2,佛説大安般守意經卷上:書き下し文 

02. Kernel Source

  1. 『佛説大安般守意經』巻上 書き下し文
    1. 経文本文
    2. 安般守意の諸定義
    3. 守意の意義
    4. 安般守意の十黠
    5. 守意の三輩
    6. 守と意の区別
    7. 守意の四楽
    8. 六事の内外
    9. 六事と農耕の譬え
    10. 六事の働き
    11. 六事それぞれの理由
    12. 六事と随の対応
    13. 六事と三十七品の対応
    14. 六事の連続性
    15. 六衰との関係
    16. 数息の目的と息の長短
    17. 数息の三事
    18. 数息の乱れと内外の意
    19. 数息にまず入息より数える理由
    20. 数息を得ざる原因
    21. 入息と出息の違い
    22. 数息を得ざる三因縁
    23. 入息・出息の長短
    24. 安般守意の再定義と四種の行
    25. 十六勝
    26. 両悪の詳説
    27. 息の長短と道
    28. 禅法と数息の実践
    29. 守意と息の因縁
    30. 数息の徳目
    31. 数息と相随・第二禅
    32. 絆の説明
    33. 各段階の棄捨
    34. 息の四種
    35. 数息と相随の働き
  2. 数息中の意の逸走
    1. 出入息の滅と四禅
    2. 定を得た後の観
    3. 息の処所
    4. 念息と校計
    5. 数の意味
    6. 罪の説明
    7. 六情・十事・十息の対応
    8. 十六事とは何か
    9. 坐と行の二事
    10. 坐禅の法・過失と不足
    11. 三種の坐道
    12. 坐の三品
    13. 息の三輩(種類)
    14. 仏が数息守意を教える四因縁
    15. 日光の譬え
    16. 四相の説明
    17. 道人の本を念ずること
    18. 定意の深まり
    19. 定因縁に随って直行する
    20. 数息と相随の速遅
    21. 数息と相随の念の違い
    22. 数息・相随・止の関係
    23. 仏の六潔意
    24. 意が人を使う・人が意を使う
    25. 息垢と三冥
    26. 数息中の三意
    27. 家中意を尽くす
  3. 第三・止 鼻頭に止まる理由
  4. 止の四種
    1. 止の詳説
    2. 第四・観
    3. 出息と入息の異なり
    4. 第五・還と第六・浄
  5. 還の詳説
  6. 還五陰
  7. 滅尽の処所
  8. 出入息と五陰の相
    1. 起滅の知見
    2. 今と前との区別
    3. 生死の分別
    4. 上頭を視て来たるところなし
    5. 生死を分別すべし
    6. 後に視て処所なし
    7. 浄とは何か
    8. 五陰の相の譬え
    9. 息より浄まで皆観なり
    10. 先に数息する理由
    11. 身と体の区別
    12. 内外身体を重ねて出す理由
    13. 身体の止
    14. 出入息・念滅の時
    15. 内外の痛痒を見て観ず
    16. 痛痒観の止
    17. 内外の痛痒を重ねて出す理由
    18. 身心の痛痒それぞれ異なり
    19. 意相観の二因縁
    20. 意観の止
    21. 出入息尽きて定まれば便ち観ず
    22. 起こる息・善法と習罪
    23. 内外の法法
    24. 法観の止
  9. 関連記事

『佛説大安般守意經』巻上 書き下し文

題号・校注・訳者

佛説大安般守意經巻上

此の経は随の字多し。数息相随の「随」を除き、余は皆、他本に「堕」に作る。

後漢 安息三蔵 安世高 訳

経文本文

仏は越祇国の舎羈痩国に在しき。また一名を遮匿迦羅国とも説く。時に仏は坐して安般守意を行ずること九十日なりき。

仏また独り坐すること九十日とは、思惟校計して、十方の人および蜎飛・蠕動の類を度脱せんと欲したまえるなり。

また言わく、「我れ安般守意を行ずること九十日とは、安般守意によりて自在の慈念意を得たり。還りて安般守意を行じ已りて、また意を収めて念を行ずるなり」と。

安般守意の諸定義

安は身と為り、般は息と為り、守意は道と為る。 守とは禁と為り、また戒を犯さざるを謂う。禁とはまた護と為る。護とは遍く一切を護りて犯すところなし。意とは息意にして、また道と為るなり。

安は生と為り、般は滅と為り、意は因縁と為る。守は道と為るなり。

安は数と為り、般は相随と為り、守意は止と為るなり。

安は念道と為り、般は解結と為り、守意は罪に堕せざると為るなり。

安は罪を避くると為り、般は罪に入らざると為り、守意は道と為るなり。

安は定と為り、般は動揺せしむることなかれと為り、守意は意を乱すことなかれと為るなり。

安般守意は、名づけて意を御して無為を得るに至ると為すなり。

安は有と為り、般は無と為る。 意に有を念ずれば道を得ず、意に無を念ずれば道を得ず。また有を念ぜず、また無を念ぜず。是れ空定に応じて意を道に随わして行ずるなり。有とは万物を謂う。無とは疑いを謂う。また空と為るなり。

安は本因縁と為り、般は処所なきと為る。 道人は本よりより来たるところなきを知る。また滅して処所なきを知る。是れ守意と為るなり。


安は清と為り、般は浄と為り、守は無と為り、意は名づけて為と為す。是れ清浄無為なり。 無とは活を謂う。為とは生を謂う。また苦しみを得ざる故に活と為るなり。

安は未と為り、般は起と為る。 已に未だ起こらざれば便ち守意と為す。若し已に意起こらば便ち守意と為す。若し已に意起こりて便ち走らば、守らずと為して、当に還るべし。故に仏は安般守意を説きたまえるなり。

