解脱道論プロジェクト・第十巻 Batch 05(物語版)
序
第十巻 Batch 04 で界方便が完結した。「化の境界」の問答で、陰・入・界の三門が補完的に機能することが原典自身によって示された。
そして本バッチで、第四の方便である因縁方便が始まる。
陰・入・界が「現在の構造」を分析するのに対し、因縁方便は「時間の構造」を分析する。同じ修行者の同じ経験が、時間軸の中で因と果の連鎖として再分析される。
そして驚くべきことに、原典は最後に示す。十二因縁の連鎖は、輪廻の三世だけのものではない。「眼を以て色を見る」という一瞬の事象の中にも、十二因縁が成立する。一刹那の中にも輪廻の構造がある。
第九巻分別慧品で「能く除く」が慧の根本義として示された。第十巻冒頭で「老死を脱せんと楽い、生死の因を除かんと楽い、無明の闇を除かんと楽い」と五つの動機が並べられた。因縁方便で、その「除く」の対象である因と果の連鎖が、精密に展開される。
1. 十二因縁の宣言
1.1 順観
無明は行に縁たり。行は識に縁たり。識は名色に縁たり。名色は六入に縁たり。六入は触に縁たり。触は受に縁たり。受は愛に縁たり。愛は取に縁たり。取は有に縁たり。有は生に縁たり。生は老死に縁たり。老死・憂・悲・苦・悩なり。是の如く皆な苦陰起こる。
十二の支が次々に縁となる。最初に無明があり、最後に老死・憂・悲・苦・悩がある。
無明 → 行 → 識 → 名色 → 六入 → 触 → 受 → 愛 → 取 → 有 → 生 → 老死。
そして、この連鎖の総括として:「是の如く皆な苦陰起こる」── このようにして、苦の集まりが起こる。
1.2 逆観
唯だ無明の滅を以て、則ち行滅す。行の滅を以て、則ち識滅す。識の滅を以て、則ち名色滅す。名色の滅を以て、則ち六入滅す。六入の滅を以て、則ち触滅す。触の滅を以て、則ち受滅す。受の滅を以て、則ち愛滅す。愛の滅を以て、則ち取滅す。取の滅を以て、則ち有滅す。有の滅を以て、則ち生滅す。生の滅を以て、則ち老死・憂・悲・苦・悩滅す。是の如く苦陰、皆な滅を成す。
そして逆観。各支の滅が、次の支の滅をもたらす。
「無明の滅」が起点である。無明が滅すれば、行が滅する。行が滅すれば、識が滅する。最終的に、苦陰の全体が滅する。
これは第十巻冒頭の「無明の闇を除かんと楽わば」と直接接続する。修行者が願ったのは、まさにこの無明の滅であり、その帰結としての苦の滅である。
順観と逆観が、最初に並置される。原典は連鎖の生起と滅尽を、対称的な構造として提示する。
2. 各支の定義
是に於いて、無明とは、四諦を知らざるなり。
無明の定義に四諦が現れる。
第九巻分別慧品の閉じが四諦智で締めくくられた。第十巻の冒頭で「聖慧を得んと楽わば」と動機が示された。そして因縁方便の最初の定義──無明とは四諦を知らざることである──が、これらと接続する。
四諦は第十一巻の聖諦方便で展開される予定。しかし第十巻では、四諦が無明の定義の中に現れる。第十一巻への接続点が、ここで明示される。
2.1 各支の定義一覧
| 支 | 定義 |
|---|---|
| 無明 | 四諦を知らざるなり |
| 行 | 身・口・意の業 |
| 識 | 胎に入る一念の心 |
| 名色 | 共に相続する心の起こる心数法、及び迦羅邏の色 |
| 六入 | 六内入 |
| 触 | 六触身 |
| 受 | 六受身 |
| 愛 | 六愛身 |
| 取 | 四取 |
| 有 | 業、能く欲・色・無色の有を起こす |
| 生 | 有に於いて陰の起こる |
| 老 | 陰の熟する |
| 死 | 陰の散壊する |
注目すべき点が二つある。
識の定義:「胎に入る一念の心」── 結生の心(re-linking consciousness)。陰方便の識陰(七識界)とは異なる。因縁の連鎖の中の識は、特定の機能を持つ識である。次の生に入るための一念。
名色の定義:「共に相続する心の起こる心数法、及び迦羅邏の色」── 「迦羅邏(kalala)」は受胎後の最初期の胎児の状態。受精後の凝固した粒のような色。名(心数法)と色(物質)の最初の和合が、ここで具体的に記述される。
