解脱道論 巻第六
阿羅漢優波底沙(あらかん・うぱていしゃ/梁に大光と言う)造る 梁の扶南(ふなん)の三蔵僧伽婆羅(そうぎゃばら)訳
行門品(ぎょうもんぼん)の七の三
【虚空一切入】 問う、云何(いか)なるか虚空一切入(こくういっさいにゅう)なる。何(いか)なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、虚空一切入に二種あり。虚空の離色(りしき)なるあり、虚空の不離色なるあり。虚空入処の相、所謂(いわゆる)離色の虚空なり。井穴(せいけつ)の虚空の相、これを不離色の虚空と謂う。彼(か)の修、この想において心住して乱れず。これを修と謂う。虚空想において意(こころ)を放つを相と為し、不離虚空想を味と為し、作意に二無きを処と為す。
何の功徳かとは、二の功徳を共にせず。虚空入において障礙(しょうげ)の処、礙(さまた)ぐるあたわざる所なり。もしは牆壁(しょうへき)・山等において、身行無礙にして自在無畏なり。 云何にしてかその相を取るとは、虚空入において虚空の相を取るに、もしは作処(さくしょ)、もしは自然処なり。旧(もと)より坐禅する人は、自然処において相を取り、能く処々に見る。あるいは孔穴において、あるいは欞窓(れんそう)の間、あるいは樹枝の間において、彼より常に見て、楽・不楽に随いて、即ち彼分の虚空相を見て即ち起る。新坐禅人のごときはあらず。新坐禅人は作処において相を取り、非作処においてすることあたわず。かの坐禅人、あるいは屋内に於いて、あるいは屋外の不障礙処において、円孔穴を作りて虚空想を作(な)す。三行を以て相を取り、等観を以て、方便を以て、離乱を以てす。虚空一切入において、四禅・五禅を生ず。余は初めの如く広く説くべし。 虚空一切入、已(すで)に竟(おわ)りぬ。
【識一切入】 問う、云何なるか識一切入なる。 答えて曰く、識処定(しきしょじょう)、これを識一切入と謂う。余は初めの如く広く説くべし。 識一切入、已に竟りぬ。
【散句】 問う、この一切入において、云何なるか散句(さんく)なる。 答う、もし一相において自在を得れば、一切の余相もその作意に随う。もし一処の一切入において、初禅にて自在を得れば、余の一切入に堪任(かんにん)し、能く第二禅を起す。かくの如く第二禅にて自在を得れば、能く第三禅を起し、第三禅にて自在を得れば、能く第四禅を起す。 問う、諸の一切入において云何なるか最勝なる。 答う、四色一切入、是を最勝と為す。解脱を成ずるが故に、除入(じょにゅう)を得るが故に。曰く、一切入は勝(すぐ)れたり、光明を作(な)すが故に心自在を得る。八一切入及び八定において、十六行に入ることを以て、安詳(あんじょう)として起る。所楽の処に随いて、その所楽の定、随意にして障り無し。次第して上り、次第して下り、次第して上下し、一一をして増長せしむ。あるいは倶(とも)に増長せしめ、あるいは中は少なくあるいは分は少なく、あるいは事は少なくあるいは分事は少なく、あるいは分は倶にしあるいは事は倶にし、あるいは分事は倶にす。 その所楽の処に随うとは、あるいは村において、あるいは阿蘭若(あらんにゃ)において、是れ斯(ここ)に所楽の処なり。三昧に入ること所楽の如くなるは、是れその所楽の禅なり。禅定に入ることその所楽の如く、時とは随意所楽の時なり。三昧に入り、あるいは多時、正受(しょうじゅ)に入る。 次第して上るとは、初禅より入定して次第して非非想処に乃(いた)る。 次第して下るとは、初め非非想定より入りて、次第して初禅に乃る。 次第して上下するとは、往還を越えて、初禅より第三禅に入り、第三禅より第二禅に入り、第二禅より第四禅に入り、かくの如く乃至非非想定に入る。 一一をして増長せしむとは、次第を以て第四禅に入り、あるいは上りあるいは下る。 倶に増長せしむとは、第四禅に入り、此(ここ)より虚空に入りて第三禅に入る、かくの如く二種に入定す。 中は少(すくな)しとは、已(すで)に初禅に入り、此より非非想処に入り、此より第二禅に入り、此より無所有処に入る。かくの如く現に正受に入り、能く虚空処を弁ず。 分は少しとは、一禅において八一切入に入定す。 事は少しとは、三一切入において八定分に入る。 事は少しとは、所謂二定及び一切入なり。 分は倶なりとは、三一切入において二二禅に入る。 事は倶なりとは、二二一切入において二禅に入る。 分事は倶なりとは、是れ此の二句なり。 散句、已に竟りぬ。
【十不浄・増長相(膖脹)】 問う、云何なるか増長相(ぞうちょうそう)なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、増長相とは、一切処に満つ。猶(な)お排嚢(はいのう)の中に臭穢(しゅうわい)の死屍の満てるがごとし。これを膖脹(ぼうちょう)と謂う。膖脹の相において正智を以て知る、これを膖脹想と謂う。彼(か)の修、この想において心住して乱れず、これを修と謂う。膖脹想において相に随い観ずるを相と為し、膖脹想を厭うを味と為し、臭穢不浄を作意するを処と為す。 何の功徳かとは、膖脹想に九の功徳あり。内身に念を得、無常想を得、死相を得、多く厭患し、婬欲を伏し、色憍(しききょう)を断ち無病憍を断ち、善趣に向い醍醐(だいご)に向う。 云何にしてかその相を取るとは、新坐禅人は現に膖脹不浄の想を取るに、無二行(むにぎょう)を以て、念不動不愚痴を以て、諸根内入を以て、心外に出(い)ださざるを以て、彼の処に往く。是の処は不浄にして諸の死屍あり。彼の処に住して逆風を離れ、不浄の相に対して遠からず近からず、あるいは倚(よ)りあるいは坐す。彼の坐禅人、もしは倚りもしは坐して不浄処に近づく。もしは石、もしは土埵(どた)、あるいは樹、あるいは杌(くい)、あるいは藤、為に相を作(な)し事を作し思惟す。「此の石は不浄なり、此の不浄の相なり、此の石はかくの如し土埵等もまた然なり」と。已に為に相を作し已に事を作し、十行を以て膖脹不浄の相、その自性より修行して当に観ずべし。色を以て、男女の形を以て、方を以て、処を以て、分別を以て、節を以て、穴を以て、坑を以て、平地を以て、平等を以て、一切処において観ず。 色を以てとは、もしは黒ならば以て黒と観じ、もしは不黒不白ならば以て不黒不白と観じ、もしは白ならば以て白と観じ、もしは臭皮ならば以て臭皮と観ず。 形を以てとは、もしは女形、もしは男形、随いて観ずるにもしは少(わか)くもしは長(た)けもしは老いたるを随いて観ず。随いて観ずとは、もしは長ければ長きを以て、もしは短ければ短きを以て、もしは肥えたれば肥を以て、もしは小ならば小を以て、随いてこれを観ず。 方を以てとは、此の方において頭を擲(なげう)ち、此の方において手を擲ち、此の方において足を以てし、此の方において背を以てし、此の方において腹を以てし、此の方において我坐する所、此の方において不浄の相ありと。 かくの如く随いて観ずるに光明処を以てす。此の光明処においては是れ手を擲つ処なり、此の光明においては是れ足を擲つ処なり、此の光明においては是れ頭を擲つ処なり、此の光明においては是れ我坐する処なり、此の光明においては是れ不浄の相の処なり。 