安は五陰を受くると為り、般は五陰を除くと為り、守意は因縁を覚ると為る。 身・口・意に随わざるなり。


守意の意義

守意とは、著するところなきを守意と為す。著するところ有るは守意と為さず。何を以ての故に。意は起こりてまた滅する故なり。意また起こらざるを道と為す。是れ守意なり。

守意は意をして生ぜしむることなかれ。生は死有るに因る、守意せざると為す。意をして死せしむることなかれ。死有るに因りて生有り、意またも死せず。是れ道なり。

安は清と為り、般は浄と為り、守は無と為り、意は名づけて為と為す。是れ清浄無為なり。 無とは活を謂う。為とは生を謂う。また苦しみを得ざる故に活と為るなり。

安は未と為り、般は起と為る。已に未だ起こらざれば便ち守意と為す。若し已に意起こらば便ち守意と為す。若し已に意起こりて便ち走らば、守らずと為して、当に還るべし。故に仏は安般守意を説きたまえるなり。

安は五陰を受くると為り、般は五陰を除くと為り、守意は因縁を覚ると為る。身・口・意に随わざるなり。

守意とは、著するところなきを守意と為す。著するところ有るは守意と為さず。何を以ての故に。意は起こりてまた滅する故なり。意また起こらざるを道と為す。是れ守意なり。

守意は意をして生ぜしむることなかれ。生は死有るに因る、守意せざると為す。意をして死せしむることなかれ。死有るに因りて生有り、意またも死せず。是れ道なり。


安般守意の十黠

安般守意に十黠有り。数息・相随・止・観・還・浄・四諦を謂う。是れ十黠成と為す。三十七品経を合わせて行成と為すを謂うなり。

守意は譬えば燈火の両因縁有るがごとし。一には冥を壊し、二には明を見る。守意は、一には癡を壊し、二には黠を見るなり。

守意の意は因縁より生ず。当に因縁に縁りて著すことなかれ。是れ守意なり。


守意の三輩

守意に三輩有り。 一には、守りて生ぜしめざらしむ。 二には、已に生ぜば当に疾く滅すべし。 三には、事已に行ぜば、当に後より悔いて、億万劫も復た作らじと計るべきなり。


守と意の区別

守と意とは各自異なり。十方一切を護りて、対を覚して犯さざるは是れ守と為す。彼の無為を覚るは是れ意と為す。是れ守意なり。


守意の四楽

守意の中に四楽有り。 一には要を知る楽、 二には法を知る楽、 三には止を知ると為す楽、 四には可を知ると為す楽なり。 是れ四楽と為す。

法は行と為り、得は道と為る。


六事の内外

守意の六事に内外有り。数・随・止は是れ外と為す。観・還・浄は是れ内と為す。道に随うなり。

何を以ての故に。息を念じ、相随・止・観・還・浄、意を習いて道に近づかんと欲する故なり。是の六事を離れれば便ち世間に随うなり。

数息は意を遮ると為す。相随は意を攝すると為す。止は意を定むると為す。観は意を離ると為す。還は意を一にすると為す。浄は意を守ると為す。

人の意を制すること能わざるを用って、故に此の六事を行ずるのみ。

何を以ての故に数息するか。意乱るるを用って故なり。 何を以ての故に得ざるか。識らざるを用って故なり。

六事と農耕の譬え

何を以ての故に禅を得ざるか。習を棄てて尽く証し、行道することを棄てざるを用って故なり。

数息は地と為り、相随は犁と為り、止は軛と為り、観は種と為り、還は雨と為り、浄は行と為る。是のごとく六事にして乃ち道に随うなり。


六事の働き

数息は外を断ち、相随は内を断ち、止は罪を止め、観を行じて意を却け、世間を受けざるを還と為し、念断を浄と為すなり。

意乱れなば当に数息すべし。意定まらば当に相随すべし。意断じなば当に止を行ずべし。道意を得なば当に観すべし。五陰に向かわざるは当に還すべし。有るところなきは当に浄と為すべきなり。

事多きは当に数息すべし。事少なきは当に相随すべし。家中の意尽きなば当に止を行ずべし。世間を畏れなば当に観すべし。世間を欲せざるは還と為し、念断は浄と為すなり。


六事それぞれの理由

何を以ての故に数息するか。五陰に随わんと欲せざる故なり。 何を以ての故に相随するか。五陰を知らんと欲する故なり。 何を以ての故に止するか。五陰を観ぜんと欲する故なり。 何を以ての故に陰を観ずるか。身の本を知らんと欲する故なり。 何を以ての故に身の本を知るか。苦を棄てんと欲する故なり。 何を以ての故に還と為すか。生死を厭う故なり。 何を以ての故に浄と為すか。五陰を分別して受けざる故なり。

便ち黠慧の八種の道に随いて、別を得るは所願を得ると為すなり。


六事と随の対応

息を行ずる時は数に随うと為す。相随の時は念に随うと為す。止の時は定に随うと為す。観の時は浄に随うと為す。還の時は意に随うと為す。浄の時は道に随うと為し、また行に随うと為すなり。


六事と三十七品の対応

数息は四意止と為す。相随は四意断と為す。止は四神足念と為す。観は五根・五力と為す。還は七覚意と為す。浄は八行なり。


六事の連続性

息を得て相随せざるは守意と為さず。相随を得て止せざるは守意と為さず。止を得て観ぜざるは守意と為さず。観を得て還せざるは守意と為さず。還を得て浄ならざるは守意と為さず。浄を得てまた浄なるを乃ち守意と為すなり。


六衰との関係

已に息を念じて悪生ぜず。また数うる者は、共に意を遮ると為す。六衰に随わざる故なり。相随を行ずるは六衰の行を離れんと欲する為なり。止は六衰の行を却けんと欲する為なり。観は六衰の行を断ぜんと欲する為なり。還は六衰の行を受けざらんと欲する為なり。浄は六衰を滅せんと欲する為なり。已に滅し尽くれば便ち道に随うなり。


