提木叉の威儀、是れ比丘戒なり。比丘尼戒、波羅提木叉の威儀、是れ比丘尼戒なり。沙彌・沙彌尼の十戒、式叉摩尼の戒、是れを不具足戒と謂う。優婆塞・優婆姨の五戒及び八戒、是れ白衣戒なり。

復た次に、戒に四種有り。謂く性戒・行戒・法志戒・初因戒なり。云何が性戒なる。欝單越の戒、此れを性戒と謂う。云何が行戒なる。姓族・國土・外道等の法の如し。是れを行戒と謂う。云何が法志戒なる。菩薩の入胎の戒、是れを法志戒と謂う。云何が初因戒なる。菩薩及び摩訶迦葉の戒、是れを初因戒と謂う。

復た次に、戒に四種有り。戒・戒集・戒滅・戒滅道具足なり。云何が戒なる。戒とは二種有り。善戒・不善戒なり。此れを戒と謂う。云何が戒集なる。善心は善戒を集む。不善心は不善戒を集む。云何が滅戒なる。善戒を得て不善戒を滅す。阿羅漢を得て善戒を滅す。云何が滅道具足戒なる。謂く四正勤なり。此れを滅道具足戒と謂う。是の如く四法を分別し曉了す。是れを精進と謂い、眞の持戒に非ず。是れを正勤と名づく。

復た次に、戒に四種有り。波羅提木叉威儀戒・命清淨戒・根威儀戒・縁修戒なり。

云何が波羅提木叉威儀戒なる。此に於いて比丘、波羅提木叉の威儀の覆う所に住して行ず。行處具足し、細罪に於いて畏る。正しく學ぶ可き戒を受學す。此の者、此の師法に於ける比丘とは、凡夫の善有り。復た次に、有學・無學、不動法有り。波羅提木叉とは、是れ戒なり、是れ起なり、是れ初なり、是れ行なり、是れ護なり、是れ威儀なり、是れ脱なり、是れ無縛なり、是れ諸法の面、善法を正受せんが爲なり。波羅提木叉の義と名づく。身口業を越えず。是れ威儀なり。覆う所とは、此の波羅提木叉の威儀を以て成就し住すとは、四威儀を護る。衆行具足するとは、復た行有り、非行有り。

云何が非行なる。若し比丘有りて、彼の一人に於いて、或いは杖竹を施し、或いは花葉果實を施し、或いは楊枝澡浴を施し、或いは美惡を販弄し、或いは調戲を爲し、或いは諂諛して自ら進み、或いは恣に驅馳して遠く賓を招會す。此の如き諸行、佛の制する所なり。邪命自活と謂う。此れを非行と爲す。

復た次に、二種の非行有り。身の非行・口の非行なり。云何が身の非行なる。若し比丘有りて、陵慢の心を以て僧中に往至し、大徳を排觸し、叨佷として自ら前す。或いは猗り或いは行きて先に上位に坐し、大を下に推す。或いは坐し猗りて排調す。或いは肩を拍ち笑語す。上座は徒跣なるに、自ら革屣を著く。耆徳は下路なるに、己は高陌を行く。衆の異縁を以ての故に相い輕惱す。或いは勝を以て少に待し、劣を推して長に與う。或いは浴室に於いて諸の薪木を燒き、門戸を關閉するに皆諮問すること無し。或いは水邊に詣りて輒ち自ら先に入り、身を嬌にし搏を撃ち諸の鄙相を現ず。若し他の舍に入りて前後を超越し、行坐次無し。或いは屏處に在りて女人及び諸の僮女と戲弄し、其の首を摩觸す。是の如き等の過、身の非行と謂う。

云何が口の非行なる。若し比丘有りて、心に敬畏無く、宿望に諮らず輒ち自ら法を説く。或いは波羅提木叉を説く。或いは肩を拍ちて語る。或いは他の家に入りて女人に顧問す。何の姓字なる所ぞ。食す可き物有りや不や。有らば我に現せ、我食を得んと欲す。是の如き等の語を口の非行と爲す。一切の犯戒、此れを非行と謂う。

云何が行と爲す。非行に反するなり。復た次に、比丘、恭敬慚愧有り。威儀を成就して乏少する所無し。諸根を攝護し、能く飮食を節す。初夜後夜、未だ甞て睡眠せず。智慧を成就し、少欲知足なり。世務に狎れず、勇猛心を起こし、同學の所に於いて深く敬重を生ず。此れを行と爲すと謂う。

行處とは、謂く行處有り、非行處有り。云何が非行處なる。若し比丘有りて、婬舍・寡婦の舍・處女の舍・不男の舍・比丘尼の舍及び諸の酒肆に入る。國王・大臣・外道沙門・非法の伴侶に親近す。是の如き等の輩、信樂の心無く、常に四衆に於いて饒益を生ぜず。甚だ厭患す可し。此れを非行處と謂う。佛の所説の如し。比丘、非梵行の處を行ず。云何が非梵行の處を行ずるや。謂く女色を販賣す。處を行ずること知る可し。

復た次に、三種の行處有り。依行處・守護行處・繋縛行處なり。云何が依行處なる。謂く十處の功徳、善友を成就す。此の功徳に依りて、未だ聞かざるは聞くことを得。若し已に聞かば、聞き已りて其をして增廣せしむ。疑悔を斷除し、正見清白にして、能く法に隨いて學び、深く信じ勇猛なり。戒・聞・施・慧を以て念念に增長す。此れを依行處と謂う。