分別を以て観ずとは、頭より足に至り、下より頭に至るまで、髪・皮を辺と為し、是れ一の屎聚(しじゅ)なりと分別を以て観ず。 節を以て観ずとは、二手の六節において、二脚の六節において、寛節(かんせつ)・項節(こうせつ)、これを十四大節と謂う。 空穴を以てとは、謂く口あるいは開きあるいは閉じ、随いて眼あるいは開きあるいは閉じ、随いて手間・脚間の孔穴を観ず。 坑を以て平地を以てとは、不浄の相その処所に随い、あるいは空処、あるいは地上、是の処に随いて観ず。 復た次(つぎ)に、我は空処に在り不浄の相は地上にあり、あるいは不浄の相は下にあり我は地上にあり、随いて一切処を以て観ず。我より近遠を取らず、もしは二尋(じん)・三尋、随いて観ず。 彼の坐禅人、かくの如く一切を正しく随い観じて彼の相を見るに、「善哉善哉」と。かくの如く受持し、善を以て自ら安んず。彼の坐禅人、已に善く相を取り、已に善く受持し、已に善く自ら安んじ、一にして二無きの行、念不動を以て、心愚痴ならず、諸根内に入り、心外に出ださず。去来の道路、もしは行きもしは坐し、彼の不浄を観じて心常に受持す。 無二行とは何の義ぞ。身の寂寂を得んが為なり。念をして動ぜざらしむとは、愚痴ならざるを以て、諸根内に入り心外に出ださざるを以てす。去来の道路とは何の義ぞ。身の寂寂を得んが為なり。逆風を離るとは何の義ぞ。臭気を離れんが為なり。坐して遠近を取らざるとは何の義ぞ。もし遠きを取れば除相を成ぜず、もし近きを取ればその厭を成ぜず、その性を見ず。その性を見ざるを以て、彼(か)の相起らず。是の故に遠きを取らず近きを取らず。坐して遍く一切の相を観ずとは何の義ぞ。愚痴ならざるが為、不愚痴と名づく。もし坐禅人、寂寂処に入りて不浄の相を見ることその前にあるが如くせば、心に驚怖を起さん。是の故に坐禅人、もし死屍の起ちて逐(お)うとも起たず。心に思惟することかくの如く、已に知りて念じ正智に受持し、已に相を観じて遍ねくす。是れその遍相なりとかくの如く作意す。是を不愚痴と名づく。 問う、十種の行相を取るとは何の義ぞ。答う、心において縛せんが為なり。 去来の道路を観ずとは何の義ぞ。次第の法を起さんがあ為なり。次第の法と名づくは、もし坐禅人、寂寂処に入るに、時に心乱るることあらん。常には観ぜざるを以て不浄の相起らず。是の故に坐禅人、一切の心をおさめ、当に去来の道路を観ずべく、当に坐禅の処を観ずべく、当に遍相を観ずべく、当に十種の取相を観ずべし。彼の坐禅人、かくの如く数数(しばしば)現に観じ、復た更に相を起すこと、眼を以て見るが如くす。これを次第の法を起すと謂う。 初の坐禅人、此の死屍において珍宝の想を成し、かくの如く歓喜して心に受持し、心常に修行して諸蓋(しょがい)を滅すれば、禅分、成じ起る。彼の坐禅人、已に欲を離れ已に不善法を離れ、有覚有観にして、寂寂所成なり。喜楽ありて初禅定及び膖脹相に入る。 問う、何が故に不浄行を以て初禅を起し、余の禅を起さざるや。答う、此の行は未だ観を作(な)さざるが故に。此れ縛処を成ずるが故に。常に覚観に随い、覚観恒に現じてその相起きるを得。覚観を離れてはその心安きを得ず。是の故に初禅のみ起りて余禅は非なり。 復た説く、此の不浄の相、色形等、一ならざる行を以て思惟し、行を起さしめて思惟するは、是れ覚観の事なり。覚観を離れて思惟の行と為すに堪任(かんにん)することあたわず。是の故に唯だ初禅のみ起りて余禅は非なり。 復た説く、此の不浄の相は不可耐(ふかたい)の事なり。不耐の事においては心を挙(あ)ぐることあたわず。不浄処において心は喜楽に由るが故に、覚観の方便を除くも、覚観の方便力を以て、是の時修行すること臭屎の如し。是の故に唯だ初禅のみ起りて余禅は非なり。 問う、不耐の事において云何にしてか喜楽を起す。答う、不耐の事は因として喜楽を起すに非ず。復た次(つぎ)に、善く蓋熱を断ずるが故に、心を修めて自在なるを以ての故に、喜楽の行を起す。余は初めの如く広く説くべし。 膖脹相、已に竟りぬ。
【青淤相】 問う、云何なるか青淤(しょうお)の相なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、青淤とは、あるいは死して一宿、あるいは二三宿して、青淤の相を成ず。青く染まる所の如く、色は生に随う。これを青淤相と謂う。彼の青淤、是れ青相と謂う。正智を以て知る、これを青淤相と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。青相を受持するを相と為し、厭うを味と為し、作意して不耐なるを処と為す。膖脹相の功徳に等し。その相を修するは、初めの如く広く説くべし。 青淤相、已に竟りぬ。
【潰爛相】 問う、云何なるか潰爛(かいらん)相なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてか相を取る。 答う、潰爛とは、あるいは死して二三宿し、潰(つい)え爛(ただ)れて膿出(い)づ。猶(な)お灌酪(かんらく)の如し。身、潰爛を成ず。これを潰爛と謂う。潰爛相において正智を以て知る、是を潰爛相と謂い、心住して乱れず、これを修と謂う。潰爛を受持するを相と為し、厭うを味と為し、作意して不耐なるを処と為す。膖脹相の功徳に等し。相を取るは初めの如く広く説くが如く、潰爛相知るべし。 潰爛相、已に竟りぬ。
【斬斫離散相】 問う、云何なるか斬斫離散(ざんしゃくりさん)相なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、斬斫離散とは、あるいは刀剣を以て身体を斬斫し離散す。復た説く、擲(なげう)つ所の死屍なり。これを斬斫離散と謂う。斬斫離散において是れ正智もて知る、これを斬斫離散想と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。斬斫離散想を相と為し、厭うを味と為し、作意して不浄なるを処と為す。膖脹相の功徳に等し。 問う、云何にしてかその相を取る。答う、両耳二指において片片(へんぺん)の想を作(な)し、斬斫離散の想を作す。かくの如く相を取る。一二の上においてその空相を取り、余は初めの如く広く説くべし。 斬斫離散相、已に竟りぬ。
【食噉想】 問う、云何なるか食噉(じきたん)想なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、食噉とは、あるいは烏・鵲・鴟・梟・雕・鷲・猪・狗・狐・狼・虎・豹、死屍を食噉す。これを食噉と謂う。彼の食噉において、是の相を正智を以て知る、これを食噉想と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。食噉想を相と為し、厭うを味と為し、作意して不浄なるを処と為す。膖脹想の功徳に等し。余は初めの如く広く説くべし。 食噉相、已に竟りぬ。