数息の目的と息の長短

数息は意を遮らんと欲する。息の中に長短有り。当にまたこの長短の意を遮るべきなり。

何を以ての故に守意するか。悪を止めんと欲する故なり。悪はまた守るべく、また守るべからず。何を以ての故に。悪已に尽くれば、当にまた守るべからざるなり。


数息の三事

数息に三事有り。 一には当に坐して行ずべし。 二には色を見なば当に非常・不浄を念ずべし。 三には当に瞋恚・疑・嫉・過去を念ずることを暁るべし。

数息の乱れと内外の意

当に瞋恚・疑・嫉・過去を念ずることを暁るべきなり。

数息乱れなば、当に因縁の起こるところを識るべし。当に是れ内意なることを知るべし。一息乱れなば是れ外意の過ちなり。息は外より入る故なり。二息乱れなば是れ内意の過ちなり。息は中より出づる故なり。

三・五・七・九は外意に属す。四・六・八・十は内意に属す。嫉・瞋恚・疑、此の三意は内に在り。殺・盗・婬・両舌・悪口・妄言・綺語、此の七意および余の事は外に属すなり。

息を得るは外と為す。息を得ざるは内と為す。息は意より生ず。息を念ずることと合わせて一数と為す。息至りて尽きて数うること一と為す、また一に非ず。意は外に在りて息未だ尽きざる故なり。譬えば銭を数うるに、意五に在りて一と数うるがごとし。


数息にまず入息より数える理由

数息にまず入りを数うる所以は、外に七悪有り、内に三悪有り、少なきを用って多きに勝つこと能わざる故に、まず入りを数うるなり。


数息を得ざる原因

数息を得ざる者は、其の本意を失う故なり。本意とは非常・苦・空・非身を謂う。是の意を失いて顛倒に堕する故なり。また師を失うと為す。師とは、初めて坐する時、第一に入息にて身の安きを得て、便ち次第に行ずるなり。其の本意を失う故に息を得ざるなり。

数息の意は常に当に非常・苦・空・非身を念ずべし。息の出づるもまた滅し、入るもまた滅すと計れ。已に是れを知りて、道を得ること疾し。当に非常の恐の意を持すべし。是の意を得れば即ち息を得るなり。


入息と出息の違い

入息と出息の異なる所以は、出息は生死陰と為り、入息は思想陰と為るなり。時に出息は痛痒陰と為り、入息は識陰と為ることも有り。是れを用って異と為す。道人は当に是の意を分別すべきなり。

入息は罪を受けざると為す。出息は罪を除くと為す。守意は罪を離ると為す。入息は因縁を受くると為す。出息は因縁に到ると為す。守意は因縁を離れざると為すなり。


数息を得ざる三因縁

数息を得ざるに三因縁有り。一には罪至ること、二には行の互いならざること、三には精進せざることなり。


入息・出息の長短

入息短く出息長し。念ずるところなきは道意と為す。念ずるところ有るは罪と為す。罪悪は外に在りて内に在らざるなり。

数息の時、離意有れば喘息長と為す。息を得れば喘息短と為す。安らかに息を行ぜざれば長と為し、定まれば短と為す。万物を念ずれば長息と為し、念ずるところなければ短息と為す。未だ十息に至らずして、壊れてまた更めて数うれば長息と為す。十息を得れば短息と為す。息を得れば短と為す。何を以ての故に。止まりてまた数えざる故なり。息を得るもまた長と為す。何を以ての故に。息休まざる故に長と為すなり。

喘息の長きは自ら知る。喘息の短きは自ら知る。意の在るところを長短を自ら知ると謂う。意の長短を覚るを自ら知ると為す。意の長短を覚らざるを自ら知らずと為すなり。


安般守意の再定義と四種の行

道人、安般守意を行じて意を止めんと欲す。当に何の因縁によりて意の止まることを得るか。安般守意を説くを聴け。

何等を安と為す。何等を般と為す。安は名づけて入息と為す。般は名づけて出息と為す。息を念じて離れざる、是れを名づけて安般と為す。

守意とは意を止めることを得んと欲するなり。行者・新学の者に在りて、四種の安般守意の行有り。両悪を除き十六勝あり。即時に自ら知る、乃ち安般守意の行、意の止まることを得しむ。

何等を四種と為すか。一は数と為し、二は相随と為し、三は止と為し、四は観と為す。

何等を両悪と為すか。十息を過ぐることなかれ。十数を減ずることなかれ。

十六勝

何等を十六勝と為すか。

即時に喘息の長きを自ら知る。 即時に喘息の短きを自ら知る。 即時に喘息の身を動かすを自ら知る。 即時に喘息の微なるを自ら知る。 即時に喘息の快なるを自ら知る。 即時に喘息の快ならざるを自ら知る。 即時に喘息の止まるを自ら知る。 即時に喘息の止まらざるを自ら知る。 即時に喘息の心を歓ばしむるを自ら知る。 即時に喘息の心を歓ばしめざるを自ら知る。 即時に内心に万物を念じて已に去りて復た得べからざるを、喘息自ら知る。 内に復た思うところなきを、喘息自ら知る。 思うところを棄捐するを、喘息自ら知る。 思うところを棄捐せざるを、喘息自ら知る。 躯命を放棄するを、喘息自ら知る。 躯命を放棄せざるを、喘息自ら知る。

