解脱道論 巻第四ー書き下し

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解脱道論 巻第四

阿羅漢優波底沙(あらかん・うぱていしゃ/梁に大光と言う)造る 梁の扶南(ふなん)の三蔵僧伽婆羅(そうぎゃばら)訳

行門品(ぎょうもんぼん)の八の一

【地一切入の定義】 問う、云何(いか)なるか地一切入(ちいっさいにゅう)なる。何(いか)なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。一切入とは何の義ぞ。幾種の地ありて、何の地において相を取るや。云何にしてか曼陀羅(まんだら)の法を作る。何なるか地法を修するや。 答う、是れ心、地相に依りて生ず。これを地一切入と謂う。心乱れずして住する、是を名づけて修と為す。善く地想に楽著(ぎょうちゃく)するを相と為し、捨てざるを味と為し、意に異念無きを処と為す。 何の功徳かとは、謂く十二の功徳あり。地一切入より是の相を得ること易し。一切の時において、一切の行において、心行礙(さまたげ)なく、如意神通にして、水を履(ふ)み空に遊ぶこと地の如く、種々の色弁、初念宿命弁、及び天耳界弁を受く。行に随いて善趣・甘露を辺と為す。

問う、一切入とは何の義ぞ。 答う、謂く周普(しゅうふ)して一切に入るなり。仏の偈(げ)に説きたもうが如し。   若し人、仏徳を念じ 喜を生じて身に充遍(じゅうへん)す   地一切入を観じ 閻浮提(えんぶだい)に周満す   此の観は地に縁じて生じ 心喜も亦たかくの如し かくの如き観を修し、曼陀羅を見て一切入に遍ず。

【曼陀羅の作法】 問う、地に幾種あるや。何の地において相を取り修すべき。 答う、地に二種あり。一には自相の地、二には造作の地なり。堅きを自相の地界と為す、是を自相の地と謂う。若しは手ずから自ら掘り、若しは人に教えて掘らせ、造作して成る所、是を作地と謂う。四種の色を成ず、謂く白・黒・赤及び明色の如し。 是において坐禅人、自相の地においては応に作意すべからず。応に白・黒・赤を除くべし。何を以ての故に。若し自相の地を観ぜば、此より彼分の相起らず。若し白・黒・赤の色を取らば、色一切入の修を成ず。何を以ての故に。自相の地を観ずるに白・黒・赤を離るればなり。若しは作、不作、当にその相を取るべし。明相の現ずるが如く当にその相を取るべし。

問う、云何なるか不作地と名づく。 答う、処々平坦にして、草莽(そうもう)を離れ諸の株杌(しゅごつ)無し。その眼境(げんきょう)において当に心を起さしむべし。是を地想と名づく。是を不作地と謂う。若し旧(もと)よりの坐禅人は、楽・不楽に随いて即ち彼分の地相を見、不退に住す。新学の初禅は、作地の相を取りて曼陀羅を作(な)し、非作地を観ぜず。

問う、云何にしてか曼陀羅を作る。 答う、若し坐禅人、地において曼陀羅を作らんと欲せば、初め従(よ)り当に寂寂を観ずべし。或いは寺舎において、或いは石室に在り、或いは樹下に在り、幽闇にして日光の無き処、人の行路に非ざるに住す。かくの如き処において皆一尋(ひとひろ)を遠ざけ、洒掃(さいそう)して清潔にし、当に地をして燥(かわ)かし掃かしむべし。処所において明相の現ずる時の如く、土色をして地性と相発起することを得しむ。調適を籌量(ちゅうりょう)し、威儀恭敬して、器物を取り水を以て土に和し、草杌を刪去(さんきょ)し糞芥(ふんかい)を却除し、その衣帊(いは)を取りて泥滓(でいし)を済漉(さいろく)す。浄潔の地において坐処を障蔽(しょうへい)し、光明を遮断して禅窟(ぜんくつ)を安置す。 遠からず近からず、規(ぶんまわし)を以て円を作り、円内は平満にして痕跡あること無からしむ。然る後に泥を以て地を泥(ぬ)り、余色を雑(まじ)えず。別色を以て地に雑えざるように応に安ずべし。乃至未だ燥かざるに当に覆いて守護すべし。若し燥く時に至らば、異色を以てその外を界す。或いは米篩(べいし)の大きさの如く、或いは一掻牢(そうろう)の大きさの如く、或いは円、或いは方、或いは三角・四角、応に当に分別すべし。本師の説く所、円を最勝として曼陀羅を作(な)す。若しは衣において、若しは板において、若しは壁処において、皆曼陀羅を作るも、地において最勝とす。かくの如く先師の説く所なり。

【欲の過患と出離】 問う、云何にしてか地法を修する。 答う、若し坐禅人、地一切入を修せんと欲せば、初め従り当に欲の過患を観ずべく、復た応に出離の功徳を観ずべし。

問う、何が故に応に欲の過患を観ずべき。 答う、欲は気味少なく故に憂苦多し。是の処に過患多し。欲は骨の喩えの如く気味少なし。欲は肉揣(にくたん)の喩えの如く多く属するが故に。欲は逆風に火を把(と)る喩えの如く随いて焼くが故に。欲は炎炭の喩えの如く大小あるが故に。欲は夢の喩えの如く倏忽(しゅくこつ)として無きが故に。欲は借物の喩えの如く勢い久しくすることを得ざるが故に。欲は樹果の喩えの如く人の為に折らるるが故に。欲は刀の喩えの如く以て斬斫(ざんしゃく)するが故に。欲は槊(ほこ)の喩えの如く以て槊と為すが故に。欲は毒蛇の頭の喩えの如く怖畏すべきが故に。欲は風の綿を吹く喩えの如く守護すべからざるが故に。欲は幻の喩えの如く痴人を惑わすが故に。欲は是れ暗にして見る所無きが故に。欲は是れ障礙にして路諸の善法を礙(さまた)ぐるが故に。欲は是れ痴にして正念を失するが故に。欲は熟せるが如く以て爛(ただ)るるが故に。欲は是れ械(かせ)の相にして駐縛(ちゅうばく)するが故に。欲は是れ盗にして功徳の物なるが故に。欲は是れ怨家にして闘争を起すが故に。欲は是れ苦にして諸の過患を造るが故に。 かくの如く已に欲の過患を観じ、応に出離の功徳を観ずべし。出離と名づくるは、謂く初禅、初め従り出家して諸善を修す、是を出離と名づく。

問う、云何なるか出離の功徳。 答う、蓋(がい)無く、心自在にして寂寂の楽に住し、苦楽に堪忍して住して忘失せず。衆事を曠済(こうさい)し大果地を得、供養を受くるに堪ゆ。二処に饒益(にょうやく)す。是れ大智慧なり。是れ一切の善処なり。三界を超ゆと名づく。復た次に出離と名づくるは、彼、婬欲を出離す。是れ諸蓋を寂寂にし、是れ無垢を楽しむ。是の処は最勝の地なり。是の道は最勝を得んが為なり。是れ心の垢を清浄にす。此れは功徳の修行の造る所なり。是れ内の修行する所を楽しむなり。欲は是れ麁(そ)、出は是れ勝妙なり。欲は煩悩あり、出離は是れ煩悩なし。欲は是れ下、出離は是れ上。欲は嗔恚(しんい)あり、出離は嗔恚なし。欲は可愛の果に非ず、出離は是れ可愛の果なり。欲は怖畏あり、出離は怖畏なし。 かくの如く已に婬欲の過患を観じ、及び出離の功徳を観ず。出離に依りて欲楽を生じ、心に信を生じ恭敬を生ず。

【取相:地相の観法】 作すべきと作すべからざるとを観じ、節量に依りて食し、衣鉢を安置す。身は懈惓(かいけん)せず心に怠惰(たいだ)無く、当に小行脚(しょうあんぎゃ)すべし。小行脚して已に、坐して手足を洗い、応に仏菩提を念じ、法を念じ僧を念ずべし。善行を修し念じ已(おわ)りて、当に歓喜せしむべし。「我能く此の如く具足することを得たり。若し我出離を得ずんば、復た久しく安んじて精進せず」と。是の故に応に勇猛を作(な)すべし。 曼陀羅を去ること遠からず近からず、軛(くびき)の如く尋(ひろ)の如く遠ざかり、応に坐具を安じ、曼陀羅に対して結跏趺坐し、身をして平正ならしむ。内心に念を起し、眼を閉じること小(しばら)くの時、身心の乱れを除き、一切の心を摂して一心と成す。小しく眼を開き、髣髴(ほうふつ)として曼陀羅を観ぜしむ。彼の坐禅人、現に曼陀羅の形を観ずるに、三行を以て相を取る。等観を以て、方便を以て、離乱を以てす。

