目次
今回の位置/語注/書き下し/現代語の要約/ポイント 転せず、還らず/つまずきやすい所/次回
今回の位置
②は、名相従り故に著を生ず、で入り、知る者無し、作者不可得、で閉じた。知る主体も作る主体も立てない。
③は、その次の問いから入る。菩薩当に云何が般若波羅蜜を行ずべき。不行色、即ち行般若。諸著を過ぎて無礙薩婆若。説くも増えず、説かざるも減らず。虚空を守護するが如し。彌勒の説く時。色浄故に般若清浄。天子が再見法輪転と唱える。須菩提は初転にも二転にも非ず。そのあと、須菩提が波羅蜜の名を並べて、歎淨品が閉じる。
守護を商品にしない。浄を新しい所有にしない。福は認め、出所へ戻す。経を売る文にしない。定義の注釈からは入らない。
読む範囲は、「菩薩當云何行般若波羅蜜」から、歎淨品の終わり、「自然波羅蜜是般若波羅蜜、諸法無性故」まで。
語注
不行色(ふぎょうしき) — 色を行ぜず。行わないことが、即ち行ず。何もしない、ではありません。
不滿足(ふまんぞく) — 満たず。色不滿足、則ち非色。欠けを足す語ではありません。
無所著(むしょじゃく) — 著する所無し。②の諸著の中で説かれます。離を所有にしません。
無礙薩婆若(むげさつばにゃ) — 諸著を過ぎるが故に名づく。智の山を立てません。
稱讃(しょうさん) — 称えて讃える。虚空を稱讃しても、虚空は増えず減らず。巻第三の稱に揃えます。
幻所化人(げんしょけにん) — 幻に化せられた人。讃えられても喜ばず、讃えられなくても瞋らない。譬えです。人を幻だと言い切る文ではありません。
大莊嚴(だいしょうごん) — 衆生を度するが故に発す。虚空と共に闘い、虚空を挙げるが如し。衆生の苦を捨てません。
響(きょう) — ひびき。守護し得ず。
彌勒(みろく) — この土で般若を説く。色空を説かず、縛も解も説かず。
清浄(しょうじょう) — この段では、般若波羅蜜清浄、と句の側に清浄の字が出ます。因は浄故のまま、色浄故、受想行識浄故、虚空浄故です。清浄は、浄を一段深くした名ではありません。
横死(おうし) — 横さまに死なず。福の商品にしません。
留難(るなん) — 妨げ。般若は留難多し、と経は置きます。大珍寶なるが故です。
無所得(むしょとく) — 得る所無し。無所得なるが故に染汚する無し、と続きます。
福田(ふくでん) — 福を生む田。法を以て福田と作す者も無し、と置かれます。福を集める場所を立てません。
無転無還(むてんむげん) — 転ずること無く、還ること無し。初転にも二転にも非ず。
無我波羅蜜 — 経の語としての無我です。非我の定義に動かしません。無我と非我は分けます。
書き下し
「世尊、菩薩当に云何が般若波羅蜜を行ずべき」と。
「須菩提、若し菩薩、色を行ぜざれば、即ち般若波羅蜜を行ず。受想行識を行ぜざれば、即ち般若波羅蜜を行ず。若し色を行ぜずして不滿足ならば、即ち般若波羅蜜を行ず。受想行識を行ぜずして不滿足ならば、即ち般若波羅蜜を行ず。何を以ての故に。色不滿足、則ち非色なり。受想行識不滿足、則ち非識なり。若し能く是の如く不滿足の相を行ぜば、即ち般若波羅蜜を行ず」と。
須菩提言わく、「希有なるかな世尊、諸著の中に於て無所著を説きたもう」と。
「須菩提、若し菩薩、色を行ぜずして相に著せざれば、即ち般若波羅蜜を行ず。受想行識を行ぜずして相に著せざれば、即ち般若波羅蜜を行ず。菩薩是の如く行ずれば、色に於て著を生ぜず、受想行識に於て著を生ぜず、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支仏道に於て著を生ぜず、乃至薩婆若にもまた著を生ぜず。何を以ての故に。諸著を過ぐるが故に、名づけて無礙薩婆若と為す。須菩提、菩薩諸著を過ぎんと欲せば、応に是の如く般若波羅蜜を思惟すべし」と。
須菩提、仏に白して言わく、「希有なるかな世尊、是の法甚深なり。若し説くも減せず、説かざるもまた減せず。若し説くも増せず、説かざるもまた増せず」と。
仏言わく、「是の如し是の如し、須菩提。仏、尽寿まで虚空を稱讃するが如く、虚空は減せず、稱讃せざるもまた減せず。稱讃するも増せず、稱讃せざるもまた増せず。須菩提、譬えば幻の所化の人を稱讃するに、また喜ばず、稱讃せざるもまた瞋らざるが如し。須菩提、諸法の性もまた是の如し。若し説くもまた増せず、説かざるもまた減せず」と。
「世尊、菩薩の所為は甚だ難し。般若波羅蜜を修行する時、心に増減無く、また退せず転ぜず。世尊、般若波羅蜜を修習するは、虚空を修習するが如し。世尊、菩薩、一切衆生を度するが故に大莊嚴を発せば、応当に敬礼すべし。世尊、菩薩、衆生の為の故に大莊嚴を発するは、人の虚空と共に闘うが如し。世尊、菩薩、衆生の為の故に大莊嚴を発するは、人の虚空と諍訟するが如し。世尊、是の菩薩を名づけて大莊嚴を発すと為す。世尊、菩薩、衆生の為の故に大莊嚴を発するは、人の虚空を挙げんと欲するが如し。世尊、是の菩薩を名づけて精進の彼岸を度すと為し、名づけて勇健と為し、名づけて虚空に同じき諸法の故に、阿耨多羅三藐三菩提を発すと為す」と。