【棄擲想】 問う、云何なるか棄擲(きてき)想なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、棄擲とは、処々の方において手足を散じ擲つ。これを棄擲と謂う。棄擲想において是れ正智もて知る、これを棄擲想と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。棄擲想を受持するを相と為し、厭うを味と為し、作意して不浄なるを処と為す。膖脹想の功徳等し。 云何にしてかその相を取るとは、一切の身分、聚(あつ)まりて一処に在り、諸の分節を安(お)くに、相離るること二寸、安(お)き已(おわ)りて棄擲想を作(な)し相を取る。余は初めの如く広く説くべし。 棄擲想、已に竟りぬ。
【殺戮棄擲想】 問う、云何なるか殺戮棄擲(せつりくきてき)想なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、殺され棄擲さるとは、あるいは刀杖を以て、あるいは弓箭を以て、処々において死屍を斬斫し殺戮す。これを殺戮棄擲と謂う。殺戮棄擲において、是の想を是れ正智もて知る、これを殺戮棄擲想と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。殺戮棄擲想を受持するを相と為し、厭うを味と為し、作意して不浄なるを処と為す。膖脹の功徳に等し。 云何にしてかその相を取るとは、初めの如く広く説くべし。 殺戮棄擲想、已に竟りぬ。
【血塗染想】 問う、云何なるか血塗染(けつぜんせん)想なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、血塗染とは、あるいは手足形分を斬截(ざんせつ)し、血出でて身を塗る。これを血塗染と謂う。血塗染相において、是れ正智もて知る、これを血塗染想と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。血塗染想を受持するを相と為し、厭うを味と為し、作意して不浄なるを処と為す。膖脹想の功徳に等し。 云何にしてかその相を取るとは、初めの如く広く説くべし。 血塗染相、已に竟りぬ。
【虫臭想】 問う、云何なるか虫臭(ちゅうしゅう)想なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、虫臭とは、諸虫生じてその身に満つ。猶(な)お白珠の純(もっぱ)ら是れ虫聚(ちゅうじゅ)なるが如し。これを虫臭と謂う。虫臭想において正智を以て知る、これを虫臭想と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。虫臭想を受持するを相と為し、厭うを味と為し、作意して不浄なるを処と為す。膖脹想の功徳に等し。 云何にしてかその相を取るとは、初めの如く広く説くべし。 虫臭想、已に竟りぬ。
【骨想】 問う、云何なるか骨想なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。 答う、骨とは、謂く鉤鎖(こうさ)相連なり、あるいは肉血筋脈に縛せられ、あるいは血肉無くして但(た)だ筋纏(きんてん)あるのみ、あるいは肉血無し。これを骨と謂う。此の骨想において正智を以て知る、これを骨想と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。骨想を受持するを相と為し、厭うを味と為し、作意して不浄なるを処と為す。膖脹想の功徳に等し。 云何にしてかその相を取るとは、初めの如く広く説くべし。 骨想、已に竟りぬ。
【不浄散句】 問う、不浄処において云何なるか散句(さんく)なる。 答う、初の坐禅人、重き煩悩あり。不種類において当に相を取るべからず。不種類とは男女の身の如し。もし不浄業の人ならば、不浄の相、作意すべからず。何が故ぞ。常に事を観ずるが故に厭を成ぜず。畜生の身において浄想を起さず。一骨を以て相を起し起すに、骨を取ることにおいて自在なるも、また復たかくの如し。 もし不浄の相、色を以て起らば、一切入に由りて当に観ずべし。もし空を以て起らば、界を以て当に観ずべしとは、不浄を以て起らば、不浄を以て当に観ずべし。 問う、何が故に十不浄は多からず少なからざるや。答う、身失(しんしつ)に十種あるが故に。復た十人に由るが故に十想を成ず。欲人は当に膖脹想を修すべし。色愛欲の人は当に青淤想を修すべし。如浄欲(にょじょうよく)の人は当に壊爛想を修すべし。余もまた知るべし。 復た次(つぎ)に、不浄の相は得べからざるが故に。一切不浄想は欲を対治するが故に。もし欲行の人は是れその所得なり。彼は当に相を取るべし。是の故に一切の不浄を説いて、十種の不浄想と為す。 問う、何が故に増長せしめざる。答う、もし人、欲を厭うを楽(ねが)わば、自性の身想を起さしむ。何が故ぞ。もし自性の身想あらば、想において速やかに厭を得。彼分の故に。已に不浄想を増長せしめば、是れその身相除(のぞ)くを得。已に自身の想を除けば、速やかに厭を得ず。是の故に当に増長せしむべからず。 又た説く、もし無欲を得んとし、大心を修むるが為には、増長せしむるを成ず。阿毘曇(あびどん)に説くが如く、処・離欲等の初禅正受は膖脹に住す。及び無量の事を起す。大徳摨狗父(だいたくなつくふ)の偈を説くが如し。 比丘は仏家の財なり 怖畏(ふい)の林処において 既に已に骨想を修し 普(あまね)く此の地に満たしむ 我、彼の比丘を知る 速やかに当に欲染を断ずべし 十不浄、已に竟りぬ。
【念仏】 問う、云何なるか念仏なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてか修行する。 答う、仏とは、世尊にして自然(じねん)無師なり。未だ聞かざる法において正覚正諦(しょうがくしょうたい)し、能く一切を知り力自在を得る。これを仏と為(な)すと謂う。仏世尊の正遍知(しょうへんち)、道、菩提の功徳を念ず。念、随念、念持、念不忘、念根、念力、正念なり。これを念仏と謂う。心住して乱れず、これを修と謂う。仏の功徳を起さしむるを相と為し、恭敬を味と為し、信を増長するを処と為す。 もし念仏を修行せば、十八の功徳を得るを成ず。信増長し、念増長し、慧増長し、恭敬増長し、功徳増長す。多く歓喜して苦行に堪任し、怖畏を離る。悪法を受くるにおいて、慚愧を生ずるを得。常に師と共に住し、心は仏地の行を願い、善趣に向い、最後は醍醐なり。修多羅涅底里句(しゅたらねっていりく)に説くがごとし。もし人、仏を念ぜんと欲せば、その恭敬すべきこと仏像の処の如くすべし。 云何にしてか修行するとは、新坐禅人、寂寂処に往き、心を摂して乱さず。不乱の心を以て、如来・世尊・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊を念ず。 ここに彼とは、一切の功徳の彼岸に到る。 世尊とは、世の称誉を得るが故に名づけて世尊とす。復た妙法を得るが故に名づけて世尊とす。復た供養を得るが故に名づけて世尊とす。