問う、云何にしてか等観を以てす。 答う、坐禅人、現に曼陀羅を観ずるに、眼を大きく開くに非ず、眼を大きく閉じるに非ず。かくの如く当に観ずべし。何を以ての故に。若し眼を大きく開けばその眼惓(つか)れを成ず。曼陀羅の自性、自性を現見するも、彼分の想起らず。若し最も眼を閉じれば曼陀羅を見て闇を成ず。亦た彼の相を見ずして便ち懈怠を生ず。是の故に応に大開眼・大閉眼を離れ、唯だ心を専らにして曼陀羅に住すべし。心住するが為の故に、当に人の鏡に映してその面像を見るが如く観ずべし。鏡に依りて面を見、面は鏡より生ず。彼の坐禅人、曼陀羅を観じ、その定相の曼陀羅に依りて起るを見る。是の故に当に観ずるに等観して相を取るべし。心住するが為の故に。かくの如く等観を以て相を取る。

問う、云何にしてか方便を以てす。 答う、謂く四作意の方便なり。一に謂く内隔、二に満方、三に転、四に遍満なり。是の時、相の出でて散じ隔て無きを見る。是の時、当に内隔を作意となすべし。是の時、小相を見、或いは半曼陀羅を見る。是の時、曼陀羅を満たしめ已(おわ)りて、方満して作意せしむ。是の時、心散乱し、及び心懈懶(かいらん)す。是の時、応当に陶家の輪の如く策課すべし。是の時、若し心住することを得ば、是の時、曼陀羅をして遍満して虧(か)け無きを見せしめ、当に捨を観ずべし。かくの如く方便を以て知るべし。

問う、云何にしてか離乱を以てす。 答う、離乱に四種あり。一に最も速やかに精進を作(な)す。二に最も遅く精進を作す。三に最高、四に最下なり。 問う、云何なるか速やかに精進を作す。答う、謂く急疾に作意して時節を待たず、早く坐し晩(おそ)く罷(や)め、乃至身疲る。是を速作と謂う。 問う、云何なるか遅く精進を作す。答う、謂く作意方便を離れ、曼陀羅を見ると雖も、恭敬して作意せず。数〻(しばしば)起き数〻眠る。若し速やかに精進を作さば、則ち身懶(らん)心退を成ず。心外に出て縁じて諸の調戯を起す。若し遅く精進を作さば、身心懶を成じ懈怠し、諸の睡眠を起す。 最高とは、その心退いて諸の調乱を起し、行く所の処において不楽を成ず。若し初めに楽しまずんば言語を戯笑す。欲心に由るを以て高を成ず。復た次に若し諸の相行を得るに、喜楽の欲心に由りて高を成ず。 最下とは、退調して縁ずるが故に、業処において不楽を成ず。若し初行の処において楽しまずんば、嗔処を作(な)す。嗔恚心に由りて下を成ず。復た次に久しく覚観に惓(つか)れ、勝より退落してその心、憂受心に由りて下を成ず。 是の坐禅人、若し心速やかに作して調処に退堕せば、念根・定根を以て摂伏して調を捨てしむ。若し心進んで作して懶処に退堕せば、念根・精進根を以て摂伏して懈懶を捨てしむ。若し高心ならば欲処に退堕す。現知を成じて欲を捨てしむ。若し下心ならば嗔恚に退堕す。現知を成じて嗔恚を捨てしむ。此の四処において清浄心を成じ、専一心を成ず。

【彼分相と相の守護】 此に三行に因り定心随意に曼陀羅の形を見ることを成ずるを明かす。若し専ら一心ならば想成ず。名相を起すに二種あり。謂く取相、彼分相なり。 云何なるか取相と名づく。若し坐禅人、散ぜざる心を以て現に曼陀羅を観じ、曼陀羅従(よ)り想を起す。虚空において見る所の如し。或る時は遠く、或る時は近く、或る時は左、或る時は右、或る時は大、或る時は小、或る時は醜、或る時は好、或る時は多、或る時は少なし。眼を以て曼陀羅を観ぜず、作意方便を以て相を取り起す。是を取相と名づく。 彼従(よ)り多く作(な)す故に、彼分相(かぶんそう)起る。彼分相と名づくは、若し作意の時、心に随いて即ち現ず。曼陀羅を見て後に心念を生ずるに非ず。但だ心を閉眼に作(な)すも先に観ずる所の如し。若し遠しと作意すれば亦た即ち遠くに見え、若し近・左右・前後・内外・上下も亦た復たかくの如し。心に随いて即ち現ず。此を彼分相と謂う。相とは何の義ぞ。謂く因義・相義なり。仏の比丘に教えたもうが如く、彼諸の悪不善法、相有りて起るは是れ因縁の義なり。復た智義・相義を説く。仏の想を作(な)して当に捨つべしと説くが如し。是れ智義と謂う。復た像義・相義を説く。自ら面像の想像を見るが如し。彼分、異義無し。

爾の時、相を得れば、坐禅人その師の所において恭敬心を起し、勝相を取らば応当に守護すべし。若し守護せずんば是れ則ち当に失すべし。 問う、云何にしてか応に守護すべき。 答う、三種の行を以て応に相を守護すべし。かくの如く悪を離るるを以ての故に、善を修行するを以ての故に、常に作(な)すを以ての故に。 云何なるか不善を離る。作務を楽しみ、種々の語戯を楽しみ、睡眠を楽しみ、聚会を楽しみ、俗に狎(な)るるを楽しむ。諸根を守護せず、食を節せず、初夜・後夜に禅習を起さず、所学を敬わず、悪親友多く不行処を修す。応に不好の時節・食・臥・坐を離るべし。彼に対治するは是れ善なり、応に常に作すべし。 問う、云何にしてか常に作すを以てす。 答う、彼の坐禅人、善く此の相を取り、常にその功徳を観ずること珍宝想の如くす。常に歓喜して行じ、常に修し多く修す。或いは昼夜多く修行し、或いは倚坐臥して心攀縁を楽しみ、処々に心を放ち、相を取り已に取り、取り已に起さしめ、起し已に随を観じ、観じ已に修す。修するに時時ありて曼陀羅を観ず。かくの如く常に作して相を見る。彼かくの如く現に相を守護す。 或いは自在を得。若し相心に随いて禅の外行を得。若し外行心従(よ)りせば、是に由りて安きを得。

【禅外行と安】 問う、云何なるか禅の外行。 答う、此の事心従(よ)り、作意して乱れず、以て諸蓋を伏す。但だ未だ覚観・喜楽・一心及び信等の五根を修行せず。定力を得ると雖も念々猶お起る。是れ禅の外行なり。 安とは、此の外行従(よ)り是の法、心に由りて修行力を得。是れ覚・信等の法、事において動ぜず。是を名づけて安と為す。

問う、外行及び安、何の差別あるや。 答う、若し五蓋を伏するは是れ其の外行なり。此の五を伏するを以ての故に安を成ず。禅の外行を以て勝定を得。若し勝定を得る、是を名づけて安と為す。若し身心において未だ寂寂を得ざれば、外定において心動ずること船の浪に在るが如し。若し身心において已に寂寂を得れば、処安くして動ぜざること船の風無く水に在るが如し。諸根力無きが故に、為す所の事において外禅行は久しく住せず、小童子の如し。諸根力有るが故に、事において安静にして久しく住す、力有る人の如し。修して自在ならざる故に、禅の外行は不和合を成ず。人の経を誦して久しく廃すれば則ち忘るるが如し。修して自在なるを以ての故に、安和合を成ず。人の経を誦して恒に習えば忘れざるが如し。若し善く蓋を伏せざれば、猶お盲人の如し。禅の外行において盲を成ず。かくの如き等不清浄の教えなり。若し善く蓋を伏せば盲ならざるを成ず。安定を成ずるにおいてかくの如き等清浄の教えなり。相自在の所初従(よ)り、乃至性除までを名づけて外行と為す。性除無間、是を名づけて安と為す。

問う、外行とは何の義ぞ。 答う、禅に近き故に是を名づけて外行とす。路の村に近きを是れ村路と謂うが如し。義は一にして名は異なり。 安とは何の義ぞ。安は和合の義と為す。曼陀羅に到り、禅を出離するに安は異義無し。

