【Batch 13】行と行処

解脱道論 分別戒品第二 ── 物語版 Batch 13

前の物語 → 【Batch 12】身の非行と口の非行 次の物語 → 【Batch 14】邪命を犯さない 本体の仕様 → SPEC-SILA-06(シンプル版)


目次

1. 口の非行──法を説くことの危険

Batch 12で身の非行18項が列挙された。本バッチは口の非行から始まる。

云何が口の非行なる。若し比丘有りて、心に敬畏無く、宿望に諮らず輒ち自ら法を説く。或いは波羅提木叉を説く。

口の非行の第一は、「心に敬畏なく、宿望に諮らずして自ら法を説く」。法を説くこと自体は善である。波羅提木叉を説くことも善である。しかし、敬畏なく、先輩に諮ることなく自ら説くならば、それは非行になる。

善い行為の形をした非行がありうる。これは戒の分類で見た「有依の戒」(Batch 10)と同じ構造である。戒を持つこと自体は善だが、慢に依る戒は慧人の楽しむ所ではない。法を説くこと自体は善だが、敬畏なき説法は非行。形ではなく質が問われる。

或いは他の家に入りて女人に顧問す。何の姓字なる所ぞ。食す可き物有りや不や。有らば我に現せ、我食を得んと欲す。是の如き等の語を口の非行と爲す。

他家に入って女性に「お名前は? 食べ物はありますか? あるなら見せてください、食べたいのです」と言う。これは物乞いの作法を逸脱した発言であり、口の非行。

一切の犯戒、此れを非行と謂う。

この一文で、身の非行18項と口の非行6項がリストの全体ではないことが示される。あらゆる犯戒が非行に含まれる。リストは例示であって完結ではない。


2. 行とは何か──非行の反転

云何が行と爲す。非行に反するなり。

行の定義は一文で済む。非行に反すること。Batch 09で見た反転操作(34障害→34因)、Batch 10で見た退戒と得戒(光が影を断つ)と同型の論理。非を除けば正が現れる。

しかしウパティッサは反転だけで終わらない。具体的な正行を列挙する。

復た次に、比丘、恭敬慚愧有り。威儀を成就して乏少する所無し。諸根を攝護し、能く飮食を節す。初夜後夜、未だ甞て睡眠せず。智慧を成就し、少欲知足なり。世務に狎れず、勇猛心を起こし、同學の所に於いて深く敬重を生ず。此れを行と爲すと謂う。

恭敬、慚愧、威儀の成就、諸根の摂護、飲食の節制、初夜後夜の不眠、智慧の成就、少欲知足、世務に狎れず、勇猛心、同学の敬重。

この11項を見ると、Batch 09の34障害の反転がそのまま現れていることがわかる。不敬師学→恭敬。無慚無愧→慚愧。不摂諸根→諸根の摂護。於食不節→飲食の節制。懶惰→勇猛心。悪友→同学の敬重。

障害リスト(Batch 09)が因リストに反転し(Batch 09の34因)、さらに行の具体的リストとして再出現する(本バッチ)。同じ構造が三回、異なるレベルで繰り返される。


3. 非行処──行くべきでない場所

行處とは、謂く行處有り、非行處有り。

場所の区別に入る。非行処とは何か。

若し比丘有りて、婬舍・寡婦の舍・處女の舍・不男の舍・比丘尼の舍及び諸の酒肆に入る。國王・大臣・外道沙門・非法の伴侶に親近す。

淫舎、寡婦の家、処女の家、不男の家、比丘尼の家、酒場。国王・大臣、外道沙門、非法の伴侶。

是の如き等の輩、信樂の心無く、常に四衆に於いて饒益を生ぜず。甚だ厭患す可し。此れを非行處と謂う。

これらの場所に共通するのは「信楽の心なく、四衆に饒益を生ぜず」──信仰の喜びがなく、四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)の利益にならない。場所そのものが悪いのではなく、その場所に身を置くことが修行者としての質を損なう。

仏の言葉が引かれる。

比丘、非梵行の處を行ず。云何が非梵行の處を行ずるや。謂く女色を販賣す。處を行ずること知る可し。

「処を行ず」──場所に行くこと自体が非梵行になりうる。行為の前に場所がある。環境が行為を規定する。これはBatch 09の34障害の「狎俗」(#30)と「親近女人」(#31)の環境レベルの実装である。