福の具足を得るが故に名づけて世尊とす。道法の主なるが故に名づけて世尊とす。是の因を以ての故に名づけて世尊を得(う)。彼の因を以ての故に供養を受く、名づけて阿羅漢とす。 煩悩の怨(あだ)を殺す、名づけて阿羅漢とす。 生死の輪輻(りんぷく)を折る、名づけて阿羅漢とす。 正遍知とは、一切行を以て正しく一切の諸法を知る、名づけて正遍覚とす。復た無明を殺す、名づけて正遍覚とす。独り無上の菩提を覚るを以て、名づけて正遍覚とす。 明行足とは、明とは三明なり。宿命智明、衆生生死智明、漏尽智明なり。世尊、宿命智明を以て、過去の無明を断殺す。衆生生死智明を以て、未来の無明を断殺す。漏尽智明を以て、現在の無明を断殺す。已に過去の無明を断殺せるが故に、一切行を以て一切の過去法、世尊、念に応(かな)いて即ち現ず。已に未来の無明を断殺せるが故に、一切行を以て一切の未来法、世尊、念に応いて即ち現ず。已に現在の無明を断殺せるが故に、一切行を以て一切の現在法、世尊、念に応いて即ち現ず。行とは、戒・定、足(そな)わり具(そな)わる。戒とは、謂く一切の善法の処なり、故に明行と言う。足とは、謂く一切の神通の処なるが故に、明行足と名づく。具とは、謂く一切の定なり。 ここに世尊、一切智を以て、三明を以て、行を以て、大慈悲を得。世間の饒益(にょうやく)を作(な)すを以て、明、自在を得。処を知るを以ての故に、論道を起すを以て、能く勝つ人無し。諸の煩悩を滅し、清浄の正行を以て、明具足を以て世間の眼と成る。饒益・不饒益を現ずるが故に、行具足を以て世間の依と成る。怖畏を救うを作(な)す。明解脱を以て、第一義において已に通達を得。行を以て済渡(さいど)を成じ、世間の義を作(な)す。一切の事において自然にして師無く、行く所平等にして無上の寂寂を得。明行足を以て世尊成就す。これを明行具足と謂う。 善逝(ぜんぜい)とは、善き路に到るが故に、名づけて善逝と曰う。復た更に來(きた)り到らず。醍醐界、無為涅槃において、故に名づけて善逝とす。復た法を説くに顚倒せざる、故に名づけて善逝とす。復た法を説くに僻(へき)せざる、故に名づけて善逝とす。復た法を説くに過患(かかん)無き、故に名づけて善逝とす。復た法を説くに多からず少なからざる、故に名づけて善逝とす。 世間解(せけんげ)とは、世間に二種あり。謂く衆生世間、行世間なり。世尊、一切行を以て、衆生世間を知る。衆生の種々の欲楽を知るを以て、根の差別を以て、宿命を以て、天眼を以て、去来よりするを以て、和合を以て、成就を以て、種々の化すべきを以て、種々の堪・不堪を以て、種々の生を以て、種々の趣を以て、種々の地を以て、種々の業を以て、種々の煩悩を以て、種々の果報を以て、種々の善悪を以て、種々の縛解(ばくげ)を以て、かくの如き等の行を以て、世尊、悉く衆生世間を知る。復た行世間を説くとは、世尊、また一切業を以て知り、また諸行を知る。定相を以て、その自相の因縁に随うこと、善・不善・無記なり。種々の陰(おん)を以て、種々の界を以て、種々の入を以て、智もて明了す。無常・苦・無我を以て、生・不生を以て、かくの如き等の行にて、世尊、悉く世間の諸行を知る。これを世間解と謂う。 無上とは、世に上(かみ)あること無し、これを無上と謂う。復た次(つぎ)に、人として等しき者無く、復た次に最勝無比にして、余は過ぐることあたわず、故に無上と名づく。 調御丈夫(じょうごじょうぶ)とは、三種の人あり。あるいは法を聞きて即ち悟り、あるいは因縁を説き、あるいは宿命を説く。世尊、八解脱道を御して、衆生を調伏するが故に、調御丈夫と名づく。 天人師とは、世尊、能く天人を度し、生老死怖畏の園林よりする、故に天人師と名づく。復た教誡して道を見、思惟せしむ、名づけて天人師とす。 かくの如く此の門を以て此の行を以て、当に如来を念ずべし。復た次(つぎ)に本師の説くが如く、四種の行を以て世尊を修念す。本昔の因縁、自身を起すを以て、勝法を得るを以て、世間の饒益を作(な)すを以てなり。 初の願う所より、乃至最後、此の中間に生るること、久遠の時、二十阿僧祇劫、一百千億なり。凡夫の根・念根の所を観じ、初めに世間を慈哀す。我已に脱を得たり、当に彼をして脱せしむべし。我已に調(ととの)うを得たり、当に彼をして調わしむべし。我已に安きを得たり、当に彼をして安んぜしむべし。我已に涅槃に入りたり、当に彼をして涅槃に入ることを得しむべし。施・戒・出・忍・諦・受持・慈・捨・精進・智慧、皆満足せしむ。 菩提を得んが為に、世尊菩薩たりし時、本生の因縁を説くに、兎子の身と作り、常に布施を行ず。当に念ずべし、生を護るべき戒、摩瞿頻陀(まくひんだ)の生を。当に念ずべし、出離の生、忍辱の生を。当に念ずべし、忍普明の生を。当に念ずべし、実語を、当に噁蹇(あけん)の生を念ずべし。当に受持を念じ、当に帝釈の慈悲を念ずべし。当に毛竪(もうじゅ)の捨を念ずべし。当に商主の正真を念ずべし。当に麋(び)の生を念ずべし。当に長寿の生を念ずべし。父の語を逐(お)う。当に念ずべし、六牙白象の仙人を恭敬せしを。当に念ずべし、白馬の生、羅刹国に往きて諸の衆生を渡せしを。当に念ずべし、鹿の生、彼の寿命を護りて自らの寿命を捨てしを。当に念ずべし、猴(さる)の生、所属の大苦を解脱することを得しむ。復た次(つぎ)に当に念ずべし、猴の生、人の坑に落ちたるを見て、慈心を以て抜出し、樹根菓を設けて以て供養を為せしに、彼の人肉を楽しみて以て我が頭を破るも、慈悲を以て法を説きその善道を語りき。かくの如く衆願の門を以て、当に世尊の本生の功徳を念ずべし。 云何なるか当に世尊の自ら身を抜く功徳を念ずべき。世尊、かくの如き等の本生具足あり。年少の時と為(な)りて一切の居止の著を断ち、児婦父母親友の著を断ち、捨て難きを捨てるを以て、独り空閑無所有処に住し、無為泥洹(ないおん)の寂滅を求めんと欲し、摩伽陀(まかだ)国において尼連禅河(にれんぜんが)を渡り、菩提樹に坐し、魔王及び諸の鬼兵を降伏し、初夜の時において自ら宿命を憶(おも)い、中夜の分において修して天眼を得、後夜の中において苦を知り集を断ち、醍醐界を証することを得、八正道を修行し、分ちて漏尽を証と作(な)し、菩提の覚を得たり。世間より自身を抜出し、第一清浄漏尽の地に住す。かくの如く衆行の門を以て、当に世尊の自ら身を抜く功徳を念ずべし。 云何なるか当に世尊の勝法を得る功徳を念ずべき。かくの如く世尊、解脱・心解脱あり。如来の十力を以て、十四仏智慧を以て、十八仏法を以て、已に不一の禅法と成就して自在の彼岸に到る。 当に念ずべし、云何にしてか世尊、十力を成就せる。如来は是処・非処を知る、実の如くして知る。如来は過去・未来・現在の善業因縁、戒を以て因を以て、もしは果報等を、実の如くして知る。如来は一切処に至るを知り、具足して実の如くして知る。如来は一戒ならざる種々の戒を知り、世間を実の如くして知る。如来は衆生の種々の欲楽を知り、実の如くして知る。如来は衆生の種々の諸根を知り、実の如くして知る。如来は禅・解脱・定・正受、煩悩あること煩悩無きことを知り、実の如くして知る。如来は宿命を知り実の如くして知る。