解脱道論プロジェクト・第九巻全体の総括記事
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序
第九巻は、業処カタログ完備後の修行の方向を示す巻である。
第八巻の閉じで「三十八行品 已りぬ」と宣言された。業処カタログ38が完備した。第四巻から五巻にわたる業処の展開が完結した。
そして第九巻が始まる。第九巻は二章構成である。
- 五通品第九(Batch 01-06):神通道──身通・天耳通・他心智通・宿命通・天眼通の五神通
- 分別慧品第十(Batch 07-08):慧の道──慧の定義・分類体系・四諦智への収束
第九巻の構造的特徴は、業処カタログ完備後の修行者が向かう二つの方向(神通と慧)を順に展開し、その関係を最終的に位置付ける点にある。神通道は世間に留まり、慧の道は出世間に至る。第九巻はこの区分を体系的に示す。
第八巻の偈が「説く所は唯だ面形のみ」と立脚点を表明した。第九巻でも、原典は外形を語る。神通の修法も、慧の分類も、外形の輪郭である。修行者の内側で起きることは、文字の外にある。「人の善く示導して 波利弗多国へ行くが如し」。案内人は道を示す。
本統合記事は、第九巻全体の構造を、座る人間にとっての修行の仕様として再提示する。
1. 第九巻の位置──業処カタログ完備の後
第八巻完結時点で、業処カタログ38が完備した。
| 業処群 | 数 | 完備時点 |
|---|---|---|
| 十一切入 | 10 | 第四〜六巻 |
| 十不浄 | 10 | 第六巻 |
| 十念 | 10 | 第六〜七巻 |
| 四無量心 | 4 | 第八巻 |
| 四大観察 | 1 | 第八巻 |
| 食不耐想 | 1 | 第八巻 |
「三十八行品 已りぬ」の後、修行者は何を持っているか。業処の完全な手元。修行者の行人タイプ(処方論)に応じて適切な業処を選択し、修習を深め、定の自在に至る基盤がある。
第九巻はこの基盤の上に始まる。
2. 五通品──神通道の展開
神通の前提──定の自在
「爾の時、坐禅人、是の如く已に定の自在を作す。第四禅に住して、能く五神通を起こす。」
五通品の冒頭一文が、神通の位置を確定する。前提は「定の自在」と「第四禅」。神通は追求の目標ではない。「能く起こす」──できる、という可能の語。定の熟成の結果として可能になる。
業処を修習し、定が深まり、第四禅が自在になったとき、はじめて五神通が可能になる。神通は業処カタログ完備の延長として開かれる。
三種の変・七種の変
身通(変)について、原典は二つの分類を示す。
三種の変は身通のメカニズムによる分類:
- 受持変──形色を保ったまま変化する(一が多になる、壁を徹る等)
- 作変──形色を捨てて別形に変じる(童子・龍・梵王等)
- 意所作変──本体から化身を化作する
七種の変は変の起源・動因による分類:
- 智変・定変・聖変(修行者の変化)
- 業果報所成変・功徳人変・明術所造変(世間的変化)
- 方便変(解脱の変化)
七種の変は、智変(認識の変化)で始まり方便変(解脱の変化)で終わる。最も根本的な変は、神通力ではなく解脱そのものである。「正方便生ずるが故に、一切の事変ず」──陶師の比喩。技術が完成すれば、土が器になる。
聖変──業処の動的適用
七種の変の中で、聖変は独特の位置を持つ。
聖変は神通力の展示ではない。不耐(愛念の所縁)に非不耐想を住し、非不耐(不愛念の所縁)に不耐想を住する。そして最終段階で「眼を以て色を見て、歓喜せず憂えざるを成す。捨に住して念現知を成す。是の如く一切の門に於いてす」。
行門品で確立された業処(不浄観・慈・四大観察・無常観)が、聖者の実践において、所縁に応じて動的に選択・適用される。業処は固定した特定の対象だけに使うものではない。どのような所縁が来ても、適切な業処を選んで向かうことができる。
聖変は、業処カタログ完備後の修行者の実践的状態の記述として機能する。
四如意足──意のままになるための道
身通の修法は四如意足から始まる。