爾の時、会中に一の比丘有りて是の念を作さく、「我れ般若波羅蜜を敬礼す。般若波羅蜜の中に、法の生ずる有ること無く、法の滅する有ること無し」と。
爾の時、釋提桓因、須菩提に語らく、「若し菩薩、深般若波羅蜜を修習せば、何の法を修習すると為す」と。
「憍尸迦、若し菩薩、深般若波羅蜜を修習せば、即ち是れ虚空を修習するなり」と。
釋提桓因、仏に白して言わく、「世尊、若し人能く般若波羅蜜を受持読誦せば、我れ当に守護すべし」と。
須菩提、釋提桓因に語らく、「汝、是の法の守護すべきを見るや」と。
釋提桓因言わく、「見ず」と。
「憍尸迦、若し菩薩、般若波羅蜜の所説の如く行ぜば、即ち是れ守護なり。若し菩薩、或る時般若波羅蜜を遠離せば、人若しは非人、則ち其の便を得。憍尸迦、若し人、般若波羅蜜を行ずる者を守護せんと欲せば、則ち虚空を守護せんと欲するなり。憍尸迦、意に於て云何。汝能く響を守護するや」と。
釋提桓因言わく、「能わず」と。
「憍尸迦、菩薩もまた是の如し。般若波羅蜜を行じて、一切法の空なるを知り、響の如く是の如くして、また分別せざれば、当に知るべし、是れを般若波羅蜜を行ずと為す」と。
爾の時、仏、神力を以て、三千大千世界の所有の四天王天及び諸の釋提桓因、娑婆世界主の諸梵天王をして、皆な仏所に来至し、頭面に仏足を礼して、却いて一面に住せしめたもう。四天王、諸の釋提桓因、諸梵天王等、仏神力を以て、千仏の是の如き相を見ることを得。是の如く名づけて般若波羅蜜の品を説く者、皆な須菩提の難問する者と名づけ、また釋提桓因の如し。彌勒菩薩、当に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべく、また此の土に於て般若波羅蜜を説かん。
爾の時、須菩提、仏に白して言わく、「世尊、彌勒菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を成ずる時、是の処に於て云何が般若波羅蜜を説く」と。
「須菩提、彌勒菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を成ずる時、般若波羅蜜を説くに、色空を説かず、受想行識空を説かず。色縛を説かず、色解を説かず。受想行識縛を説かず、受想行識解を説かず」と。
須菩提言わく、「世尊、般若波羅蜜は清浄なり」と。
仏言わく、「色浄故に般若波羅蜜清浄なり、受想行識浄故に般若波羅蜜清浄なり」と。
仏言わく、「虚空浄故に般若波羅蜜清浄なり。色無染故に般若波羅蜜清浄なり、受想行識無染故に般若波羅蜜清浄なり。須菩提、虚空無染故に般若波羅蜜清浄なり」と。
「世尊、若し善男子善女人有りて、能く般若波羅蜜を受持読誦せん者は、終に横死せず、若干百千の諸天、皆な共に隨従す。若し月の八日、十四日、十五日、二十三日、二十九日、三十日、在在処処に般若波羅蜜を説かば、其の福甚だ多し」と。
仏言わく、「是の如し是の如し、須菩提。是の人、般若波羅蜜を説いて、福を得ること甚だ多し。須菩提、般若波羅蜜は留難多し。何を以ての故に。般若波羅蜜は是れ大珍寶にして、法に於て著する所無く、取る所無し。所以は何ん。謂わく諸法無所有にして不可得なるが故に。須菩提、般若波羅蜜は無所得なるが故に、能く染汚する無し。何を以ての故に。般若波羅蜜は無法を以ての故に、名づけて無染般若波羅蜜と為す。般若波羅蜜無汚故に、諸法もまた無汚なり。若し是の如くしてまた分別せざれば、名づけて般若波羅蜜を行ずと為す。須菩提、般若波羅蜜は、法の若しは見、若しは不見なる有ること無く、法の若しは取、若しは捨なる有ること無し」と。
是の時、若干百千の諸天子、踊躍歓喜し、虚空の中に於て同声に唱えて言わく、「我れ閻浮提に於て、再び法輪の転ずるを見る」と。
須菩提、諸天子に語らく、「初転に非ず、二転に非ず。何を以ての故に。般若波羅蜜の法の中に、転無く還無し」と。
仏、須菩提に告げたまわく、「摩訶波羅蜜は是れ菩薩の般若波羅蜜なり。所謂一切法に於て転無く著無く、阿耨多羅三藐三菩提を得るも、また所得無し。法輪を転ずる時もまた転ずる所無く、還すべき法無く、示すべき法無く、見るべき法無く、是の法不可得なるが故に。何を以ての故に。須菩提、空は転ぜず還らず。無相、無作、無起、無生、無所有も転ぜず還らず。是の如く説くを名づけて般若波羅蜜を説くと為す。聽者無く、受者無く、証者無く、また法を以て福田と作す者無し」と。
須菩提、仏に白して言わく、「世尊、無辺波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、虚空無辺なるが故に。世尊、正波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法平等なるが故に。世尊、離波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法の性離なるが故に。世尊、不可破波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不可得なるが故に。世尊、無處波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無形無名なるが故に。