これらの定義によって、十二因縁の連鎖が、輪廻の三世にわたる構造として記述される。識が次の生に入り、名色として最初の胎児の形を取り、六入が形成され、触れ、受け、愛し、取り、有を作る。そして再び生まれ、老し、死ぬ。
3. 各支の理路の展開
原典は順観の各縁を、それぞれ精密に説明する。
3.1 無明から行
此に於いて無間の凡夫、四諦に於いて知らざるが故に、五受陰を長夜に楽著して我が物とす。彼の所触を成す。此れ我が物、此れ我が身と。是の如く楽著の楽有り。和合して有を為すに思惟す。彼の思惟、智の所処に非ざらしむ。有を得るを為して、有に住するを成す。種の耕熟せる田に在るが如し。彼の識無くんば、有の滅を為す。此れを無明は行に縁たりと謂う。
凡夫は四諦を知らない。そのため五受陰(陰方便で示された執着の対象としての五陰)を「我が物」「我が身」と長夜にわたって楽著する。
楽著するとき、有(存在の継続)を求めて思惟する。その思惟は智に支えられていない。智の所処にない思惟。これが行である。
「種の耕熟せる田に在るが如し」── 種が耕された田に置かれるように、無明から行が起こる。
そして注目すべきは:「彼の識無くんば、有の滅を為す」。識がなければ、有(存在)は滅する。識が連鎖の鍵である。
3.2 行から識
彼の無明の所起の行、思いて有に入り、有の相の事に著して聚を成すを為す。転有に於いて相続を起こす。識、有に於いて心に随いて断ぜず。是の故に、行は識に縁たり。
無明から起きた行が、思いとして有に入る。有の相に著して聚を成す。転有(輪廻の有)で相続が起こる。識は心に随って断たれない。
これが行から識への縁である。業の力(行)によって、識は次の生へと続く。
3.3 識から名色
日を除きて光明無きが如し。地に住して増長す。是の如く識を除きて名色無し。体無きに住して増長す。荻の相い倚り、展転して相い依るが如し。是の故に、識は名色に縁たり。
二つの比喩が並ぶ。
日と光明:日がなければ光明はない。地に住するように光明があるが、その源は日である。同じく、識がなければ名色はない。
荻の相い倚り:荻が互いに倚りかかって立つように、識と名色は相互に依存する。
第十巻 Batch 01 の色陰の三杖の比喩が、ここで識と名色の相互依存として再現される。識は名色の縁である。同時に、名色も識の縁である。一方向ではない。「展転して相い依る」── 互いに依存して立つ。
3.4 名色から六入
依処の余の名、共に生起す。意入、増長して名に依る。四大を命じ、及び食の時、余の五入を縁じて起こりて増長す。余に此の縁無し。是の故に、名色は六入に縁たり。
名(心数法)に依って意入が増長する。四大と食の時、余の五入(眼・耳・鼻・舌・身)が縁じて増長する。
胎児の中で、まず意入が形成される。そして四大と食の力で、五根が形成される。これが名色から六入への縁である。
3.5 六入から触
余の根の境界、識、和合して触を起こす。是の故に、六入は触に縁たり。
根・境界・識の三和合が触を起こす。
これは入方便の眼門の七心の構造と接続する。眼根・色境・眼識の三和合が、眼触を起こす。耳・鼻・舌・身についても同じ。意についても同じ。「私が触れた」という事象は、根・境・識の三和合として起こる。
3.6 触から受
触を以て受く。或いは苦、或いは楽、或いは不苦不楽なり。触る所に非ず。是の故に、触は受に縁たり。
触によって受が起こる。受は楽・苦・不苦不楽の三種。陰方便の受陰の自性(三受)と直接対応する。
3.7 受から愛
癡の凡夫、受けて楽しみて著を成す。復た更に受を覓む。苦なれば、彼の対治、楽を覓む。若し不苦不楽を受くれば、捨を受く。是の故に、受は愛に縁たり。
受から愛への縁が、凡夫の心の動きとして具体的に記述される。
楽を受ければ、楽しみ、執着し、もっと求める。苦を受ければ、それを避けて楽を求める。不苦不楽を受ければ、捨を受ける。