- 欲定如意足──変を作すを欲楽する
- 精進定如意足──四種の精進(勝行の成就)
- 心定如意足──遅・退・驚怖への動的対応(速相・定心・捨相)
- 分別定如意足──修すべき時と修すべからざる時の識別
四如意足は静的な修法ではない。修行者の状態を観察し、状態に応じて適切な相を選択する動態的な修法。第三巻 Batch 11 の処方論と同じ設計原理が、神通修習にも貫徹する。
身心の相互関係と「鉄丸の比喩」
「身を心に安んず。心を身に安んず。身を以て心を変ず。心を以て身を変ず。身を以て心を受持す。心を以て身を受持す。」
身と心の双方向の作用。一方が他方を支配するのではない。相互に作用しあう。
「鉄丸の火の焼く所と為りて、意に随いて物を作すが如し」。冷たい鉄丸は割れる。火で焼かれた鉄丸は意のままに形を変える。心の修習が身に同じ可塑性をもたらす。「最も軽き」「最も軟」「最も受持すべき」。
そして「風の綿縷を吹くが如し」。鉄丸(可塑性)と綿縷(軽さ)、二つの比喩が身の状態の二つの側面を示す。
段階的習得と「先の坐処」
「初めの坐禅人、当に速やかに遠く行くべからず。」一尺から始める。漸漸に上る。一尋へ。楽う所に随って起こす。
そして退禅した場合の安全構造。「虚空より転じて当に地に落つべきや。然らず。是れ其の先の坐処より起こるなり。」落ちない。先の坐処に戻る。
身通の修習には、段階的習得と退禅の安全構造の両方が組み込まれている。
受持の定式──「此れ当に〜と成るべし」
受持変の各神通力に共通する起動構造が確認される。
- 壁を徹す:「此れ当に虚空と成るべし」(虚空一切入)
- 地に没す:「此れ当に水と成るべし」(水一切入)
- 水を歩く:「此れ当に地と成るべし」(地一切入)
- 日月を摸す:「此れ当に近く手と成るべし」
「智を以て受持す」「已に〜と成る」。受持と帰結の間に、命令の介在は記述されない。受持することで、変化が生じる。
そして作変では主語が変わる。「我れ当に童子の形と成るべし」。受持変では所縁(此れ)が変化の主語、作変では修行者(我れ)が変化の主語。三種の変の定義(形色を保つ/捨てる)と正確に対応する。
意所作変では「猶お空瓶の如し」と身内が空の容器として作意される。空瓶の中から化身が生まれる。
飛行の三行──一切入の応用
虚空を行く三種の方法:
- 歩行(地一切入の自在で虚空に地の道路を受持して歩く)
- 風行(風一切入の自在で風のように行く)
- 心行(楽想・軽想が身に著して飛鳥のように行く)
業処修習の内容が、神通の様態を直接決定する。一切入の体系と神通の体系は連続している。
天耳通──声相の作意
「第四禅に入り、安詳に出で、次第に自性の耳界に依る。若し遠き声、声相を作意す。」
身通と同じ定型サイクル(第四禅に入る→安詳に出で→受持/作意→起動)が繰り返される。「安詳に念じて出で」が全神通の修法に共通する出定の様態として確認される。
修習開始点について先師の説と別説が並置される。先師は身体内部から始めて外へ拡張する。別説は遠い大きな音から始める。発見ログ 1.5(別説の併記)のパターンが、五通品でも継続する。
そして注意:「最も畏るべきに作意すべからず」「若し怖有らば、其の禅、退を成す」。身通の段階的習得と同じ原則。驚怖が禅を退転させる。
他心智通──心の色の識別
「天眼を以て其の自心の意色を見る。」
他心智通は天眼を前提とする唯一の神通。光一切入の自在に加えて、天眼が必要。心は直接には知れない。まず色(意色)として現れる。色を介して心を知る。
心の七つの状態と意色の対応:
- 喜根→酪酥の色(乳白色)
- 憂根→紫の色
- 捨根→蜜の色(蜂蜜色)
- 愛欲→黄の色
- 瞋恚→黒の色
- 無明→濁の色
- 信・智→清き色
瞋恚→黒、無明→濁という暗化・不透明化と、信・智→清という清澄化が対比される。
修法の最終段階で「色の変の分別を除き、唯だ心の事を取る」。色は足場だった。他心智が確立されたとき、色の分別は除かれる。直接、心を知る。
宿命通──識の流転を憶う