【一切入の増長】 是において坐禅人、外行に住し、応に一切入を増長せしむべし。或いは安定において、或いは初禅において、当に増長せしむべし。 問う、云何にしてか応に増長せしむべき。 答う、謂く初相より手の四指節の如し。当に漸く増長せしむべし。かくの如く作意し、かくの如く自在を得、かくの如く次第すること、輪の如く、蓋の如く、樹影の如く、福田の如く、隣の如く、村の如く、郭の如く、城の如し。かくの如く次第し、漸く漸く長ぜしめて此の大地に遍くせしむ。若し江山・高下・樹木・棘刺、諸の不平正あらば、かくの如き一切を作意せず。乃至大海まで地想を作意し、乃至増長する時、心の行く所、最勝の定を成ず。

【安定への方便】 若し坐禅人、禅の外行を得るも、安定を得ること能わずんば、此の坐禅人、二行を以て応に安定の方便を起さしむべし。一には因縁を以て、二には受持を以てす。十行を以て因縁従(よ)り安定の方便を起す。 一には処をして明浄ならしむるを観ず。二には遍く諸根を起すを観ず。三には相を暁了(ぎょうりょう)す。四には心を制して調ならしむ。五には懈怠を折伏す。六には心に味著無し。七には心歓喜す。八には心定まりて捨を成ず。九には定を学ばざる人を離れ定を学ぶ人に親近す。十には安定に楽著す。

問う、云何にしてか処をして明浄ならしむる観を作(な)す。 答う、三種の行を以て分明処を作すを得。謂く能く調適の食を修する楽、時節を修する楽、威儀を修する楽なり。 遍く諸根を起すを観ずとは、謂く信等の五根をして消滅せしめず、懈怠を作すこと無からしむ。快馬の車に乗るが如し。 相を暁了すとは、善く意想を捉えて急ならず寛ならず。巧師の縄墨の平等にして偏無きが如し。善く作意を解して急を離れ離を離る。 心を制して調ならしむとは、二種の行あり。二種の行を以て心調を成ず。一には多く精進を起す。二には心過度の処に心調を成ず。或いは婬処及び種々の相処に住し、乱意を増長して心調を成ず。坐禅人において若し多く精進を起さば、過度の処に心調を成ず。二行を以て応に心を制伏すべし。精進をして起らしむるを以て、毎(つね)に中(ちゅう)に調適す。若し婬処及び種々の相に往き、調心を増長せば、二行を以て折伏す。衆苦及び悪果報を観覓(かんみゃく)するを以てす。 懈心を制伏するとは、二行を以て懈怠心を成ず。勝定を得ざるを以て、心をして味無からしむる故に懈怠を成ず。若し多く懈怠すれば則ち睡眠を欲す。是の坐禅人若し勝定を得ずんば、心味著無きが故に懈怠を成ず。二行を以て当に折伏すべし。謂く功徳を観じて以て精進を起す。若し懈怠・睡眠・懶心あらば、四種の行を以て能く伏す。若し多食ならば懈怠想を取り、四威儀を行じ転じ、以て自ら作意す。光明の相において露処に住し、心をして歓喜せしめ復た著する所無からしむ。 三行を以て味無きを成じ方便少なきが故に、鈍慧なるが故に、寂寂の楽を得ざるが故に、是において坐禅人、心若し味無くんば、二種の行を以て歓喜を得せしむ。一には恐怖を以て、二には歓喜を以てす。若し生老死及び四悪趣を観じ、諸の畏るべきを見て心に愁悩を生ず。若し仏法僧・戒・施・天を念じ、六行の功徳を見て心に歓喜を生ず。 心定まりて捨を成ずとは、二行を以て禅の外地定を成ず。諸蓋を断ずるを以て心定を成ず。或いは所得の地において以て禅枝を起す故に心定を成ず。是の坐禅人、心定まるに二行あり。当に捨つべくして住を成ずるに非ず。中方便調適なるが故に。 定を学ばざる人を離るとは、或いは安定、或いは外行定、或いは威儀定、彼の人此れ無くして修せず学ばず、応に供養すべからず。修学の人とは、若し安定あり、外行定及び威儀定あらば、応に從(よ)りて修学すべし。亦た応に供養すべし。 安に楽著すとは、此の坐禅人、彼の深源の如く、彼の奔泉の如く、彼の低樹の如く、常に恭敬を楽しみ、多く修行する所なり。此の十事を行じ、因縁して安定を生ず。

問う、云何にしてか受持を以て能く安定の方便を生ずる。 答う、彼の坐禅人、善く縁起を解して寂寂処に入る。その解する所の相、修する所の定において心に随いて自在なり。その欲楽を生じ心をして起きるを得せしむ。此従(よ)り身意、堪任有用にして受持を得せしむ。歓喜を生ずる従り心受持を得。適楽を生ずる従り身心受持を得。光明を生ずる従り心受持を得。悲傷を生ずる従り心受持を得。是の悲傷を以て心をして静かならしむ。善く静心を取らば心受持を得。かくの如く善く取り、捨心をして受持を得せしむ。無辺の煩悩従り心解脱して受持を成就す。解脱を以ての故に、彼一法味を成ず。一味を以て心受持し修行す。是の故に此の勝妙心従り増長を得。かくの如く受持に住し、安定の方便を起す。かくの如く善く縁起及び心受持を解せば、久しからずして定を起す。 彼の坐禅人、欲・不善法を離れ、有覚有観にして、寂静処において心の成就する所、有喜有楽にして初禅を得。是れ地一切入の功徳なり。

【離欲と五蓋】 是において離欲とは、離に三種あり。謂く身離・心離・煩悩離なり。 問う、云何なるか身離。答う、諸悩を遠離し山野に出処す。云何なるか心離。清浄心を以て勝善処に到る。云何なるか煩悩離。結累無き人、生死の行処無し。 復た次に離に五種あり。謂く伏離・彼分離・断離・猗(い)離・出離なり。云何なるか伏離。謂く初禅を修して五蓋を伏す。云何なるか彼分離。謂く達分定を修して諸見を伏す。云何なるか断離。謂く出世間の道を修して諸の煩悩を断ず。云何なるか猗離。謂く果を得る時の楽。云何なるか出離。謂く涅槃なり。 欲に二種あり。一には処欲、二には欲煩悩なり。天堂及び人の愛する所の色・香・味・触、此を欲処と謂う。此の欲処において欲染の思惟を起す、是を欲煩悩と謂う。此の欲従り、心を以て別離し、伏を以て別離す。是れ遠離、是れ出離、是れ解脱、是れ不相応なり。是を離欲と謂う。

問う、云何なるか不善法を離る。 答う、謂く不善根に三種あり。一に貪、二に瞋、三に痴なり。彼と相応する受・想・行・識、及び身・口・意業、此を不善法と謂う。説く、不善に三種あり。一に自性、二に相応、三に生縁性なり。是の三不善根、謂く貪瞋痴、是を自性と名づく。彼と相応する受想行識、是を相応と名づく。起す所の身口意業、此を縁性と謂う。此の三不善法を以て、是れ遠離と為し、是れ出、是れ脱、是れ不相応なり。是を不善法を離ると謂う。

復た次に離欲とは貪欲蓋を離るるなり。不善法を離るとは謂く余蓋を離るるなり。 問う、已に不善法を離ると説けば、欲は是れ不善にして已にその中に在り。何が故に別に離婬欲を説くや。 答う、婬欲は是れ出の対治なり。仏の説く所、欲は能く煩悩を除く。離欲は、仏、出と為すと説く。初禅を得るが如く、欲想相応して作意すれば起を成ず。此れ退分の法なり。是の故に欲を以て煩悩と和合す。欲若し別離すれば一切の煩悩も皆亦た別離す。是の故に別に離欲を説く。 復た次に離欲とは、已に出を得て離欲を成ず。離不善法とは、若し不瞋を得れば瞋を離るるを成ず。若し明相を得れば懈怠・睡眠を離るるを成ず。若し不乱を得れば調戯を離るるを成ず。若し不悔を得れば悔を離るるを成ず。若し安定を得れば疑を離るるを成ず。若し智慧を得れば無明を離るるを成ず。若し正思惟を得れば邪念を離るるを成ず。若し歓喜を得れば不楽を離るるを成ず。若し心楽を得れば苦を離るるを成ず。若し一切の善法を得れば、則ち一切の不善を離る。三蔵に説くが如し。不貪満つるを以ての故に離欲を成就し、不瞋・不痴満つるを以ての故に離不善法を成就す。 復た次に離欲とは、是れ身離を説く。不善法とは、是れ心離を説く。 復た次に離欲とは、是れ断欲覚を説く。離不善法とは、是れ断瞋恚害覚を説く。 復た次に離欲とは、是れ避欲楽を説く。離不善法とは、是れ著身懈怠を避くを説く。 復た次に離欲とは、是れ六戯笑及び歓喜楽を断ずるを説く。離不善法とは、是れ戯覚及び憂苦等を断ずるを説く。亦た戯笑及び捨を断ずるを説く。 復た次に離欲とは、是れ現に楽を得て欲楽を出づるなり。離不善法とは、是れ現に楽を得て心に過患無きなり。 復た次に離欲とは、謂く欲流を超出す。離不善法とは、所余の煩悩、応に欲有に生ずべきも而も色界に生ず。是を超越と名づく。