如来は衆生の生死を知り、実の如くして知る。如来は漏尽を知り、実の如くして知る。此の十力を以て世尊成就す。 云何にしてか世尊、十四仏智慧を成就せる。謂く苦智、集智、滅智、道智、義弁智、法弁智、辞弁智、楽説弁智、諸根智、衆生欲楽煩悩使智、双変智、大慈悲定智、一切智、不障礙智なり。此の十四智を以て、世尊成就す。 云何にしてか世尊、十八法を成就せる。過去仏智において障礙せず、未来仏智において障礙せず、現在仏智において障礙せず。仏智に随いて遍く身業を起し、仏智に随いて遍く口業を起し、仏智に随いて遍く意業を起す。此の六法を以て世尊成就す。欲退くこと無く、精進退くこと無く、念退くこと無く、定退くこと無く、慧退くこと無く、解脱退くこと無し。此の十二法を以て、世尊成就す。疑うべき事無く、師を誣(し)うる事無く、分明ならざる無く、急事あること無く、隠覆(おんぷ)の処無く、観ぜずして捨つること無し。疑うべき事無しとは、威儀ありて狡獪(こうかい)を為すこと無きなり。師を誣うる事とは、急速の威儀無きなり。分明ならざる無しとは、知りて触れざる無きを以てなり。急事無しとは、威儀に急事を以てすること無きなり。隠覆無しとは、心行に非不憶智あること無きなり。観ぜずして捨つること無しとは、知らずして捨つることあること無きなり。此の十八仏法を以て、世尊成就す。 復た次(つぎ)に世尊、四無畏を以て、四念処を以て、四正勤を以て、四如意足を以て、五根を以て五力を以て、六神通を以て、七菩提分を以て、八聖道分を以て、八除入を以て、八解脱を以て、九次第定を以て、十聖居止を以て、十漏尽力を以て、余の不一の善法を以て、世尊成就し自在の彼岸に到る。 かくの如く此の門を以て此の行を以て、当に世尊の勝法を得る功徳を念ずべし。 云何なるか当に世尊の世間を饒益する功徳を作(な)すを念ずべき。世尊、一切行を成就し、一切功徳の彼岸に到り、衆生を慈悲するが為に法輪を転ず。世間の能く転ぜざる所なり。密護を以て内外無く、醍醐の門を開く。已に無量の天人を作(な)し、沙門果において無量の衆生、功徳の分を得、能く功徳をして具足せしむ。三種の変、身変・説変・教変を以て、世間をして信ぜしむ。已に邪見の諸相呪師を伏し、已に悪道を覆い、已に善趣を開き、已に天上に往きて解脱の果を得しむ。已に声聞を安んじて声聞の法に住せしめ、已に諸戒を制し、已に波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を説き、已に勝利養を得、仏の勝法を得、已に自在を得て世間に遍満す。一切衆生、恭敬尊重し、乃至天人も皆悉く聞き知りて、安住して動ぜず。慈悲世間・饒益世間の所作、世尊已に作(な)す。此の門此の行を以て、当に世尊の已に世間の饒益功徳を作せるを念ずべし。 彼の坐禅人、此の門此の行を以て、已に此の功徳もて現に如来を念ずれば、その心信を成ず。信自在なるを以て、念自在なるを以て、心常に乱れず。もし心乱れざれば、蓋を滅し禅分起り、内行禅(ないぎょうぜん)成じ住す。 問う、何が故に念仏は内行を起して安(定)に非ざるや。答う、仏の功徳は、第一義の深智の行処なればなり。第一義の事は深智の行処において、心安きを得ず。微細なるを以ての故に。復た次に、当に不一の功徳を念ずべし。もし坐禅人、不一の功徳を憶念せば、心種々の縁を作意して共に起し、心不安を成ず。是の相は一切の外行の行処と為す。 問う、もし不一の功徳を念ぜば、心既に一ならず、外行禅は当に成ぜざるべし。もし専ら一心ならば、外行禅成じ住す。答う、もし如来の功徳を念じ、及び仏を念じて一心と成る、是の故に過(とが)無し。復た説く、念仏を以て四禅も亦た起ると。 念仏、已に竟りぬ。
【念法】 問う、云何なるか念法なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処。云何にしてか修行する。 答う、法とは、謂く泥洹(ないおん)及び修行して泥洹に至るなり。云何なるか泥洹なる。一切行を滅し、一切の煩悩を出離し、愛を滅し染無く寂滅す。これを泥洹と謂う。云何なるか修行して泥洹に至る。謂く四念処、四正勤、四如意足、五根、五力、七覚分、八正道分なり。これを修行して泥洹に至ると謂う。法の出離の功徳、乗の功徳を念ず。彼を念じ随念し正念す。これを念法と謂う。彼の心住して乱れず、これを修と謂う。功徳の法を起すを相と為し、択法(ちゃくほう)を味と為し、義を解するを処と為す。念仏の功徳等のごとし。 云何にしてか修するとは、新坐禅人、寂寂に入り、坐して一切の心を摂し、不乱の心を以て法を念ずるに、善く説ける世尊の法、現証にして時節無く、来り見るべく乗ずべく時節無し。来り見て乗ずること相応す。智慧ある人、現証して知るべし。 善く説ける世尊の法とは、両辺を離るるが故に名づけて善説と為す。異ならざるが故に名づけて善説と為す。謬(あやま)らざるが故に三種の善なるが故に名づけて善説と為す。清浄に満てるが故に名づけて善説と為す。泥洹及び修行して泥洹に至るを現ぜしむるが故に名づけて善説と為す。 現証とは、次第して道果を得るが故に名づけて現証とす。泥洹及び道果を作証するが故に現証と為す。 時節無しとは、時を異にして果を得るにあらざるが故に名づけて現証とす。 来り見るとは、汝我が処に来りて、我が善法の性、他を教うるに堪うるを見よ。是を名づけて来見とす。 乗相応とは、もし人、降伏を受け、醍醐界に入るを成ず、名づけて乗相応と為す。沙門果に向うを名づけて乗相応とす。 智慧ある人、現証して知るべしとは、もし人、降伏を受け他の教えを受けず、滅智・無生智・解脱智を起す。是を名づけて智慧現証とす。 余行を以て当に法を念ずべきとは、是れ眼なり、是れ智なり、是れ安楽なり、是れ醍醐乗の門なり。是れ出離なり、是れ方便なり。是れ滅に至る、是れ醍醐に至る。堕落あること無き、是れ醍醐なり。無為寂寂微妙にして相師の行く所に非ず。是れ妙智の人の知る所なり。彼岸に済渡して是れ帰依処なり。 彼の坐禅人、此の門を以て此の行を以て此の功徳を以て、現に法を念じてその心信を成ず。その信念に由りて心住して乱れず。不乱の心を以て諸蓋を滅し、禅分起きるを得、外行禅成じ住す。余は初めの如く広く説くべし。 念法、已に竟りぬ。
