五蘊皆空です。
色(しき) ―― 肉体
肉体は空です。肉体は、不変でなく、独立してもなく、実体でもない。
もし、この肉体が、空でなく、実体であり、不変であり、独立しているなら、 生まれることはなく、滅することもなく、常住であり、途絶えることはないでしょう。 老いることも、病むことも、形を変えることもなく、永遠にそのままであり続けるでしょう。
また、この肉体は、分断することもなく、周囲の環境と関わることもなく、 異なるものとして、どこから来てどこへ去ることもないでしょう。
しかし、この肉体は、不変でなく、独立してもなく、実体もない。空です。 食べたもの、吸った空気、受け継いだ命の繋がりによって、一瞬たりとも休まず移ろっています。
そのため、この肉体は、縁によって生じては滅し、無常であり、やがては途絶えるでしょう。 また、宇宙の大きな循環から分断された個体としてではなく、 要素が寄り集まっては、どこかへと去っていくでしょう。
受(じゅ)―― 感受作用
感覚は空です。感覚は、不変でなく、独立してもなく、実体でもない。
もし、この感覚が、空でなく、実体であり、不変であり、独立しているなら、 心地よさは永遠に続き、苦しみもまた消えることなく、心に居座り続けるでしょう。 喜びも悲しみも、何の影響も受けず、どこから来てどこへ去ることもないでしょう。
しかし、この感覚は、不変でなく、独立してもなく、実体もない。空です。 そのため、感覚は縁に触れては生じ、役目を終えては滅し、無常であり、途絶えるでしょう。 一つの場所に留まらず、波のように現れては、跡形もなく去っていくことでしょう。
想(そう)―― 表象作用
概念は空です。イメージは、不変でなく、独立してもなく、実体でもない。
もし、この概念が、空でなく、実体であり、不変であり、独立しているなら、 一度抱いた思い込みは岩のように固まり、書き換えることも、疑うこともできないでしょう。 名前や形は絶対的なものとして、思考の中に永遠に留まり続けるでしょう。
しかし、この概念は、不変でなく、独立してもなく、実体もない。空です。 そのため、思いは雲のように形を変え、現れては消え、無常であり、途絶えるでしょう。 それは私たちが勝手に引いた境界線であり、異なるものとして分かたれ、去っていくことでしょう。
行(ぎょう)―― 意志作用
意思は空です。衝動は、不変でなく、独立してもなく、実体でもない。
もし、この意思が、空でなく、実体であり、不変であり、独立しているなら、 欲求やこだわりは止まることを知らず、私たちを永遠に一つの方向へ縛り付けるでしょう。 心の色を塗り替えることはできず、変化のきっかけさえも生まれないでしょう。
しかし、この意思は、不変でなく、独立してもなく、実体もない。空です。 そのため、情熱も執着も火花のように生じては滅し、無常であり、途絶えるでしょう。 条件が整えば現れ、条件が散れば、どこから来てどこへ去ることもなく霧散していくことでしょう。
識(しき)―― 認識作用
意識は空です。心は、不変でなく、独立してもなく、実体でもない。
もし、この意識が、空でなく、実体であり、不変であり、独立しているなら、 「私」という主観はダイヤモンドのように不壊であり、何ものにも染まらず、進化することもないでしょう。 生まれた時から死ぬ時まで、一瞬の瞬きもなく、ただ孤立して存在し続けるでしょう。
しかし、この意識は、不変でなく、独立してもなく、実体もない。空です。 そのため、意識は対象に応じて生じては滅し、無常であり、途絶えるでしょう。 それは鏡に映る影のように、分断された幻影として、どこからか来ては去っていくことでしょう。
五蘊皆空。

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