云何が守護行處なる。若し比丘有りて、他の舍に入り及び村里を行くに須いて、地を看て前し、尋仞を踰えず。威容整肅にして人の瞻敬する所なり。象馬車乘及び男女の遊會を看ず。宮第巷陌を看ず、仰觀四望せず。此れを守護行處と謂う。

云何が繋縛行處なる。佛の所説の如し。若し比丘有りて其の家境界を觀ず。此れを繋縛行處と謂う。是れを行と名づく。此の行處を以て成就するが故に、具足行處と曰う。

細罪に於いて畏るとは、我、學ぶ所に於いて畢んぬるが故に、敢えて造るを細罪に畏ると謂う。復た次に、説く有り。若し不善心を起こす。是れを微過と謂う。此の微過に於いて心に避遠を生じ、過患を見て畏を見、出離を見る。此れを微過に於いて畏を見ると謂う。

正しく學ぶ可きを受學するとは、學ぶ可きを何と名づくる。謂く七聚の威儀、一切に隨逐して正受す。此れを正しく學ぶ可きを受學すと謂う。此れを波羅提木叉威儀戒と謂う。

問う、云何が命清淨戒と名づくるや。答う、謂く邪命を犯さざるなり。云何が邪命なる。懈怠・諂曲・示相・瞋を以て罵りて相を示す・施を以て施を望む。

云何が懈怠なる。懈怠に三處有り。思計して得んと欲す。他の四事を惡む。威儀を假肅し、普く自ら稱説す。若し比丘、心に惡欲を懷き、財利を貪樂し、勝衣食を讓りて麁弊を趣求す。得んと欲せざるが如く、他を愍むこと有るが如し。此の如き四事、此れを縁計懈怠と謂う。若し比丘有りて、惡欲貪利にして、詐りて威儀を現し、我禪定に入ると。要めて供施を引き、經典を讀誦す。此れを威儀懈怠と謂う。若し比丘有りて、貪欲諂誑にして、人に向かいて言有り。我聖法を得たり、閑寂に栖止す。禪習する有るが若く、説く所深微なり。人に過ぐる相を示し、貪利己に向かいて廣く自ら宣揚す。是れを懈怠と謂う。

諂曲とは、其の心念の如く、虚しく相い推擧し、善言もて稱讃し、好惡を販弄して調を爲して利を要む。排諧して相い悦び、利を引いて自ら向かう。此れを諂曲と謂う。

云何が示相なる。利有る者に依りて而して爲に法を説く。利を要めて己が爲にし、心能く普からず。此れを示相と謂う。

瞋罵示相とは、或いは他を罵りて畏れしむ。或いは空しく相い毀薄す。或いは打觸を加えて人を怖れしめ利を要む。此れを嗔罵示相と謂う。

云何が施を以て施を望むとは、好んで輕施を爲し、輒ち厚答を要む。此れを施を以て施を望むと謂う。是の諸惡を以て邪命と謂うと爲す。

復た邪命有り。或いは杖竹を施し、或いは花葉果實を施し、或いは楊枝澡浴を施し、或いは相を占い夢悟し、星宿を觀察し、善く禽獸の音聲等の業を解し、吉凶を推歩し、惡言もて離散し、花を燒き火に事え、商旅販賣し、軍衆を將領し、鋭兵刃を蓄う。是の如き種種、此れを邪命と謂う。若し犯さざれば、清淨戒と名づく。

問う、云何が守護根威儀戒なるや。答う、見聞覺知の色聲香味觸法の煩惱相著に於いて、及び受持して犯さず。此れを守護根威儀戒と謂う。此の守護根戒、九行を以て成滿す。惡を相と爲して諸根を斷ずるが故に。彼の對治、作意せざるが故に、頭然を救うが如く終に暫くも捨てざるが故に。難陀を見るが如く、威儀を以ての故に、惡心を伏するが故に、定相の心に於いて自在なるが故に、根を守護せざる人を遠離するが故に、根を守護する人に和合するが故に。

問う、云何が四事戒を修行するや。答う、此の八行を以て已に乞食を觀じ修行す。一には兇險の行を爲さず、自高の行を爲さず。二には裝束を爲さず、莊嚴を爲さず。三には此の身の住の爲、自ら調護せんが爲なり。四には飢渇を除かんが爲なり。五には梵行を攝受せんが爲なり。六には常に自ら思惟す。飮食は先の病を除き新しき疾を起こさざらんが爲なり。七には當に少を以て自ら安んずべし。八には過貪の住無し。

問う、云何が兇險の行を爲さず、自高の行を爲さざるや。答う、我、食を貪るを以て勇健にして、兇險戲暴し、爭競馳走す。是れ兇險の行、高慢自擧して厭足を知らず。嗔者の打撲するが如し。裝束莊嚴せざるとは、身分充滿し、面貌肥悦して、人をして愛樂せしめ、情に厭足無からしむ。是れ欲有る人なり。此の身の住の爲、自ら調護せんが爲とは、身の安住を貪ること、轂の膏を須いるが如し。飢渇を除くとは、常に少食に資す。是の如く修行すること、猶お瘡に藥を塗るが如し。梵行を攝受するとは、少食の力に依りて聖道を得んことを樂しむ。是の如く修行すること、猶お子を食うの想の如し。先の病を除き新しき疾を起こさざるとは、少からず多からず。是の如く修習すること、湯藥を服するが如し。少を以て自ら安んずとは、少の功徳を以て自ら己が身を安んず。常に應に習行すべきこと、病人を看るが如し。過無しとは、少を以て自ら安んず。是の如く修行して身をして無からしめず。是れ智慧の歎ずる所なり。是の故に過無く安住す。若し食調適すれば、未だ甞て懈怠せず。初中後夜も亦た眠睡せず。安隱を成就す。是の如く此の八行を以て、已に乞食を觀じ修行す。當に是の如く修すべし。