【念僧】 問う、云何なるか念僧なる。何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてか修と為す。 答う、僧とは聖人の和合なり。これを僧と為すと謂う。現に僧の修行の功徳を念ず。彼を念じ随念し正念す。これを念僧と謂う。彼の念住して乱れず、これを修と謂う。僧の功徳を起すを念ずるを相と為し、心恭敬するを味と為し、歓喜和合の功徳を処と為す。念仏功徳等のごとし。 云何にしてか修するとは、新坐禅人、寂寂に入り、坐して一切の心を摂し、不乱の心もて念想す。善く能く修行す。世尊の沙門衆は軟善に随従す。世尊の沙門衆は如法に随従す。世尊の聖衆は和合に随従す。世尊の聖衆、所謂(いわゆる)四双八輩なり。世尊の沙門衆は恭敬供養すべく、合掌すべし。無上の世間福田なり。 ここに善修行とは、世尊の沙門衆は、善説法に随従するが故に、名づけて修行随従とす。自他の饒益の為の故に、名づけて修行随従とす。已に具足に至るが故に、名づけて修行随従とす。怨(あだ)無きこと具足するが故に、名づけて修行随従とす。二辺を離れ中を具足するが故に、名づけて修行随従とす。 幻諂(げんてん)を離るるが故に名づけて軟善とす。身口の邪曲悪を離るるが故に名づけて軟善とす。 如(にょ)に随従するとは、八正聖道、彼に随従するが故に、名づけて如随従とす。復た次に如とは謂く泥洹なり、随従して泥洹を得るが為の故に如修行とす。世尊の説く所四聖諦、如智に随従するが故に名づけて如修行とす。 和合に随従するとは、沙門の和合具足に随従するが故に、名づけて随従和合とす。もしかくの如く随従して和合事を作(な)さば、大果大功徳を成ずることかくの如く随従す。故に名づけて随従和合とす。 四双八輩とは、須陀洹道に住し及びその果に住する、故に一双と為す。斯陀含道に住し及びその果に住する、故に一双と為す。阿那含道に住し及びその果に住する、故に一双と為す。阿羅漢道に住し及びその果に住する、故に一双と為す。これを四双と謂うとは、彼、道及び道果に住するが故に名づけて四双とす。 八輩とは、四向四果なり。これを八輩と謂う。 沙門とは、聞より成就するが故に名づけて沙門とす。 僧とは、聖の和合衆なり。請うべく、供養すべく、施すべく、恭敬すべし。無上の世間福田なり。 請うべしとは、請を受くるに堪うるを名づけて可請(かしょう)と為す。 供養すべしとは、衆において施せば大果を成じ供養を受くるに堪う。 施すべきとは、もし衆において施せば大果報を得。 恭敬すべきとは、恭敬事を受くるに堪うるを名づけて可恭敬とす。 無上とは、最も功徳多きが故に名づけて無上とす。 世間福田とは、是れ衆生の功徳処なるが故に、名づけて世間福田とす。 余行を以て当に衆生(しゅじょう=ここでは衆僧の意か)を念ずべし。かくの如く勝衆、真実衆、是を名づけて醍醐とす。戒具足、定具足、慧具足、解脱具足、解脱知見具足なり。 彼の坐禅人、此の門を以て此の行を以て、現に衆の功徳を念ず。かくの如く現に衆の功徳を念ずれば、その心信を成ず。信ずるに由りて心不乱を成ず。不乱の心を以て能く諸蓋を滅し、禅分起きるを得、外禅成じ住す。初めの如く広く説くが如く、念僧已に竟りぬ。
【念戒】 問う、云何なるか念戒なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてか修行する。 答う、功徳を以て清浄戒を念ず。彼を念じ随念し正念す。これを念戒と謂う。戒を念じて住して乱れず、これを修と謂う。戒の功徳を起さしむるを相と為し、過患の怖れを見るを味と為し、歓喜して過(とが)無きを楽しむは是れ処なり。 もし人、念戒を修行せば、十二の功徳を得るを成ず。尊重師、重法、重僧、重戒学、重供養、重不放逸を成ず。微細の過患において常に憂怖を見、自身を護り亦た他を護る。此の世の怖畏より解脱し、彼の世の怖畏より解脱す。多く歓喜し一切の戒功徳を可愛す。是れ念戒の功徳なり。 云何にしてか修行するとは、新坐禅人、寂寂に入り、坐して一切の心を摂し、不乱の心もて念ず。自身の戒、偏(へん)無く、穿(せん)無く、点無く、垢無く、雑無く、自在にして智慧の嘆ずる所なり。触るる所無くして定を起さしむ。 もし偏無きは是れ穿無し。もし穿無きは是れ点無し。かくの如く一切知るべし。 復た次に、もし清浄戒に満つるは、是れ善法の住処なるが故に、名づけて不偏不穿とす。姓を作(な)し称誉するが故に、名づけて無点無垢とす。愛を断ずるを以ての故に、名づけて自在と為す。聖の楽(ねが)う所なるが故に過患あること無し。智慧の嘆ずる所、戒盗を離るるが故に、故に名づけて無所触とす。不退処を成ずるが故に定を起さしむ。 余行を以て当に戒を念ずべし。名づけて戒とは、是れ過患無きを楽しみ、是れ姓(しょう)の貴ぶべく、財物を以て自在なり。先に説く所の如く戒の功徳、かくの如く広く説くを知るべし。彼の坐禅人、此の門を以て此の行を以て此の功徳を以て、現に戒を念じ、信念に由りて心乱れず。不乱の心を以て諸蓋を滅し、禅分成じ起り、外行禅成じ住す。余は初めの如く広く説くべし。 念戒、已に竟りぬ。
【念施】 問う、云何なるか念施なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてか修と為す。 答う、施とは、他を利せんが為の故に、他を饒益するを楽しみ、他人の為に自らの財物を捨つ。これを施と謂う。施の功徳を念ずるを以て、現に捨を念ず。彼を念じ随念し正念す。これを念施と謂う。彼の念住して乱れず、これを修と謂う。施の功徳を起さしむるを相と為し、蓄えざるを味と為し、慳(ものおし)みせざるを処と為す。 もし人、念施を修行せば、十の功徳を得るを成ず。かくの如く施は楽に随い、慳無く貪意無し。多人の為に善を念じ他の意を取る。衆において畏れず、多く歓喜し慈悲心あり。善趣に向い醍醐に向う。 云何にしてか修行するとは、新坐禅人、寂寂に入り、坐して一切の心を摂し、不乱の心もて自ら施を念ず。捨つる所の物を以て我利あり、我善く利を得たり。世人は慳垢の為に牽(ひ)かるる所となるも、我は無慳垢心に住す。我、常に施を与え、常に施を行うを楽しみ、常に供給し常に分布す。 彼の坐禅人、此の門を以て此の行を以て此の功徳を以て、現に施を念じ、彼の心信を成ず。信に由り念に由るが故に、心常に乱れず。不乱の心を以て諸蓋を滅し、禅分成じ起り、外行禅成じ住す。余は初めの如く広く説くべし。 念施、已に竟りぬ。
【念天】 問う、云何なるか念天なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてか修行する。 答う、生天の功徳に依りて、自身の功徳を念ず。彼を念じ随念し正念す。これを念天と謂う。彼の念住して乱れず、これを修と謂う。自身の功徳・天の功徳等を起さしむるを相と為し、功徳において愛敬するを味と為し、功徳の果を信ずるを処と為す。 もし人、念天を修行せば、八の功徳を得るを成ず。かくの如く彼の人、五法増長す。所謂、信・戒・聞・施・慧なり。天人の念じ愛敬する所と成る。功徳果報を説くにおいて、大いに歓喜踊躍し、自らその身を重んじ、及び天人の貴ぶ所となる。念戒・念施もて以てその内に入る。善趣に向い醍醐に向う。 云何にしてか修行するとは、新坐禅人、寂寂に入りて坐し、一切の心を摂す。不乱の心を以て、天を念ずるに、四王天あり、三十三天あり、焔摩天あり、兜率天あり、化楽天あり、他化自在天あり、梵身天あり、天常に生ず。信を以て諸天を成就し、此より彼に生ず。我も復たかくの如く信あり。かくの如き戒、かくの如き聞、かくの如き施、かくの如き慧あり。彼諸天を成就し、此より彼に生ず。我も復たかくの如く慧あり。当にその身を念ずべく、当に諸天を念ずべし。信・戒・聞・施・慧なり。 彼の坐禅人、此の門を以て此の行を以て、功徳を以て現に天を念ず。彼の心信を成ず。信に由り念に由るを以て、心不乱を成ず。不乱の心を以て諸蓋を滅し、禅分成じ起り、外行禅成じ住す。 問う、何が故に天の功徳を念じ、人の功徳を念ぜざるや。答う、諸天の功徳は最も妙なり。最妙地に生じ、妙処の心と成る。妙処において修行すれば妙を成ず。是の故に天の功徳を念じ、人の功徳を念ぜざるなり。余は初めの如く広く説くべし。 念天、已に竟りぬ。