是れ十六の即時に自ら知るなり。


両悪の詳説

問う、何等を十数を過ぐることなかれ、十数を減ずることなかれと為すか。

答う、息已に尽きて未だ数えざるは是れ過と為す。息未だ尽きざるに便ち数うるは是れ減と為す。数を失うもまた悪にして、及ばざるもまた悪なり。是れ両悪なり。

二息に至りて乱れなば短息と為す。九息に至りて乱れなば長息と為す。十息を得れば快息と為す。相随は微と為す。

意長きに在れば便ち意を転ず。我何を以ての故に長きを念ずるかと。意短きに在れば即時に覚る。意をして止まらしむることを得ず。止は著と為す。

躯命を放棄するとは息を行ずるを謂う。道意を得れば便ち躯命を放棄す。未だ道意を得ざれば、常に身を愛する故に躯命を放棄せざるなり。


息の長短と道

息の細微なるは道と為す。長きは生死と為す。短息の動くは生死と為す。道において長きは短と為す。何を以ての故に。道意を得ざれば知見なき故に短と為すなり。

数息は単と為す。相随は複と為す。止は一意と為す。観は意を知ると為す。還は道を行ずると為す。浄は道に入ると為すなり。

数の時は念と為し、十息に至るを持と為す、是れ外禅と為す。身の不浄を念じて空に随うは是れ内禅なり。


禅法と数息の実践

禅法は悪来たりても受けざる、是れを名づけて棄と為す。

口を閉じて息を数え、気の出入に随う。気の発するところ、滅するところを知れ。意に念ずるところ有れば息を数うることを得ず。遅疾・大小有りてもまた数うることを得ず。耳に声を聞きて乱れてもまた数うることを得ざるなり。

数息の意が息数に在るは不工と為す。行意が意に在るを乃ち止と為す。数息の意がただ息に在るは是れ不工なり。当に意の起こるところ、気の滅するところを知るべし。是れ乃ち数の因縁に応じて、尽くれば便ち定意を得るなり。


守意と息の因縁

守意とは出入息を念ずるなり。已に息を念じて悪生ぜざる故に守意と為す。息は因縁を見て生じ、因縁なければ滅す。因縁断ずれば息止まるなり。


数息の徳目

数息は至誠と為す。息乱れざるは忍辱と為す。数息して気微にしてまた出入を覚らず。是のごとく当に一念を守りて止すべきなり。

息は身に在りまた外に在り。因縁を得て息生ず。罪未だ尽きざる故に息有り。因縁を断ずれば息また生ぜざるなり。

数息と相随・第二禅

数息は相随の第二禅と為す。何を以ての故に。念を待たざるを用って故に、相随の第二禅と為すなり。

数息は守意と為さず。息を念ずるを乃ち守意と為す。息は外より入り、息未だ尽きざれば息は入るに在り、意は尽きるに在り、識は数に在るなり。


絆の説明

十息には十意有りて十絆と為す。相随には二意有りて二絆と為す。止は一意にして一絆と為す。息数を得ざるは悪意にして絆すべからず。悪意止まりて乃ち数うることを得る。是れ和調して意を絆すべしと為すなり。


各段階の棄捨

已に息を得れば息を棄てよ。已に相随を得れば相随を棄てよ。已に止を得れば止を棄てよ。已に観を得れば観を棄てよ。また還ることなかれ。また還ることなかれとは、また息を数うることなかれ、また意をして意をして息を使わしむることなかれとなり。

念ずるところ有るは息の意を使うと為す。念ずるところなきは意の息を使うと為すなり。


息の四種

息に四事有り。一は風と為し、二は気と為し、三は息と為し、四は喘と為す。声有るは風と為す。声なきは気と為す。出入するは息と為す。気の出入尽きざるは喘と為すなり。


数息と相随の働き

数息は外を断ち、相随は内を断つ。外より入りを数うるは外を断つと為し、また外の因縁を離れんと欲するなり。中より出づるを数うるは内の因縁を離れんと欲するなり。外は身の離るると為し、内は意の離るると為す。身離れ意離るるは是れ相随と為す。出入息は是れ二事なり。

数息は内外の因縁を断ぜんと欲するなり。何等を内外と為すか。眼・耳・鼻・口・身・意を内と謂う。色・声・香・味・細滑・念を外と謂うなり。

息を行ずるは意をして空に向かわしむる為なり。ただ余意を止めんと欲するのみ。何を以て空に向かうと為すか。息の中に為すところなき故なりっ


数息中の意の逸走

数息して意走りて、即時に覚る者は、罪重くして意の罪軽く、意を引きて去ること疾き故に覚らざるなり。

道を行じて已に息を得れば、自ら息を厭いて意転ぜんと欲し、また数えんと欲せず。是のごとくなるは息を得たると為す。相随・止・観もまた爾りなり。


出入息の滅と四禅

出入息の滅することを知る。滅するは息の相を得て生死を知ると為す。また用いざるは生死の相を得たると為す。已に四禅を得れば、ただ空を念ずるを道の種栽と為すなり。


定を得た後の観

息を行じて已に定を得れば、また気の出入を覚らず、便ち観ずべし。一には当に五十五事を観ずべし。二には当に身中の十二因縁を観ずべきなり。


息の処所

問う、息の出入にどこかに処所有りや否や。答う、息入る時は是れ其の処なり。出息の時も是れ其の処なり。

息を数えて身坐し、痛痒・思想・生死・識止まりて行ぜず。是れ坐と為すなり。


念息と校計

息を念じて道を得てまた校計する者は、息には知るところなきを用って故なり。

問う、息を念じて道を得るは何を以て知るところなしと為すか。答う、意は息を知り、息は意を知らず、是れ知るところなしと為すなり。

人は意を校計することを得ず。便ち息を数えしむ。意をして定まらしめんと欲するなり。息を数うるといえども、ただ悪を生ぜざるのみにして、黠智なし。当に何等の行をなして黠慧を得べきか。一より十に至り、定乱を分別し、対を識りて薬を行ず。已に定意を得れば、便ち黠慧に随う。校計を得るは観に堕すと為すなり。


数の意味

問う、何等を数と為すか。答う、数とは事を謂う。譬えば人に事有りてまた求むるは是れ罪を数うると為す。道人は福を数う。何を以ての故に正しく十と為すか。一意起これば一と為し、二意起これば二と為す。数は十に終わり、十に至りて竟わりと為す。故に十数は福と為すと言うなり。

