前回、「お釈迦さまが言ったか」は検証不能だと確認した。
では検証可能な問い——「パーリ語原典の論理と一致するか」——で照合するとどうなるか。
中論の最重要命題を照合する
中論第24章第18偈。中論全体の核心とされる一節だ。
縁起するもの、それを空性と呼ぶ。 それは仮設であり、それが中道である。
この4行をパーリ語原典と照合する。
照合結果
| 中論の語 | パーリ語原典 | 経典 |
|---|---|---|
| 縁起するもの | paṭicca-samuppāda の対象 = 有為法(五蘊) | SN 12.2 縁起分別経 |
| 空性(śūnyatā) | netaṁ mama・na meso attā の三人称展開 | MN 109 大満月経 |
| 仮設(prajñapti) | 識↔名色ループが生成する「私」という参照ラベル | DN 15 大縁経 |
| 中道(madhyamā pratipat) | 有辺・無辺の双方を離れた縁起の立場 | SN 12.15 迦旃延子経 |
結果の意味
4行が
パーリ語原典の4経典に
一対一で対応した。
中論が「新しい何か」を発明したのではない。
パーリ語原典の論理を
哲学的言語に翻訳した。
それが中論だ。
「パーリ語原典に存在しない」は事実ではない。存在している。言語が違うだけだ。
次回:それでもなぜ1800年間論争が続いたのか。


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