解脱道論 巻第六
解脱道論卷第六
阿羅漢優波底沙(梁言大光)造 梁扶南三藏僧伽婆羅譯
行門品之三
【虚空一切入(空遍処)】
問: 云何虚空一切入。何修何相何味何處何功徳。云何取其相。 答: 虚空一切入有二種。有虚空離色、有虚空不離色。
- 虚空入處相: 所謂離色虚空。井穴虚空相、此謂不離色虚空。彼修此想心住不亂、此謂修。於虚空想放意爲相。不離虚空想爲味。作意無二爲處。
- 功徳: 不共二功徳。於虚空入障礙處、所不能礙。若牆壁山等、身行無礙自在無畏。
- 取相法: 云何取其相者。於虚空入取虚空相。若作處若自然處。
- 旧坐禪人: 於自然處取相。能於處處見。或於孔穴、或欞窓間、或樹枝間。從彼常見。隨樂不樂、即見彼分虚空相即起。
- 新坐禪人: 於作處取相、不能於非作處。彼坐禪人、或於屋内、或於屋外不障礙處、作圓孔穴作虚空想。以三行取相。以等觀。以方便。以離亂。 於虚空一切入、生四禪五禪。餘如初廣説。 虚空一切入已竟
【識一切入(識遍処)】
問: 云何識一切入。 答: 曰識處定、此謂識一切入。餘如初廣説。 識一切入已竟
【一切入の散句(総括)】
問: 於是一切入、云何散句。 答: 若一相得自在、一切餘相隨其作意。若於一處一切入、於初禪得自在、堪任餘一切入。能起第二禪。如是第二禪得自在、能起第三禪。第三禪得自在、能起第四禪。
問: 於諸一切入云何最勝。 答: 四色一切入、是爲最勝。成解脱故。得除入故。曰一切入勝、作光明故心得自在。
於八一切入及於八定、以入十六行安詳而起。隨所樂處、其所樂定隨意無障。
- 次第上次第下: 次第上下令一一増長。或倶令増長。或中少或分少。或事少或分事少。或分倶或事倶或分事倶。
- 隨其所樂處者: 或於村或於阿蘭若、是斯所樂處、入於三昧。
- 如所樂者: 是其所樂禪、入於禪定。
- 如其所樂時者: 隨意所樂時、入於三昧。或多時入正受。
- 次第上者: 於初禪入定次第乃至非非想處。
- 次第下者: 從初入非非想定、次第乃至初禪。
- 次第上下者: 越於往還。從初禪入第三禪。從第三禪入第二禪。從第二禪入第四禪。如是乃至入非非想定。
- 令一一増長者: 以次第入第四禪。或上或下。
- 倶令増長者: 入第四禪。從此虚空入第三禪。如是二種入定。
- 中少者: 已入初禪。從此入非非想處。從此入第二禪。從此入無所有處。如是現入正受、能辨虚空處。
- 分少者: 一禪於八一切入入定。
- 事少者: 於三一切入入於八定分。所謂二定及一切入。
- 分倶者: 於三一切入入二二禪。
- 事倶者: 於二二一切入入二禪。
- 分事倶者: 是此二句。 散句已竟
【十不浄想(死体観想)】
1. 膖脹想(膨張した死体)
問: 云何増長相(膖脹相)。何修何相何味何處何功徳。云何取其相。 答: 増長相者、滿一切處、猶如排嚢滿中臭穢死屍。此謂膖脹。於膖脹相以正智知、此謂膖脹想。彼修此想心住不亂、此謂修。於膖脹想相隨觀爲相。厭膖脹想爲味。臭穢不淨作意爲處。
- 功徳: 膖脹想有九功徳。得念内身、得無常想、得死相。多厭患、伏婬欲。斷色憍、斷無病憍。向善趣、向醍醐。
- 取相法:
- 準備: 新坐禪人現取膖脹不淨想。以無二行。以念不動不愚癡。以諸根内入。以心不出外。以往彼處。是處不淨有諸死屍。
- 位置取り: 住於彼處離於逆風。對不淨相不遠不近。或倚或坐。彼坐禪人、若倚若坐近不淨處。若石若土埵。或樹或杌或藤。爲作相作事思惟。此石不淨。此不淨相。此石如是土埵等。已爲作相已作事。
- 十行観: 以十行膖脹不淨相、從其自性修行當觀。以色、以男女形、以方、以處、以分別、以節、以穴、以坑、以平地、以平等。觀於一切處。
- 以色者: 若黒以觀黒。若不黒不白以觀不黒不白。若白以觀白。若臭皮觀以臭皮。
- 以形者: 若女形若男形。隨觀若少若長若老。
- 隨觀者: 若長以長。若短以短。若肥以肥。若小以小隨而觀之。
- 以方者: 於此方擲頭。於此方擲手。於此方以脚。於此方以背。於此方以腹。於此方我所坐。於此方不淨相。
- 如是隨觀以光明處: 於此光明處是擲手處。於此光明是擲脚處。於此光明是擲頭處。於此光明是我坐處。於此光明是不淨相處。
- 以分別觀: 從頭至足。從下至頭。髮皮爲邊、是一屎聚。
- 以分別觀觀以節者: 於二手六節。於二脚六節。髖節項節。此謂十四大節。
- 以空穴者: 謂口或開或閉。隨觀眼或開或閉。隨觀手間脚間孔穴。
- 以坑以平等地者: 不淨相隨其處所。或於空處或於地上。是處隨觀。
- 平等: 復次我在空處不淨相地上。或不淨相在下。我於地上隨觀以一切處。從我不取近遠。若二尋三尋隨觀。
- 修習の心得: 彼坐禪人如是一切正隨觀見彼相。善哉善哉。如是受持。以善自安。彼坐禪人已善取相。已善受持。已善自安。一無二行。以念不動。心不愚癡。諸根内入。心不出外。去來道路若行若坐。觀彼不淨心常受持。
- 実践的注意:
- 無二行者何義: 爲得身寂寂。
- 令念不動者: 以不愚癡。以諸根内入心不出外。
- 去來道路者何義: 爲得身寂寂。
- 離逆風者何義: 爲離臭氣。
- 坐不取遠近者何義: 若取遠不成除相。若取近不成其厭。不見其性。以不見其性、彼相不起。是故不取遠不取近。
- 坐遍觀一切相者何義: 爲不愚癡名不愚癡。若坐禪人入寂寂處。見不淨相。如在其前。心起驚怖。是故坐禪人、若死屍起逐不起。心思惟如是已知念正智受持已觀相遍。是其遍相如是作意。是名不愚癡。
- 初禅との関係: 問:何故以不淨行起於初禪。非起餘禪。答:此行未作觀故。此成縛處故。常隨覺觀。覺觀恒現其相得起。非離覺觀其心得安。是故初禪起非餘禪。 膖脹相已竟
2. 青淤相(青黒くなった死体)
問: 云何青淤相。 答: 青淤者、或死一宿、或二三宿、成青淤相。如青所染色隨生。此謂青淤相。彼青淤是謂青相。以正智知、此謂青淤相。心住不亂此謂修。受持青相爲相。厭爲味。作意不耐爲處等。膖脹相功徳。 青淤相已竟
3. 潰爛相(膿んでただれた死体)
問: 云何潰爛相。 答: 潰爛者、或死二三宿潰爛膿出。猶如灌酪。身成潰爛。此謂潰爛。於潰爛相以正智知、是謂潰爛相。心住不亂此謂修。受持潰爛爲相。厭爲味。作意不耐爲處。等膖脹相功徳。 潰爛相已竟
4. 斬斫離散相(切られて散乱した死体)
問: 云何斬斫離散相。 答: 斬斫離散者、或以刀劍斬斫身體離散。復説所擲死屍。此謂斬斫離散。於斬斫離散是正智知、此謂斬斫離散想。心住不亂此謂修。斬斫離散想爲相。厭爲味。作意不淨爲處。等膖脹相功徳。 云何取其相: 於兩耳二指作片片想。作斬斫離散想。如是取相。於一二上取其空相。 斬斫離散相已竟
5. 食噉相(動物に食い荒らされた死体)
問: 云何食噉想。 答: 食噉者、或烏鵲鴟梟雕鷲猪狗狐狼虎豹食噉死屍。此謂食噉。於彼食噉、是相以正智知、此謂食噉想。心住不亂此謂修。食噉想爲相。厭爲味作意不淨爲處。等膖脹想功徳。 食噉相已竟
