花を縁ずる三つの色──青・黄・赤の一切入

解脱道論 第五巻 行門品の二 Batch 11

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目次

四大から色彩へ

前のバッチで、水・火・風の三一切入が展開された。地・水・火・風の四大が揃った。これらは、色界の物質性の基本要素。物質そのものを所縁とする業処。

ここから、所縁の性格が一段、抽象化される。色彩を所縁とする一切入に入る。青、黄、赤、白、そして光明。

色は、物質ではない。物質の属性である。青い花、黄色い衣、赤い炎、白い月──色は常に何かに色として現れる。しかし色そのものは独立した実体ではない。色だけが、どこかに単独で存在するわけではない。

この属性としての色を、所縁とする。四大の物質そのものを所縁とする業処より、一段抽象化された所縁。

そしてここから、色一切入の固有の特徴──浄解脱除入──が現れる。四大の一切入にはなかった、色一切入だけの機能。色を見ながら、色からの解脱を得る。色を対象化しながら、色への執着を除く。


浄解脱と除入──色一切入の核心

色一切入は、単に色彩を所縁とする業処ではない。その核心には、対象化しつつ執着を除くという、微妙な二重構造がある。

浄解脱──清浄な色を所縁として得る解脱。八解脱の第三段階に対応する。美しい色を所縁とすることで、解脱が得られる。これは逆説的な構造である。美しい色を避けることで解脱を求めるのではない。美しい色を直接に見つめることで、解脱を得る。

除入──色を見つつ、色を勝(こえる)ことができる定。八勝処の一部。色を見る。しかし色に執着しない。色を所縁として立ち上げつつ、色への染着を除く。

この二つの機能が、色一切入に固有である。四大の一切入は、物質そのものを所縁とする。物質への変容能力(神通)が固有功徳。しかし色一切入は、色を所縁としつつ、色への執着を除くことそのものが、固有機能。

対話で深められた論点──「識別は存在否定ではなく、同一視の否定」──が、ここで色に対して働く。色は存在する。色は実在する。しかし色は「私」ではない。色は真我ではない。この識別が、色一切入の核心機能。見ることと、同一視しないことが、同時に成立する


青一切入──青花の色

最初に扱われるのが、青一切入である。

心、青相においてす。これを青一切入と謂う。彼を修して心住し乱れず。これを修と謂う。青相において意を放つを相と為し、青想を除かざるを味と為し、作意無双なるを処と為す。

心が青相において働く。これが青一切入。

青一切入の五功徳

五功徳を同せず。青一切入において、心縁随逐し、浄解脱を得。青除入を得ること青花の如し。心受持して種々の青色を化せしむ。

五つの固有功徳。

心縁随逐──心が青の縁に随逐する。青を所縁として、心が随い続ける。

浄解脱を得──清浄な青を所縁として、解脱を得る。これは八解脱の第三に対応する、色一切入の核心機能。

青除入を得ること青花の如し──青花のように、青除入を得る。青花を見るように、青の除入が得られる。青を見る、しかし青に染まない。青花のように、自然に、無理なく、青は青として見えるが、青が自己を奪うことはない。

心受持して種々の青色を化せしむ──心が受持することで、様々な青色を自在に化せしめる。一つの青から、薄い青、濃い青、深い青、輝く青、あらゆる青が生まれる。

処々皆青を見る──あらゆる場所に青を見る。

これらすべての核心に、青花の比喩がある。青花は、自然に咲く。自己主張せず、しかし青として明瞭にある。修行者が得るべき青との関係は、まさにこの青花のあり方である。見られる対象として、自然にあり、しかし見る者を飲み込まない。

青一切入を修す──旧坐禅人と新坐禅人

青一切入を修すれば、処々皆青を見る。

修する者は、あらゆる場所に青を見る。

旧坐禅人は、非作処(自分で作っていない場所)で相を取る。青花、青衣、青色を、目前に常に見る。楽でも不楽でも、彼分の青相(paṭibhāga-nimitta)が起こる。

