Batch-V9-08:慧の分類体系──二種・三種・四種・四諦智への収束

目次

いくつの慧があるか

「幾種の慧とは。答う、二種・三種・四種なり。」

慧はいくつあるか。二種・三種・四種で答えられる。しかも各分類の中には、複数のセットが置かれる。慧は単一の分類で扱えない。

業処カタログは三十八で「已りぬ」と数えられた。慧は数で完備しない。多軸的に展開される。


世慧と出世慧

二種の慧。

「世慧・出世慧なり。是に於いて、聖道果と相応する慧、是れ出世慧なり。余は是れ世慧なり。」

聖道果と相応する慧が出世慧。それ以外が世慧。

世慧の性格を、原典は八項で記述する。

「世慧とは、有漏・有結・有縛、是れ流、是れ厄、是れ蓋、是れ所触、是れ趣、是れ煩悩有り。」

漏がある。結がある。縛がある。流がある。厄がある。蓋がある。所触がある。趣がある。煩悩がある。

そして出世慧の性格は、対応する八項の否定として置かれる。

「出世慧とは、無漏・無結・無縛・無流・無厄・無蓋・無所触・無趣・煩悩無し。」

世慧から出世慧への移行は、項目の追加ではない。同じ項目の有から無への転換である。

ここで、五通品の閉じが思い出される。「五神通は、世間の神通、有漏、色界に繋がる、凡夫と共なり」。神通も世慧も、世間・有漏という同じ位置にある。出世慧だけが、その位置を出る。


三種の慧──思・聞・修

「三種の慧とは、思慧・聞慧・修慧なり。」

思慧。「他より聞かず、若し自ら業智を作さば、若し随って諦の相応の智を得れば」──他から聞くことなく、自ら業の智を作す慧。

聞慧。「此の処に於いて、他より聞きて慧を得」──他から聞いて得る慧。

修慧。「若し三昧に入れば、彼の慧、悉く修す」──三昧に入って修される慧。

三つは慧の獲得経路による分類。経を聞いて得る慧と、自ら起こす慧と、三昧の中で修される慧。経・思惟・三昧の三つが慧の経路である。


三種の慧──来・去・方便の暁了

別の三種が続く。

「来を暁了し、去を暁了し、方便を暁了す。」

来の暁了。「此の不善の法、退を成す。善法、増長を成す」と作意するときの慧。不善法が退き、善法が増長する方向が来る。それを識別する。

去の暁了。「此の不善の法、増長す。善法、退を成す」と作意するときの慧。逆方向。不善が増長し、善が退く。それを識別する。

方便の暁了。「此の一切の方便の慧」──方便そのものについての慧。

第三巻の処方論で確立された動態的観察──自分の状態を見て対応を選ぶ──が、ここで「来・去・方便の暁了」として体系化される。修行の方向が、善の増長か退かを、慧が識別する。


三種の慧──聚と非聚

さらに別の三種。

「聚慧・不聚慧・非聚非非聚慧なり。」

聚は輪廻の積集。

聚慧──三地(欲界・色界・無色界)の善慧。三界の中での善慧。これは輪廻の積集に向かう。

不聚慧──四道に於ける慧。預流道・一来道・不還道・阿羅漢道の四道の慧。聚を断つ慧。

非聚非非聚慧──四地及び果報・三地の事に於ける有記の慧。聚にも不聚にも分類されない領域の慧。

世慧の中にも善慧があり、それは聚慧として位置付けられる。世間内の善行は、それ自体としては輪廻の積集に向かう。聚を断つのは四道の慧──不聚慧のみ。


四種の慧──第一の組

四種の慧の最初の組。

「自作業智・随諦相応智・道等分智・果等分智なり。」

自作業智──十処の正見。業の自己責任を見る智。

随諦相応智(随諦相似の智)──「陰を見るに、或いは無常、或いは苦、或いは無我、是の如き相似の忍」。五陰を無常・苦・無我として見る慧。

道分智(道等分智)──四道に於ける慧。

果等分智──四果に於ける慧。

天眼通の四智(未来分智・自所作業智・如行業智・業果報智)で確認された業の智の体系から、ここで四聖諦・四道・四果の体系へと展開される。


四種の慧──三界繋

「欲界慧・色界慧・無色界慧・無繋慧なり。」

欲界の善慧、色界の善慧、無色界の善慧。三界それぞれの慧。

そして無繋慧。「道果に於ける慧」──三界に繋がれない慧。

聚慧の三界での具体化と、不聚慧(無繋慧)の対比。世間と出世間の区分が、ここでも繰り返される。


四種の慧──法・比・他心・等

「法智・比智・他心智・等智なり。」

法智──四道及び四果に於ける慧。

比智──「此の法智を以て、過去・未来・現在の智を成就す。久しき過去も亦た智なり。未来も亦た智なり。此の諦の智」。法智を基盤として、過去・未来・現在の諦を比類して知る智。

他心智──他の心を知る。

等智──「此の三智を除く余の慧」。

ここで他心智が再登場する。五通品で展開された神通の一つが、慧の分類体系の中に位置を持つ。神通と慧は切断されていない。神通の本体は智であり、その智が慧の体系の中で位置付けられる。


