解脱道論 分別戒品第二 ── 物語版 Batch 19
前の物語 → 【Batch 18】戒をして清浄ならしむ 次の物語 → 第二巻【Batch 01】なぜ、持ち物を減らすことから始まるのか 本体の仕様 → SPEC-SILA-12(シンプル版)
1. 戒清浄の相
分別戒品の最終バッチが始まる。ウパティッサは「何ぞ戒清浄の相なるとは」という問いで締めくくりに入る。
何ぞ戒清淨の相なるとは、相應を成じ、及び諸の煩惱起こらず、退悔せず、定を得て成滿す。戒清淨の相と謂う。
四つの相。相応を成ず。諸の煩悩起こらず。退悔せず。定を得て成満す。
最初の三つは戒の内側の記述である。相応が成立し、煩悩が起こらず、退悔がない。しかし第四の相「定を得て成満す」は、戒の範囲を越える。
ウパティッサは戒の完成の条件に、定の成立を置く。戒だけで戒が完成するのではない。戒は定に至って完成する。この一文で、分別戒品の全体構造が定への扉として位置づけられる。
2. 戒を住させる二つの行
幾ばくの行もて住するや。二戒を以て住す。一には犯戒の過患を稱量す。二には戒の功徳を稱量す。
戒を住させる行は二つ。犯戒の過患を称量すること。戒の功徳を称量すること。
称量とは、計り、量ること。過患と功徳を天秤にかけて、両方を正確に知る。
恐れだけでは戒は住しない──過患を知らなければ、戒を守る動機が曖昧になる。憧れだけでは戒は住しない──功徳を知らなければ、戒を守る方向が見えなくなる。両輪が必要。退避の動機と接近の動機。
3. 犯戒の過患──ウパティッサの鋭い列挙
ここからウパティッサは、犯戒の過患を長く、具体的に、容赦なく列挙する。
若し人戒を犯せば、非功徳を成じ、諸の惡處を成じ、四衆に於いて畏る。智人を疑難し、戒有る者棄避す。禪を教う可からず。天人の鄙穢する所、衆の憎薄する所なり。
犯戒者は非功徳を成じ、悪処に至る。四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)の中で恐れを抱く。智ある人に疑われ、戒ある者から避けられる。禅を教えてもらえない。天人に鄙しまれ、衆に憎まれる。
「禅を教う可からず」──これは特に重い。座ることを教わる資格がない。Batch 18の「初めて禅法を受ける」が戒の観察を前提としていたのと対応する。戒が崩れれば、禅の入口そのものが閉じる。
所犯の戒を思い、人の持戒の功徳を讃歎するを聞いて、心悔いて信ぜず。四衆の中に於いて毎に忿諍を生ず。其の親友に於いて多く嫌怨を起こす。戒有る人に背き、惡き朋黨を成ず。復た殊勝の定法を得るに堪えず。
自分が犯した戒を思い、他人の戒の功徳を讃える声を聞いて、心は悔いて信じられなくなる。四衆の中で常に忿諍を生じ、親友との間に嫌怨を起こし、戒ある人に背いて悪い朋党をつくる。殊勝の定法を得る力がない。
犯戒の結果は社会的破壊と心理的破壊の両方を含む。人との関係が壊れ、自己の心も壊れる。
假令嚴飾すと雖も而も故に醜陋なり。屎尿の人の憎惡する所の如し。模範等の如く堪うる所有ること尠し。瘀泥等の如く、現と未來とに於いて饒益する所無し。
たとえ美しく着飾っても、故に醜陋である。屎尿にまみれた人のように憎まれる。模範になる力はほとんどない。腐った泥のように、現在にも未来にも益がない。
比喩が重くなる。屎尿。瘀泥(腐った泥)。身の美醜が道徳で決まるというウパティッサの認識。外面の装飾は内面の戒を隠さない。
常に憂悴を生ず。若し已に罪を作せば、追いて慚悔を生じ、心安隱ならず。盗の獄に在りて心聖を樂しまざるが如し。旃陀羅の王位を欲すること無きが如し。
常に憂い疲れる。罪を犯した後、追いかけるように慚愧が生じ、心は安穏でない。盗賊が獄中にあって聖を楽しめないように。旃陀羅(最下層)が王位を望まないように。
罪を作った後の心の状態。慚愧は懺悔の時には善なる働きだが、ここでは「追いて」生じる──罪に遅れて生じ、心を追い詰める。
其れ聞慧有りて功徳を説くを樂しむも、人貴敬せず。糞火の猶お如し。生まれて處に如かず、死の時惛忘し、神惡道に行く。此の如き等の過、是れ稱量す可し。
