神通道の後
「解脱道、神通道を説くこと已に竟る。」
五通品が閉じた。神通の本体は智であった。「彼は天眼に非ず。智を以て内の光明の色を見る。此れを天眼と謂う」──天眼通の修法でそれが明示された。
そして章が変わる。
「解脱道論 分別慧品第十」。
智が慧と呼び換えられる章が開く。神通において智がいかに機能するかは前章で示された。本章では、智そのものが取り上げられる。
開口の問い
「問う、云何が慧なる。何の相ぞ、何の味ぞ、何の起ぞ、何の処ぞ、何の功徳ぞ。慧とは何の義ぞ。幾の功徳ありて波若を得る。幾種の波若ぞ。」
九つの問い。
慧とは何か。何を相とするか。何を味とするか。何を起とするか。何を処とするか。何の功徳があるか。慧の義は何か。いくつの功徳によって慧を得るか。慧は何種か。
「相・味・起・処」の四項。これは行門品で業処を定義するときに繰り返し用いられた枠組みである。念安般を四項で定義した。念身を四項で定義した。一切入を四項で定義した。
慧も同じ枠組みで定義される。慧は業処の対象ではない。業処と同じ次元で扱われる、独立した修法の主題として位置付けられる。
「意の事、見の如し」
「答う、意の事、見の如し。此れを波若と謂う。」
慧とは何か。意の働きであり、見るようなものである。
「見の如し」が慧の核心的比喩として置かれる。
慧は意の働きであるが、その様相は「見ること」に近い。直接的である。推論や論証とは異なる。識別が「見える」ように起こる。
「復た次に、作意して饒益と不饒益とを作意す。荘厳を作意す。」
饒益(利益となるもの)と不饒益(利益とならないもの)を識別する。荘厳(浄化・整備)を作意する。
慧は単なる中立的な認識ではない。何が利益で何が利益でないかを見分け、整備に向かう作意である。
阿毘曇の引用
「阿毘曇の中に説くが如し。」
原典は阿毘曇を引用する。慧について、阿毘曇が記述するすべての側面が列挙される。
「是の波若、是の慧、是の智、是の択法、妙相、随観なり。彼の観、聡明、暁了、分別、思惟、見、大いに悟り易し。牽の正智、慧鉤、慧根、慧力、慧仗、慧殿、慧光、慧明、慧灯、慧実なり。愚癡ならず、法を択び、正見なり。」
九つの比喩が並ぶ。
慧鉤。鉤(かぎ)。引っかけて捉える道具。 慧根。根。修行の基盤。 慧力。力。前進させる力。 慧仗。仗(つえ・武器)。煩悩を破る武器。 慧殿。殿。堅固な拠り所。 慧光。光。 慧明。明。 慧灯。灯。 慧実。実。実体・果実。
光・明・灯と、光に関する語が三つ並ぶ。慧の本質的な性格として、光が繰り返される。
そしてこの偈の末尾は否定形で締めくくられる。「愚癡ならず、法を択び、正見なり」。
二組の四項定義
慧の相・味・起・処を、原典は二組並置する。
第一組。
「達を相と為す。択を味と為す。愚癡ならざるを起こすと為す。四諦を処と為す。」
達を相とする。「達」は到達・貫通。慧の特徴は、何かに達することである。
択を味とする。「択」は識別・選択。慧の機能は、識別することである。
愚癡ならざるを起とする。慧が起こるとき、それは愚癡の不在として現れる。
四諦を処とする。慧の基盤は、苦・集・滅・道の四諦にある。
第二組。
「義を了し光明なるを相と為す。正法に入るを味と為す。無明の闇を除くを起こすと為す。四弁を処と為す。」
義を了し光明なるを相とする。義を理解する光明性。
正法に入るを味とする。正しい法に入っていく機能。
無明の闇を除くを起とする。慧が起こるとき、無明の闇が除かれる。
四弁を処とする。義弁・法弁・辞弁・楽説弁(次バッチで展開される)。
二組を並置することは何を意味するか。
第一組は慧の認識的側面。何を識別し、何に達するか。 第二組は慧の道的側面。何を照らし、何を除去するか。
慧は一面的に定義しきれない。原典は二組を並置することで、慧の多面性を示す。
功徳の偈
「何の功徳とは、波若、無量の功徳あり。当に略して此の偈を聞くべし。」
そして偈が置かれる。
慧を以て諸戒を浄む 禅に入るも亦た二慧 慧を以て諸道を修す 慧を以て彼の果を見る
戒を浄めるのも慧。禅に入るのも慧。道を修すのも慧。果を見るのも慧。
修行の全段階で慧が機能する。戒・定・慧の三学のうちの「慧」だけではない。戒の中にも慧があり、定の中にも慧がある。慧は修行の特定の段階に局所化された能力ではない。
波若を勝善と為す 慧眼最も無上なり 慧の退は是れ穢汚 慧の増長は無上なり