宿命通の三種:多持生・生所造・修行所成。坐禅人にとっての宿命智は修行所成として開かれる。
修法は段階的逆行。「現の坐処より、一日に於いて作す所の事」から始まり、一夜・一日・二日・一月・一年・百年・初生へと遡る。そして過去生へ。
身通の段階的飛行(一尺→一尋→楽う所に随って)と同じ原則の時間軸への適用。
そして修行者が憶えているのは、過去の事実の単なる列挙ではない。「識の流転を憶う」。「両倶に断ぜず。此の世の生に於いて、彼の世の生に於いてす」。
念死(第七巻)で確認された「死は仮称」「色法の断・命根の断・暖の断・識の滅。是れ仮りに死と名づく」が、宿命通で実際に憶えられる構造として現れる。死を超えて、心の相続は続く。
退転の対処は「鏡を磨く法の如し」。修習は一度の達成ではない。鏡が曇るように、禅も退する。再び磨く。再び自在を得る。
限界も明示される。畜生・無色・無想の生は憶えられない。「無想の性の故なり」──宿命通は識の流転を所縁とする。識の流転がない生では、所縁そのものが不在である。神通は所縁の構造に従う。
天眼通──「彼は天眼に非ず」
天眼通の修法で、五通品全体の構造が決定的に明らかになる。
「光明を以て内に満たしむ。色の形を作意す。智を以て光明を満たしむ。彼は天眼に非ず。智を以て内の光明の色を見る。此れを天眼と謂う。」
光明そのものは天眼ではない。色そのものも天眼ではない。智による色の認識が天眼である。
天眼は「眼」の名を持つが、実体は智である。
この明示が遡及的に五通品全体を再評価させる。身通の「智を以て受持す」、他心智通の「色の変の分別を除き、唯だ心の事を取る」、宿命通の「識の流転を憶う」──いずれも智の働きである。
五神通の本体は、すべて智である。
「此の日、夜の如し」と十二の煩悩
天眼通の修法で「此の日、夜の如し。此の夜、日の如し」という独特の作意が置かれる。光と闇の二項対立を作意で解消する。光明が確立されれば、夜も日のように明らかになる。
天眼起動を妨げる十二の煩悩:疑・不正憶・懈怠・睡眠・慢・邪喜・悪口・急疾の精進・遅緩の精進・多語・種種の想・最も色を観ずる。
「最も色を観ずる」が逆説的である。天眼の所縁は色であるが、色への過度な傾斜が天眼を破壊する。観察と所縁の間の適切な距離が必要である。
仏陀自身の言葉が引用される。「我れ小定なり。是の時、我れ小眼なり。」「我れ無量の三昧なり。是の時、我れ無量の天眼なり。」定の量が天眼の量を決定する。天眼は独立した能力ではなく、定の自在の表現である。
神通の組合せ論──五通品の散句
「天眼を以て色を見るを為す。一種の定を修行するに、唯だ色を見て声を聞かず。」
修行する定の構成によって、何が把持されるかが変わる。色のみ・声のみ・色と声・色と声と他心。神通は固定した能力ではない。修行者が定の構成と作意の在り方によって調整する。
五通品の閉じ──神通の世間性
そして五通品は最後に、神通そのものの位置を明示する。
「五神通は、世間の神通、有漏、色界に繋がる、凡夫と共なり。」
世間の神通。有漏。色界に繋がる。凡夫と共。
これは控えめな自己評価ではない。構造的な事実の表明である。神通は出世間ではない。漏を伴う。色界に拘束される。凡夫もこれを得る。
「五神通は、無色界に生ずるに於いてせず」──無色界の衆生には五神通は起こらない。色界という具体的領域に基盤を持つことが、五神通の成立条件である。
「解脱道、神通道を説くこと已に竟る」。神通道は解脱道の一区画として完了する。
3. 分別慧品──慧の道の展開
開口の九つの問い
「云何が慧なる。何の相ぞ、何の味ぞ、何の起ぞ、何の処ぞ、何の功徳ぞ。慧とは何の義ぞ。幾の功徳ありて波若を得る。幾種の波若ぞ。」
「相・味・起・処」の四項定義の枠組みは、行門品の業処定義で繰り返し用いられた構造である。慧は業処と同じ次元で扱われる、独立した修法主題として位置付けられる。
慧の本義──「能く除く」
阿毘曇の引用で慧の九つの比喩が並ぶ:鉤・根・力・仗・殿・光・明・灯・実。光に関する三つの語(光・明・灯)が含まれる。