罪の説明

また罪有る者は、息を壊すること能わざるを用って故に罪と為す。また意の生死滅せずして世間に堕し、已に世間の事を断ぜざるを罪と為すと謂うなり。


六情・十事・十息の対応

六情は六事と為す。痛痒・思想・生死・識、合わせて十事と為す。内の十息に応ず。殺・盗・婬・両舌・悪口・妄言・綺語・嫉妬・瞋恚・癡、外の十息に応ず。止まりて行ぜざるを謂うなり。


十六事とは何か

問う、何等を十六事と為すか。答う、十事とは数に至ること十を謂う。十六とは数・相随・止・観・還・浄を謂う。是れ十六事と為して行じて離れざるは道に随うと為すなり。

問う、息を数えて風を念ずるは色に随うと為すに、何を以て道に応ずるか。答う、行意は数に在りて色を念ぜず、気尽きれば便ち滅す。非常に堕して非常を知るは道と為すなり。


坐と行の二事

道人道を得んと欲せば、要に当に坐と行の二事を知るべし。一は坐と為し、二は行と為す。

問う、坐と行とは同じや同じからずや。答う、時に同じく時に同じからず。数息・相随・止・観・還・浄、此の六事は、時に坐と為し時に行と為す。何を以ての故に。数息して意定まるは是れ坐と為す。意の法に随うは是れ行と為す。已に起こりし意の離れざるは行と為し、また坐と為すなり。


坐禅の法・過失と不足

坐禅の法、一には数えず、二には二を数えて一と数えず。一を数えて二と数える者とは、一息を数えて未だ竟わらざるに便ち二と言う、是れ一を数えて二と為す、是のごとくなるは精進に過ぎると為す。二を数えて一と数える者とは、息已に入りて二なるにようやく一と言う、是れ二を数えて一と為す、是のごとくなるは精進に及ばずと為す。

三より四に至り、五より六に至り、七より八に至り、九より十に至る、各自に分部有り。当に所属を分別すべし。一に在れば一を数え、二に在れば二を数う。是れ法行にして便ち精進に堕すなり。


三種の坐道

三つの坐して道に堕するもの有り。一は数息の坐、二は誦経の坐、三は経を聞きて喜ぶ坐なり。是れ三つなり。


坐の三品

坐に三品有り。一は味合の坐、二は浄の坐、三は無有結の坐なり。

何等を味合の坐と為すか。意の行に著して離れざるを謂う。是れ味合の坐と為す。何を謂いて浄の坐と為すか。念ぜざるを浄の坐と為すと謂う。何等を無有結の坐と為すか。結已に尽きたるを無有結の坐と謂うなり。


息の三輩(種類)

息に三輩有り。一は雑息、二は浄息、三は道息なり。道を行ぜざるは是れ雑息と為す。十息に至るまで数えて乱れざるは是れ浄息と為す。已に道を得たるは是れ道息と為すなり。

息にまた三輩有り。大息有り、中息有り、微息有り。口に語るところ有るは大息と謂う。止まりて道を念ずるは中息なり。止まりて四禅を得るは微息の止なり。


仏が数息守意を教える四因縁

問う、仏は何を以て人に数息守意を教えたまうか。答う、四因縁有り。一には痛みを欲せざるを用って故なり。二には乱意を避けんとするを用って故なり。三には因縁を閉じて、生死と会うことを欲せざるを用って故なり。四には泥洹の道を得んと欲するを用って故なりっ


日光の譬え

譬えば日に光明なき者に四因縁有りと説くがごとし。一には雲有るを用って故なり。二には塵有るを用って故なり。三には大風有るを用って故なり。四には烟有るを用って故なり。

数息を得ざるにもまた四因縁有り。一には生死を念じて校計するを用って故なり。二には飲食多きを用って故なり。三には疲れ極まるを用って故なり。四には坐してまた罪地に更わることを得ざるを用って故なり。


四相の説明

此の四事来たるは皆相有り。坐して息を数えて忽ち他事を念じて息意を失う、是れ念校計の相と為す。骨節ことごとく痛みて久しく坐すること能わず、是れ食多の相と為す。身重くして意まぼろしのごとく、ただ睡眠を欲す、是れ疲極の相と為す。四面坐して一息も得ざる、是れ罪地の相と為す。

罪を知りて当に経行すべし。若しくは経文を読みて坐すれば、意は罪を習わず、また禍消ゆるなり。


道人の本を念ずること

道人道を行ずるには当に本を念ずべし。何等を本と為すか。心・意・識を是れ本と謂う。是の三事は皆見えず。已に生じて便ち滅す。本意また生ぜず。是の意を得るを道と為す。意の本意已に滅して、痛みの為すところなく、また因縁生じて便ち断ずるなり。


定意の深まり

定意は日に勝る。日に勝るは定意と為す。時に息より定意を得ることあり。時に相随より定意を得ることあり。時に止より定意を得ることあり。時に観より定意を得ることあり。

定因縁に随って直行する

定の因縁を得るに随いて直ちに行ずるなり。

息を行じてもまた貪に堕す。何を以ての故に。意已に定まれば便ち喜ぶ故なり。便ち当に出息・入息の念滅の時を計るべし。息生ずれば身生じ、息滅すれば身滅す。尚未だ生死の苦を脱せず。何を以ての故に。喜びて已に是のごとく計れば便ち止まることを貪るなり。


数息と相随の速遅

数息は疾からんと欲す。相随は遅からんと欲す。時に数息は当に安徐なるべし。相随の時は当に疾かるべし。何を以ての故に。数息して意乱れざれば当に安徐なるべし。数乱れなば当に疾かるべし。相随もまた是のごとく同じなり。


