解脱道論 第二巻|分別定品第四 Kernel Source: /vimuttimagga/vol2/samadhi/ch04_classify_2x3.suttra 2026.04.10
定は一つではない
Batch 13で定が定義され、Batch 14で受容主体が示され、Batch 15で功徳・障害・因・資源が整理された。ここからウパティッサは定の分類に入る。
分別定品の「分別」はここから本格的に始まる。定を分ける。何によって分けるか。六つの軸によって分ける。
第一の軸──この定は解脱に至るか
「定に二種有り。一には世間定、二には出世間定なり。」
最初の分類。世間定と出世間定。
出世間定は「聖果の所得」。聖なる果を得た者の定。これだけだ。それ以外の全ての定は世間定。
そして原典は世間定に十の属性を貼る。
「有漏・有結・有縛なり。是れ流、是れ厄、是れ蓋、是れ戒盗・見盗なり。是れ取、是れ煩悩なり。」
漏がある。結ばれている。縛られている。流されている。災厄である。覆い隠している。戒を盗み、見を盗む。取っている。煩悩である。
十の属性。全て否定的だ。
ここで立ち止まってほしい。世間定は定である。心は集中している。心は安定している。Batch 13の定義──清浄の心、一向の精進、正真の住──を満たしているかもしれない。殿裏の灯は動いていないかもしれない。
しかしそれでも、世間定である限り、十の属性が全て付随する。有漏。有結。有縛。集中していて、安定していて、それでも漏れがあり、縛られており、煩悩の中にいる。
定を得たことで安心してはいけない。定の深さと、定の質は別の問題だ。深くても世間定は世間定。十の属性は消えない。
第二の軸──この定は善か
「邪定・正定なり。不善の一心、是れを邪定と謂う。若し善の一心、是れを正定と謂う。」
邪定と正定。
一心──心が一つに集中する状態。その一心が不善なら邪定。善なら正定。
「邪定は当に断つべし。正定は応に修すべし。」
邪定は断て。正定は修せ。
ここにウパティッサの最も鋭い指摘がある。集中することそのものは善でも悪でもない。Batch 10で「頭陀は善・不善・無記と説くべからず」と書かれていたのと同じ構造だ。集中の深さに関係なく、方向が不善ならそれは邪定であり、断つべきだ。
現代に引き寄せれば、瞑想で深い集中を得ても、その集中が自己顕示のため、他者の支配のため、快楽の追求のためであれば、それは邪定だ。集中力が高いことと正しいことは同義ではない。
第三の軸──この定は表層か深層か
「外定・安定なり。彼彼の定の初分、此れを外定と謂う。性除の無間、此れを安定と謂う。」
外定と安定。
外定は定の初分。入り口。表面。座り始めて心が落ち着き始めた段階。定の外側にいる。
安定は性除の無間。性除とは煩悩の根本的除去。無間とは途切れないこと。煩悩が根本から除かれ続ける、途切れのない深い状態。
大安般守意経のMODULE 5に止の四フェーズがある。数止→相随止→鼻頭止→息心止。数止は外定に相当する。カウントのリズムで安定し始めた段階。息心止は安定に相当する。五陰へのアクセスが完全に遮断された静寂。
同じ「定」という言葉で呼ばれるが、外定と安定の間には深い溝がある。外定に留まっている限り、煩悩は根本的には除かれていない。安定に至って初めて、性除の無間──煩悩が途切れなく除かれる状態──が始まる。
三つの二分類をまとめる
三つの軸は異なる問いを投げかけている。
第一軸。この定は解脱に至るか? 世間定か出世間定か。 第二軸。この定は善か? 邪定か正定か。 第三軸。この定は表層か深層か? 外定か安定か。
三つは排他的ではない。ある定が「世間定であり、正定であり、外定である」こともありうる。世間的な範囲内で善であり、しかしまだ表面にいる。あるいは「出世間定であり、正定であり、安定である」──聖果を得た善の定で、深層にいる。
座っている時、自分の定がこの三つの軸のどこにあるかを知ることが、分別だ。分別定品の「分別」とはこのことだ。定を得ることだけが目的ではない。得た定がどのような定であるかを分別すること。
第四の軸──思考が残っているか
「有覚有観定・無覚少観定・無覚無観定なり。」
覚(vitakka)と観(vicāra)。覚は対象に心を向ける最初の動き。粗い思考。観は対象に心を留めて検査する動き。微細な思考。
初禅では覚も観もある。心は対象に向かい、対象を検査している。思考が動いている。しかし定の中で動いている。