解脱道論巻第一 書き下し文(続き)

復た次に、此の八行、略して四觀と爲す。謂く可斷觀・事觀・少を以て自ら安んずる觀・少功徳を以てする觀なり。

問う、云何が可斷觀なるや。答う、兇險の行を爲さず、自高を爲さず、先ず身を爲さず、首を嚴にせんが爲にせず。此れを可斷觀と謂う。此の身の住の爲、正しく調護せんが爲、飢渇を除かんが爲、梵行を攝受せんが爲、此れを事觀と謂う。我當に先の病を除き新しき疾を起こさざるべしとは、此れを少を以て自ら安んずる觀と謂う。我當に少を以て自ら安んじ過無く安樂住を成ずべしとは、此れを少功徳觀と謂う。

此の四觀、此の四觀、已に略して三を成ず。謂く二邊を斷じて中具足を得。斷觀を以て欲樂著を斷ず。飢渇を除くを謂い、本疾を斷じて新しき疾を起こさず。又此の觀を以て身疲に著するを斷ず。餘の中具足觀は應に當に修行すべし。

又衣服を觀ず。風寒暑と蚊虻蟻の觸を除かんが爲なり。慚恥を生じ醜露を遮覆せんが爲なり。具足觀に於いて是の如く修行す。

又藥を服するを觀ず。乃ち疾病に至る。若し此の如く説かば、當に何の時にか觀ずべき。乞食藥を服するに於いては一飡の時に觀ず。又衣服臥具に於いては初めて得る時に觀ず。又日日時時の中に於いて、我が命は他に由ると觀ず。是の故に當に觀ずべし。是の如く一切皆觀行を成ず。

先師の所説の四種の受用あり。謂く盜受用・負債受用・家財受用・主受用なり。云何が盜受用なる。謂く犯戒の人の受用なり。云何が負債受用なる。謂く無慚無愧邪命の人の受用なり。云何が家財受用なる。謂く精進の人の受用なり。云何が主受用と爲す。謂く聖人の受用なり。

復た二種の受用有り。謂く穢汚受用・清白受用なり。云何が汚穢なる。慚愧有る人にして而も能く觀ぜず。是れを汚穢と名づく。云何が清白なる。慚愧有る人、觀知し自ら節して厭惡の想有り。此れを清白と謂う。清白を以ての故に、常に當に四事を修習すべきこと知る可し。此れを修行四事戒と謂う。

是に於いて律儀戒とは、深信を以て應に滿たしむべし。命清淨戒とは、深精進を以て應に滿たしむべし。根威儀戒とは、深信を以て應に滿たしむべし。四事を修行するとは、深慧を以て應に滿たしむべし。

此の命清淨戒に於いて、是れ律儀に隨從す。何を以ての故に。壽命の爲にせずして、而も諸事を斷じ安んずる者、所作の身口業の威儀を得。此の二種の戒、是れ根威儀に隨從す。何を以ての故に。謂く善に於いて心を守護するを以てす。善く身口業を守護す。四事を修行するは、是れ根威儀なり。何を以ての故に。已に集相の依處を知る。違厭し正念正定す。此の如し。

世尊の所説の如し。若し比丘有りて、能く揣食を知り、及び五欲を知れば、此の律儀及び命清淨を具足す。是れ戒陰の所攝なり。根律儀戒は、是れ定陰の所攝なり。四事戒を修行するは、是れ慧陰の所攝なり。

何者か戒をして清淨ならしむる。若し比丘、初めて禪法を受け、七聚の中に於いて自身を觀ず。若し具に波羅夷を犯せば、比丘法を斷じ、具足戒に住せず。若し具足戒に住せば、當に勝法を得べし。是れ先師の所説なり。若し僧伽婆尸沙を犯すを見ば、衆の事を以て懺悔す。若し餘罪を犯すを見ば、其の所犯に於いて一人に向かいて懺ず。若し邪命を犯すを見ば、其の所犯に於いて相應の懺を作す。此の如く悔い已りて、我復た作さず。是の如く根威儀を犯し、及び四事を修行するを見る。我復た作さず。若し受持せば、當に未來の勝上の威儀を得べし。

彼の人、是の如く清淨戒より、有らゆる身口業の作す可き、現に作す。當に彼彼を觀じて善を作し惡を除くべし。當に朝夕清淨戒に住するを觀ずべし。若し是の如くなれば戒をして清淨ならしむ。

何ぞ戒清淨の相なるとは、相應を成じ、及び諸の煩惱起こらず、退悔せず、定を得て成滿す。戒清淨の相と謂う。

幾ばくの行もて住するや。二戒を以て住す。一には犯戒の過患を稱量す。二には戒の功徳を稱量す。

何等をか過患を稱量すと爲す。若し人戒を犯せば、非功徳を成じ、諸の惡處を成じ、四衆に於いて畏る。智人を疑難し、戒有る者棄避す。禪を教う可からず。天人の鄙穢する所、衆の憎薄する所なり。所犯の戒を思い、人の持戒の功徳を讃歎するを聞いて、心悔いて信ぜず。四衆の中に於いて毎に忿諍を生ず。其の親友に於いて多く嫌怨を起こす。戒有る人に背き、惡き朋黨を成ず。復た殊勝の定法を得るに堪えず。假令嚴飾すと雖も而も故に醜陋なり。屎尿の人の憎惡する所の如し。模範等の如く堪うる所有ること尠し。瘀泥等の如く、現と未來とに於いて饒益する所無し。常に憂悴を生ず。若し已に罪を作せば、追いて慚悔を生じ、心安隱ならず。盜の獄に在りて心聖を樂しまざるが如し。旃陀羅の王位を欲すること無きが如し。其れ聞慧有りて功徳を説くを樂しむも、人貴敬せず。糞火の猶お如し。生まれて處に如かず、死の時惛忘し、神惡道に行く。此の如き等の過、是れ稱量す可し。