【覚と観】 有覚有観とは、云何なるか覚と為す。謂く種々の覚、思惟、安思想なり。心、覚知せずして正思惟に入る、此を覚と為すと謂う。此の覚成就するが故に初禅に覚有り。復た次に地一切入に入り、地相に依り無間に覚思惟を成ず、是を覚と名づく。心、経を誦するが如し。 問う、覚とは何なる想、何なる味、何なる起、何なる処ぞ。 答う、覚とは、猗(い)想を修するを味と為し、下心に念を作(な)すを起と為し、想を行処と為す。 云何なるか観と為す。観を修する時、所択を随観し、心住して随い捨つ。是を観と為すと謂う。此と相応して初禅に観有りを成ず。復た次に地一切入定に入る人、地相を修する従り心の観ずる所、諸義を観ずるが如きを観と為す。 問う、観は何なる相、何なる味、何なる起、何なる処ぞ。 答う、観とは随択、是れ相なり。心をして猗ならしむるは是れ味。随見覚は是れ処なり。

問う、覚観は何の差別ぞ。 答う、猶お鈴を打つが如し。初声を覚と為し後声を観と為す。復た次に心の所縁の如し。初を覚と為し後を観と為す。復た次に禅を求むるを覚と為し守護するを観と為す。復た次に憶は是れ覚、捨てざるは是れ観。復た次に麁心受持を覚と為し、細心受持を観と為す。若し処に覚有らば是の処に観有り。若し処に観有らば、処において或いは覚有り或いは覚無し。三蔵の説く所の如し。初めて心を事において安んずるは是れ覚、覚を得て未だ定まらざるは是れ観。遠く来人を見て、男女を識(し)らざる及び男女を識るが如し。かくの如き色、かくの如き形は覚と為し、此従(よ)り当に戒有り戒無し富貧貴賤を観ずるは観と為す。覚とは求めて将来を引く。観とは守持して随逐す。鳥の虚に陵(のぼ)りて翅を奮うが如きは覚と為し、遊住するは観と為す。初教は覚と為し、久教は観と為す。覚を以て守護し、観を以て捜択す。覚を以て思惟し、観を以て随思惟す。覚行は悪法を念ぜず、観行は禅において受持す。有力人の如し。黙して経を誦し、その義を随念するは是れ観なり。覚の覚する所、覚し已(おわ)りて能く知るが如し。辞弁及び楽説弁を観ずるは是れ覚、義弁法弁は是れ観なり。心、勝において解するは是れ覚、心、解して分別するは是れ観なり。是を覚観の差別と為す。

【寂寂所成・喜・楽】 寂寂所成。寂寂と名づくるは、謂く五蓋を離る、是を寂寂と名づく。復た次に色界の善根、復た初禅の外行を説き、復た禅心此の心従(よ)り生ずと説く、是を寂寂所成と謂う。地水より花を生ずるを地水花と名づくるが如し。 喜楽とは、心是の時大いに歓喜戯笑し、心満ちて清涼なり。此を名づけて喜と為す。 問う、喜は何なる相、何なる味、何なる起、何なる処、幾種の喜あるや。 答う、喜とは謂く欣悦遍満を相と為す。歓適は是れ味。乱心を調伏するは是れ起。踊躍は是れ処なり。 幾種の喜とは、六種の喜なり。欲従り生じ、信従り生じ、不悔従り生じ、寂寂従り生じ、定従り生じ、及び菩提分より生ずる喜なり。 云何なるか欲より生ず。貪欲に染著して心喜ぶ、是を欲生喜と名づく。云何なるか信より生ず。多信の人、心喜び、及び陶師等を見て喜を生ずるなり。云何なるか不悔より喜を生ず。清浄持戒の人、多く歓喜を生ず。云何なるか寂寂より生ず。初禅に入る人の喜なり。云何なるか定より生ず。二禅に入りて喜を生ず。云何なるか菩提分より喜を生ず。第二禅において出世間の道を修する喜なり。 復た次に喜に五種を説く。謂く笑喜・念念喜・流喜・越喜・満喜なり。笑喜とは、細雨の身を沾(うるお)して毛をして皆竪(た)たしむるが如し。念念喜とは、生滅して住せず、夜時の雨の如し。流喜とは、油の下流して久しくその身に灌ぐも、終に周遍せざるが如し。越喜とは、一切を周匝して心に歓喜を生じ、久しからずして便ち失す。貧人の伏蔵を見るが如し。満喜とは、身住し用満つ。雷ありて雨ふるが如し。 是において小喜(笑喜)及び念念喜は、信を以て外行を起す。流喜は、力有りて外行を起す。越喜は、曼陀羅において正と不正と、皆処々の方便を起す。満喜は、安処に生ず。

問う、云何なるか楽と為す。 答う、是の時受く可き心楽、心触の成ずる所なり。此を楽と為すと謂う。 問う、楽は何なる相、何なる味、何なる起、何なる処、幾種の楽あるや。喜楽は何の差別ぞ。 答う、味を相と為す。愛境に縁ずるは是れ愛味なり。摂受は是れ起。その猗(い)は是れ処なり。 幾種の楽とは、五種あり。謂く因楽・資具楽・寂寂楽・無煩悩楽・受楽なり。云何なるか因楽と名づく。仏の説きたもうが如く、戒楽は老に耐う。此を因楽と謂う。是れ楽の功徳なり。資具楽とは、仏の説きたもうが如く、仏世に生ずるは楽なり。寂寂楽とは、謂く定捨及び滅禅定を生ず。無煩悩楽とは、仏の説きたもうが如く、第一涅槃の受楽なり。所謂受楽なり。此の論の中にては受楽は是れ楽(ねが)うべし。 喜楽は何の差別かとは、心踊躍するは是れ喜、心柔軟なるは是れ楽、心猗(い)なるは是れ楽。心定まるは是れ喜。麁(そ)は喜、細は楽。喜は行陰の摂する所、楽は受陰の摂する所。是の処に喜有り楽有り。是の処に楽有るも或いは喜有り或いは喜無し。初めは形、第二を名と為す。外行成就して初禅の禅枝、謂く覚観喜楽一心に入るなり。

【初禅の成就】 禅とは何の義ぞ。謂く事において平等に思惟するなり。五蓋を奮迅するなり。対治を思惟するなり。 初禅に入りて正受を得るとは、已に得、已に触れ、已に作証して住す。復た次に欲・不善法を離るとは、欲界の地従り初禅を説いて勝相と為す。有覚有観従り第二禅を説いて勝相と為す。寂寂所成、有喜有楽を以て、寂寂所成の喜楽従り説いて勝相と為す。復た次に欲・不善法を離るとは、謂く能く対治を断ず。有覚有観とは、謂く禅相の寂寂所成を説く。喜楽とは、謂く相似の禅正受を説く。 入住とは、謂く初禅を得て五分を離れ、五分を成就し、三善・十想・具足し、二十五功徳相応す。此の福善を以て梵天の勝妙居処に上生す。