数息と相随の念の違い

第一の数もまた相随も念ずるところ異なり。息を数うるといえども当に気の出入を知るべし。意の著するところは数に在るなり。

数息してまた相随・止・観を行ずる者とは、息を得ざるに前世に習い有りて、相随・止・観に在ることを謂う。相随・止・観を得るといえども、当に還りて数息より起こるべきなり。

数息して意離れざるは是れ法なり。離るるは非法と為す。数息して意罪に随わず。意世間に在れば便ち罪に堕すなり。


数息・相随・止の関係

数息は意を乱さんと欲せざる故なり。意已に乱れずしてまた相随を行ずる者は、上を証して次に意を知るを止と為す。止と観とは同じ。還と浄とは同じなり。

道を行じて微意を得て当に意を倒すべき者とは、当に更めて息を数うべきことを謂う。若し経を読み已りて、乃たまた禅を行じて微意なる者とは、息を数えず及び相随を行ぜざるを謂うなり。


仏の六潔意

仏に六潔意有り。数息・相随・止・観・還・浄を謂う。是の六事は無形を制すること能うなり。

息はまた是れ意にして、また意に非ず。何を以ての故に。数うる時、意が息に在るは是れと為す。数えざる時、意と息と各自行ず、是れ意に非ずと為す。息より意生じて已れば、止まりて意なきなり。


意が人を使う・人が意を使う

人は意を使わず、意が人を使う。意を使う者とは、数息・相随・止・観・還・浄、三十七品経を念ずる、是れ意を使うと為す。人道を行ぜずして貪り求め欲に随う、是れ意が人を使うと為すなり。


息垢と三冥

息に垢有り。息の垢去らざれば息を得ず。何等を息の垢と為すか。三冥の中の最も劇しき者、是れ息の垢と為す。何等を三冥と為すか。三毒起こる時、身中まさに冥なる故に三冥と言う。三毒とは、一は貪婬と為し、二は瞋恚と為し、三は愚癡と為す。人皆是の三事に坐して死する故に毒と言うなり。


数息中の三意

数息の時、意は数息に在り。未だ数えざる時、三意有り。善意有り、悪意有り、善ならず悪ならざる意有り。人の息の相を得たるを知らんと欲する者は、当に万物および諸の好色を観ずべし。意また著せざるは是れ息の相を得たると為す。意また著するは是れ未だ得ざると為して、当に更に精進すべきなり。


家中意を尽くす

家中の意尽きんと欲する者とは、六情を意の家と謂い、万物を貪り愛することは皆意の家と為すなり。

相随とは、善法を行じて是より脱を得るを謂う。当に相随すべし。また五陰・六入に随わず、息と意と相随うことを謂うなり。


第三・止 鼻頭に止まる理由

問う、第三の止は何を以ての故に鼻頭に止まるか。答う、数息・相随・止・観・還・浄を用いるに、皆鼻より出入す。意の故処を習いて、またの識りやすきと為す。是の故を以て鼻頭に著くなり。

悪意来たる者は断ちて禅と為す。時に鼻頭に止まることあり。時に心中に止まることあり。著するところに在りて止と為す。邪来たりて人の意を乱さんとす。直ちに一事を観ずれば、諸悪来たりても心動くべからず。心は畏るることなきなり。


止の四種

止に四有り。一は数止と為し、二は相随止と為し、三は鼻頭止と為し、四は息心止と為す。止とは五楽・六入を当に制止すべきを謂うなり。

止の詳説

入息至りて尽きて鼻頭に止まる。悪またに入らずして鼻頭に至りて止まるを謂う。出息至りて尽きて鼻頭に著く。意またに身を離れて惡に向かいて行かざる故に鼻頭に著くを謂う。また息初めて入る時、便ち一念向かいてまた転ぜざることを謂う。息の出入もまた覚らず。是れ止と為すなり。

止とは、出息・入息のごとく、前意の出づるを覚り知る。後意の出づるを覚らず。前意を覚るを意の相観と為す。便ち出入息を察して敗を見る。便ち相を受けて生死を畏れ、便ち意を却け、便ち道意の相に随うなり。

相随と為すことなかれとは、ただ念じて鼻頭に著くのみ。五陰の因縁またに念ぜず。罪断じ意滅してまた喘息せず。是れ止と為すなり。相随と為すことなかれとは、またに意に出入を念じて五陰の因縁に随わず、またに喘息せざることを謂うなり。


第四・観

第四の観とは、息の敗するを観ずる時と、身体を観ずるとは息を異にす。因縁有りて生じ、因縁なければ滅することを見るなり。

心意の相を受くるとは、意に得んと欲するところ有り、心に因縁の会してまた滅すべきを計り、便ち欲するところを断じてまた向かわざることを謂う。是れ心意の相を受くると為すなり。

因縁を識ることを以て倶相観と為す者とは、五陰の因縁を識り知ることを謂う。出息もまた観じ、入息もまた観ず。観とは五陰を観ずることを謂う。是れ倶観と為す。またの意・意相観に応ず。二因縁と為して、内に在りて悪を断じ道を念ずるなり。


出息と入息の異なり

出息の異なり入息の異なりを観ずとは、出息は生死陰と為り、入息は思想陰と為ることを謂う。時に出息は痛痒陰と為り、入息は識陰と為ることも有り。因縁に随いて起これば便ち陰を受く。意の向かうところ常用なし。是の故に異と為す。道人は当に是れを分別して知るべし。また出息滅して入息生じ、入息滅して出息生ずることを謂うなり。

無有故とは、人の意および万物の意起こりて已に滅し、物生じてまた死することを謂う。是れ無有故なり。

出息に非ずして是れ入息なり、入息に非ずして是れ出息なりとは、出息の時に意は入息を念ぜず、入息の時に意は出息を念ぜざることを謂う。念ずるところ異なる故に非と言うなり。