慧は最も無上である。しかしその慧にも、退と増長の両方向がある。慧の退は穢汚。慧の増長は無上。
慧は固定した到達点ではない。退することがあり、増長することがある。宿命通で確認された「鏡を磨く法の如し」が、ここで慧においても確認される。
慧は諸の外論を破す 世の至る所の著に非ず 慧有る人最も妙なり 善語言を顕説す
慧は外の論を破る。慧有る人は世の執着の対象ではない。
此の世及び彼の世 解脱して苦楽を聞く 諸義及び精進 勇猛なる慧有る人
この世と彼の世。慧有る人は両方に渡る。
悉く此の諸法を見る 因縁の諸語言 教誡及び名色 彼即ち四諦の語
慧が見るもの──因縁、教誡、名色、四諦。
是れ慧有る境界 慧を以て衆悪を除く 愛・瞋恚・無明 智を以て生死を除く 余の除くべからざるを除く
そして偈の閉じ。
「慧を以て衆悪を除く。愛・瞋恚・無明、智を以て生死を除く。」
慧は除く。衆悪を。愛を。瞋恚を。無明を。生死を。
そして最後の一句。
「余の除くべからざるを除く。」
他のいかなるものによっても除くことのできないものを、慧だけが除く。
「能く除く」
偈の後、原典は問いを置く。
「問う、慧とは何の義ぞ。」
慧という語の義は何か。
「答う、智の義なり。能く除くを義と為す。」
二つ。
智の義──認識・知という側面。
能く除くを義と為す──除去という機能。
「能く除く」が慧の根本義として明示される。
行門品(第四〜八巻)で確認された業処の効果は、煩悩の対治であった。蓋を除く。五欲を除く。忿恨を除く。愛著を除く。業処は除く力として機能した。
その除く力の本体が、慧であった。業処の修習において働いていたのは、慧であった。
そして偈は告げる。慧は他のものが除けないものまでをも除く。「余の除くべからざるを除く」。業処によっても直接除けない深層の煩悩──無明・生死そのもの──を、慧が除く。
慧を得る十一の功徳
「幾の功徳ありて慧を得るとは。十一の功徳なり。」
慧を得るには、十一の条件が必要である。
「修多羅の義を尋ぬ。善事多し。居を清浄にす。止観。四諦。分明の処を作す。心停住して常に禅に在り。蓋無き心。無智慧の人を離る。智慧の人を修行して楽著す。」
経の義を尋ねること。 善行が多いこと。 住居を清浄にすること。 止と観の修習。 四諦の理解。 明らかな所を作すこと。 心が住し、常に禅に在ること。 五蓋のない心。 慧のない人から離れること。 慧のある人と修行し、楽しんで親しむこと。
注目すべきは最後の二つである。
「無智慧の人を離る。智慧の人を修行して楽著す。」
慧の修習は孤立した個人の修行ではない。誰と共に居るかが、慧の修習に影響する。慧のない人とは離れる。慧のある人とは親しむ。
業処カタログが完備した修行者にとっても、人間関係は修行の不可分な側面である。
業処カタログの後の慧
行門品が完備した。「三十八行品 已りぬ」と第八巻が宣言した。
そして五通品が、業処カタログ完備後の神通の領域を展開した。神通の本体は智であった。
分別慧品が開かれる。慧が直接の主題となる。
開口の九つの問い。「相・味・起・処・功徳」の枠組みは、業処と同じ。 慧の二組の四項定義。認識的側面と道的側面の並置。 偈における慧の多面的展開。 「能く除く」という慧の根本義。 十一の功徳。
慧は業処の延長ではない。業処を貫いて働いていたものとして、ここで主題化される。修行の全段階(戒・定・慧)を貫通する根本的能力として、慧がここで取り出される。
そして偈は告げる。「余の除くべからざるを除く」。
業処によって除かれないものまで、慧は除く。
三層クロスリファレンス
| 本バッチ | 大安般守意経 | Kernel 4.x |
|---|---|---|
| 慧の四項定義(相・味・起・処) | MODULE 06(業処の構造) | Vol.4(業処システム) |
| 慧の九つの比喩(鉤・根・力・仗・殿・光・明・灯・実) | MODULE 13(三十七道品) | Vol.6(根・力) |
| 「能く除く」──慧の根本義 | MODULE 12(滅・捨断) | Vol.7(滅・捨断) |
| 慧の処:四諦・四弁 | MODULE 12 | Vol.7 |
| 慧の退と増長 | MODULE 03(修習の継続) | Vol.2(修習の継続) |
| 慧の修習の関係的側面 | ── | ── |
コメント