現代語訳:第4回(第三・第四階層の最適化プロセス)
【十一、心住解脱(三禅の対破)】 第十一に「心が解脱に留まる(心住解脱)」とは、三禅(第三段階の定)における「楽(究極の心地よさ)」に対するデバッグである。 なぜそれが必要かと言えば、三禅には「全身の隅々にまで行き渡る極上の快感(遍身の楽)」が存在するからである。通常の人間(凡夫)がこの状態にアクセスすると、多くの場合そこに強烈な依存と執着(染愛)を生じさせ、その快感のプログラムに縛り付けられてしまい、システムからの解放(解脱)を得ることができない。
今ここで言う「解脱」とは、観察の智慧による徹底した分析(観慧破析)を実行しつつ、この全身の快感を証明(体験)することを指す。すなわち、この快感もまた、様々な条件のネットワーク(因縁)から生じた一時的な現象であり、実体はなく(空・無自性)、データ上の虚像(虚誑不実)に過ぎないことを見抜くのである。 極上の快感をモニターしながらもそれに執着せず、心が完全な自由と自律性(自在)を獲得する。ゆえにこれを「心に解脱を作す(心住解脱)」と名付けるのである。
【十二、観無常(四禅不動定の対破)】 第十二に「無常を観ずる(観無常)」とは、四禅(第四段階の定)における「不動(絶対的な静寂)」に対するデバッグである。 なぜそれが必要なのか。現実世界(世間)の中に、動的な現象と静的な現象(動・不動の法)があるように、これまでの三つの禅定(初禅・二禅・三禅)は、いまだ「喜び」や「快感」といったパラメーターによって心が揺り動かされる領域であるため、依然として「動的なプログラム(動法)」と位置づけられる。
これに対し、四禅は感情の波が完全にフラットになった「不動定(静的で揺るがないシステム)」と呼ばれる。通常の人間がこの段階に到達した時、この圧倒的な静寂こそが「永遠に変わらない実体(常想)」であると錯覚し、心に強い執着(愛取)を生じさせてしまう。 しかし今、この全く動かないように見える定であっても、微細なレベルでは常に生成と消滅を繰り返し(生滅代謝)、過去・現在・未来というプロセスの変遷(三相の遷る所)の中にあることを観察するならば、それが実は常に変化し崩壊に向かっている不安定な状態(破壊不安の相)であることを知るのである。
ゆえに経典には「物理的であれ精神的であれ、世間のあらゆるシステムは、動的なものも静的なものも、すべていつかは敗壊していく不安定な相である」と説かれている。絶対的な静寂すらも永遠ではないという事実を以て、静的システムへの執着を打ち破る。ゆえにこれを「無常を観ずる」と名付けるのである。

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