6. 棄擲想(手足をばらばらに捨てられた死体)
問: 云何棄擲想。 答: 棄擲者、於處處方散擲手足。此謂棄擲。於棄擲想是正智知、此謂棄擲想。心住不亂此謂修。受持棄擲想爲相。厭爲味。作意不淨爲處。膖脹想等功徳。 云何取其相者: 一切身分聚在一處。安諸分節。相離二寸。安已作棄擲想取相。 棄擲想已竟
7. 殺戮棄擲想(殺されて捨てられた死体)
問: 云何殺戮棄擲想。 答: 被殺棄擲者、或以刀杖、或以弓箭、於處處斬斫殺戮死屍。此謂殺戮棄擲。於殺戮棄擲、是想是正智知、此謂殺戮棄擲想。心住不亂此謂修。受持殺戮棄擲想爲相。厭爲味。作意不淨爲處。等膖脹功徳。 殺戮棄擲想已竟
8. 血塗染相(血まみれの死体)
問: 云何血塗染想。 答: 血塗染者、或斬截手足形分、出血塗身。此謂血塗染。於血塗染相、是正智知、此謂血塗染想。心住不亂此謂修。受持血塗染想爲相。厭爲味。作意不淨爲處。等膖脹想功徳。 血塗染相已竟
9. 虫臭相(虫が湧いた死体)
問: 云何虫臭想。 答: 虫臭者、諸虫生滿其身。猶如白珠純是虫聚。此謂虫臭。於虫臭想以正智知、此謂虫臭想。心住不亂此謂修。受持虫臭想爲相。厭爲味。作意不淨爲處。等膖脹想功徳。 虫臭想已竟
10. 骨想(白骨)
問: 云何骨想。 答: 骨者、謂鉤鎖相連。或肉血筋脈所縛。或無血肉但有筋纒。或無肉血。此謂骨。於此骨想以正智知、此謂骨想。心住不亂此謂修。受持骨想爲相。厭爲味。作意不淨爲處。等膖脹想功徳。 骨想已竟
【不浄想の散句(総括)】
問: 於不淨處云何散句。 答: 初坐禪人有重煩惱。於不種類不應取相。不種類者如男女身。若不淨業人、不淨相不應作意。何故。常觀事故不成厭。於畜生身不起淨想。以一骨起起相自在於骨取。亦復如是。
問: 何故十不淨不多不少。 答: 身失有十種故。復由十人故成十想。
- 欲人當修膖脹想。
- 色愛欲人當修青淤想。
- 如淨欲人當修壞爛想。
- 餘亦可知。
問: 何故不令増長。 答: 若人樂厭欲、令起自性身想。何故。若有自性身想、於想速得厭。彼分故。已令増長不淨想、是其身相得除。已除自身想、不速得厭。是故不應令増長。又説若得無欲、爲修大心、成令増長。如大徳摨狗父説偈:
比丘佛家財 於怖畏林處 既已修骨想 普令滿此地 我知彼比丘 速當斷欲染
十不浄已竟
【六随念】
1. 念仏(仏随念)
問: 云何念佛。何修何相何味何處何功徳。云何修行。 答: 佛者、世尊自然無師、於未聞法正覺正諦。能知一切得力自在。此謂爲佛。念佛世尊正遍知道菩提功徳。念隨念念持念不忘念根念力正念。此謂念佛。心住不亂此謂修。令起佛功徳爲相。恭敬爲味。増長信爲處。
- 十八功徳: 若修行念佛、成得十八功徳。信増長、念増長、慧増長、恭敬増長、功徳増長、多歡喜、堪任苦行、離於怖畏、於受惡法得生慚愧、常與師共住、心樂佛地、行向善趣、最後醍醐。
- 十號の解説:
- 世尊: 得世稱譽故、得妙法故、得供養故、得福具足故、道法之主故。
- 阿羅漢: 殺煩惱怨、折生死輪輻。
- 正遍知(正遍覚): 以一切行正知一切諸法、殺無明、獨覺無上菩提。
- 明行足: 明者三明(宿命智明、衆生生死智明、漏盡智明)。行者戒定足具。
- 善逝: 到善路故、不復更來到、於醍醐界無爲涅槃故。説法不顛倒、不僻、無過患、不多不少。
- 世間解: 知衆生世間、知行世間。
- 無上: 世無有上、無人與等、最勝無比。
- 調御丈夫: 御八解脱道、調伏衆生故。
- 天人師: 能度天人從生老死怖畏園林、教誡見思惟道。
- 本生譚(ジャータカ)の回想: 以四種行修念世尊。本昔因縁以起自身。 世尊爲菩薩時、説本生因縁。作兎子身常行布施。當念可護生戒摩瞿頻陀生。當念出離生忍辱生。當念忍普明生。當念實語當念噁蹇生。當念受持當念帝釋慈悲。當念毛竪捨。當念商主正眞。當念麋生。當念長壽生逐父語。當念六牙白象恭敬仙人。當念白馬生往羅刹國渡諸衆生。當念鹿生護彼壽命捨自壽命。當念猴生令得解脱所屬大苦。當念猴生見人落坑以慈心拔出。
- 自抜身功徳: 爲年少時斷一切居止著。斷兒婦父母親友著。以捨難捨獨住空閑無所有處。欲求無爲泥洹寂滅於摩伽陀國。渡尼連禪河。坐菩提樹。降伏魔王及諸鬼兵。得證醍醐界。
- 得勝法功徳(十力・十四智・十八不共法):
- 十力: 知是處非處、知業因縁、知至一切處、知種種戒、知種種欲樂、知種種諸根、知禪解脱定、知宿命、知生死、知漏盡。
- 十四佛智慧: 苦智、集智、滅智、道智、義辯智、法辯智、辭辯智、樂説辯智、諸根智、衆生欲樂煩惱使智、雙變智、大慈悲定智、一切智、不障礙智。
- 十八佛法: 於三世佛智不障礙、身口意業隨智而起(六法)。欲、精進、念、定、慧、解脱無退(十二法)。無可疑事、無誣師事、無不分明、無有急事、無隱覆處、無不觀捨(十八法)。
- 作饒益世間功徳: 所轉法輪世間所不能轉。已作無量天人得功徳分。以三種變(身變、説變、教變)令世間信。已伏邪見。已制諸戒。
念佛已竟
2. 念法(法随念)
問: 云何念法。何修何相何味何處。云何修行。 答: 法者、謂泥洹及修行至泥洹。
- 泥洹: 滅一切行、出離一切煩惱、滅愛無染寂滅。
- 修行至泥洹: 謂四念處、四正勤、四如意足、五根、五力、七覺分、八正道分。
- 徳相: 善説世尊法。現證無時節。來見乘無時節。來見乘相應。智慧人現證可知。
- 善説: 離兩邊、不異、不謬、満清浄。
- 現證: 次第得道果。
- 無時節: 不異時得果。
- 來見: 汝來我處、見我善法性堪教他。
- 智慧人現證: 若人受降伏不受他教、起於滅智無生智解脱智。 念法已竟
3. 念僧(僧随念)
問: 云何念僧。何相何味何處何功徳。云何爲修。 答: 僧者聖人和合。此謂爲僧。
- 徳相: 善能修行、随從軟善、随從如法、随從和合。
- 構成: 四雙八輩(四向四果)。
- 功徳: 可請、可供養、可施、可恭敬、無上世間福田。 念僧已竟
4. 念戒(戒随念)
問: 云何念戒。 答: 以功徳念清淨戒。
- 十二功徳: 成尊重師、重法、重僧、重戒學、重供養、重不放逸。於細微過患常見憂怖。護自身亦護他。從此世怖畏解脱。彼世怖畏解脱。多歡喜、可愛一切戒功徳。
- 修行: 自身戒無偏、無穿、無點、無垢、無雜、自在、智慧所嘆、無所觸、令起定。 念戒已竟
5. 念施(施随念)
問: 云何念施。 答: 施者、爲利他故。樂饒益他。爲他人得捨自財物。此謂施。
- 十功徳: 如是施隨樂無慳無貪意。爲多人念善取他意。於衆不畏多歡喜慈悲心。向善趣向醍醐。
- 修行: 我住無慳垢心。我常施與常樂行施。常供給常分布。 念施已竟
6. 念天(天随念)
問: 云何念天。 答: 依生天功徳、念自身功徳。
- 八功徳: 信戒聞施慧(五法)増長。成天人所念愛敬。於説功徳果報大歡喜。
- 修行: 念四王天、三十三天、焔摩天、兜率天、化樂天、他化自在天、梵身天、天常生。以信戒聞施慧成就諸天。我復如是有信、戒、聞、施、慧。
- 理由: 問:何故念天功徳、不念人功徳。答:諸天功徳最妙。生最妙地成妙處心。
念天已竟
解脱道論卷第六 終


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