【五蓋の断】 五分を離るとは、謂く五蓋を離る。云何なるか五と為す。謂く貪欲・瞋恚・懈怠睡眠・調悔・疑なり。 貪欲とは、謂く五塵において心に愛染を生ず。瞋恚とは、謂く十悩処を行ず。懈怠とは、謂く心懶堕(らんだ)す。睡眠とは、謂く身悶重して寤寐(ごび)を得んと欲す。眠に三種あり。一には食従り生ず、二には時節従り生ず、三には心従り生ず。若し心従り生ずるは思惟を以て断ず。若し飲食及び時節従り生ずるは、是れ羅漢の眠にして心従り生ぜず、蓋する所無きが故に。若し眠、食及び時節従り生ずる者は、精進を以て能く断ず。阿那律(あぬるだ)の説く所、「我初めて漏を尽くし心に従わざる眠を得たり。今に于(おい)て五十五歳、その中間に食時節の臥を断ずること已に二十五年」と。 問う、若し眠、色法を成ぜば、何が故に心数煩悩と為すや。答う、色なる者は一向に心数悩繁を成ず。我が人の飲酒及び食を見るが如し。是れ則ち知るべし。 問う、若し眠は身法、懈怠は心数法ならば、何が故に二法合して一蓋と為すや。答う、此の二種の法、一事一相なり。所謂疲懈、共にして一と為る。 調とは心寂寂ならず。悔とは心恨みて定まらず。その相既に等しきが故に一蓋を成ず。 疑とは心執して一ならず。四種の疑あり。一には奢摩他(しゃまた)難、二には毘婆舍那(びばしゃな)難、三には二倶難、四には諸非難においてす。是において具足して奢摩他を得んと為すに、或いは此において疑い、或いは身において疑う。「我寂寂を得るに堪えたりや、寂寂を得ざるや」。若し彼において疑いを成ず、此を奢摩他難と謂う。或いは四聖諦において、或いは三世において疑う、此を毘婆舍那難と謂う。或いは仏法僧において疑う、此を二倶難(にくなん)とす。或いは国城道路において、或いは男女名姓においてす、是を非法難と謂う。此の経の中にては疑を寂寂難と為す、是れ取るべし。 蓋とは何の義ぞ。謂く障礙・乗義・覆義・煩悩義・縛義なり。此れ異義無し。 問う、諸の細結、謂く覆悩等あり。何が故に但だ五蓋のみを説くや。 答う、集執取を以て五を成ず。復た次に婬欲の執著を以て、能く一切の貪欲を摂す。瞋恚の執著を以て、能く一切の不善法を摂す。懈怠・睡眠・調悔・疑の執著を以て、能く一切の痴不善法を摂す。かくの如く五蓋の執著を以て、能く一切の煩悩を摂す。此の相を以ての故に五蓋を成ず。

【五禅支の成就】 五分成就とは、謂く覚・観・喜・楽・一心なり。 問う、若し初禅は五枝を成就して禅と為すと説かば、応に更に復た別にその枝を説いて禅と為すべからず。若し別に枝を説かば、何が故に初禅は五枝相応と説くや。 答う、禅枝に依りて禅を成ず。禅枝を離れて禅有るに非ず。別に異禅無し。一一の車分に依りて車と説き、分を離れて車無きが如し。軍分に依りて軍と説き、軍分を離れて軍有るに非ざるが如し。かくの如く禅枝に依りて禅と名づく。枝を離れて禅有るに非ず。一種を以て禅と名づく。分つべきを以て枝と名づく。事を説いて禅と名づけ、功徳を説いて枝と名づく。依制を説くを以て禅と名づけ、依性制を説くを以て枝と名づく。 問う、念・精進等の法有るにおいて、何が故に但だ五枝のみを説くや。 答う、執著を以て五を成ず。 問う、云何なるか執相と為す。 答う、覚とは事に随いて心して自ら安きを得。観とは持心に随う。覚観雑えずして方便を起す。若し方便具足すれば喜楽生ず。若し方便を起し具足すれば生を得。喜心増長し楽心満を成ず。此の四功徳を以て心乱れざるを成就す。若し心乱れざれば定を得。是を執相と名づく。かくの如く執著して五を成ず。 復た次に蓋の対治なるが故に五を成ず。初蓋の対治は初禅、乃至五蓋の対治は五禅なり。 覚とは初禅を勝枝と為す。覚を以て欲を除く。若し覚正定に入れば余枝も亦た起る。観とは五枝において、第二禅は是れ初めに起る。喜とは第三禅において是れ初めに起る。楽とは第四禅において是れ初めに起る。一心とは第五禅において是れ初めに起る。かくの如く勝枝を以て五を成ず。 復た次に五蓋の対治を以て五を成ず。三蔵の説く所の如し。一心は是れ婬欲の対治、歓喜は是れ瞋恚の対治、覚は是れ懈怠眠の対治、楽は是れ調悔の対治、観は是れ疑の対治なり。蓋の対治に従うを以て是の故に五を成ず。

問う、此の坐禅人、一切地相を作意するに、何が故に乃ち喜楽を起すや。 答う、地一切入の相、喜楽を起すに非ず。五蓋の熱を離れ、性に随いて修するに因るが故に。是を以て法子(ほっし)、応に喜楽を起すべし。 又た問う、若し然らば法子、何が故に第四禅において喜楽を起さざるや。 答う、その処に非ざるが故に。又た第四禅を得て已に喜楽を断ずるが故に。復た次に初めに已に喜楽を起し、方便を以て伏断し、過患有りと見已(おわ)りて、最も寂寂なる捨楽に貪著す。是の故に喜楽を起さず。

【三善・十相・二十五功徳】 三種の善とは、謂く初・中・後善なり。清浄修行を以て初善と為し、捨増長を以て中善と為し、歓喜を以て後善と為す。云何なるか清浄修行。謂く諸善の資具なり。云何なるか捨増長。是を安定と謂う。云何なるか歓喜と為す。是を観と為すと謂う。かくの如く初禅は三種の善を成ず。 十相具足す。清浄修行を以て三相、捨増長を以て三相、歓喜せしむるを以て四相なり。 問う、清浄修行を以て云何なるか三相。 答う、是れ禅の障礙、彼従(よ)り心清浄なり。清浄を以ての故に心中奢摩他(しゃまた)の相を得。得るを以ての故に彼において心跳擲(ちょうてき)す。此を修清浄を以て三相と謂う。 問う、云何なるか捨増長を以て三相。 答う、若し心清浄なれば捨を成ず。若し寂寂を得れば捨を成ず。一向に住して捨を成じ而も捨増長す。此を三相と謂う。 問う、云何なるか歓喜せしむるを以て四相。 答う、謂く此の十相生法において、随逐修行して歓喜を成ぜしむ。此の諸根において以て一味と為し歓喜を成ぜしむ。随行精進乗、歓喜を成ぜしむ。能く修行するを以て歓喜を成ぜしむ。此を四相と謂う。かくの如く初禅は十相具足す。

二十五功徳相応とは、謂く初禅は覚・観・喜・楽・一心具足し、信・精進・念・定・慧具足し、初・中・後具足し、斂摂(れんしょう)具足し、修行具足し、寂寂具足し、依具足し、摂受具足し、従具足し、観具足し、修具足し、力具足し、解脱具足し、清淨具足し、最勝清淨修成住二十五功徳相応す。 是れ天の勝居、寂寂従り生ず。謂く喜楽住、人間を超越し、天居勝処なり。仏世尊、諸の比丘に教えたもうが如し。 「勤浴師(ごんよくし)、浴師弟子、好き銅槃(どうばん)を以て豆米屑を盛り、水を以て和し攪(かきま)ぜ合わせ、而して丸と為し、浸潤して内外相著(つ)いて散ぜず。かくの如く比丘、身心寂寂にして、能く喜楽を生じ、灌ぎて遍く湿(うるお)し、著かざる所無からしむ。寂寂より生ずる所の喜楽を以て、その身心において著かざる処無きが如し。」 是れ勤浴師及び浴師弟子は、坐禅の人も亦た復たかくの如し。かくの如く銅槃、一切入の相、かくの如く知るべし。 問う、一切入は何等の相ぞや。 答う、銅槃の浴屑の処、堅細光焔なるが如し。善く一切入の相を取れば、堅くして喜を生ずるを成じ、細にして清浄なる故に光焔を成ず。心心数法、以て事を成ずるが故に。是を銅槃等一切入の相と謂う。心心数法、浴屑の如し。かくの如く知るべし。 問う、云何なるか浴屑等の心心数法の性。 答う、麁(そ)なる浴屑の、既に和合せんとして風に随いて飛散するが如し。かくの如く心心数法の性は、喜楽を離れて麁を成じ、定を離れて和合せず、五蓋の風と共に飛ぶ。此を是れ浴屑等の心心数法の性と謂う。 云何なるか水等。謂く喜楽定は水の如し。浴屑をして湿軟(しつなん)ならしめ丸と為す。かくの如く喜楽は心・心数法をして湿軟ならしめ定と為す。かくの如く水等の喜楽定は、欲水攪ぜて相著かしむるが如し。かくの如く覚観は知るべし。 問う、云何なるか丸等。 答う、謂く覚観は欲使(よくし)の如し。浴屑を以て銅槃の中に置き、水を以て撓攪(とうこう)し、手を以て丸を作(な)す。若し丸を作り已(おわ)らば諸の湿屑を合し、共に丸を作る。散失せしめず銅槃の中に置く。かくの如く坐禅人の心心数法、事の中に貯えて能く寂寂を生ず。初禅は喜楽を以て水と為し、覚観を以て手と為し、以て攪ぜて丸と作り、能く寂寂を生ず。成ずる所の心心数法、喜楽相随いて一丸と成る。禅心散乱せず、禅事に置く。かくの如く丸等の覚観、浴屑の如く、内外遍く湿(うるお)い相著いて散ぜず。 かくの如く坐禅人、初禅において身の上下、頭より足に至り、足より髑髏(どくろ)に至るまで、皮髪内外喜楽遍満し、不退に住す。かくの如く梵天を成住す。