4. 依行処──善友に依る

ウパティッサは三種の行処を展開する。その第一が依行処である。

云何が依行處なる。謂く十處の功徳、善友を成就す。

依行処とは善友に依ること。そしてその効果が列挙される。

此の功徳に依りて、未だ聞かざるは聞くことを得。若し已に聞かば、聞き已りて其をして增廣せしむ。疑悔を斷除し、正見清白にして、能く法に隨いて學び、深く信じ勇猛なり。戒・聞・施・慧を以て念念に增長す。此れを依行處と謂う。

未だ聞かざるを聞く。已に聞いたものを増広する。疑悔を断除する。正見を清白にする。法に随って学ぶ。深く信じて勇猛になる。戒・聞・施・慧が念念に増長する。

このリストは、第二巻 Batch 21〜25(覓善知識品)の全体を圧縮したものである。善知識を見つけ(Batch 22で七分の認証)、善知識のもとに行き(Batch 23で探索手順)、善知識に到着し(Batch 24で客比丘プロトコル)、善知識との関係を確立する(Batch 25で師弟セッション)──この五バッチの帰結が「戒・聞・施・慧の念念の増長」である。

分別戒品の一項目「依行処」が、覓善知識品の五バッチに膨らむ。ウパティッサの論書は、圧縮と展開を繰り返す構造を持つ。


5. 守護行処──地を看て前す

云何が守護行處なる。若し比丘有りて、他の舍に入り及び村里を行くに須いて、地を看て前し、尋仞を踰えず。威容整肅にして人の瞻敬する所なり。

守護行処は、歩くときの身体の制御仕様である。

地を看て歩く。一尋(約1.8メートル)を踰えず見ない。威容は整粛。

象馬車乘及び男女の遊會を看ず。宮第巷陌を看ず、仰觀四望せず。此れを守護行處と謂う。

象も馬も車も見ない。男女の集まりを見ない。建物も路地も見ない。上を仰いで四方を見回さない。

これはBatch 15(根威儀戒)の歩行版である。Batch 15では六根のすべての守護が述べられるが、ここでは歩行という特定の場面での眼根の守護が述べられている。座る前に歩く。歩くときにすでに根を守る。


6. 繋縛行処──其の家の境界を観ず

云何が繋縛行處なる。佛の所説の如し。若し比丘有りて其の家境界を觀ず。此れを繋縛行處と謂う。

三種の行処の最後は、仏の直接の言葉として引かれる。「其の家の境界を観ず」。

「家」は自分の身体のこと。「境界」は身体の限界、身体の範囲。身体の境界を常に観察すること──これは身念処(kāyānupassanā)である。

繋縛行処は、座って呼吸を観ることの前段階としての、歩いて身体を観ること。大安般守意経が「安般守意」(入息出息を守る)を起点とするのに対し、解脱道論は身体の境界の観察を、戒の「行処」として位置づける。座る行為そのものの前に、歩く行為の中にすでに念処がある。

是れを行と名づく。此の行處を以て成就するが故に、具足行處と曰う。

三種の行処(依・守護・繋縛)がすべて成就して「具足行処」。善友に依り(依行処)、五感を守って歩き(守護行処)、身体の境界を観ず(繋縛行処)。この三つが揃って初めて、行処が具足する。


7. 細罪に畏る、正しく学ぶべきを受学す

細罪に於いて畏るとは、我、學ぶ所に於いて畢んぬるが故に、敢えて造るを細罪に畏ると謂う。

細罪──小さな罪──に対しても畏れる。別説として、

若し不善心を起こす。是れを微過と謂う。此の微過に於いて心に避遠を生じ、過患を見て畏を見、出離を見る。此れを微過に於いて畏を見ると謂う。

不善心を起こすこと自体が微過である。行為に至らなくても、心が不善に動いた時点で微過。その微過に対して、避遠(遠ざかる)、過患(危険)、畏(恐れ)、出離(出口)の四つを見る。