注目すべきは「癡の凡夫」── 智のない凡夫。受から愛への縁は自動的ではない。智がないから、楽に執着し、苦から逃げる。智があれば、受は受として観られて、愛へと縁とならない。
ここに「能く除く」の作動点が見える。受と愛の間に、智の介入の余地がある。智が起これば、連鎖が切れる。これは坐る人間にとって、最も近い実践の場である。
3.8 愛から取
渇愛を以て、急に愛の処を取る。是の故に、愛は取に縁たり。
渇愛(taṇhā)は急ぐ。愛の処を急いで取る。「急に取る」が原典の言葉である。愛と取の間には、待つ余裕がない。渇愛が起これば、すぐに取りにいく。
3.9 取から有
彼の取有り、事を作して有の種を為す。是の故に、取は有に縁たり。
取によって事を作し、その事が有の種となる。業の有の種が、ここで形成される。
3.10 有から生
業の所勝の如きを以て、諸趣に生ず。是の故に、有は生に縁たり。
業の所勝(業の力の優勝)に応じて、諸趣(欲界・色界・無色界の各趣)に生ずる。
3.11 生から老死
生を以て老死を成す。是の故に、生は老死に縁たり。
生まれたものは必ず老し、必ず死ぬ。生があれば老死がある。
そして老死の後に「憂・悲・苦・悩」が続く。十二因縁は形式的には十二支だが、実質的には老死を中心とする苦の集まりで閉じる。
4. 穀の種の連鎖の比喩
各縁の説明の後、原典は連鎖全体を一つの比喩で示す。
穀の種の縁と為るが如し。是の如く無明は行に縁たり、知るべし。 種の牙の縁と為るが如し。是の如く行は識に縁たり、知るべし。 牙の葉の縁と為るが如し。是の如く識は名色に縁たり、知るべし。 葉の枝の縁と為るが如し。是の如く名色は六入に縁たり、知るべし。 枝の樹の縁と為るが如し。是の如く六入は触に縁たり、知るべし。 樹の花の縁と為るが如し。是の如く触は受に縁たり、知るべし。 花の汁の縁と為るが如し。是の如く受は愛に縁たり、知るべし。 汁の米の縁と為るが如し。是の如く愛は取に縁たり、知るべし。 米の種の縁と為るが如し。是の如く取は有に縁たり、知るべし。 種の牙の縁と為るが如し。有、是の如き縁の生、知るべし。
| 因縁の縁 | 穀の連鎖 |
|---|---|
| 無明→行 | 穀→種 |
| 行→識 | 種→牙 |
| 識→名色 | 牙→葉 |
| 名色→六入 | 葉→枝 |
| 六入→触 | 枝→樹 |
| 触→受 | 樹→花 |
| 受→愛 | 花→汁 |
| 愛→取 | 汁→米 |
| 取→有 | 米→種 |
| 有→生 | 種→牙(再開) |
「米→種」で連鎖が閉じる。そして「種→牙」で、再び連鎖が始まる。これが輪廻である。
注目すべきは、最後の「有→生」が「種→牙」に対応し、これが連鎖の最初の「行→識」(種→牙)と同じ比喩であることだ。連鎖は閉じない。最後の「種」が最初の「種」として、再び連鎖を始める。
是の如く起こりて種種の相続す。是の如く前際、知るべからず。後際も亦た知るべからず。
前際(始まり)も後際(終わり)も知ることができない。輪廻には始点も終点もない。
5. 無明の縁
ここで原典は重要な問いを提起する。
問う、無明、何に縁たる。
すべての支には縁があった。無明から行への縁がある。行から識への縁がある。では、無明には何の縁があるか。
答う、唯だ無明、無明の縁を為す。使、纒の縁を為し、纒、使の縁を為す。初、初を為し、後、後を為す。
無明には外的な縁がない。無明は無明を縁とする。
そして使(随眠、潜在的煩悩)が纒(顕現的煩悩)の縁となり、纒が使の縁となる。煩悩は煩悩を縁とする自己循環の構造を持つ。
「初、初を為し、後、後を為す」── 始まりは始まりを為し、後は後を為す。これは輪廻の連鎖が、それ自体で完結した循環であることを示す。
5.1 別説──仏の所説
復た次に、一切の諸煩悩、無明の縁を成す。仏の所説の如し。漏の集より無明の集起こる。
別説として、仏の所説が引かれる。「漏の集より無明の集起こる」── 漏(āsava、煩悩の流出)の集から、無明の集が起こる。すべての煩悩が無明の縁となる。