新坐禅人は、作処でのみ相を取る。自分で用意した青でなければ、相は立ち上がらない。

曼陀羅の作法──三角と四角

青一切入の曼陀羅の作法は、四大の一切入と形が違う。

彼の坐禅人、衣において、板において、壁処において、阿多思花の色、青色を以てす。此の色を以て曼陀羅花と作す。或いは三角、或いは四角、異色を以てその外を繞らす。

衣、板、壁処──これらに青色を配置する。阿多思花の色(青色の花の色)を用いる。そして曼陀羅を作る。形は三角または四角。そして異色で外を繞(めぐ)らす

ここが重要である。地一切入の曼陀羅は円形だった。周回一尋の円。水一切入は鉢・瓫という円形の容器。しかし色一切入では、三角または四角の角形。

なぜ角形か。原典は明言しない。しかし構造的に推測できる。

円は、連続性と均一性の形である。地一切入の円は、地という物質の連続性を反映する。地面は、どこまでも繋がって広がる。境界が曖昧でも、地は地として認識される。

角形は、明確な境界の形である。色一切入の三角・四角は、色という属性の対比による成立を反映する。色は、それ自体では成立しない。周囲との対比によって、色として立ち上がる。赤は、青ではない色として、赤として見える。青は、赤ではない色として、青として見える。この対比構造のためには、明確な境界が必要。

異色で外を繞らす──これが決定的である。中心の青と、周囲の異色。対比によって、中心の青が明瞭に立ち上がる。角形は、この対比の境界を明確にする。

発見1.17(排除による純化)の、色における精密な実装。中心の青のみが所縁。周囲は異色によって「排除」される。中心と周囲の対比が、所縁の純度を高める。


黄一切入──金花の色

次に扱われるのが、黄一切入である。

心、黄相においてす。これを黄一切入と謂う。彼を修して心住し乱れず。これを修と謂う。黄一切入において意を放つは是れ相、黄想を除かざるを味と為し、作意無双なるを処と為す。

心が黄相において働く。これが黄一切入。

黄一切入の五功徳

五功徳を同せず。黄一切入において、心随逐し浄解脱を得。黄除入を得て作意す。金花の種々の黄色の如し。

構造は青と同じ。心随逐、浄解脱、黄除入、種々の黄色の化作。

金花の種々の黄色の如し」──金花のような、様々な黄色。一つの黄色から、明るい黄、深い黄、金色の黄、淡い黄、あらゆる黄色が自在に化せしめられる。金花という具体的なイメージが、この自在性を支える。

相の取り方

旧坐禅人は、黄花、黄衣、黄色を常に見る。新坐禅人は作処でのみ取る。

曼陀羅の作法

彼の坐禅人、或いは衣、或いは板、或いは壁、迦尼羅花の色、黄色を以てす。曼陀羅花と作す。或いは三角、或いは四角、異色その外を繞らす。彼において黄相を作す。

迦尼羅花(かにらか)──黄色の花。阿多思花が青を代表するように、迦尼羅花が黄を代表する。

形は三角または四角。異色で外を繞らす。青一切入と完全に同じ構造。

三行(平等観・方便・離乱)で相を取る。初めの如く広く説く──地一切入の展開と同じ。


赤一切入──槃偸時婆花と朱丹

最後に扱われるのが、赤一切入である。

心、赤相においてす。これを赤一切入と謂う。彼を修して心住し乱れず。これを修と謂う。赤相において意を放つを相と為し、赤想を離れざるを味と為し、作意無二なるを処と為す。

心が赤相において働く。これが赤一切入。

赤一切入の四功徳

四功徳を共にせず。赤一切入において心に随いて浄解脱を得。赤除入を得、種々の赤色を化す。不共の功徳とは、地一切入において説くが如し。

赤一切入の固有功徳は四つ。青と黄の五つより一つ少ない。

  • 心に随いて浄解脱を得
  • 赤除入を得る
  • 種々の赤色を化す
  • 地一切入と共通しない功徳(の一つ)

