三種の宿命
宿命通について、原典は問う。「幾種の宿命智ぞ」。
三種が答えられる。
「一には多持生、二には生所造、三には修行所成なり。」
多持生──多くの生を持って自ずと憶える者。四行(相を取る・分相を見る・諸根分明・性を摂す)によって宿命を憶う。最も優れた者でも七生まで。
生所造──生まれつき宿命智を持つ者。諸天・諸龍・諸鳳凰。最も優れた者で十四生まで。
そして修行所成──「如意足を修するなり」。坐禅人にとっての宿命智は、如意足の修習の延長として開かれる。
現の坐処より始める
修行所成の修法を、原典は具体的に記述する。
「初めの坐禅人、是の如く四如意足を修して、信を以て自在を得。清白にして不動に至る。」
第四禅の自在に至った坐禅人は、現の坐処から逆行を始める。
「現の坐処より、一日に於いて作す所の事、或いは身を以て、或いは意を以て、或いは口を以て、一切の事を憶う。」
まず、今日の一日を憶える。身で作したこと、口で言ったこと、意で思ったこと。一切の事を。
「是の如く夜に於いて作す所、是の如く一日・二日、次第に乃ち一月に至るまで、彼の一切の事を憶う。」
次に、一夜。それから二日、三日。一月まで。
「是の如く二月に作す所の事、是の如く次第に乃ち一年に至るまで作す所の事、是の如く二年・三年・百年に作す所の事、是の如く乃ち初生に至るまで作す所の事、彼の一切を憶う。」
二月。一年。二年。三年。百年。そして初生──現生の最初の瞬間まで。
身通で「最初、一尺を以て、漸漸に上りて」と段階的に飛行を広げたように。宿命通でも、現の坐処から一日、一月、一年、百年と段階的に時間を遡る。突然遠い過去に飛ばない。観察可能な近い所から始める。
識の流転
現生のすべてを憶え終わったとき、修行者は何を見ているのか。原典は記述する。
「爾の時、久遠の過去の心・心数法有り、後生の心・心数法現に生ず。初めの心・心数法に依りて生ずるを得。心の相続の生を以て、因縁を現観す。識の流転を憶う。両倶に断ぜず。此の世の生に於いて、彼の世の生に於いてす。」
久遠の過去の心・心数法がある。現に生じている心・心数法がある。後者は前者に依って生じている。この依存関係──心の相続の生──を通じて、因縁が現観される。
「識の流転を憶う」。
宿命通の所縁は、過去の事実ではない。識の流転である。流れそのもの。心・心数法が次々と生起し、互いに依存しながら、続いていく構造。
「両倶に断ぜず」。
この世の生と、彼の世の生。両方において、流転は断たれない。死は流転の中断ではない。心の相続は、生から生へと続く。
行門品の念死(第七巻)で原典は記述した。「色法の断・命根の断・暖の断・識の滅。是れ仮りに死と名づく」。死は仮称である。心の相続は断たれない。宿命通は、その相続を実際に憶える神通として、念死の延長で機能する。
鏡を磨く法
「若し坐禅人、彼の生を憶うこと能わずんば、彼、精進を捨つべからず。更に重ねて禅を起こさしむ。已に禅を起こして、善く自在ならしむ。鏡を磨く法の如し。善く已に自在を得れば、現に初めの如く憶う。」
過去の生を憶えることができない。それは失敗ではない。
「精進を捨つべからず」。
再び禅を起こす。再び自在を得る。鏡を磨くように。
鏡は使ううちに曇る。だから磨く。曇った鏡を捨てるのではない。磨いて再び光らせる。
禅も同じである。退転すれば再び起こす。自在を失えば再び得る。修行は一度の達成ではない。継続的な研磨である。
身通の段階的飛行で、退禅しても先の坐処に戻ることが「止の法」として示された。宿命通の鏡を磨く法は、退転からの復帰の構造として、その安全性を別の角度から表現する。
憶えることのできない生
宿命通の限界も明示される。
「畜生の生を憶うべからず。及び無色の生、及び無想の生、憶うべからず。無想の性の故なり。」
畜生の生──憶えることができない。 無色の生──憶えることができない。 無想の生──憶えることができない。
なぜ無想の生を憶えることができないのか。原典は理由を明示する。「無想の性の故なり」。無想であるから。
宿命通は識の流転を憶う神通である。想のない生では、憶えるべき心・心数法の生起がない。所縁そのものが不在である。
神通の力の限界ではない。所縁の構造的限界である。神通は所縁の構造に従う。所縁がない領域では、神通も働かない。
「長老輸毘多、彼に於いて最勝の宿命智を憶う。」宿命智における最勝の人物として、長老輸毘多が挙げられる。
比較範囲
「宿命智、此れより外道、四十劫を憶う。彼を過ぎては憶うこと能わず。身、力無きが故に。」
外道は四十劫まで。それを過ぎては憶えることができない。「身、力無きが故に」──身に力がないから。
「聖声聞は一万劫を憶う。此れより最大の声聞、彼より最大の縁覚、彼より如来正遍覚、自他の宿命及び行及び処、一切なり。」
聖声聞は一万劫。声聞の最大はそれ以上。縁覚はさらに多く。如来正遍覚は、自他の宿命と行と処の一切を憶える。
「余は唯だ自の宿命を憶う。少しく他の宿命を憶う。正遍覚は其の楽う所に随いて一切を憶う。」
他の修行者は主に自分の宿命を憶える。少しだけ他者の宿命を憶える。正遍覚は楽うところに従って、一切を憶える。
そして最後に、最も注目すべき差異が記述される。
「正遍覚は若し三昧に入り、若し三昧に入らず、若し三昧に入らずして常に憶う。余は唯だ三昧に入りて宿命を憶う。」
声聞・縁覚・他の修行者は、三昧に入って初めて宿命を憶える。三昧の状態が条件である。
如来正遍覚は、三昧の内外を問わず常に憶える。三昧の状態は条件として外れる。
神通の最終的な形は、三昧という特定の状態への依存からの解放として記述される。常時的・無条件的な憶念。それが正遍覚に至った者の宿命智である。
段階的逆行が示すもの
宿命通の段階的逆行は、過去の事実の単なる列挙ではない。
現の坐処から始まる。一日。一月。一年。百年。初生。そして過去生へ。
各段階で修行者が憶えるのは「身を以て、意を以て、口を以て、一切の事」である。具体的な動作・言葉・想いとしての心・心数法。
それを次第に遡る。やがて、心・心数法が連続して生起している構造そのものが見える。「久遠の過去の心・心数法有り、後生の心・心数法現に生ず」。
「両倶に断ぜず」。
この世の生から、彼の世の生へ。死を超えて、心の相続は続く。修行者が憶えているのは、その続いている流転である。
三層クロスリファレンス
| 本バッチ | 大安般守意経 | Kernel 4.x |
|---|---|---|
| 段階的逆行の修法 | MODULE 09(禅定の深化) | Vol.5(定の自在) |
| 識の流転を憶う | MODULE 11(因縁観) | Vol.6(因縁システム) |
| 鏡を磨く法──修習の継続性 | MODULE 03(修習の継続) | Vol.2(修習の継続) |
| 無想の生の限界──所縁の不在 | MODULE 06(所縁の構造) | Vol.4(業処システム) |
| 三昧の内外──正遍覚の最終形 | MODULE 13 | Vol.8(完全性証明) |
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