慧の二組の四項定義が並置される。
第一組:達(相)・択(味)・愚癡ならざる(起)・四諦(処)──認識的側面 第二組:義を了し光明なる(相)・正法に入る(味)・無明の闇を除く(起)・四弁(処)──道的側面
そして慧の義の問い。「智の義なり。能く除くを義と為す。」
「能く除く」が慧の根本義として明示される。
功徳の偈の閉じ:
慧を以て衆悪を除く 愛・瞋恚・無明 智を以て生死を除く 余の除くべからざるを除く
「余の除くべからざるを除く」。他のいかなるものによっても除けないものを、慧だけが除く。業処によっても直接除けない深層の煩悩(無明・生死そのもの)を、慧が除く。
慧を得る十一の功徳
経の尋究、善行、居の清浄、止、観、四諦、明らかな所、心が住し常に禅、五蓋のない心。そして:
- 無智慧の人を離る
- 智慧の人を修行して楽著す
慧の修習は孤立した個人の修行ではない。誰と共に居るかが慧の修習に直接影響する。慧のない人とは離れる。慧のある人とは親しむ。共同体的・関係的な側面が、慧の修習の不可分な要素として明示される。
慧の多軸的分類
慧は二種・三種・四種で分類される。各分類の中に複数のセット。
| 分類軸 | 分類 |
|---|---|
| 漏の有無 | 世慧/出世慧 |
| 獲得経路 | 思慧/聞慧/修慧 |
| 修行の方向性 | 来/去/方便の暁了 |
| 輪廻との関係 | 聚慧/不聚慧/非聚非非聚慧 |
| 諦・道・果との関係 | 自作業智/随諦相応智/道分智/果分智 |
| 三界繋 | 欲界/色界/無色界/無繋慧 |
| 智の種類 | 法智/比智/他心智/等智 |
| 聚と非聚の組合せ | 四種の組合せ |
| 厭患と達の組合せ | 四種の組合せ |
| 弁 | 義弁/法弁/辞弁/楽説弁 |
| 諦 | 苦智/集智/滅智/道智 |
慧は単一の分類で扱えない。多面性を持つ。これは業処カタログ(38業処の単一分類)とは異なる構造である。
厭患と達の組合せ──神通と慧の独立
四種の慧の中で、特に注目すべき分類が「厭患と達の組合せ」である。
- 厭患のみ(達を為さず):欲を厭うが神通も四諦も達しない慧
- 達のみ(厭患を為さず):神通を達するが欲を厭わない慧
- 厭患と達の両方:四道の慧のみ
- どちらでもない:余の慧
第二の組合せ──神通を達するが欲を厭わない慧──が論理的に存在する。これが五通品の閉じ「五神通は世間の神通・有漏・凡夫と共」と直接連動する。
神通能力は単独では解脱に至らない。厭患と達の両方を備えるのは、預流道・一来道・不還道・阿羅漢道の四道の慧のみ。神通と慧(出世慧)の関係が、ここで体系的に位置付けられる。
四諦智への収束
分別慧品の慧の分類は、最終的に四諦智に収束する。
苦智・集智・滅智・道智(具足智)。
開口で慧の処として四諦が置かれた。閉じで四諦智が慧の最終分類として置かれる。四諦は分別慧品の枠組み(処)として現れ、内容(智)として現れる。章全体が四諦の周囲を旋回する構造。
「解脱道 分別慧品已に竟る。」
4. 第九巻の構造的意義
「神通の本体は智」という発見
五通品全体を貫いて確認されることは、五神通の本体がすべて智であることだ。
身通の「智を以て受持す」(壁・地・水・日月への受持)。 天耳通の「智を以て声相を作意す」。 他心智通の「色の変の分別を除き、唯だ心の事を取る」。 宿命通の「識の流転を憶う」。 天眼通の「彼は天眼に非ず。智を以て内の光明の色を見る」。
特に天眼通で明示される「彼は天眼に非ず」が、五通品全体の構造を決定づける。「眼」という名を持つが、実体は智である。
この観察が、分別慧品の自然な接続を可能にする。神通の本体は智。そして智(慧)が直接に主題化されるのが分別慧品である。
神通と慧の関係の体系的位置付け
第九巻の核心的構造は、神通と慧の関係の体系的位置付けにある。
| 観点 | 神通(五通) | 慧(出世慧) |
|---|---|---|
| 領域 | 世間 | 出世間 |
| 漏 | 有漏 | 無漏 |