問う、名喜楽は非色法にして有対の相無きに、何を以て身に遍住するや。 答う、名は色に依り、色は名色に依る。是の故に若し名已に喜を成ぜば色も亦た喜を成ず。若し名已に楽を成ぜば色も亦た楽を成ず。復た次に色は楽より生じ身をして猗(い)を起さしむ。一切身、彼の色猗楽を成ず。是の故に無碍にして梵天の功徳を生ぜしむ。

【初禅の三種と退分・勝分】 初禅、成ずるに三種あり。謂く下・中・上なり。若し勝縁を観じ不善五蓋を除くも、如意自在に至らざる、是を下禅と謂う。若し勝縁を観じ善く五蓋を除き、如意自在に至る、是を中禅と謂う。若し勝縁を観じ善く五蓋を除き、如意自在に至る、是を上禅と謂う。是において坐禅人、若し下初禅を修せば、命終して梵天種類に生ず。彼の寿命一劫三分(の二?)なり。若し中初禅を修せば、命終して梵天に生ず、寿半劫なり。若し上初禅を修せば、命終して大梵天に生ず、寿命一劫なり。 是れ梵天の功徳を生ず。成ずるに四種あり。人ありて退分を成ず、人ありて住分を成ず、人ありて勝分を成ず、人ありて達分を成ず。 是れ鈍根の人、放逸に住し作意相随い、此の禅を起すを成ずる故に退分を成ず。復た次に三禅行を以て退分を成ず。最大纒(てん)なるが故に精進せしめず。若し人初めより已に悪覚を起して消除すること能わずんば、此の大纒を以ての故に速退を成ず。その楽禅の事業・楽話語・楽睡眠にして精進に住せず。是の故に退を成ず。 問う、誰か退き、何を以て退くや。 答う、説くこと有り。若し急疾の煩悩なれば退失を起すを成ず。復た説く、悠悠の煩悩なるが故に退く。復た説く、若し奢摩他を失すれば退を成ず。復た説く、有相において久しく修行せず、彼彼の処において起さしむること能わず。定を得ざるを以て退分を成ず。 若し鈍根の人、不放逸に住し、彼の法念を得れば禅住分を成ず。 利根の人、不放逸に住し、意に随いて第二禅を得、無覚作意相随いて起れば彼の禅勝分を成ず。 利根の人、不放逸に住し、意に随いて毘婆舍那を得、厭患の想に随逐して作意起るを成ず。意に随いて無染なれば禅達分を成ず。

解脱道論 巻第四

解脱道論卷第四 阿羅漢優波底沙(梁言大光)造 梁扶南三藏僧伽婆羅譯

行門品第八之一

【地一切入の定義と功徳】 問: 云何地一切入。何修何相何味何處。何功徳。一切入者何義。幾種地何地取相。云何作曼陀羅法。何修地法。 答: 是心依地相生。此謂地一切入。 心不亂住是名爲修。 善樂著地想爲相。 不捨爲味。 意無異念爲處。

何功徳者: 謂有十二功徳。從地一切入是相易得。於一切時、於一切行。心行無礙。如意神通。履水遊空如地。受種種色辯。初念宿命辯。及天耳界辯。隨行善趣甘露爲邊。

問: 一切入何義。 答: 謂周普一切入。如佛説偈言:   若人念佛徳 生喜充遍身   觀地一切入 周滿閻浮提   此觀縁地生 心喜亦如是 修如是觀。見曼陀羅遍一切入。

【地の種類と曼陀羅の作法】 問: 地幾種。何地取相可修。 答: 地有二種。一自相地。二造作地。 堅爲自相地界。是謂自相地。 若手自掘若教人掘。造作所成。是謂作地。成四種色。謂白黒赤及如明色。 於是坐禪人。於自相地不應作意。應除白黒赤。何以故。若觀自相地。從此不起彼分相。若取白黒赤色。成修色一切入。何以故。觀自相地離白黒赤。若作不作當取其相。如明相現當取其相。

問: 云何名不作地。 答: 處處平坦。離於草莽無諸株杌。於其眼境當令起心。是名地想。是謂不作地。若舊坐禪隨樂不樂。即見彼分地相。住於不退。新學初禪取作地相作曼陀羅。不觀非作地。

問: 云何作曼陀羅。 答: 若坐禪人欲於地作曼陀羅。初從當觀寂寂。或於寺舍或在石室。或在樹下。不住幽闇無日光處非人行路。 於如是處皆遠一尋。洒掃清潔當令地燥掃。於處所如明相現時。土色使與地性得相發起。籌量調適威儀恭敬。 取於器物以水和土。刪去草杌却除糞芥。取其衣帊濟漉泥滓。於淨潔地障蔽坐處。遮斷光明安置禪窟。 不近不遠以規作圓。圓内平滿無有痕跡。然後以泥泥地不雜餘色。以別色不雜於地應安。乃至未燥當覆守護。若至燥時以異色界其外。 或如米篩大。或如掻牢大。或圓或方或三角四角。應當分別。本師所説。最勝圓作曼陀羅。若於衣若於板若於壁處。皆作曼陀羅。於地最勝。如是先師所説。

【修行の準備:欲の過患と出離】 問: 云何修地法。 答: 若坐禪人。欲修地一切入。從初當觀欲過患。復應觀出離功徳。

問: 何故應觀欲過患。 答: 欲者少氣味故多憂苦。於是處多過患。 欲者如骨喩、少氣味。 欲者如肉揣喩、以多屬故。 欲者如逆風把火喩、隨燒故。 欲者如炎炭喩、大小故。 欲者如夢喩、倏忽無故。 欲者如借物喩、勢不得久故。 欲者如樹果喩、爲人所折故。 欲者如刀喩、以斬斫故。 欲者如槊喩、以爲槊故。 欲者如毒蛇頭喩、可怖畏故。 欲者如風吹綿喩、不可守護故。 欲者如幻喩、惑癡人故。 欲者是暗、無所見故。 欲者是障礙路、礙諸善法故。 欲者是癡、失正念故。 欲者如熟、以爛故。 欲者是械相、駐縛故。 欲者是盜、功徳物故。 欲者是怨家、起鬪爭故。 欲者是苦、造諸過患故。 如是已觀欲過患。應觀出離功徳。

名出離者: 謂初禪從初出家修諸善。是名出離。

問: 云何出離功徳。 答: 無蓋心自在住寂寂樂。堪忍苦樂住不忘失。曠濟衆事得大果地。堪受供養。二處饒益。是大智慧。是一切善處。名超三界。 復次名出離者。彼出離婬欲。是寂寂諸蓋是樂無垢。是處最勝地。是道爲得最勝。是清淨心垢。此是功徳修行所造。是樂内所修行。 欲是麁。出是勝妙。 欲者有煩惱。出離者是無煩惱。 欲者是下。出離者是上。 欲者有嗔恚。出離者無嗔恚。 欲者非可愛果。出離者是可愛果。 欲者有怖畏。出離者無怖畏。

【取相:修行の実践】 如是已觀婬欲過患。及觀出離功徳。依出離生欲樂。心生信生恭敬。觀可作非可作。依節量食安置衣鉢。身不懈惓心無怠惰。當小行脚。 小行脚已坐洗手足。應念佛菩提念法念僧。修善行念已。當令歡喜。我能如此得具足。若我不得出離。復不久安精進。是故應作勇猛。 去曼陀羅不遠不近。如軛如尋遠。應安坐具對曼陀羅結跏趺坐。令身平正。内心起念閉眼小時。除身心亂。攝一切心成一心。小開眼。髣髴令觀曼陀羅。 彼坐禪人現觀曼陀羅形。以三行取相。以等觀、以方便、以離亂。

問: 云何以等觀。 答: 坐禪人現觀曼陀羅。非大開眼非大閉眼。如是當觀。何以故。 若大開眼其眼成惓。曼陀羅自性現見自性。彼分想不起。 若最閉眼見曼陀羅成闇。亦不見彼相便生懈怠。 是故應離大開眼大閉眼。唯專心住曼陀羅。爲心住故當觀如人映鏡見其面像。依鏡見面面從鏡生。彼坐禪人觀曼陀羅。見其定相依曼陀羅起。是故當觀等觀取相。爲心住故。如是以等觀取相。

