仏教哲学– tag –
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14,【内容を分かりやすく要約】 初転法輪の完結:ブッダが到達した究極の境地「不動の解脱」
導入文 皆さん、こんにちは。 これまで、仏教の根本真理「四聖諦(ししょうたい)」と、それを完全に理解・実践する12のプロセス「三転十二行相(さんてんじゅうにぎょうそう)」について、ブッダ自身の言葉から読み解いてきました。 そして今、ついにその... -
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12,道諦における三転十二行相:諦智・作智・作証智による八正道の現観
導入文 ブッダが菩提樹の下で到達した「悟り(成道)」。その決定的な瞬間に、ブッダの心の中では、一体どのような変革が起きていたのでしょうか? 仏教の教えの核心である「四聖諦(ししょうたい)」。その最後を締めくくるのが、苦しみを根本から解決す... -
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11,Sacchikātabba(作証すべき)からSacchikata(作証された)へ:ニルヴァーナ実現の軌跡
導入文 「悟りを開く」とは、一体どのような体験なのでしょうか? ブッダは、自らの悟りのプロセスを、論理的かつ詩的な言葉で、弟子たちに詳細に語りました。 今回私たちが読み解くのは、仏教の教えの中核をなす「四聖諦(ししょうたい)」のうち、苦しみ... -
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10,集諦とは何か ―― 苦を生み出す原因が「断たれる」までの三転構造(SN 56.11, 1081-27〜30)
導入文 集諦とは、「なぜ苦が生まれ続けるのか」という問いに対する、仏教の最も実践的な答えです。転法輪経では、苦そのものを理解するだけでは不十分であり、苦を生み出している原因を特定し、それを断つことが不可欠だと示されます。その原因が「集諦」... -
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9,苦諦の三転を一発で理解する:同定→遍知課題→遍知完了(1081-23〜26)
転法輪経(SN 56.11)は「四聖諦を説いた最初の説法」として有名ですが、本当の強みはそこではありません。ここで仏陀は、悟りが成立する条件を、感覚的な体験談ではなく“検証可能な形式”として提示します。それが、各聖諦に対して同じ順番で進む 三... -
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8,道諦とは何か:苦の滅へ“至らせる”実践としての八正道(転法輪経1081-19〜22)
導入文(わかりやすい版) 仏教は「人生は苦である」と言って終わる教えではありません。なぜ苦が生じるのか、苦は本当に終わらせられるのか、そして――どうすれば終わるのか。そのすべてを、論理的かつ実践的に示した体系が「四聖諦」です。 その最終到達... -
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14,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」執着をほどく論理:59-51〜52が示す「観法としての非我」
2 Bentou Hinomaru 2025年12月21日 13:03 導入文 非我相経の論証は、対象に「例外がない」ことを確定し、その結論を具体的な観法として提示します。59-51 は「遠いもの・近いものを問わず、すべては諸行である」として適用範囲を全面化し、逃げ道を塞... -
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9,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」三つの我執を否定する一句──etaṃ mama・eso’ham asmi・eso me attā(SN 22.59 59-32〜38)
2025年12月20日 13:12 導入文無我相経(SN 22.59)59-32以降は、「非我」を宣言ではなく問答で確定していく場面です。59-32〜33では、無常で苦で変壊するものを 「私のもの(etaṃ mama)/私(eso’ham asmi)/自己(eso me attā)」 と把持する... -
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7,Anattalakkhaṇasuttaṃ 「非我相経」識(viññāṇa)はなぜ非我なのか──「統御不能性」で読む非我相経(SN22.59 59-22〜26)
導入文 本節では、五蘊の最後であり、最も「これが私だ」と誤認されやすい識(viññāṇa)=意識・認識作用に対して、無我相経の同一論証が適用されています。身体(色)、感受(受)、認識(想)、形成作用(行)と同様に、識もまた意のままにならず、条件...