正しく學ぶ可きを受學するとは、學ぶ可きを何と名づくる。謂く七聚の威儀、一切に隨逐して正受す。此れを正しく學ぶ可きを受學すと謂う。此れを波羅提木叉威儀戒と謂う。

七聚の威儀を一切に随って正受する。これで波羅提木叉威儀戒は完結する。

四種戒の第一(波羅提木叉威儀戒)がBatch 12〜13の二バッチで完了した。次のBatch 14から、四種戒の第二(命清浄戒)に入る。


座ることとの接続

本バッチの最も重要な構造は、三種の行処と座りの関係である。

依行処=善友に依る。座る人間にとって、善友は必須の環境条件。第二巻 Batch 21で「善知識は梵行の全体なり」と述べられたのは、この依行処の完全な展開である。

守護行処=歩行時の根の制御。座る前に歩く。歩くときにすでに根を守る。大安般守意経が座っているときの制御を記述するのに対し、ここでは座る前の制御が記述される。Kernel 4.x Vol.2(18のノイズ除去)の入力フィルタは、守護行処の座り版である。

繋縛行処=身念処。「其の家の境界を観ず」。歩いているときに身体を観ずる。これは座って呼吸を観ずる前の段階──大安般守意経 MODULE 2の「随」(呼吸に随う)の歩行版。Kernel 4.x Vol.3(信号サンプリング)の身体信号の取得。

波羅提木叉威儀戒は、座る人間の「環境設定」の仕様書である。どこに行き(行処)、どこに行かず(非行処)、何をし(行)、何をしないか(非行)。座る時間は一日の一部にすぎない。残りの時間の環境が、座る時間の質を規定する。


詳細な仕様は → SPEC-SILA-06(シンプル版)を参照


原文(書き下し)

云何が口の非行なる。若し比丘有りて、心に敬畏無く、宿望に諮らず輒ち自ら法を説く。或いは波羅提木叉を説く。或いは肩を拍ちて語る。或いは他の家に入りて女人に顧問す。何の姓字なる所ぞ。食す可き物有りや不や。有らば我に現せ、我食を得んと欲す。是の如き等の語を口の非行と爲す。一切の犯戒、此れを非行と謂う。

云何が行と爲す。非行に反するなり。復た次に、比丘、恭敬慚愧有り。威儀を成就して乏少する所無し。諸根を攝護し、能く飮食を節す。初夜後夜、未だ甞て睡眠せず。智慧を成就し、少欲知足なり。世務に狎れず、勇猛心を起こし、同學の所に於いて深く敬重を生ず。此れを行と爲すと謂う。

行處とは、謂く行處有り、非行處有り。云何が非行處なる。若し比丘有りて、婬舍・寡婦の舍・處女の舍・不男の舍・比丘尼の舍及び諸の酒肆に入る。國王・大臣・外道沙門・非法の伴侶に親近す。是の如き等の輩、信樂の心無く、常に四衆に於いて饒益を生ぜず。甚だ厭患す可し。此れを非行處と謂う。佛の所説の如し。比丘、非梵行の處を行ず。云何が非梵行の處を行ずるや。謂く女色を販賣す。處を行ずること知る可し。

復た次に、三種の行處有り。依行處・守護行處・繋縛行處なり。云何が依行處なる。謂く十處の功徳、善友を成就す。此の功徳に依りて、未だ聞かざるは聞くことを得。若し已に聞かば、聞き已りて其をして增廣せしむ。疑悔を斷除し、正見清白にして、能く法に隨いて學び、深く信じ勇猛なり。戒・聞・施・慧を以て念念に增長す。此れを依行處と謂う。

云何が守護行處なる。若し比丘有りて、他の舍に入り及び村里を行くに須いて、地を看て前し、尋仞を踰えず。威容整肅にして人の瞻敬する所なり。象馬車乘及び男女の遊會を看ず。宮第巷陌を看ず、仰觀四望せず。此れを守護行處と謂う。

云何が繋縛行處なる。佛の所説の如し。若し比丘有りて其の家境界を觀ず。此れを繋縛行處と謂う。是れを行と名づく。此の行處を以て成就するが故に、具足行處と曰う。

細罪に於いて畏るとは、我、學ぶ所に於いて畢んぬるが故に、敢えて造るを細罪に畏ると謂う。復た次に、説く有り。若し不善心を起こす。是れを微過と謂う。此の微過に於いて心に避遠を生じ、過患を見て畏を見、出離を見る。此れを微過に於いて畏を見ると謂う。

正しく學ぶ可きを受學するとは、學ぶ可きを何と名づくる。謂く七聚の威儀、一切に隨逐して正受す。此れを正しく學ぶ可きを受學すと謂う。此れを波羅提木叉威儀戒と謂う。


前の物語 → 【Batch 12】身の非行と口の非行 次の物語 → 【Batch 14】邪命を犯さない 本体の仕様 → SPEC-SILA-06(シンプル版)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次