若し此の惡を變じて戒の功徳を成ぜば、亦た稱量す可し。是の如く稱量す。其の犯戒の者は、心意粗屈し、情悉く退散す。其れ戒有る者は、唯だ深く精進し、倍ますます信敬を生ず。精進の人を成ず。信敬の人を成ず。一心に戒を護ること、蟻の卵を守るが如く、犛牛の尾を愛するが如く、一子を護るが如く、一眼を護るが如く、巫師の身を護るが如く、貧人の寶を護るが如く、海師の舶を護るが如し。此の諸の護の中に、我が所修の戒、最も應に敬護すべし。是の如く受持し、心擁衞せられ、安んじて禪定に住すれば、戒守護を得。

解脱道論巻第一(終)


以上で解脱道論巻第一の書き下し文が完成しました。この文献は、戒律・禅定・智慧を通じた解脱への道を詳細に説明した重要な仏教文献です。

漢文

6阿羅漢優波底沙7梁言大光造 梁扶南三藏僧伽婆羅譯    因縁品8第一 禮世尊應供9正遍知     戒定智慧 無上解脱 隨覺此法         有稱瞿曇 若人脱衆難已得離諸著。成就於勝分心。畏 生老死。樂善樂解脱。令到涅槃樂。未到有彼 岸亦令得具足。廣問修多羅毘曇毘尼事。此 解脱道我今當説。諦聽。問云何爲戒。答戒 画像 者威儀義。定者不亂義。慧者知覺義。解脱者 離縛義。無上者無漏義。隨覺者知得義。此 法者四聖法義。瞿曇者姓義。有稱者世尊義。 以戒定慧解脱殊勝功徳。能到最勝名稱無 量。解脱道者何義。解脱者五解脱。伏解脱 彼分解脱斷解脱猗解脱離解脱。云何伏解 脱。現修行初禪伏諸蓋。此謂伏解脱。彼分 解脱者。現修達分定諸見解脱。此謂彼分解 脱。斷解脱者。修出世間道能滅10餘結。此謂 斷解脱。猗解脱者。如得果時樂心猗。此謂猗 画像 解脱。離解脱者。是無餘涅槃。此謂離解脱。此 解脱道爲得解脱。是具足道以戒定慧謂解 脱道。解脱道者我今當説。問何用説解脱道。 答有善人樂得解脱。不聞説解脱故。又不伏 解脱故。又不正伏解脱故。如盲人無導1獨 遊遠國。唯嬰衆苦不得解脱。欲得解脱而無 所因。何以故。解脱是因。如佛所説。若有衆生 塵勞微細。不聞法故終亦退轉。又如佛説。諸 比丘有二因二縁能生正見。云何爲二。一從 画像 他聞。二自正念。是故説解脱。不伏解脱者。爲 生厭離故説解脱。不正伏解脱者。爲除不正 道。爲得禪解脱道故説解脱。如遠行人得善 示導。是伏解脱道。三陰成滿。何等爲三。謂 戒陰定陰慧陰。云何戒陰。正語正業正命及 種類所攝。或戒陰種種戒功徳聚。云何定陰。 正精進正念正定及種類定陰所攝。或種種 定功徳聚。云何慧陰。正見正思惟及種類所 攝。或種種慧功徳聚。此三陰成滿。是伏解 脱道。當學三學。謂増上戒學。増上心學。増上 画像 慧學。有戒有増上戒學。有定有増上心學。有 慧有増上慧學。復次有戒戒學。有戒増上戒 學。有定心學。有定學増上心學。有慧慧學。 有慧増上慧學。問云何戒學。答謂有相戒是 名戒學。謂達分戒是増上戒學。復次凡夫戒。 是名戒學。聖戒是増上戒學。問云何心學。答 所謂欲定。問云何増上心學。答色定及無色 定。此謂増上心學。復次有相定心學。達分 定及道定。是謂増上心學。云何2慧學。謂世 間智是名慧學。四諦相似智及道智。是謂増 画像 上慧學。如世尊爲鈍根人説増上戒學。爲中 根人説増上心學。爲利根人説増上慧學。問 學者何義。答學可學學増上學學無學名學。 如是學此三學。謂伏解脱道。以三種學成就 清淨。所謂戒清淨心清淨見清淨。於是戒是 戒清淨。定是心清淨。慧是見清淨。戒者洗 犯戒垢。定洗纒垢。是謂心清淨。慧除無知 垢。此謂見清淨。復次戒除惡業垢。定除纒垢。 慧除使垢。如是以三清3淨是伏解脱道。又 画像 以三種善伏道。謂初中後善以戒爲初。以定 爲中。以慧爲後。云何戒爲初善。有精進人 成就不退。以不退故4喜。以喜故踊躍。以踊 躍故身猗。以身猗故樂。以樂故心定。此謂初 善。定爲中善者。以定如實知見。此謂中善。慧 爲後善者。已如實知見厭患。以厭患故離欲。 以離欲故解脱。以解脱故成自知。如是成就 三善道。已伏解脱道。得三種樂。謂無過樂寂 滅樂正覺樂。彼以戒得無過樂。以定得寂滅 樂。以慧得正覺樂。如是成就得三種樂。是伏 画像 解脱道。遠離二邊得中道具足。以此戒善除 諸欲著。於無過樂情生欣樂。以定除身羸。 於寂滅樂而増喜樂。以慧分別四諦中道具 足。於正覺樂深懷愛樂。