| 三界 | 色界に繋がる | 三界に繋がれない(無繋慧) |
| 凡夫との関係 | 凡夫と共 | 聖道果と相応 |
| 解脱との関係 | 直接的に解脱に至らない | 解脱に至る |
「達を為して厭患を為さず」という慧が論理的に存在する(分別慧品)──神通能力と欲の厭離は別の事である。
しかし神通と慧は切断されてもいない。神通の本体は智である。神通を慧の体系の中に位置付けることができる(他心智が四種の慧に含まれる)。神通と慧は連続しているが、出世間に至るのは慧のみ。
「能く除く」──業処カタログとの接続
慧の根本義は「能く除く」。「余の除くべからざるを除く」。
行門品(第四〜八巻)の業処の効果は、煩悩・蓋・五欲・忿恨・愛著等の対治であった。業処は除く力として機能した。
その除く力の本体が、慧であった。業処の修習において働いていたのは、慧であった。第九巻の分別慧品は、行門品全体を貫いて働いていた慧を、ここで主題化する。
そして偈は告げる。「余の除くべからざるを除く」。業処によって除かれない深層の煩悩(無明・生死)を、慧が除く。
業処は外形(面形)であった。第八巻の偈が「説く所は唯だ面形のみ」と言った通り。業処カタログの完備は外形の完備である。その外形を貫いて働いている本体が、慧である。
第九巻は、外形の中に働いていた本体を、外形の完備の後に主題化する。
段階的習得の原則の貫徹
第九巻でも、第三巻 Batch 11 の処方論で確立された段階的習得の原則が貫徹する。
- 身通の段階的飛行:一尺→一尋→楽う所に随って
- 宿命通の段階的逆行:一日→一月→一年→百年→初生→過去生
- 心定如意足の動態的調整:遅・退・驚怖への速相・定心・捨相
そして退転からの復帰:
- 身通の「先の坐処に至る」
- 宿命通の「鏡を磨く法の如し」
修行は一度の達成ではない。継続的な研磨。退転は失敗ではなく、研磨の一局面。再び禅を起こせばよい。
中心命題(発見2.25)の作動の確認
中心命題は第九巻でも作動している。
身通の修法で「智を以て受持す」「我れ当に童子の形と成るべし」と修行者が受持するとき、修行者は自分の意志で命じているのではない。受持の智の働きとして変化が起きる。
聖変の最終段階「歓喜せず憂えざるを成す。捨に住して念現知を成す」は、所縁に対する捨の中での念と現知。意志的に「歓喜するな」と命じることはできない。捨の中で、自然にそうなる。
慧の根本義「能く除く」は、修行者が意志で煩悩を除くのではない。慧が起こるとき、煩悩が除かれる。「余の除くべからざるを除く」──他の何によっても除けないものを、慧が除く。
「私は非我です」──命じることができない。だから願う。だから受持する。だから慧が起こるのを待つ。第九巻は、中心命題の解脱論的展開として読むことができる。
5. 座る人間にとっての第九巻
第九巻完結時点で、座る人間が手にしたものは何か。
業処カタログの完備の後の方向の明確化:業処を修習し、定の自在に至った後、修行者は二つの方向を持つ。神通(世間)と慧(出世間)。出世間に至るのは慧のみ。神通能力を追求しても、それ自体では解脱に至らない。
「智」を介した修行の連続性:行門品の業処、五通品の神通、分別慧品の慧──いずれも智の働きを基盤として連続している。業処の中に慧があり、神通の本体は智である。修行は分断されない。
「能く除く」の意味:業処の修習において働いていたのは、慧であった。煩悩を除く力は、業処の表面ではなく、業処を貫いて働いていた慧にあった。修行者は業処を続けながら、その中に働いている慧を見出していく。
段階的習得と退転の安全構造:神通修習にも段階がある。一尺から始める。一日から始める。退禅しても先の坐処に戻る。鏡が曇れば再び磨く。修行は一度の達成ではない。継続的な研磨である。
「唯だ面形のみ」の立脚点の継続:第九巻でも、原典は外形を語る。神通の修法も、慧の分類も、外形の輪郭である。修行者の内側で起きることは、文字の外にある。
慧の修習の関係的側面:「無智慧の人を離る。智慧の人を修行して楽著す。」慧の修習は孤立した個人の修行ではない。共同体・人間関係が修行の不可分な側面である。