問: 云何以方便。 答: 謂四作意方便。一謂内隔。二滿方。三轉。四遍滿。 是時見相出散無隔。是時當作内隔作意。 是時見小相。或見半曼陀羅。是時作令滿曼陀羅已。方滿令作意。 是時心散亂。及心懈懶。是時應當策課如陶家輪。 是時若心得住。是時令見曼陀羅。遍滿無虧當觀捨。如是以方便可知。

問: 云何以離亂。 答: 離亂有四種。一最速作精進。二最遲作精進。三最高。四最下。 問: 云何速作精進。 答: 謂急疾作意不待時節。早坐晩罷乃至身疲。是謂速作。 問: 云何遲作精進。 答: 謂離作意方便。雖見曼陀羅。不恭敬作意。數起數眠。 若速作精進。則成身懶心退。心出外縁起諸調戲。 若遲作精進。身心成懶懈怠。起諸睡眠。 最高者: 其心退起諸調亂。於所行處成不樂。若不樂於初戲笑言語。以由欲心成高。復次若得諸相行。由喜樂欲心成高。 最下者: 退調縁故。於業處成不樂。若不樂於初行處。所作嗔處。由嗔恚心成下。復次久惓覺觀。從勝退落其心。由憂受心成下。 是坐禪人。若心速作退墮調處。以念根定根攝伏令捨調。若心進作退墮懶處。以念根精進根攝伏令捨懈懶。若高心者退墮欲處。成現知令捨欲。若下心者退墮於嗔恚。成現知令捨瞋恚。於此四處成清淨心。成專一心。

【彼分相(似相)と守護】 此明因三行定心成隨意得見曼陀羅形。若專一心想成。起名相者有二種。謂取相。彼分相。 云何名取相: 若坐禪人以不散心現觀曼陀羅。從曼陀羅起想。如於虚空所見。或時遠或時近。或時左或時右。或時大或時小。或時醜或時好。或時多或時少。不以眼觀曼陀羅。以作意方便取相起。是名取相。 名彼分相者: 從彼作多故。彼分相起。若作意時隨心即現。非見曼陀羅後生心念。但作心閉眼如先所觀。若遠作意亦即遠見。若近左右前後。内外上下亦復如是。隨心即現。此謂彼分相。

相者何義: 謂因義相義。如佛教比丘。彼諸惡不善法。有相起是因縁義。復説智義相義。如佛説以作想當捨。是謂智義。復説像義相義。如自見面像想像。彼分無異義。

爾時得相。坐禪人於其師所起恭敬心。取於勝相應當守護。若不守護是則當失。 問: 云何應守護。 答: 以三種行應守護相。如是以離惡故。以修行善故。以常作故。 云何離不善: 樂於作務。樂種種語戲。樂睡眠。樂聚會。樂狎俗。不守護諸根。不節於食。初夜後夜不起禪習。不敬所學。多惡親友修不行處。應離不好時節食臥坐不。彼對治是善應常作。 問: 云何以常作。 答: 彼坐禪人善取此相。常觀其功徳。如珍寶想。常歡喜行。常修多修。或晝夜多修行。或倚坐臥心樂攀縁。處處放心。取相已取。取已令起。起已觀隨。觀已修。修有時時觀曼陀羅。如是以常作見相。彼如是現守護相。

【禅外行(近行定)と安(安止定)】 或得自在。若相隨心得禪外行。若外行從心者。由是得安。 問: 云何禪外行。 答: 此事從心。作意不亂。以伏諸蓋。但未修行覺觀喜樂一心及信等五根。雖得定力念念猶起。是禪外行。 安者: 從此外行是法由心得修行力。是覺信等法於事不動。是名爲安。

問: 外行及安。有何差別。 答: 若伏五蓋是其外行。以伏此五故成安。以禪外行得勝定。若得勝定是名爲安。 若於身心未得寂寂。於外定心動如船在浪。若於身心已得寂寂。處安不動如船無風在水。 諸根無力故。於所爲事外禪行不久住。如小童子。諸根有力故。於事安靜久住。如有力人。 修不自在。故禪外行成不和合。如人誦經久廢則忘。以修自在故成安和合。如人誦經恒習不忘。 若不善伏蓋。猶如盲人。於禪外行成盲。如是等不清淨教。若善伏蓋成不盲。於成安定如是等清淨教。 從相自在所初。乃至性除名爲外行。性除無間是名爲安。

問: 外行者何義。 答: 禪近故是名外行。如路近村是謂村路。義一名異。 安者何義。 安爲和合義。如到曼陀羅。出離禪安無異義。

【増長(相の拡大)】 於是坐禪人住於外行。應令増長一切入。或於安定或於初禪。當令増長。 問: 云何應令増長。 答: 謂從初相如手四指節。當令漸増。如是作意。如是得自在。如是次第如輪如蓋。如樹影。如福田。如隣如村。如郭如城。如是次第。漸令漸長遍此大地。若江山高下樹木棘刺。諸不平正。如是一切不作意。乃至大海作意地想。乃至増長時心所行。成最勝定。

【安定を起こす方便】 若坐禪人得禪外行。不能得安定。此坐禪人。以二行應令起安定方便。一以因縁。二以受持。

以十行從因縁起安定方便: 一、令觀處明淨。 二、遍起觀諸根。 三、曉了於相。 四、制心令調。 五、折伏懈怠。 六、心無味著。 七、心歡喜。 八、心定成捨。 九、離不學定人親近學定人。 十、樂著安定。

  • 云何作明淨處觀: 以三種行得作分明處。謂能修調適食樂。修時節樂。修威儀樂。
  • 遍起諸根觀者: 謂信等五根不令消滅。無作懈怠。如快馬乘車。
  • 曉了於相者: 善捉意想不急不寛。如巧師繩墨平等無偏。善解作意急離不離。
  • 制心令調者: 有二種行。以二種行成心調。一多起精進。二心過度處成心調。或住婬處及種種相處。増長亂意成於心調。於坐禪人若多起精進。過度處成心調。以二行應制伏心。以令精進起。毎中調適。若往婬處及種種相。増長調心。以二行折伏。以觀覓衆苦及惡果報。
  • 制伏懈心者: 以二行成懈怠心。以不得勝定。令心無味故成懈怠。若多懈怠則欲睡眠。是坐禪人若不得勝定。心無味著故成懈怠。以二行當折伏。謂觀功徳以起精進。若懈怠睡眠懶心。以四種行能伏。若多食者取懈怠想。轉行四威儀。以自作意。於光明相住於露處。
  • 令心歡喜: 無所復著。以三行成無味少方便故。以鈍慧故。以不得寂寂樂故。於是坐禪人心若無味。以二種行令得歡喜。一以恐怖。二以歡喜。若觀生老死及四惡趣。見諸可畏心生愁惱。若念佛法僧戒施天。見六行功徳心生歡喜。
  • 心定成捨者: 以二行成於禪外地定。以斷諸蓋心成定。或於所得地以起禪枝。故成心定。是坐禪人心定有二行。當捨非成住故。中方便調適故。
  • 離不學定人親近學定人: 離不學定人。或安定。或外行定。或威儀定。彼人無此不修不學。不應供養修。學人者。若有安定。有外行定及威儀定。應從修學。亦應供養。
  • 樂著安者: 此坐禪人。如彼深源。如彼奔泉。如彼低樹。常樂恭敬。多所修行。行此十事因縁生於安定。

問: 云何以受持能生安定方便。 答: 彼坐禪人善解縁起入寂寂處。其所解相。於所修定隨心自在。生其欲樂令心得起。從此身意堪任有用令得受持。從生歡喜心得受持。從生適樂身心得受持。從生光明心得受持。從生悲傷心得受持。以是悲傷令心得靜。善取靜心心得受持。如是善取。令捨心得受持。從無邊煩惱。心得解脱成就受持。以解脱故。彼成一法味。以一味心得受持修行。是故從此勝妙心得増長。如是住受持。起安定方便。如是善解縁起。及心受持不久起定。

【初禅の成就:離欲と不善法】 彼坐禪人離欲不善法。有覺有觀。於寂靜處心所成就。有喜有樂得於初禪。是地一切入功徳。

於是離欲者: 離有三種。謂身離心離煩惱離。 問: 云何身離。答: 遠離諸惱出處山野。 問: 云何心離。答: 以清淨心到勝善處。 問: 云何煩惱離。答: 無結累人無生死行處。 復次離有五種。謂伏離、彼分離、斷離、猗離、出離。 伏離: 謂修初禪伏於五蓋。 彼分離: 謂修達分定伏於諸見。 斷離: 謂修出世間道斷諸煩惱。 猗離: 謂得果時樂。 出離: 謂涅槃也。