なぜ赤だけ一つ少ないのか。原典は明言しない。しかし赤という色の特異性──血、火、情熱、警告──に対応する可能性がある。赤は他の色より強い情感を喚起する。この強さが、一つの機能を吸収しているのかもしれない。

相の取り方

旧坐禅人は、赤花、赤衣、赤色を常に見る。新坐禅人は作処でのみ取る。

曼陀羅の作法──朱丹も可

ここに、赤一切入の特殊性がある。

彼の坐禅人、或いは衣処、或いは板、或いは壁処、槃偸時婆花の赤色を生ずるが如し。或いは朱丹を以て曼陀羅花を作す。或いは三角、或いは四角、異色を以てその外を界す。此において赤相を作す。

槃偸時婆花(はんとうじばか)──赤色の花。自然の花の色。

朱丹──人工的な赤色顔料。

青一切入では阿多思花、黄一切入では迦尼羅花が使われた。どちらも自然の花の色。しかし赤一切入では、花だけでなく、朱丹という人工色も明示的に許される。

なぜ赤だけ、人工色が明示されるのか。これもまた原典は明言しないが、推測できる。赤花は、青花や黄花に比べて、純粋な深い赤が得にくいかもしれない。あるいは、修行者の居住地で赤花が得られにくい場合の配慮。あるいは、朱丹という具体的な赤の顔料が、当時広く使われていた現実的な配慮。

しかし構造的に重要なのは、色一切入が色そのものを所縁とし、その由来(自然か人工か)を問わないことが、ここで明示される点である。色の本質は、材料の自然性ではない。色そのもの。純粋な青、純粋な黄、純粋な赤があればよい。それが花から来ても、顔料から来ても、所縁としては同じ。

曼陀羅の形は、青・黄と同じ。三角または四角、異色で外を界する。


三色を貫く論理

青・黄・赤の三一切入は、同じ構造を持つ。異なるのは色のみ。

所縁(色)は、物質の属性である。独立した実体ではない。花に咲き、布に染まり、顔料として作られる。しかし、所縁として機能するには、これで十分。

色を曼陀羅として配置する。三角または四角の形。異色で外を界する。この構造が、色を色として明瞭に立ち上げる。

そして三行で相を取る。平等観、方便、離乱。相を取って、取相から彼分相へ。彼分相から禅外行へ。禅外行から安へ。初禅、第二禅、第三禅、第四禅、そして四無色定。

地一切入で詳述された全プロセスが、各色一切入でも同様に展開される。ウパティッサは毎回、「初めの如く広く説くべし」「非非想処に至るまで説くべし」と書く。これは省略ではない。雛形の適用の明示である。


色一切入の固有機能──浄解脱と除入

しかし、色一切入には、四大の一切入にない固有機能がある。浄解脱除入

浄解脱の構造

浄解脱は、八解脱の第三に対応する。解脱道論の後半の巻で、八解脱が体系的に展開される。色一切入は、その第三と直接に接続する業処。

浄解脱の「浄」は、清浄さを意味する。清浄な色を所縁として、解脱を得る。清浄な色を所縁とするとは、何か。

曼陀羅で作られる純粋な青、純粋な黄、純粋な赤は、清浄な色である。雑じりがなく、明瞭で、独立して立ち上がる色。この清浄な色を所縁として、心がそれに随逐する。随逐しつつ、執着しない。これが浄解脱の構造。

除入の構造

除入は、八勝処の一部。勝処とは、対象を見つつ、対象を勝(こえる)ことができる定。色除入──色を見る、しかし色から離脱している。

青除入は、青を見ることと、青から離脱することを、同時に成立させる。矛盾ではない。見る作用と、執着する作用は、別である。通常は両者が結びついて働く。しかし修行によって、両者を分離できる。見るが、執着しない。

対話で深められた論点──「識別は存在否定ではなく、同一視の否定」──が、ここで除入として実装される。色は存在する。色を見ることも成立する。しかし「色は私ではない、色は真我ではない」という識別が、同時に成立する。この同時成立が、除入。