6. 第十巻以降への展望
第九巻の閉じが四諦智で締めくくられたことは、次の巻への接続として読める。
苦智・集智・滅智・道智。これらが第十巻以降で本格的に展開される可能性が高い。慧の処として置かれた四諦が、慧の最終分類として現れたことで、次の巻で四諦の本格的展開が来ることが予示される。
伝統的な解脱道論の構成から推測される第十巻以降の内容:
- 四聖諦(苦・集・滅・道)の詳細な展開
- 見道・修道・無学道の構造
- 四沙門果(須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢)の体系
- 三十七菩提分の本格的展開
第七巻 Batch 08 の念寂寂で予示された「諸禅(4段階)・無色界(5段階)・諸果(5段階)・泥洹」という解脱道全14段階のうち、第八巻までで諸禅・無色界が展開された。残る諸果と泥洹は、第十巻以降で展開される可能性が高い。
ただし原典の章立ての具体的な構造は、書き下し文を確認するまで分からない。
7. 結語──「解脱道論 巻第九」の閉じ
「解脱道、神通道を説くこと已に竟る」 「解脱道 分別慧品已に竟る」 「解脱道論 巻第九」
第九巻が閉じる。
第八巻で業処カタログが完備した。「三十八行品 已りぬ」。
第九巻で、業処カタログ完備後の方向が示された。神通は世間。慧は出世間。「能く除く」が慧の本義。「余の除くべからざるを除く」。
業処の修習において働いていた慧が、ここで主題化された。業処は外形(面形)であり、その外形を貫いて慧が働いていた。外形の完備の後、本体が主題となる。
「説く所は唯だ面形のみ」。第八巻の偈の立脚点は、第九巻でも保たれた。神通の修法も、慧の分類も、外形である。修行者の内側で起きる経験そのものは、文字の外にある。
「人の善く示導して 波利弗多国へ行くが如し」。案内人は方向を示す。慧の方向を示す。四諦の処を示す。しかし慧そのものは、修行者が自分で起こす。「能く除く」の働きは、修行者の中で起きる。
そして第十巻が始まる。
四諦智への収束は、四諦の本格的展開への予兆である。慧の処として置かれた四諦が、次の巻で内容として展開される可能性が高い。
修行者は、業処カタログを手元に持ち、神通と慧の関係を理解し、慧の方向に向かう準備を整えた状態で、次の巻を迎える。
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第九巻のすべてのバッチ
シンプル版:
- SPEC-GOTSUU-V9-01:五通品の開口・三種の変・七種の変
- SPEC-GOTSUU-V9-02:四如意足・身通の修法・飛行の段階的習得
- SPEC-GOTSUU-V9-03:受持変の完備・作変・意所作変・散句
- SPEC-GOTSUU-V9-04:天耳通・他心智通
- SPEC-GOTSUU-V9-05:宿命通──識の流転を憶う
- SPEC-GOTSUU-V9-06:天眼通・散句・五通品の閉じ
- SPEC-BETSUE-V9-07:分別慧品の開口・慧の定義・功徳の偈
- SPEC-BETSUE-V9-08:慧の分類体系・四弁・四諦智・分別慧品の閉じ
物語版:
- Batch-V9-01:変の義──五通品の開口と身通の三種
- Batch-V9-02:身を軽くする──四如意足・身心の相互関係・飛行の段階的習得
- Batch-V9-03:受持変の完備──「此れ当に〜と成るべし」
- Batch-V9-04:声相と心の色──天耳通・他心智通
- Batch-V9-05:識の流転を憶う──宿命通
- Batch-V9-06:智を以て光明の色を見る──天眼通と五通品の閉じ
- Batch-V9-07:慧とは何か──分別慧品の開口・「能く除く」
- Batch-V9-08:慧の分類体系──二種・三種・四種・四諦智への収束
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