如是遠離二邊得中 道具足。是伏解脱道。以戒除惡趣。以定除 欲界。以慧除一切有。於戒多修於定慧少修。 成須陀洹斯陀含。於戒定多修於慧少修。成 阿那含。修三種滿。成阿羅漢無上解脱   分別戒品第二 問云何戒。何相。何味。何起。何足處。何功徳。 画像 何戒義戒行。何差別。幾戒。何所起。何戒初中 後。幾法障礙戒道。幾戒因。幾種戒。云何令 戒清淨。幾因以是戒住。答云何戒者。謂思 戒威儀戒不越戒。何者爲思戒。我不作惡作 者自受。何者威儀戒。離於犯處。云何不越戒。 若有戒人身口無過。復次斷義威儀。一切善 法是戒。如阿毘曇説。以出離法斷於欲欲。是 戒能離惡。思戒護戒威儀戒。以不瞋恚斷滅 瞋恚。以光明相斷於睡眠。以不散亂斷於5調 画像 戲。以見法起斷於疑悔。以智斷無明。以喜斷 無可樂。以初禪斷五蓋。以二禪斷覺觀。以 三禪斷喜。以四禪斷樂。以空入定斷於色想 乃至瞋恚及種種想。以識入定斷虚空。以無 所有定斷識入想。以非想非非想定斷無所 有。以無常見斷於常想。以苦見斷樂想。以無 我見斷我想。以6不淨見斷淨想。以過患見斷 於愛想。以無染見斷於欲想。以滅見斷集。以 消見斷厚。以分見斷聚。以生滅見斷常。以 無相見斷相。以無作見斷作。以空見斷入。以 画像 増上慧見斷執著。以如實知見斷無明執。以 過患見而斷居執。以彼觀見斷不彼觀。以轉 散見斷和合執。以須陀洹道斷見一處煩惱。 以斯陀含道斷麁煩惱。以阿那含道斷細煩 惱。以阿羅漢道斷一切煩惱。此謂不越戒思 戒護戒威儀戒。此謂戒。何戒相者。威儀除非 威儀。問云何名非威儀。答謂破法。破法有 三種。一破波羅提木叉法。二破縁法。三破 根法。云何破波羅提木叉法。謂無慚無愧。 於如來離信云何破縁法。答命與形飾相應 画像 離於知足。云何破根法。不閉六根門離於 念慧。以此三覆非威儀。是名戒相。何味者 起者足處者。無過樂是味。無憂是起。三善行 是足處。復次悦勝爲味。不悔爲起。覆諸根 爲足處。何戒功徳者。不悔是戒功徳。如世 尊告阿難。不悔戒善是功徳義。復次名戒者 是無過樂是衆1姓上。是財爲富貴。是處爲佛 地。是2浴無水。是香普薫。是影隨形。是繖覆 可覆。是聖種是學無上。是善趣道。若人有 画像 戒。爲有3戒故。成就無畏榮顯親友聖所4怜 愍。是親友依。是善莊嚴。是領諸行。是功徳 處。是供養處。是可貴同學處。於諸善法不畏 不退5成一切意願清淨。雖死不忘。成伏解脱 樂方便。如是無邊戒功徳。戒者何義。答冷 義。増上義。行義。自性義。苦樂性相應義。復 次頭義冷義安義。云何頭爲戒義。答如人無 頭。一切諸根不復取塵。是時名死。如是比丘 以戒爲頭。若頭斷已失諸善法。於此佛法謂 之爲死。是戒爲頭義。何者冷爲戒義。如摩勝 画像 冷栴檀。則除身熱成就歡喜。如是戒爲勝冷 栴檀。能滅犯戒恐畏心熱。成就歡喜。是冷爲 戒義。何者安爲戒義。答若人有戒。風儀整 肅不生恐畏。是安爲戒義。行何差別者。修行 精進受持頭陀。是行非戒戒亦名行。戒名威 儀受亦名行。幾戒者。謂三種戒。善戒不善戒 無記戒。云何善戒。謂善身口業及正命。無過 患故果報可愛。云何不善戒。謂惡身口業及 邪命。有過患故果報不可愛。云何無記戒。無 漏身口業及清淨命。無有過患亦無果報。云 画像 何起戒者。善心所起善戒。不善心所起不善 戒。無記心所起無記戒。何戒初中後者。受戒 是初。不越是中。歡喜是後戒。有幾法障礙 幾戒因。答三十四法是障礙道。三十四法是 戒因。所謂忿惱覆熱慳嫉幻諂恨競慢増上 慢傲慢放逸懶惰貪欲不知足不從智不正念 惡口惡友惡智惡見不忍不信無慚無愧營身 口味狎俗親近女人不敬師學不攝諸根於食 不節初夜後夜6墮不禪誦。此三十四法是 画像 障礙道。若7二障礙戒不成滿。若不成滿必 還退失。若反是法三十四種。是名戒因。戒 有幾種者。謂有二種三種四種。云何二種。 謂性戒制戒。以身口所行佛斷不行。是名性 戒。身口可行佛斷不行。是名制戒。性戒以 信精進能令具足。制戒以信念持能令具足。 復次戒有二種。退戒得戒。云何名退。能滅 非戒。云何名得。得衆善法。除諸非戒如斷 光影。以斷非戒離於惡趣。以得正戒能趣善 道。以斷非戒成就住分。復次戒有二種。世 画像 戒出世戒。云何出世戒。如聖道果之所得 戒。是出世戒。所餘世戒。以世戒成就故有 具足。