四種の慧──聚と非聚の組合せ

「有る慧、聚を為して非聚を為さず。有る慧、非聚を為して聚を為さず。有る慧、聚を為し亦た非聚を為す。有る慧、聚を為すに非ず、非聚を為すに非ず。」

論理的に可能な四つの組合せ。

聚のみで非聚を為さない慧──欲界の善慧。 非聚のみで聚を為さない慧──四道の慧。 聚と非聚の両方──色界・無色界の善慧。 聚でも非聚でもない──四地の果報の慧。

論理的に可能な四つの組合せが、それぞれ実在する慧として対応する。原典は論理的網羅性によって、すべての慧が分類体系の中に位置を持つことを示す。


厭患と達の組合せ

そしてもう一つの四種。これは特別に注目すべき記述である。

「有る慧、厭患を為して達を為さず。有る慧、達を為して厭患を為さず。有る慧、厭患を為し亦た達を為す。有る慧、厭患を為さず、亦た達を為さず。」

厭患は欲を厭うこと。達は神通を通達することと、四諦を達すること。

「現に欲を厭うるを得。慧を以て神通を達して四諦を達せず。此れを波若、達を為して厭患を為さずと謂う。」

欲を厭うが、神通も四諦も達しない慧がある。 神通を達するが、欲を厭わない慧がある。

第二の組合せが、五通品の閉じと直接連動する。

「五神通は、世間の神通、有漏、色界に繋がる、凡夫と共なり。」

神通は世間・有漏。神通を達することと、欲を厭うこととは独立している。神通の能力と解脱への道は別の事である。

「四道に於ける慧、厭患を為し亦た達を為す。」

厭患と達の両方を備えるのは、四道の慧のみ。預流道・一来道・不還道・阿羅漢道の慧だけが、欲を厭い、四諦に達する。

神通能力と解脱は別である──これが慧の体系の中で論理的に位置付けられる。


四弁

「義弁・法弁・辞弁・楽説弁なり。」

慧の処として前バッチで予示された四弁が、ここで体系的に展開される。

義弁──義に於ける智。または苦及び滅に於ける智。 法弁──法に於ける智。または集及び道に於ける智。 辞弁──説の辞に於ける慧。法を説く辞の智。 楽説弁──智の智に於ける智。

四弁は四つの異なる視点から定義される。抽象的な義と法。四諦に対応する義と法。経典体系(十二分教)に対応する法。眼根に対応する法。

修多羅・祇夜・闍柯羅・界・伽陀・優陀那・伊底都地・跋多伽・闍多伽・阿浮多達摩・鞞仏略──十二分教が法弁の対象として列挙される。

そしてここで興味深い記述。

「眼に於ける智、此れを法弁と謂う。眼の智、見を為す。此れを義弁と謂う。」

眼に於ける智が法弁。眼の智が見を為すことが義弁。

四弁は単に教理を分類するだけではない。根の働きそのものに対応する智の働きとしても定義される。眼が見ることそのものが、義弁として位置付けられる。


四諦智──慧の最終収束

そして章の最終に、四諦智が置かれる。

「苦智・苦集智・苦滅智なり。是に於いて、道等分智、苦と相応する智、苦智なり。苦集と相応する智、集智なり。苦滅の修行と相応する智、具足智なり。道智なり。」

苦と相応する智──苦智。 集と相応する智──集智。 滅と相応する智──滅智。 道と相応する智──道智(具足智)。

分別慧品の慧の分類は、四諦智に収束する。

開口で慧の処として四諦が置かれた。閉じで四諦智が慧の最終分類として置かれる。四諦は分別慧品の枠組み(処)として現れ、内容(智)として現れる。章全体が四諦の周囲を旋回する構造。


分別慧品の閉じ・第九巻の閉じ

「解脱道 分別慧品已に竟る」

分別慧品の完了宣言。

「解脱道論 巻第九」

そして第九巻の閉じ。

第九巻が二章構成として完了する。五通品で神通道が展開された。神通の本体は智であった。分別慧品で慧の道が展開された。慧の本義は「能く除く」であった。

「余の除くべからざるを除く」と偈は言った。

業処カタログによっても直接除けない深層の煩悩を、慧が除く。慧の本義はそこにある。


第九巻が確認したこと

第九巻は、業処カタログ完備の後に置かれる転換の巻である。

第八巻の偈が「説く所は唯だ面形のみ」と言った。業処カタログは外形の輪郭である。その外形を完備した後、第九巻は何を展開したか。

五通品が神通を展開した。しかし五通品の最後は、神通の世間性を明示する。「五神通は、世間の神通、有漏、色界に繋がる、凡夫と共なり」。神通能力は解脱ではない。

そして分別慧品が慧を展開した。慧の本義は「能く除く」。「余の除くべからざるを除く」。慧こそが、出世間に至る。

第九巻が示したのは、業処カタログの後に修行者が向かうべき方向である。神通ではない。慧である。

そして慧の処は四諦。慧の最終分類も四諦智。

第十巻以降に続く。次の巻で何が展開されるかは、原典に到達するまで分からない。しかし第九巻の閉じが四諦智で締めくくられることは、四諦の本格的展開が次に来る予兆として読める。

「説く所は唯だ面形のみ」。第八巻の偈の立脚点は、第九巻でも保たれた。神通の章でも、慧の章でも、原典は外形を語った。修行者の内側で起きる経験そのものは、文字の外にある。

「人の善く示導して 波利弗多国へ行くが如し」。案内人は道を示す。慧の方向を示す。四諦の処を示す。しかし慧そのものは、修行者が自分で起こす。

第九巻、ここに完了する。


三層クロスリファレンス

本バッチ大安般守意経Kernel 4.x
世慧/出世慧:漏の有無MODULE 12(滅・捨断)Vol.7(滅)
思慧/聞慧/修慧:獲得経路MODULE 02(修習の起点)Vol.2(修習の起点)
来/去/方便の暁了:動態的観察MODULE 07(業処の適用)Vol.4(業処システム)
厭患と達の組合せ:神通と慧の独立MODULE 13(三十七道品)Vol.8(完全性証明)
四弁:慧の処MODULE 13Vol.8
四諦智:慧の最終収束MODULE 12(四諦実行コマンド)Vol.7(滅)
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