Batch-V9-05:識の流転を憶う──宿命通

目次

三種の宿命

宿命通について、原典は問う。「幾種の宿命智ぞ」。

三種が答えられる。

「一には多持生、二には生所造、三には修行所成なり。」

多持生──多くの生を持って自ずと憶える者。四行(相を取る・分相を見る・諸根分明・性を摂す)によって宿命を憶う。最も優れた者でも七生まで。

生所造──生まれつき宿命智を持つ者。諸天・諸龍・諸鳳凰。最も優れた者で十四生まで。

そして修行所成──「如意足を修するなり」。坐禅人にとっての宿命智は、如意足の修習の延長として開かれる。


現の坐処より始める

修行所成の修法を、原典は具体的に記述する。

「初めの坐禅人、是の如く四如意足を修して、信を以て自在を得。清白にして不動に至る。」

第四禅の自在に至った坐禅人は、現の坐処から逆行を始める。

「現の坐処より、一日に於いて作す所の事、或いは身を以て、或いは意を以て、或いは口を以て、一切の事を憶う。」

まず、今日の一日を憶える。身で作したこと、口で言ったこと、意で思ったこと。一切の事を。

「是の如く夜に於いて作す所、是の如く一日・二日、次第に乃ち一月に至るまで、彼の一切の事を憶う。」

次に、一夜。それから二日、三日。一月まで。

「是の如く二月に作す所の事、是の如く次第に乃ち一年に至るまで作す所の事、是の如く二年・三年・百年に作す所の事、是の如く乃ち初生に至るまで作す所の事、彼の一切を憶う。」

二月。一年。二年。三年。百年。そして初生──現生の最初の瞬間まで。

身通で「最初、一尺を以て、漸漸に上りて」と段階的に飛行を広げたように。宿命通でも、現の坐処から一日、一月、一年、百年と段階的に時間を遡る。突然遠い過去に飛ばない。観察可能な近い所から始める。


識の流転

現生のすべてを憶え終わったとき、修行者は何を見ているのか。原典は記述する。

「爾の時、久遠の過去の心・心数法有り、後生の心・心数法現に生ず。初めの心・心数法に依りて生ずるを得。心の相続の生を以て、因縁を現観す。識の流転を憶う。両倶に断ぜず。此の世の生に於いて、彼の世の生に於いてす。」

久遠の過去の心・心数法がある。現に生じている心・心数法がある。後者は前者に依って生じている。この依存関係──心の相続の生──を通じて、因縁が現観される。

「識の流転を憶う」。

宿命通の所縁は、過去の事実ではない。識の流転である。流れそのもの。心・心数法が次々と生起し、互いに依存しながら、続いていく構造。

「両倶に断ぜず」。

この世の生と、彼の世の生。両方において、流転は断たれない。死は流転の中断ではない。心の相続は、生から生へと続く。

行門品の念死(第七巻)で原典は記述した。「色法の断・命根の断・暖の断・識の滅。是れ仮りに死と名づく」。死は仮称である。心の相続は断たれない。宿命通は、その相続を実際に憶える神通として、念死の延長で機能する。


鏡を磨く法

「若し坐禅人、彼の生を憶うこと能わずんば、彼、精進を捨つべからず。更に重ねて禅を起こさしむ。已に禅を起こして、善く自在ならしむ。鏡を磨く法の如し。善く已に自在を得れば、現に初めの如く憶う。」

過去の生を憶えることができない。それは失敗ではない。

「精進を捨つべからず」。

再び禅を起こす。再び自在を得る。鏡を磨くように。

鏡は使ううちに曇る。だから磨く。曇った鏡を捨てるのではない。磨いて再び光らせる。

禅も同じである。退転すれば再び起こす。自在を失えば再び得る。修行は一度の達成ではない。継続的な研磨である。

身通の段階的飛行で、退禅しても先の坐処に戻ることが「止の法」として示された。宿命通の鏡を磨く法は、退転からの復帰の構造として、その安全性を別の角度から表現する。


憶えることのできない生

宿命通の限界も明示される。

「畜生の生を憶うべからず。及び無色の生、及び無想の生、憶うべからず。無想の性の故なり。」

畜生の生──憶えることができない。 無色の生──憶えることができない。 無想の生──憶えることができない。

なぜ無想の生を憶えることができないのか。原典は理由を明示する。「無想の性の故なり」。無想であるから。

宿命通は識の流転を憶う神通である。想のない生では、憶えるべき心・心数法の生起がない。所縁そのものが不在である。

神通の力の限界ではない。所縁の構造的限界である。神通は所縁の構造に従う。所縁がない領域では、神通も働かない。

「長老輸毘多、彼に於いて最勝の宿命智を憶う。」宿命智における最勝の人物として、長老輸毘多が挙げられる。


比較範囲

「宿命智、此れより外道、四十劫を憶う。彼を過ぎては憶うこと能わず。身、力無きが故に。」

外道は四十劫まで。それを過ぎては憶えることができない。「身、力無きが故に」──身に力がないから。

「聖声聞は一万劫を憶う。此れより最大の声聞、彼より最大の縁覚、彼より如来正遍覚、自他の宿命及び行及び処、一切なり。」

聖声聞は一万劫。声聞の最大はそれ以上。縁覚はさらに多く。如来正遍覚は、自他の宿命と行と処の一切を憶える。

「余は唯だ自の宿命を憶う。少しく他の宿命を憶う。正遍覚は其の楽う所に随いて一切を憶う。」

他の修行者は主に自分の宿命を憶える。少しだけ他者の宿命を憶える。正遍覚は楽うところに従って、一切を憶える。

そして最後に、最も注目すべき差異が記述される。

「正遍覚は若し三昧に入り、若し三昧に入らず、若し三昧に入らずして常に憶う。余は唯だ三昧に入りて宿命を憶う。」

声聞・縁覚・他の修行者は、三昧に入って初めて宿命を憶える。三昧の状態が条件である。

如来正遍覚は、三昧の内外を問わず常に憶える。三昧の状態は条件として外れる。

神通の最終的な形は、三昧という特定の状態への依存からの解放として記述される。常時的・無条件的な憶念。それが正遍覚に至った者の宿命智である。


段階的逆行が示すもの

宿命通の段階的逆行は、過去の事実の単なる列挙ではない。

現の坐処から始まる。一日。一月。一年。百年。初生。そして過去生へ。

各段階で修行者が憶えるのは「身を以て、意を以て、口を以て、一切の事」である。具体的な動作・言葉・想いとしての心・心数法。

それを次第に遡る。やがて、心・心数法が連続して生起している構造そのものが見える。「久遠の過去の心・心数法有り、後生の心・心数法現に生ず」。

「両倶に断ぜず」。

この世の生から、彼の世の生へ。死を超えて、心の相続は続く。修行者が憶えているのは、その続いている流転である。


三層クロスリファレンス

本バッチ大安般守意経Kernel 4.x
段階的逆行の修法MODULE 09(禅定の深化)Vol.5(定の自在)
識の流転を憶うMODULE 11(因縁観)Vol.6(因縁システム)
鏡を磨く法──修習の継続性MODULE 03(修習の継続)Vol.2(修習の継続)
無想の生の限界──所縁の不在MODULE 06(所縁の構造)Vol.4(業処システム)
三昧の内外──正遍覚の最終形MODULE 13Vol.8(完全性証明)
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