以出世戒成就故有解脱。復次戒有二 種有量無量。不具足戒。是名有量。若具足 戒8以佛所斷。是名無量。復次戒有二種。有 邊無邊。云何有邊若人爲世利爲勝。爲親友 爲身爲命。爲越所依而行受戒。彼戒利養 爲邊。稱譽爲邊。身有爲邊命有爲邊。云何 無邊。此比丘爲出利爲勝爲身爲命。如法受 戒不起犯心。何況故犯。此謂無邊戒。復次 画像 戒有二種。有依無依。云何有依。有相9應 戒依愛。戒盜相應戒依見。自譽毀他相應戒 依慢。此有依戒。若成就解脱資用。是無依 戒。若有依戒非慧人所樂。若無依戒是慧人 所樂。復次戒有二種。梵行之初10學微細戒。 云何梵行之初。正業正語正命所11攝戒。此謂 梵行之初。有餘學戒此謂輕戒。復次戒有二 種。有心相應無心相應。云何有心。謂初學 梵行。云何無心。謂餘輕戒。聲聞於梵行之初 画像 堅戒上戒。於此輕戒得犯得起。何以故。佛不 説此障於解脱。復次有二種戒。謂無犯戒清 淨戒。云何無犯。謂聲聞戒。云何清淨戒。佛及 縁覺戒。復次戒有二種。謂時分戒及盡形戒。 少時暫受不倶形命。謂時分戒。從師始誓乃 至捨壽。謂盡形戒。時分戒者。果報有時。盡形 戒者。果報無時。何者爲三。謂止惡不犯。受不 犯。斷不犯。云何止惡不犯。雖未受受至。非所 行處心不生犯。是謂止惡不犯。云何受不犯。 從受受已終不復犯。是謂受不犯。云何斷不 画像 犯。聖人以聖道斷諸惡因。是謂斷不犯。復次 戒有三種。謂觸戒不觸戒12猗戒。云何爲觸。 有爲相初見愛爲觸。是凡夫善戒。資用入道 是謂無觸戒。云何*猗戒。謂阿羅漢戒。復次 有三種。謂依世戒依身戒依法戒。何者依世 戒。若人有恐怖。將護世意除諸惡法。是名依 世。何者依身戒。若人有恐懼。將護於身命除 諸惡法。是名依身。何者依法戒。若人驚畏。將 護於正法除諸不善。是名依法。復次戒有三 種。謂所願不等。所願等。無所願。云何所願 画像 不等。惱他受戒。此謂所願不等。云何所願等。 戒受戒爲現有樂及未來解脱樂。是謂所願 等。云何無所願。戒受戒不悔爲饒益他。此謂 無所願。復次戒有三種。謂清淨戒。不清淨 戒。有疑戒。云何清淨戒。以二因縁戒成清淨。 一不犯。二犯已能悔。此謂清淨戒。以二因縁 成不清淨。一自故犯。二犯不悔。此謂不清淨。 云何有疑戒。以三因故成就有疑。一以不分 別處。二不分別犯。三不分別不正行。此謂有 画像 疑戒。若坐禪人戒不清淨。深生慚悔成清淨 樂。又有疑1惑令現知罪得成安樂。復次戒有 三種。謂學無學非學非無學。云何爲學。七學 人戒。云何無學。阿羅漢戒。云何非學非無 學。凡夫人戒。復次戒有三種。謂畏戒憂戒癡 戒。云何爲畏。有人畏罪不敢爲惡。斯謂畏 戒。云何爲憂。若人念離親友暫生愁苦。以愁 苦故不起諸惡。斯謂憂戒。云何癡戒。有人受 牛戒狗戒。斯謂癡戒。癡戒若成則爲牛狗。若 復不成則墮地獄。復次戒有三種。謂下中上。 画像 云何爲下。謂上煩惱上上煩惱大煩惱所觸。 不知足所染。此謂下戒。云何爲中。細煩惱 所觸知足所染。此謂中戒。云何爲上。無所觸 知足所染。此謂上戒。下戒成滿令人具足。中 戒成滿令天具足。上戒成滿令得解脱。復次 戒有四種。謂退分住分勝分達分。云何退分。 不除道障礙。離精進人。知而故犯。犯已覆藏。 此謂退分。云何住分。於戒成就不起放逸。不 生寂見成就住分。於戒定成滿不起放逸。不 生寂見成就勝分。於戒定成滿不起放逸。以 画像 生寂見成就達分。復次戒有四種。比丘戒。比 丘尼戒。不具足戒。白衣戒。云何比丘戒。波羅 提木叉威儀。是比丘戒。比丘尼戒。波羅提木 叉威儀。是比丘尼戒。沙彌沙彌尼十戒。式叉 摩尼戒。是謂不具足戒。優婆塞優婆2姨五 戒及八戒。是白衣戒。復次戒有四種。謂性戒 行戒法志戒初因戒。云何性戒。欝單越戒。 3此謂性戒。云何行戒。如姓族國土外道等 法。是謂行戒。云何法志戒。菩薩入胎戒。是謂 画像 法志戒。云何初因戒。菩薩及摩訶迦葉戒。是 謂初因戒 復次戒有四種。戒戒集戒滅戒滅道4具足。云 何戒。戒者有二種。善戒不善戒。此謂戒。5云 何6戒集。善心集善戒。不善心集不善戒。云 何滅戒。得善戒滅不善戒。得阿羅漢滅善戒。 云何滅道具足戒。謂四正勤。此謂滅道具足 戒。如是分別曉了四法。是謂精進非7眞持 戒。是名正勤。復次戒有四種。波羅提木叉威 儀戒。命清淨戒。根威儀戒。縁修戒。