中信とは、道に入る中に道の因縁を見て道を信ずることを謂う。是れ中信なり。


第五・還と第六・浄

第五の還の結を棄つとは、身の七悪を棄つることを謂う。第六の浄の結を棄つとは意の三悪を棄つることと為す。是れを名づけて還と為す。還とは意またに悪を起こさざると為す。

還の詳説

悪なる者は是れ不還と為すなり。

還身とは、悪を還りて第五の還を得ることを謂う。尚身有りてまた身なし。何を以ての故に。意有れば身有り、意なければ身なし。意は人の種と為る。是れを名づけて還と為す。還とは意またに悪を起こさざるを謂う。悪を起こす者は是れ不還と為す。また前は身を助け後は意を助くることを謂う。殺・盗・婬・両舌・悪口・妄言・綺語をなさざるは是れ身を助くると為す。嫉・瞋恚・癡をなさざるは是れ意を助くると為すなり。


還五陰

五陰を還すとは、譬えば金を買いて石を得て便ち地に棄捐して用いざるがごとし。人は皆五陰を貪り愛して苦痛を得る。便ちこれを欲せざる、是れ五陰を還すと為すなり。


滅尽の処所

何等を便ち滅尽の処を見ると為すか。無所有を是れ滅処と謂う。

問う、已に無所有なるに、何を以ての故に処と為すか。答う、無所有の処に四処有り。一には飛鳥は空中を以て処と為す。二には羅漢は泥洹を以て処と為す。三には道は無有を以て処と為す。四には法は観処に在るなり。


出入息と五陰の相

出息・入息にて五陰の相を受くるとは、意の邪念疾く転じて還りて正しきに以て覚を生じて断ずることを謂う。五陰の相を受くると為す。受くると言うは、受けて受けざる相を謂うなり。

五陰の相を受くるを以て、起こるところ何処、滅するところ何処を知る。滅する者は十二因縁を受くる人と為す。十二因縁より生じ、また十二因縁より死す。念ぜざる者は五陰を念ぜざると為すなり。


起滅の知見

起こるところ何処、滅するところ何処を知るとは、善悪の因縁起これば便ちまた滅することを謂う。また身を謂い、また気の生滅を謂う。念ずれば便ち生じ、念ぜざれば便ち死す。意と身とは同等なり。是れ生死の道を断つと為す。是の生死の間に在りて、一切の悪事は皆意より来たるなり。


今と前との区別

今は前と為さず、前は今と為さずとは、前に念ずるところ已に滅して、今の念は前の念に非ざることを謂う。また前世に作るところ、今世に作るところは各自福を得ることを謂う。また今行ずるところの善は、前に行ぜるところの悪に非ざることを謂う。また今の息は前の息に非ず、前の息は今の息に非ざることを謂うなり。


生死の分別

生死の分別と為すとは、意に念じて生ずれば即ち生じ、念じて滅すれば即ち滅する故に生死と言うと為す。当に万物および身を分別すべし。過去・未来の福は索め尽くすと為す。何を以ての故に。尽くすは生じて便ち滅し、滅して便ち尽くる以てなり。已に尽くることを知りて当に尽力して求むべきなり。


上頭を視て来たるところなし

上頭を視て来たるところなしとは、人は来たるところなくして意起こりて人と為ることを謂う。また人は自ら作らずして来たる者は、来たるところ有りと為す。人が自ら作りて自ら得るは是れ来たるところなしと為すなり。


生死を分別すべし

生死は当に分別すべきとは、五陰を分別することを知ることを謂う。また意の生死を分別することを知り、人の意を常と為すを謂う。常有ることなしを知るもまた分別と為すなり。


後に視て処所なし

後に視て処所なしとは、今現在に於いて、罪人の生死の会に在りて脱を得ることなきを見ず。当に罪より脱を得るところなしを言う故に、後に視て処所なしと言うなり。

未だ道迹を得ざれば、中に命尽くることを得ず。已に十五意を得れば中に死することを得ずと謂う。要に当に十五意を得て便ち道に堕し、また転じて上り阿羅漢に至るなり。

中に道を得てもまた中に命尽くることを得ず。息・意・身の凡そ三事と為す。善悪の意は要に当に道迹を得るべく、またの中に壊れることも有り。息死してまた生じ、善意起こりてまた滅し、身もまた中に死することを得ざるなり。


浄とは何か

何等を浄と為すか。諸の貪欲するところを不浄と謂う。貪欲を除き去るは是れ浄と為す。

何等を五陰の相と為すか。

五陰の相の譬え

譬えば火は陰と為り、薪は相と為るがごとしなり。


息より浄まで皆観なり

息より浄に至るまで、是れ皆観と為す。身・相随・止・観・還・浄を観じて本より無有なることを謂う。内意は息を数え、外意は悪因縁を断ず。是れ二意と為すなり。


先に数息する理由

問う、何を以ての故に、先に内外の身体を観ぜずして、反りて先に数息・相随・止・観・還・浄するか。答う、意の不浄なるを用って故なり。身を見ずして意已に浄まれば、便ちことごとく身の内外の道を見る。行に十九有り。行を用うるに人に十九の病有る故に、また十九の薬有り。身を観じて悪露を念ずるは是れ貪婬を止める薬と為す。四等心を念ずるは是れ瞋恚を止める薬と為す。自ら本より何の因縁有りてかあると計るは是れ愚癡を止める薬と為す。安般守意は是れ多念の薬と為すなり。


身と体の区別

内外に自ら身体を観ず。何等を身と為すか。何等を体と為すか。骨肉は身と為す。六情合わせて体と為すなり。

何等を六情と為すか。眼は色に合し、耳は声を受け、鼻は香に向かい、口は味を欲し、細滑は身の衰えと為し、意は種栽と為して癡と為す。有生の物と為るなり。


内外身体を重ねて出す理由

内外の身体を重ねて出す所以は何ぞや。人の貪り求むるに大小有り前後有ることを謂う。得んと欲するところは当に分別して観ずべし。観ずる者は見るを念と為す。念は見に因りて、観ずる者は知ると為すなり。