学識があって功徳を説きたくても、人は尊敬しない。糞の上の火のように。生まれても処を得ず、死ぬときは意識が混乱し、神は悪道に行く。
生存している間の無力さと、死後の帰結まで。犯戒の過患は現在から死後まで貫く。
4. 過患の称量──二つの反応
若し此の惡を變じて戒の功徳を成ぜば、亦た稱量す可し。是の如く稱量す。其の犯戒の者は、心意粗屈し、情悉く退散す。其れ戒有る者は、唯だ深く精進し、倍ますます信敬を生ず。
この悪を戒の功徳に変じて、同じように称量する。すると、同じ称量が二つの反応を引き起こす。
犯戒の者にとって、過患の称量は退避の力として働く。心意は粗屈し、情はすべて退散する。 戒ある者にとって、過患の称量は接近の力として働く。深く精進し、信敬が倍々に生じる。
同じ認識が、戒の状態によって逆方向に作用する。過患を見れば恐れて戒に戻る──犯戒者の場合。過患を見れば確信して戒を深める──戒ある者の場合。
どちらの場合も、戒の方向への力が生じる。過患の称量は、常に戒を住させる。
5. 蟻の卵を守るが如く──七つの比喩
ここでウパティッサは、分別戒品の最後の大きな比喩群を展開する。
精進の人を成ず。信敬の人を成ず。一心に戒を護ること、蟻の卵を守るが如く、犛牛の尾を愛するが如く、一子を護るが如く、一眼を護るが如く、巫師の身を護るが如く、貧人の寶を護るが如く、海師の舶を護るが如し。
七つの比喩。
蟻の卵を守るが如し。 蟻の卵は極めて小さい。少しでも雑に扱えば壊れる。細心の注意で、指先で触れるように守る。
犛牛の尾を愛するが如し。 犛牛(ヤク)は尾を抜かれれば死ぬと信じるという古代の言い伝え。尾を守ることが命を守ること。命懸けの守護。
一子を護るが如し。 唯一の子。代わりがない。すべてを賭けて守る。
一眼を護るが如し。 残された一つの眼。失えば闇。絶対に守らねばならない最後のもの。
巫師の身を護るが如し。 呪術師が自分の身を呪いから守るように。自分自身を守る術を知る者の守護。
貧人の宝を護るが如し。 持たない者が、唯一持つものを守るように。それしかないがゆえに、それがすべて。
海師の舶を護るが如し。 海の船乗りが船を守る。船が沈めば命も尽きる。船と自分は一体。
七つの比喩は異なる角度から、戒の守護の質を描く。極小性(蟻の卵)、命懸(犛牛の尾・海師の舶)、唯一性(一子・一眼・貧人の宝)、自己防衛(巫師の身)。
此の諸の護の中に、我が所修の戒、最も應に敬護すべし。
これらすべての護の中で、戒の護が最重要である。
七つの比喩のいずれも、失えば決定的な喪失をもたらすもの。Batch 08で述べた「頭の義」──戒は頭。頭がなければ仏法において死──と、本バッチの七つの比喩は、分別戒品の始まりと終わりで同じ命題を語る。
6. 第一巻の閉じ
是の如く受持し、心擁衞せられ、安んじて禪定に住すれば、戒守護を得。
このように受持し、心が擁護され、安んじて禅定に住すれば、戒守護を得る。
この一文で第一巻が閉じる。
順序に注意。「受持→心擁衛→禅定に住す→戒守護を得」。戒守護は禅定の後に得られる。戒を受持し心が守られても、それだけでは戒守護は完成しない。禅定に住して初めて、戒守護が得られる。
これは戒→定の一方向の流れではない。定→戒の逆向きの支えを含む構造である。戒は定の前提だが、定は戒を完成させる。両者は相互に支え合う。
解脱道論巻第一(終)
第一巻が閉じる。
7. 第一巻の全体の弧
因縁品(Batch 01〜07)で、解脱道論は三学の枠組みを宣言した。戒・定・慧の三陰。戒陰・定陰・慧陰の三清浄。戒を初善、定を中善、慧を後善とする三善道。二辺を遠離して中道具足を得る。
分別戒品(Batch 08〜19)で、戒の全仕様が展開された。