云何波羅 画像 提木叉威儀戒。於此比丘波羅提木叉威儀。 所覆住行。行處具足。畏於細罪。正受學可 學戒。此者於此師法比丘者。有凡夫善。復次 有學無學。不動法波羅提木叉者。是戒是起。 是初是行。是護是威儀。是8脱是無縛。是諸 法面爲正受善法。名波羅提木叉義。不9越 身口業。是威儀所覆者。以此波羅提木叉威 儀成就住者。護四威儀。衆行具足者。復有 行有非行。云何非行。若有比丘。於彼一人。 或施10杖竹。或施花葉果實。或施楊枝澡浴。 画像 或販弄美惡。或爲調戲。或諂諛自進。或恣 驅馳遠招會11賓。如此諸行佛之所制。謂邪命 自活此爲非行。復次二種非行。身口非行。云 何身非行。若有比丘。以12陵慢心往至僧中。 排觸大徳叨13佷自前。或14猗或行先坐上位 推大於下。或坐*猗15排調。或拍肩笑語。上座 徒跣。自著革屣。耆徳下路。己行高陌。以衆 異縁故相輕惱。或以勝待少推16劣與長。或 於浴室燒諸薪木。關閉門戸皆無諮問。或詣 画像 水邊輒自先入。17嬌身18撃搏現諸鄙相。若入 他舍超越前後。行坐無次。或在屏處戲19弄 女人及諸20僮女。摩觸其首。如是等過謂身非 行。云何口非行。若有比丘。心無敬畏不諮 宿望輒自説法。或説波羅提木叉。或拍肩而 語。或入他家顧問女人。何所姓字。有可食物 不。有者現我我欲得食。如是等語爲口非行。 一切犯戒此謂非行。云何爲行。21反於非行。 復次比丘有恭敬慚愧。成就威儀無所乏少。 攝護諸根能節飮食。初夜後夜未甞睡眠。成 画像 就智慧少欲知足。不狎世務起勇猛心。於同 學所深生敬重。此謂爲行。行處者。謂有行 處。有非行處。云何非行處。若有比丘。入於 婬舍寡婦舍處女舍不男舍比丘尼舍及諸酒 肆。親近國王大臣外道沙門非法伴侶。如是 等輩無信樂心。常於四衆不生饒益。甚可厭 患。此謂非行處。如佛所説。比丘行非梵行處。 云何行非梵行處。謂販賣女色行處可知 復次三種行處。依行處。守護行處。繋縛行 處。云何依行處。謂十處功徳成就善友。依此 画像 功徳未聞得聞。若已聞聞已令其増廣。斷除 疑悔正見清白。能隨法學深信勇猛。以戒聞 施慧念念増長。此謂依行處。云何守護行處。 若有比丘。須入他舍及行村里。看地而前不 踰尋仞。威容整肅人所瞻敬。不看象馬車乘 及男女遊會。不看宮第巷陌仰觀四望。此謂 守護行處。云何繋縛行處。如佛所説。若有比 丘觀其家境界。此謂繋縛行處。是名爲行。以 此行處成就故。曰具足行處。畏於細罪者。我 画像 於所學畢故。敢造謂畏細罪。復次有説。若起 不善心。是謂微過。於此微過心生避遠。見 過患畏見出離。此謂於微過見畏。正受學可 學者。可學何名。謂七聚威儀正受一切隨逐。 此謂正受學可學。此謂波羅提木叉威儀戒。 問云何名清淨戒。答謂不犯邪命。云何邪命。 懈怠諂曲示相。以瞋罵示相。以施望施。云何 懈怠。懈怠有三處。思計欲得。1惡他四事。假 肅威儀普自稱説。若比丘心懷惡欲貪樂財 利。讓勝衣食趣求麁弊。如不欲得。有若愍他。 画像 如此四事。2此謂縁計懈怠。若有比丘。惡欲 貪利。詐現威儀我入禪定。要引供施讀誦經 典。此謂威儀懈怠。若有比丘。貪欲諂誑。向 人有言。我得聖法栖止閑寂。有若禪習所説 深微。示過人相貪利向己廣自宣揚。是謂懈 怠。諂曲者。如其心念。虚相推擧。善言稱讃。 販弄好惡爲調要利。*排諧相悦引利自向。此 謂諂曲。云何示相。依有利者而爲説法。要利 爲己心不能普。此謂示相。瞋罵示相者。或 罵他令畏。或空相毀薄。或加打觸怖人要利。 画像 此謂嗔罵示相。云何以施望施者。好爲輕施 輒要厚答。此謂以施望施。以是諸惡謂爲邪 命。復有邪命。或施*杖竹。或施花葉果實。或 施楊枝澡浴。或占相夢悟。觀察星宿。善解禽 獸音聲等業。推歩吉凶。惡言離散。燒花事火。 商旅販賣。將領軍衆蓄鋭兵刃。如是種種此 謂邪命。若不犯者名清淨戒。問云何守護根 威儀戒。答於見聞覺知色聲香味觸法煩惱 相著。及受持不犯。此謂守護根威儀戒。此守 画像 護根戒以九行成滿。以惡爲相斷諸根故。彼 對治不作意故如救頭然終不暫捨故。如見 難陀。以威儀故。伏惡心故。於定相心。自在 故不。守護根3人遠離故。於守護根人和合 故。問云何修行四事戒。答以此八行已觀修 行乞食。一者不爲兇險行不爲自高行。二者 不爲裝束不爲莊嚴。三者爲此身住爲自調 護。