二禅では覚がなく、観が少しある。対象に向かう粗い動きは止まった。しかし微細な検査はまだ少し残っている。
三禅以上では覚も観もない。思考の活動がゼロ。
これは段階的な沈静化だ。粗いものが先に消え、微細なものが後に消える。大安般守意経のMODULE 2で数(粗い操作)→随(追従)→止(固定)の順に外部I/Oが段階的に遮断されるのと同じ構造。粗いものから先に。
第五の軸──何を感じているか
「喜と共に生ずる定、楽と共に生ずる定、捨と共に生ずる定なり。」
喜。楽。捨。
初禅と二禅は喜と共にある。高揚的な満足。エネルギーが高く、波がある。
三禅は楽と共にある。安定した安楽。エネルギーが安定し、波がない。
四禅は捨と共にある。中性。偏りがない。エネルギーが中立で、反応しない。
喜→楽→捨。高揚が安定になり、安定が中立になる。
Kernel 4.xのVol.5で喜(Pīti)は「高電圧」、楽(Sukha)は「定常出力」と記述されている。高電圧は強いが不安定。定常出力は安定だが興奮がない。捨はそのどちらでもない中性。
Batch 15で「無喜楽」が障害に数えられていた。喜と楽がゼロの状態は障害だ。しかしここでは、喜から楽へ、楽から捨へと感受が変化していくことが定の深まりとして記述されている。喜がないことは障害だが、喜を超えて楽に至り、楽を超えて捨に至ることは深まりだ。喜がないのと喜を超えたのは全く違う。
第六の軸──誰がどう起こしたか
「善定・報定・事定なり。」
善定。聖道・学人・凡夫が色・無色の定を修す。意図的に修行して起こした定。
報定。聖果・学人・凡夫が色・無色界に生ず。過去の業の果報として自動的に生じた定。自分で起こしたのではない。生まれた場所が色界だから、定の中にいる。
事定。無学の人(阿羅漢)が色・無色の定を受く。修行が完了した者が、自在に定を使っている。
同じ定でも、自分で起こしたのか、業が起こしたのか、完成者が使っているのかで性格が全く違う。座って修行している者の定は善定だ。それは意図的な努力によって起きている。報定はその努力の結果として来世に自動的に生じるもの。事定は全ての努力が完了した後の自在な使用。
座ることとの接続
六つの軸は、座っている人間に六つの問いを投げかける。
今の定は解脱に至るか。今の定は善か。今の定は表層か深層か。思考は残っているか。何を感じているか。自分で起こしているか。
この六つの問いに答えられる者は、自分の定を分別している。分別できれば、何をすべきかが分かる。世間定なら出世間定を目指す。邪定なら断つ。外定なら安定を目指す。覚観が残っていれば、それが消える段階を目指す。喜なら楽を、楽なら捨を目指す。
分別は地図だ。自分が今どこにいるかを知ること。地図なしに歩けば迷う。六つの軸は六次元の地図だ。
詳細な仕様は → [SPEC-SAMADHI-04(シンプル版)] を参照。
📜 原文(書き下し)
定に幾種有る。定に二種有り。一には世間定、二には出世間定なり。聖果の所得、謂わく出世定なり。余を世定と名づく。其の世間定、是れ有漏・有結・有縛なり。是れ流、是れ厄、是れ蓋、是れ戒盗・見盗なり。是れ取、是れ煩悩なり。此れを世間定と謂う。此れと相違するを出世定と名づく。
復た次に、定に二種有り。邪定・正定なり。不善の一心、是れを邪定と謂う。若し善の一心、是れを正定と謂う。邪定は当に断つべし。正定は応に修すべし。
復た次に、定に二種有り。外定・安定なり。彼彼の定の初分、此れを外定と謂う。性除の無間、此れを安定と謂う。
復た次に、定に三種有り。有覚有観定・無覚少観定・無覚無観定なり。初禅に有覚有観あり。二禅は無覚少観なり。余の禅は無覚無観なり。
復た次に、定に三種有り。謂わく喜と共に生ずる定、楽と共に生ずる定、捨と共に生ずる定なり。初禅・二禅、謂わく喜と共に生ず。三禅、謂わく楽と共に生ず。四禅、謂わく捨と共に生ず。
復た次に、定に三種有り。善定・報定・事定なり。聖道・学人及び凡夫、色・無色の定を修す。是れを善定と謂う。聖果・学人・凡夫、色・無色界に生ず。是れを報定と謂う。無学の人、色・無色の定を受く。是れを事定と謂う。
前の物語 → 【Batch 15】定を起動する四つの功徳と八つの障害 次の物語 → 【Batch 17】定の四分類と四禅の構造 本体の仕様 → SPEC-SAMADHI-04(シンプル版)

コメント