世尊、無去波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無来なるが故に。世尊、無奪波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不可取なるが故に。世尊、尽波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無尽なるが故に。世尊、無生波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無生なるが故に。世尊、無作波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、作者不可得なるが故に。世尊、不出波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、出者不可得なるが故に。世尊、不至波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、無退没なるが故に。世尊、無垢波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸煩悩清浄なるが故に。世尊、無汚波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、処不汚なるが故に。世尊、不滅波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法前際を離るるが故に。世尊、幻波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不生なるが故に。世尊、夢波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、意識平等なるが故に。世尊、不戯波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸戯平等なるが故に。世尊、不念波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸念不生なるが故に。世尊、不動波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、法性常住なるが故に。世尊、離欲波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不虚誑なるが故に。世尊、不起波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無分別なるが故に。世尊、寂滅波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法の相不可得なるが故に。世尊、無煩悩波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無過咎なるが故に。世尊、無衆生波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、衆生際不可得なるが故に。世尊、不断波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不起なるが故に。世尊、無二辺波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無著なるが故に。世尊、不異波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不和合なるが故に。世尊、不著波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、声聞辟支仏地を分別せざるが故に。世尊、不分別波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸分別平等なるが故に。世尊、無量波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、量法不生なるが故に。世尊、虚空波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無障礙なるが故に。世尊、不生波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不起なるが故に。世尊、無常波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不失なるが故に。世尊、苦波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無苦悩なるが故に。世尊、無我波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法に貪著する所無きが故に。