四者爲除飢渇。五者爲攝受梵行。六常自 思惟。飮食爲除先病不起新疾。七當以少 4自安。八無過貪住。問云何不兇險行不自高 画像 行。答我以貪食勇健。兇險戲暴爭競馳走。是 兇險行高慢自擧不知厭足。如嗔者打撲。不 裝束莊嚴者。爲身分充滿面貌肥悦。令人愛 樂情無厭足。是有欲人爲此身住爲自調護 者。貪身安住如轂須膏。除飢渇者。常資少 食。如是修行猶瘡塗藥。攝受梵行者。依少食 力樂得聖道。如是修行猶食子想。爲除先病 不起新疾者。不少不多。如是修習如服湯藥。 以少自安者。以少功徳自安己身。常應習行 如看病人。無過者。以少自安。如是修行不令 画像 身無。是智慧所5歎。是故無過安住。若食調 適未甞懈怠。初中後夜亦不6眠睡。成就安 隱。如是以此八行。已觀修行乞食當如是修。 復次此八行略爲四觀。謂可斷觀。事觀。以少 自安觀。以少功徳觀。問云何可斷觀。答不爲 兇險行。不爲自高。不爲先身。不爲嚴首。此 謂可斷觀。爲此身住。爲正調護。爲除飢渇。爲 攝受梵行。此謂事觀。我當除先病不起新疾 者。此謂以少自安觀。我當以少自安無過成 画像 安樂住。此謂少功徳觀。7此四觀此四觀已 略成三。謂斷二邊得中具足。以斷觀斷欲樂 著。謂除飢渇斷於本疾不起新疾。又以此觀 斷著身疲。餘中具足觀應當修行。又觀衣服。 爲除風寒暑蚊虻蟻觸。爲生慚恥遮覆醜露。 於具足觀如是修行。又觀服藥乃至疾病。若 如此説當何時觀。於乞食服藥一飡時觀。又 於衣服臥具及初得時觀。又於日日時時中 觀我命由他是故當觀。如是一切皆成觀行。 先師所説四種受用。謂盜受用。負債受用。家 画像 財受用。主受用。云何盜受用。謂犯戒人受 用。云何負債受用。謂無慚無愧邪命人受用。 云何家財受用。謂精進人受用。云何爲主受 用。謂聖人受用。復有二種受用。謂穢汚受 用。清白受用。云何汚穢。有慚愧人而不能 觀。是名汚穢。云何清白。有慚愧人觀知自節 有厭惡想。此謂清白。以清白故。常當修習 四事可知。此謂修行四事戒。於是律儀戒者。 以深信應令滿。命清淨戒者。以深精進應令 滿。根威儀戒者。以深信應令滿。修行四事 画像 者。以深慧應令滿。於此命清淨戒。是隨從律 儀。何以故。不爲壽命。而斷諸事安者。所作得 身口業威儀。此二種戒是隨從根威儀。何以 故。謂於善以守護心。善守護身口業。修行四 事。是根威儀。何以故。已知集相依處。違厭正 念正定如此。世尊所説。若有比丘。能知揣 食。及知五欲。具足於此律儀及命清淨。是戒 陰所攝。根律儀戒。是定陰所攝。修行四事戒。 是慧陰所攝。何者令受戒清淨。若比丘初受 画像 禪法。於七聚中觀於自身。若具犯波羅夷。斷 比丘法住不具足戒。若住具足戒。當得勝法。 是先師所説。若見犯僧伽婆尸沙。以衆事懺 悔。若見犯餘罪。於其所犯向一人懺。若見犯 邪命。於其所犯作相應懺。如此悔已我不更 作。見如是受持犯根威儀。及修行四事。我不 更作。若受持者當得未來勝上威儀。彼人如 是從清淨戒。所有身口業可作現作。當觀彼 彼作善除惡。當觀朝夕住清淨戒。若如是者 令戒清淨。何戒清淨相者。成相應及諸煩惱 画像 不起退悔。得定成滿。謂清淨相戒。幾行住 者。以二戒住。一稱量犯戒過患。二稱量戒功 徳。何等稱量過患。若人犯戒成非功徳。成諸 惡處畏於四衆。疑難智人有戒棄避。不可教 禪。天人鄙穢。衆所憎薄。思所犯戒。見人讃 歎持戒功徳。心悔不信。於四衆中毎生忿諍。 於其親友多起嫌怨。背有戒人成惡朋黨。不 復堪得殊勝定法。雖假嚴飾而故醜陋。猶如 屎尿人所憎惡。如模範等尠有所堪。如1瘀泥 等於現未來無所饒益。常生憂悴。若已作罪 画像 追生慚悔心不安隱。如盜在獄心不樂聖。如 2旃陀羅無欲王位。其有聞慧樂説功徳。人 不貴敬。猶如糞火。生不如處死時惛忘。神行 惡道。如此等過是可稱量。若變此惡成戒功 徳。亦可稱量。如是稱量。其犯戒者。心意3粗 屈。情4悉退散。其有戒者。唯深精進。倍生信 敬。成精進人。成信敬人。一心護戒如蟻守卵。 如犛牛愛尾。如護一子。如護一眼。如巫師護 身。如貧人護寶。如海師護舶。此諸護中我所 画像 修戒最應敬護。如是受持心被擁衞。安住禪 定戒得守護 解脱道論卷第一

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