二つの説が並置される。発見1.5(別説の併記)の継続。原典は単一の正解を主張せず、複数の理解の可能性を提示する。
しかし両説に共通するのは、無明が外部の何かによって生じるのではない、ということである。煩悩が煩悩を縁とする。漏が無明を起こし、無明が漏を再生産する。煩悩の系の自己循環。
無明の特異な位置が、ここで確認される。無明は連鎖の起点だが、その背後には何もない。そして連鎖の中で生じる煩悩(愛・取)が、無明を再生産する。輪廻は外部の力ではなく、内部の自己循環で続く。
6. 一刹那の中の十二因縁
ここで原典は、連鎖の理解を一気に深める。
復た次に、一心の法の如し。眼を以て色を見る。
「一心の法」──一つの心の働きの中で。「眼を以て色を見る」── 眼で色を見るという、ありふれた一瞬の事象。
この一瞬の中に、十二因縁が成立する、と原典は告げる。
6.1 一刹那の十二因縁
癡人、愛を起こす。此の時、浄楽なる者の心、癡なり。此れを無明と謂う。 著を思う、是れ無明の縁の行なり。 心、著す、此れ行の縁の識なり。 相応の心数法を知る、及び彼の所造の色、是れ識の縁の名色なり。 受より喜を生ず。喜を縁ずるが故に、色を喜び縁ずるが故に、諸根清浄なり。是れ名色の縁の六入なり。 無明の触、是れ六入の縁の触なり。 喜の触の縁の受の欲なり。 愛を受く、著を以て浄楽を取る。是れ愛の縁の取なり。 著を以て思う、是れ取の縁の有なり。 彼の法の起こる、是れ有の縁の生なり。 住し已る、是れ老なり。 念の散壊する、是れ死なり。
是の如く一刹那に於いて、十二因縁を成す。
| 因縁の支 | 一刹那での対応 |
|---|---|
| 無明 | 浄楽なる者の心の癡 |
| 行 | 著を思う |
| 識 | 心、著す |
| 名色 | 相応の心数法と所造の色 |
| 六入 | 喜・色喜により諸根清浄 |
| 触 | 無明の触 |
| 受 | 喜の触の縁の受の欲 |
| 愛 | 愛を受く |
| 取 | 著を以て浄楽を取る |
| 有 | 著を以て思う |
| 生 | 彼の法の起こる |
| 老 | 住し已る |
| 死 | 念の散壊する |
6.2 一刹那の中の輪廻
「眼を以て色を見る」── ありふれた一瞬の事象。その中に、無明から死までの十二支がすべて含まれる。
「癡人、愛を起こす」──ある対象を見て愛を起こす凡夫。その時、心は浄楽に向かう癡になっている。これが無明。
著を思う(行)。心が著する(識)。心数法と色が相応する(名色)。喜が起こり、根が清浄になる(六入)。無明と共の触れ(触)。喜の触からの受の欲(受)。愛(愛)。著して取る(取)。著して思う(有)。法が起こる(生)。住する(老)。念が散壊する(死)。
これらが一瞬の中で起こる。
第十巻 Batch 03 の入方便で、眼門の七心が王の比喩で展開された。一瞬の見ることの中に、有分心・転心・所受心・受心・分別心・令起心・速心の連鎖がある。
そして本バッチで、その同じ一瞬の中に、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死の十二因縁が成立すると告げられる。
入方便の七心と因縁方便の十二因縁は、同じ一瞬の事象を異なる角度から記述している。心の連鎖と因果の連鎖。両者は別の方便だが、対象は同じ。
6.3 一刹那の輪廻の意味
これが座る人間にとって持つ意味は重要である。
輪廻は遠い未来の話ではない。一瞬の心の動きが、すでに輪廻の構造を持つ。そして一瞬ごとに、輪廻が繰り返されている。
しかし同時に、これは解脱への希望でもある。輪廻が一瞬の中にあるなら、解脱もまた一瞬の中にあり得る。一瞬の中で連鎖を切れば、その瞬間において輪廻は止まる。
「能く除く」が、ここで具体的な作動点を持つ。一瞬の中で、無明から行への移行を観る。受から愛への移行を観る。観るとき、連鎖が緩む。観るとき、自動的な反応が中断される。