欲者有二種: 一者處欲。二者欲煩惱。天堂及人所愛色香味觸。此謂欲處。於此欲處起欲染思惟。是謂欲煩惱。從此欲以心別離以伏別離。是遠離是出離。是解脱是不相應。是謂離欲。

問: 云何離不善法。 答: 謂不善根有三種。一貪二瞋三癡。與彼相應受想行識及身口意業。此謂不善法。 説不善有三種。一自性。二相應。三生縁性。是三不善根。謂貪嗔癡。是名自性。與彼相應受想行識。是名相應。所起身口意業。此謂縁性。以此三不善法。是爲遠離。是出是脱是不相應。是謂離不善法。 復次離欲者。離貪欲蓋。離不善法者。謂離餘蓋。

問: 以説離不善法。欲是不善已在其中。何故別説離婬欲。 答: 婬欲是出對治。佛所説欲能除煩惱。離欲者。佛説爲出。如得初禪。欲想相應作意成起。此退分法。是故以欲和合煩惱。欲若別離一切煩惱皆亦別離。是故別説離欲。 復次離欲者。已得出成離欲。離不善法者。若得不嗔成離於嗔。若得明相成離懈怠睡眠。若得不亂成離調戲。若得不悔成離於悔。若得安定成離於疑。若得智慧成離無明。若得正思惟成離邪念。若得歡喜成離不樂。若心得樂成離於苦。若得一切善法則離一切不善。如三藏説。以不貪滿故。成就離欲。以不嗔不癡滿故。成就離不善法。

【禅支:覚・観・喜・楽・一心】 有覺觀者。 云何爲覺: 謂種種覺思惟安思想。心不覺知入正思惟。此謂爲覺。此覺成就故初禪有覺。復次入地一切入。依地相無間成覺思惟。是名爲覺。如心誦經。 問: 覺者。何想何味何起何處。 答: 覺者。修猗想爲味。下心作念爲起。想爲行處。 云何爲觀: 於修觀時隨觀所擇心住隨捨。是謂爲觀。以此相應成初禪有觀。復次入地一切入定人。從修地相心之所觀。如觀諸義爲觀。 問: 觀何相何味何起何處。 答: 觀者隨擇是相。令心猗是味。隨見覺是處。

問: 覺觀何差別。 答: 猶如打鈴。初聲爲覺後聲爲觀。 復次如心所縁。初爲覺後爲觀。 復次求禪爲覺守護爲觀。 復次憶是覺不捨是觀。 復次麁心受持爲覺。細心受持爲觀。 若處有覺是處有觀。若處有觀。於處或有覺或無覺。 如三藏所説。初安心於事是覺。得覺未定是觀。如遠見來人。不識男女及識男女。如是色如是形爲覺。從此當觀有戒無戒富貧貴賤爲觀。 覺者求引將來。觀者守持隨逐。如鳥陵虚奮翅爲覺。遊住爲觀。初教爲覺久教爲觀。以覺守護以觀搜擇。以覺思惟以觀隨思惟。覺行不念惡法觀行受持於禪。如人有力。默而誦經隨念其義是觀。如覺所覺覺已能知。觀於辭辯及樂説辯是覺。義辯法辯是觀。心解於勝是覺心解分別是觀。是爲覺觀差別。

寂寂所成: 名寂寂者。謂離五蓋是名寂寂。復次色界善根。復説初禪外行復説禪心從此心生是謂寂寂所成。如地水生花名地水花。

喜樂者: 心於是時大歡喜戲笑。心滿清涼。此名爲喜。 問: 喜何相何味何起何處幾種喜。 答: 喜者謂欣悦遍滿爲相。歡適是味。調伏亂心是起。踊躍是處。 幾種喜: 六種喜。從欲生。從信生。從不悔生。從寂寂生。從定生。及菩提分生喜。 問: 喜樂何差別。 答: 心踊躍是喜。心柔軟是樂心猗是樂。心定是喜。麁喜細樂。喜行陰所攝。樂受陰所攝。是處有喜有樂。是處有樂或有喜或無喜。

【五蓋と五禅支の対治】 初者形第二爲名。外行成就入初禪禪枝。謂覺觀喜樂一心也。 問: 此坐禪人作意於一切地相何故乃起喜樂耶。 答: 地一切入相非起喜樂。因離五蓋熱隨性修故。是以法子應起喜樂。

問: 若然法子何故。不於第四禪起喜樂。 答: 非其處故。又得第四禪已斷喜樂故。復次初已起喜樂以方便伏斷。見有過患已。貪著最寂寂捨樂。是故不起喜樂。

【初禅の功徳と構成】 三種善者: 謂初中後善。以清淨修行爲初善。以捨増長爲中善。以歡喜爲後善。 十相具足: 以清淨修行三相。以捨増長三相。以令歡喜四相。 二十五功徳相應: 謂初禪覺觀喜樂一心具足。信精進念定慧具足。初中後具足。斂攝具足修行具足。寂寂具足。依具足。攝受具足。從具足。觀具足。修具足。力具足。解脱具足。清淨具足。最勝清淨修成住二十五功徳相應。

【沐浴師の譬喩(銅槃と水と粉)】 是天勝居從寂寂生。謂喜樂住超越人間天居勝處。如佛世尊教諸比丘。 如勤浴師浴師弟子。以好銅槃盛豆米屑。以水和攪合而爲丸。浸潤内外相著不散。 如是比丘身心寂寂。能生喜樂灌令遍濕。無所不著。如以寂寂所生喜樂。於其身心無不著處。是勤浴師及浴師弟子。坐禪之人。亦復如是。 如是銅槃一切入相如是可知。

問: 一切入何等相耶。 答: 如銅槃浴屑處堅細光焔。善取一切入相。成堅生喜成細清淨故光焔。心心數法以成事故。是謂銅槃等一切入相。心心數法如浴屑。如是可知。

問: 云何浴屑等心心數法性。 答: 如麁浴屑。既不和合隨風飛散。如是心心數法性。離喜樂成麁。離定不和合。與五蓋風共飛。此謂是浴屑等心心數法性。

云何水等: 謂喜樂定如水。令浴屑濕軟爲丸。如是喜樂令心心數法濕軟爲定。如是水等喜樂定。如欲水攪令相著。如是覺觀可知。

問: 云何丸等。 答: 謂覺觀如欲使。以浴屑置於銅槃中。以水撓攪以手作丸。若作丸已合諸濕屑。共作於丸。不令散失置銅槃中。如是坐禪人心心數法。貯於事中能生寂寂。初禪以喜樂爲水。以覺觀爲手。以攪作丸。能生寂寂。所成心心數法。喜樂相隨成一丸。禪心不散亂。置於禪事。如是丸等覺觀如浴屑。内外遍濕相著不散。 如是坐禪人。初禪於身上下。從頭至足。從足至髑髏。皮髮内外喜樂遍滿。住於不退。如是成住梵天。

問: 名喜樂非色法無有對相。何以遍住於身。 答: 名者依色。色依名色。是故若名已成喜色亦成喜。若名已成樂色亦成樂。復次色從樂生令身起猗。一切身成彼色猗樂。是故無礙令生梵天功徳者。

【初禅の種類と果報】 初禪成有三種。謂下中上。 若觀勝縁不善除五蓋。不至如意自在。是謂下禪。 若觀勝縁善除五蓋。至如意自在。是謂中禪。 若觀勝縁善除五蓋。至如意自在。是謂上禪。 於是坐禪人。 若修下初禪。命終生於梵天種類。彼壽命一劫三分。 若修中初禪。命終生於梵天壽半劫。 若修上初禪。命終生大梵天壽。命一劫是生梵天功徳。

成有四種。有人成退分。有人成住分。有人成勝分。有人成達分。 是鈍根人欲。住放逸作意相隨。成起此禪故成退分。復次以三禪行成於退分。最大纒故令不精進。若人從初已起惡覺不能消除。以此大纒故成速退。其於樂禪事業樂話語樂。睡眠不住精進。是故成退。

問: 誰退何以退。 答: 有説。若急疾煩惱成起退失。復説悠悠煩惱故退。復説若失奢摩他成退。復説於有相久不修行。於彼彼處不能令起。以不得定成退分。 若鈍根人住不放逸。得彼法念成禪住分。 利根人住不放逸。隨意得第二禪。無覺作意相隨。起成彼禪勝分。 利根人住不放逸。隨意得毘婆舍那。隨逐厭患想作意成起。隨意無染成禪達分。

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