「〜花の如し」の比喩

青除入を「青花の如し」と、ウパティッサは表現する。黄の場合は「金花の種々の黄色の如し」。

花の比喩が、ここで深い意味を持つ。花は、美しい。花は、色として明瞭に立ち現れる。しかし花は、見る者を飲み込まない。花は花として咲き、見る者は見る者として見る。花と見る者の間に、距離がある。

この距離こそが、除入の構造そのものである。色を見ながら、色に飲み込まれない。花を見ながら、花と自分が一体にならない。見ることと、見ているものと自分とが別であることが、同時に成立する。


色の自在な化作

各色一切入の固有功徳に、「種々の〜色を化せしむ」という能力がある。

青一切入:種々の青色を化せしむ
黄一切入:金花の種々の黄色
赤一切入:種々の赤色を化す

一つの色から、様々な色の変異を自在に化せしめる。薄い青、濃い青、深い青、輝く青。明るい黄、深い黄、金色の黄、淡い黄。鮮やかな赤、深紅、朱、緋。

これは、発見1.18(物理依存から心的自在への質的転換)の、色における展開である。最初は一つの物理的な色から始まる。曼陀羅の青、曼陀羅の黄、曼陀羅の赤。しかし修行が深まると、その一つの色から、心的に様々な色が化せしめられる。物理的な依存を離れ、心の自在性が現れる。

この自在性は、神通の一形態である。そして発見2.17(対象は物自然、定の状態が主役)の深化でもある。物理的な色は物自然であり、取るに足らない。重要なのは、その色を所縁として成立する定の状態。定が深まれば、物理的な依存を離れ、心の自在が現れる。


色一切入の意味論

色一切入は、四大の一切入より抽象的な所縁を扱う。

四大は、物質の基本要素。地、水、火、風。触れられ、見られる実体。

色は、物質の属性。独立した実体ではない。色は、何かに色として現れる。

この属性のみを所縁とすることが、色一切入の特徴。実体から離れて、属性だけを取り出す。より抽象的な作業。

そしてここで、対話で確認された論点が、微妙な形で現れる。色は物自然と言えるか。色単独で、独立した物自然か。

答えは、曖昧である。色は、単独では存在しない。しかし、把握可能な対象としては、立ち上がる。ここで、定が必要とするのは必ずしも物質的実体ではなく、把握可能な何かであることが示される。

把握可能であれば、所縁となる。そして所縁となれば、同じ検証が成立する。「この色は真我ではない」。対象が抽象化されても、検証の構造は変わらない。この普遍性が、色一切入を成立させる。

そして、この抽象化は、その先の四無色定への橋渡しでもある。虚空無辺処で、物質を完全に離れて虚空を所縁とした。色一切入は、物質から完全に離れてはいないが、属性の抽象化によって、より抽象的な所縁への訓練となる。


残る業処──白と光明

青・黄・赤が終わり、色一切入の残りは、白と光明。

白一切入は、他の色一切入より多い八つの固有功徳を持つ。白の特別な位置。

光明一切入は、色を越えた光そのものを所縁とする。色から光明へ、所縁がさらに抽象化される。そして光明一切入は、白一切入と功徳を等しくする。

次のバッチで、この最後の二つの色系一切入が展開される。白と光明。そして第五巻全体の閉じへと向かう。


座ることとの接続

大安般守意経のMODULE 8「五根再配置」の枠組みが、色一切入にも適用される。信・精進・念・定・慧の五根は、所縁が色であっても、同じ構造で機能する。

MODULE 12「四諦実行コマンド」への接続が、ここで始まる。浄解脱と除入は、解脱篇(後半の巻)で体系的に展開される。色一切入は、その展開の入り口の一つ。

Kernel 4.xのVol.6「カーネル直接操作と無常・離欲」の中で、除入の構造が重要である。対象を操作しつつ、対象から離脱する。この同時成立が、カーネル操作の核心の一つ。


詳細な仕様は → SPEC-GYOMON-V5-11 を参照


原文全文(青一切入)

問う、云何なるか青一切入なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。

答う、心、青相においてす。これを青一切入と謂う。彼を修して心住し乱れず。これを修と謂う。青相において意を放つを相と為し、青想を除かざるを味と為し、作意無双なるを処と為す。