修行者は遠い未来の輪廻を相手にしない。今この瞬間の連鎖を相手にする。今この瞬間に、智が起これば、連鎖は切れる。
7. 煩悩・業・果報の分配
問う、彼の十二因縁、幾を分ちて煩悩と名づく、幾を業と名づく、幾を果報と名づく…
答う、三の煩悩なり。無明・愛・取なり。二の業なり。行・有なり。余の七は果報なり。
十二支が三つの機能カテゴリに分配される。
| 分類 | 数 | 支 | 機能 |
|---|---|---|---|
| 煩悩 | 3 | 無明・愛・取 | 因の種 |
| 業 | 2 | 行・有 | 因の動 |
| 果報 | 7 | 識・名色・六入・触・受・生・老死 | 結果 |
7.1 煩悩の機能──画師の比喩
是に於いて、煩悩と名づくるは、有の後生の因を成すを為す。画師の色の如し。其の事、自ら生ぜず。画師の色の事の如し。煩悩をして、有を起こさしむ。縁を得て生ずるを得。種種の色の如し。
煩悩は「画師の色」のようである。
画師の色は、自分から動いて画を描かない。画師(主体的な働き)が必要である。画師が色を取って画を描く。色は受動的な構成要素ではない。画師の手に取られて、種々の絵を描き出す。
煩悩も同じ。煩悩自体は、自ら生じない。しかし縁を得れば、有(次の生)を起こす。煩悩は次の生のための「色」として機能する。
これは深い観察である。煩悩を「悪いもの」として取り除くべき対象と見るのではない。煩悩は次の生の構成要素である。次の生を望む者は、煩悩を持っている。次の生を望まない者(解脱を望む者)は、煩悩の働きを止める。
「能く除く」は、煩悩そのものを除くことではない。煩悩が次の生を起こす働きを除くこと。慧の起こりが、煩悩から業への移行を止める。
7.2 三世の分配
| 時 | 数 | 支 |
|---|---|---|
| 過去 | 2 | 無明・行 |
| 現在 | 8 | 識・名色・六入・触・受・愛・取・有 |
| 未来 | 2 | 生・老死 |
「無始の生死の相続、知るべし」── 始まりのない生死の相続。
過去の無明と行が、現在の識・名色・六入・触・受として現れる。現在の愛・取・有が、未来の生・老死を準備する。三世にわたる二重因果の構造。
これは伝統的なアビダルマの十二因縁の解釈である。原典はそれを継承する。
8. 因縁と因縁法の差別
最後に、原典は重要な区別を示す。
十二分の因縁とは、応に説くべからず。十二因縁を除きて、亦た応に説くべからず。
十二分の因縁(原理としての縁起)は、説くべからず(直接には言葉で記述できない)。しかし十二因縁(個々の支)を除いては、何も説けない。
爾の時、云何が因縁なる。此の十二法、次第の如く展転して因なるが故に、此れを因縁起と謂う。十二因縁の分、已起の法なり。
因縁(paṭicca-samuppāda、縁起)とは、十二法が次第に展転して因となる構造。因縁起。
因縁法(paṭicca-samuppanna、縁起した法)とは、十二因縁の分、已起の法。
| 概念 | 内容 | 性格 |
|---|---|---|
| 因縁 | 諸行が次第に展転して因となる構造 | 原理 |
| 因縁法 | 因縁によって已起の法 | 現象 |
8.1 二法の差別
此の二、何の差別ぞ。因縁とは、諸行異なり。成就せず、説くべからず。或いは有為、或いは無為なり。応に説くべからず。因縁法を起こすを以て、行、已に成就し、有為なり。此の二法の差別なり。
因縁(原理):諸行の異なり、成就していない、有為とも無為とも説けない。 因縁法(現象):因縁によって起こされた行、すでに成就している、有為。
原理と現象の区別。原理そのものは、有為とも無為とも説けない。現象は有為である。
8.2 因縁の染性
何の因縁の染性ぞ。是の行を以て、是の相を以て、無明行を成す。彼の行、彼の相、彼の性を縁ず。彼の聖人、他に縁ぜず。慧を以て明らかに通達す。是の如く一切、此れを因縁の染性と謂う。
聖人は因縁を「他」と見ない。慧を以て明らかに通達する。