身体の止

身体の止とは、坐して念起こり、起こりて念じて意離れず。行ずるところに在りて意の著するところは識と為す。是れ身観の止と為すなり。


出入息・念滅の時

出息・入息の念滅の時とは、何等を念滅の時と為すか。出入の気尽きる時を念ずることを謂う。意息滅して、出息・入息の念滅の時は、譬えば空中に画くがごとく有ることなし。生死の意・道の意、倶に爾りなり。

出息・入息の念滅の時は、また息を説かず、意・息を説く。滅の時とは、出息・入息の念滅の時なり。物は因縁より生ず。本を断ずるを滅の時と為すなり。


内外の痛痒を見て観ず

内外の痛痒を見て観ずとは、痛痒の起こるところを見て、便ち観ずるを是れ見観と為すなり。

内外の痛痒とは、外の好物は外の痒と為し、外の悪物は外の痛と為す。内の可意は内の痒と為し、内の不可意は内の痛と為す。内に在るは内法と為し、外の因縁に在るは外法と為す。また目を内と為し色を外と為し、耳を内と為し声を外と為し、鼻を内と為し香を外と為し、口を内と為し味を外と為し、心を内と為し念を外と為すと謂う。好き細滑を見て意得んと欲する是れ痒と為す。麁悪を見て意用いざるは是れ痛と為す。倶に罪に堕すなり。


痛痒観の止

痛痒観の止とは、若し人の臂痛みて意痛みと作さず、反りて他の一切の身の痛みも是のごとしと念ずれば、意が痛みに在らざるを以て痛みを止むと為す。また念ずべく、また念ずべからず。痛みを念じて著するところなし。自ら身を愛すれば当に他人の身を観ずべし。意に他人の身を愛すれば当に自ら身を観ずべし。またの止と為すなり。

内外の痛痒を重ねて出す理由

内外の痛痒を重ねて出す所以は何ぞや。人の色を見て愛するに薄厚有ることを謂う。其の意は等しく観ぜず。多と少とは異なる故に、重ねて分別して道を観ず。当に内観には癡有りと観じ、当に外観には以て自ら証すべきなり。


身心の痛痒それぞれ異なり

身と心の痛痒は各自異なり。寒熱・刀杖の痛み極まるを得るは是れ身痛と為す。美飯・車に載り・好衣・身の諸の便なるところを得るは是れ身痒と為す。心痛とは、身自ら憂えてまた他人および万事を憂うるは是れ心痛と為す。心に好むところおよび諸の歓喜を得るは是れ心痒と為すなり。


意相観の二因縁

意相観には両因縁有り。内に在りて悪を断じ道を念ず。一には五楽・六衰を当に制断すべきことを謂う。観ずる者は自ら身を観ず。身の麁細を知らず、得るを以て乃ち覚る、是れ意・意相観と為す。意・意相観は、息もまた是れ意なり。数もまた是れ意なり。数うる時に息を観ずるは意・意相観と為すなり。


意観の止

意観の止とは、婬を欲すれば制して為さず、瞋恚を欲すれば制して怒らず、癡を欲すれば制して作らず、貪を欲すれば制して求めず、諸の悪事一切に向かわず。是れ観止と為す。また三十七品経を知ることを以て、常に念じて離れざるを止と為すと謂うなり。


出入息尽きて定まれば便ち観ず

出息・入息尽きて定まれば便ち観ずとは、尽きるとは罪尽きることを謂う。定まるとは息止まりて意定まることを謂う。定観とは止・還・浄を観ずることを謂うなり。

尽止とは、我よく是れを説き、是れを暁り、遍く是れを更うと謂う。是れ尽止と為すなり。


起こる息・善法と習罪

起こる息は、若し布施・作福・一切の善法のごとし。已に起これば便ち滅して、また意に邪を念ず。罪行を習うに向かうことまた数なし。古世・今世、意は是のごとく相随わず。他人もまた爾りなり。已に知り覚りて当に断ずべし、已に断ず。内外の意・意観止と為すなり。


内外の法法

内外の法法とは、内法は身を謂う。外法は他人を謂う。持戒の法有り、持戒せざる法有り。是れ内外の法法なり。

内法とは黠を行じて三十七品経を離れず、一切の余事には意中に堕せず、道を行じて道を得ることを謂う。是れ内法なり。外法とは生死に堕すことを謂い、生死を行ずることを謂う。便ち生死を得て一切脱せず。当に断じて已に断ず。内外法観止と為すなり。


法観の止

法観の止とは、一切の人は皆自身を身と為す。諦かに校計すれば我が身に非ず。何を以ての故に。眼有り色有り。眼もまた身に非ず、色もまた身に非ず。何を以ての故に。人已に死して眼有れども見るところなし。また色有れども応ずるところなし。身は是のごとく、ただ識有るのみにして、またの身に非ず。何を以ての故に。識には形なし。また軽く止まるところなし。是のごとく眼・耳・鼻・舌・身・意を計ずるもまた爾りなり。是の計を得るを法観止と為す。また悪を念ぜざるを止と為し、悪を念ずるを不止と為すと謂う。何を以ての故に。意行ずる故なりっ

佛説大安般守意経 巻上 了

関連記事

1,佛説大安般守意經』:後漢安息三藏安世高譯ー書き下し文
2,佛説大安般守意經卷上ー書き下し文
3,佛説大安般守意經卷下ー書き下し文

人間OS仕様書|佛説大安般守意経 巻上 序文(康僧会)
人間OS仕様書|佛説大安般守意経 巻上
人間OS仕様書|佛説大安般守意経 巻下

コメント

タイトルとURLをコピーしました