Batch 08で15の問いが立ち、戒の定義・相・味・起・足処・功徳・頭冷安の義が示された。 Batch 09で34の障害と34の因、受戒-不越-歓喜の初中後が示された。 Batch 10〜11で22の分類軸が展開された。戒は22の角度から切り分けられた。 Batch 12〜17で四種戒(波羅提木叉・命・根・縁修)の実装仕様が全展開された。 Batch 18で戒清浄のプロトコルが示された。 そして本バッチで、戒清浄の相と戒守護の完成、第一巻の閉じに至った。
分別戒品の全弧は、「戒は頭である」(Batch 08)から「戒を蟻の卵を守るが如く守護せよ」(Batch 19)までの一つの連続した命題──戒は失ってはならない、決定的に重要なものである──の展開であった。
座ることとの接続──第二巻への橋
第一巻はここで閉じる。次は第二巻。
第二巻 Batch 01は「なぜ、持ち物を減らすことから始まるのか」で始まる。頭陀品。戒守護を得た者が次に何をするか──持ち物を減らし、身体の条件を整える。
第二巻 Batch 13(分別定品の開始)は、頭陀によって整えられた身体で、定を受ける。戒→頭陀→定の流れが、第一巻の閉じ(戒守護を得)によって正式に発射される。
「禅定に住すれば戒守護を得」──この一文は、第一巻と第二巻をつなぐ蝶番である。戒守護は禅定を前提とし、禅定は戒守護を前提とする。循環。第一巻の末尾が、第二巻の冒頭を呼び込む。
大安般守意経の全体は、座って安般を守ることの仕様である。第一巻の分別戒品は、その座る行為の前提条件を全面的に展開した。どこで座るか(非行処に行かない)、何を観ずるか(戒の相と非威儀の三種)、どう食べて座るか(四事の観)、どう根を守って座るか(根威儀戒)──これらがすべて揃って、初めて座ることの仕様が完結する。
Kernel 4.x Vol.0(シリーズインデックス)から Vol.1(障害検知と出離プロトコル)への遷移は、本バッチの「戒守護を得」から第二巻 Batch 01「持ち物を減らす」への遷移と同型である。インデックスの宣言から、本編の実行への移行。
詳細な仕様は → SPEC-SILA-12(シンプル版)を参照
原文(書き下し)
何ぞ戒清淨の相なるとは、相應を成じ、及び諸の煩惱起こらず、退悔せず、定を得て成滿す。戒清淨の相と謂う。
幾ばくの行もて住するや。二戒を以て住す。一には犯戒の過患を稱量す。二には戒の功徳を稱量す。
何等をか過患を稱量すと爲す。若し人戒を犯せば、非功徳を成じ、諸の惡處を成じ、四衆に於いて畏る。智人を疑難し、戒有る者棄避す。禪を教う可からず。天人の鄙穢する所、衆の憎薄する所なり。所犯の戒を思い、人の持戒の功徳を讃歎するを聞いて、心悔いて信ぜず。四衆の中に於いて毎に忿諍を生ず。其の親友に於いて多く嫌怨を起こす。戒有る人に背き、惡き朋黨を成ず。復た殊勝の定法を得るに堪えず。假令嚴飾すと雖も而も故に醜陋なり。屎尿の人の憎惡する所の如し。模範等の如く堪うる所有ること尠し。瘀泥等の如く、現と未來とに於いて饒益する所無し。常に憂悴を生ず。若し已に罪を作せば、追いて慚悔を生じ、心安隱ならず。盗の獄に在りて心聖を樂しまざるが如し。旃陀羅の王位を欲すること無きが如し。其れ聞慧有りて功徳を説くを樂しむも、人貴敬せず。糞火の猶お如し。生まれて處に如かず、死の時惛忘し、神惡道に行く。此の如き等の過、是れ稱量す可し。
若し此の惡を變じて戒の功徳を成ぜば、亦た稱量す可し。是の如く稱量す。其の犯戒の者は、心意粗屈し、情悉く退散す。其れ戒有る者は、唯だ深く精進し、倍ますます信敬を生ず。精進の人を成ず。信敬の人を成ず。一心に戒を護ること、蟻の卵を守るが如く、犛牛の尾を愛するが如く、一子を護るが如く、一眼を護るが如く、巫師の身を護るが如く、貧人の寶を護るが如く、海師の舶を護るが如し。此の諸の護の中に、我が所修の戒、最も應に敬護すべし。是の如く受持し、心擁衞せられ、安んじて禪定に住すれば、戒守護を得。
解脱道論巻第一(終)
前の物語 → 【Batch 18】戒をして清浄ならしむ 次の物語 → 第二巻【Batch 01】なぜ、持ち物を減らすことから始まるのか 本体の仕様 → SPEC-SILA-12(シンプル版)

コメント