これが因縁方便の最も深い記述である。聖人は、因縁を外部のものとして観察しない。「私が因縁を観ている」のではない。慧が起こり、その慧が因縁を通達する。観るものと観られるものが分かれない。
これは指針L(思いつきの体系化への抵抗)に注意しつつ、原典自身の言葉として記述する。慧の起こり方が、ここで因縁の理解の中で具体化される。
9. 「能く除く」の作動点の精密化
第九巻分別慧品の慧の根本義「能く除く」が、因縁方便で具体的な作動点を持つ。
連鎖のどこで切るか。原典は明示しないが、推測される。
- 無明と行の間:四諦の知が起これば、無明が緩む。第十一巻の聖諦方便への接続。
- 受と愛の間:智がなければ受から愛への移行は自動的。智があれば、受は受として観られて、愛は起こらない。坐る人間にとって最も近い作動点。
- 愛と取の間:渇愛が「急に取る」と原典が言うが、観る間があれば、取は起こらない。
各作動点で、慧の起こりが連鎖を切る。「能く除く」は、能動的な除去ではなく、慧の起こりとしての連鎖の中断である。
煩悩が業を起こす働きを除くこと。これが「画師の色」の比喩の意味である。煩悩そのものを消すのではない。煩悩が画を描く力を働かせなくすること。
そして第十巻冒頭の「老死を脱せんと楽い、生死の因を除かんと楽い、無明の闇を除かんと楽い、愛の縄を断たんと楽い、聖慧を得んと楽う」── 五つの動機の対象が、すべて十二因縁の支である。老死(連鎖の終端)、生死の因(行・有)、無明、愛、聖慧の対象は四諦(無明の対治)。
第十巻の構造が、ここで自己整合する。
10. 「唯だ面形のみ」の継続
因縁方便の精密な記述も、すべて外形である。
十二因縁の連鎖、各支の定義、穀の種の比喩、一刹那の十二因縁、煩悩・業・果報の分配、因縁と因縁法の区別。これらは分析装置の輪郭である。
実際に修行者が因縁を観たときに、修行者の中で何が起こるかは、原典の記述の外にある。聖人が「他に縁ぜず慧を以て明らかに通達する」──その通達の経験そのものは、原典の言葉では記述されない。
第八巻の偈の立脚点が、第十巻 Batch 05 でも保たれる。
11. 結語
因縁方便の前半が完了した。十二因縁の宣言、各支の定義、穀の種の連鎖、無明の自己循環、一刹那の十二因縁、煩悩・業・果報の分配、因縁と因縁法の区別。
連鎖が示された。連鎖の自己循環性が示された。連鎖が一瞬の中にあることが示された。連鎖を切る慧の起こりが示唆された。
第十巻 Batch 06 では、因縁方便の後半を扱う。三節・四略・二十行による因縁の精密な分析、有節(死から再生の刹那)の構造、輪・牽・分別・相摂、そして因縁方便の閉じ。
そして第十巻が完結する。
「無始の生死の相続、知るべし」── 始まりのない生死の相続。修行者は、その相続の中の一刹那にいる。一刹那の中に十二因縁が成立する。一刹那の中で慧が起これば、連鎖は緩む。
12. 三層クロスリファレンス
| 本バッチ(Batch-V10-05) | 大安般守意経 | Kernel 4.x |
|---|---|---|
| 十二因縁の宣言 | MODULE 11.20(時間の構造) | Vol.6.20(因果の連鎖) |
| 各支の定義 | MODULE 11.21(連鎖要素の定義) | Vol.6.21(各支の機能) |
| 穀の種の比喩 | MODULE 11.22(輪廻の循環) | Vol.6.22(自己回帰構造) |
| 一刹那の十二因縁 | MODULE 11.23(瞬間の構造) | Vol.6.23(一心の縁起) |
| 煩悩・業・果報の分配 | MODULE 11.24(機能分類) | Vol.6.24(三分構造) |
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Batch 06:因縁方便の後半──三節・四略・二十行・有節・輪・牽・分別・相摂・因縁方便の閉じ
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