何の功徳かとは、五功徳を同せず。青一切入において、心縁随逐し、浄解脱を得。青除入を得ること青花の如し。心受持して種々の青色を化せしむ。青一切入を修すれば、処々皆青を見る。

云何にしてかその相を取るとは、青一切入の相を取るに、若しは作処、若しは自然処なり。旧坐禅人は不作処の相を取る。彼の坐禅人は処々に見る。或いは青花、或いは青衣、或いは青色、その目前において常に見る。随いて若し楽若し不楽とも、即ち彼分の青相起るを得るを見る。新坐禅人の如くにはあらず。新坐禅人は作処において相を取り、非作処においては能わず。

青一切入を修する方便、彼の坐禅人、衣において、板において、壁処において、阿多思花の色、青色を以てす。此の色を以て曼陀羅花と作す。或いは三角、或いは四角、異色を以てその外を繞らす。此において青相を作す。三行を以て相を取り、平等観を以て、方便を以て、離乱を以てす。余は初めの如く広く説くべし。

青一切入、已に竟りぬ。


原文全文(黄一切入)

問う、云何なるか黄一切入なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてか相を取る。

答う、心、黄相においてす。これを黄一切入と謂う。彼を修して心住し乱れず。これを修と謂う。黄一切入において意を放つは是れ相、黄想を除かざるを味と為し、作意無双なるを処と為す。

何の功徳かとは、五功徳を同せず。黄一切入において、心随逐し浄解脱を得。黄除入を得て作意す。金花の種々の黄色の如し。黄一切入を修すれば、処々皆黄を見る。

云何にしてか彼の相を取るとは、現に黄一切入を取るに、黄相において取る。若しは自作処、若しは自然処なり。是において非作処の相を取る。彼の坐禅人、処々に見る。或いは黄花、或いは黄衣・黄色、此より常に見る。随いて楽不楽とも、即ち彼分の黄相起るを得るを見る。新坐禅人の如くには非ず。新坐禅者は已作処において相を取り、非作処においては能わず。

黄一切入を修する方便、彼の坐禅人、或いは衣、或いは板、或いは壁、迦尼羅花の色、黄色を以てす。曼陀羅花と作す。或いは三角、或いは四角、異色その外を繞らす。彼において黄相を作す。三行を以て相を取り、平等観を以て、方便を以て、除乱を以てす。余は初めの如く広く説くべし。

黄一切入、已に竟りぬ。


原文全文(赤一切入)

問う、云何なるか赤一切入なる。何なるか修、何なるか相、何なるか味、何なるか処、何なるか功徳なる。云何にしてかその相を取る。

答う、心、赤相においてす。これを赤一切入と謂う。彼を修して心住し乱れず。これを修と謂う。赤相において意を放つを相と為し、赤想を離れざるを味と為し、作意無二なるを処と為す。

何の功徳かとは、四功徳を共にせず。赤一切入において心に随いて浄解脱を得。赤除入を得、種々の赤色を化す。不共の功徳とは、地一切入において説くが如し。赤一切入を修すれば処々皆赤を見る。

云何にしてかその相を取るとは、現に赤一切入を取るに、赤相において取る。若しは作処、若しは自然処なり。旧坐禅人は自然処において相を取る。処々において相を見る。或いは赤花、或いは赤衣、或いは赤色。此より初めと為し常に見る。随いて楽不楽とも、即ち彼分の赤相起るを得るを見る。新坐禅人の如くにはあらず。新坐禅人は作処において相を取り、非作処においては能わず。

赤一切入を修する方便、彼の坐禅人、或いは衣処、或いは板、或いは壁処、槃偸時婆花の赤色を生ずるが如し。或いは朱丹を以て曼陀羅花を作す。或いは三角、或いは四角、異色を以てその外を界す。此において赤相を作す。三行を以て相を取り、平等観を以て、方便を以て、離乱を以てす。初めの如く広く説くべし。

赤一切入、已に竟りぬ。


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