世尊、空波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無所得なるが故に。世尊、無相波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法の相不可得なるが故に。世尊、無作波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法に所成無きが故に。世尊、力波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不可破なるが故に。世尊、無量仏法波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、算数の法を過ぐるが故に。世尊、無所畏波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、心不没なるが故に。世尊、如波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法不異なるが故に。世尊、自然波羅蜜是れ般若波羅蜜なり、諸法無性なるが故に」と。
現代語の要約
菩薩は、どう般若を行ずるのか。
色を行ぜざれば、即ち行ず。満たざれば、それは色ではない。諸著の中で無所著が説かれる。果にも薩婆若にも著を生ぜず。諸著を過ぎるが故に、無礙薩婆若と名づける。
説いても増えず、説かなくても減らない。虚空を稱讃するも同じ。幻の人は、讃えられても喜ばず、讃えられなくても瞋らない。
修行の時、心に増減無く、退せず転ぜず。衆生を度するが故の大莊嚴は、虚空と闘い、虚空を挙げるが如し。
会中の一比丘が念ずる。般若の中に、生ずる法も、滅する法も無い。
帝釈が問う。深般若を修習するは、虚空を修習する。
帝釈が、守護すると言う。須菩提は、守護すべき法を見るか、と問う。見ない。所説の如く行ずるのが守護である。行ずる者を守護せんと欲すれば、虚空を守護せんと欲する。響は守護できない。一切法の空を知り、響の如くして分別しなければ、行ずと知る。
仏神力で、四天王・諸の帝釈・諸梵天王が集まり、千仏の相を見る。彌勒もこの土で説く。説く時、色空を説かず、縛も解も説かない。
般若は清浄である。色浄故、虚空浄故、無染故。
受持読誦する者は横死せず、諸天が隨従する。斎日に説けば福は甚だ多い。仏も、福甚だ多し、と印す。ただし留難も多い。大珍寶であり、著する所無く、取る所無い。無所有、不可得。無所得故に染汚なし。見も不見も無く、取も捨も無い。
諸天子が、再び法輪が転ずる、と唱える。須菩提は、初転に非ず、二転に非ず、と言う。法の中に転無く還無い。得ることも所得無し。法輪を転ずる時も転ずる所無い。聽者も、受者も、証者も、福田と作す者も無い。
須菩提が、多くの波羅蜜の名を並べる。名は増える。転せず還らず、の側へ戻る。
ポイント 転せず、還らず
③で一番取り違えやすいのは、行ぜざるを、何もしない、と読むことです。
色を行ぜざれば、即ち行ず。満たない相を行ずる。欠けを直して色を完成させる話ではありません。色不滿足、則ち非色です。
②で著を見たあとに、諸著の中で無所著が説かれます。果を捨てるのでもない。果にも薩婆若にも著を生ぜず、です。無礙薩婆若は、諸著を過ぎるが故の名です。智を足しません。
説くも減らず、説かざるも減らず。虚空の稱讃と同じです。
守護も同じ側にあります。帝釈は守護すると言う。須菩提は、守護すべき法が見えるか、と問う。見えない。行ずるのが守護です。虚空を守り、響を守ることはできない。守護を商品にしない。
彌勒の説も、空を足しません。色空を説かず、縛を説かず、解を説かず。
清浄に戻るときも、①の浄故の側です。色浄故、虚空浄故。句の字は清浄に替わりますが、因は浄故のままです。深い浄を新しく持つのではありません。
福は認めます。福甚だ多し。横死せず、諸天隨従す。認める。山にしない。留難も多い。無所有、不可得の故です。出所へ戻す。
再見法輪転は、二度目の転を足しません。初転に非ず、二転に非ず。無転無還です。聽者無く、受者無く、証者無く、福田と作す者無し。福を集める田も立ちません。
名を並べても、転を足しません。
つまずきやすい所
「不行色」を、行を消す、と読まない。
行ぜざるが、即ち行ずです。自分を消さない。衆生の苦を捨てない。
「不滿足則非色」を、足りない色、と読まない。
満たして色にする話ではありません。
「人の虚空と共に闘う」を、虚無の苦行、と読まない。
衆生を度するが故の大莊嚴です。
「我当に守護すべし」を、守りを買う、と読まない。
守護すべき法は見えない。響は守れない。
「終に横死せず」を、福の効き目にしない。
福は認める。買う文にしない。
「再見法輪転」を、新しい転の出来事、と読まない。
非初転、非二転。無転無還です。
「色浄故に般若清浄」を、①より深い浄、と持たない。
句の字は清浄に替わります。因は浄故のままです。
「無我波羅蜜」を、非我の定義に開かない。
経の語としての無我です。無我と非我は分けたまま置きます。「中道にして」の語は、この範囲にありません。中流の定義も、ここへ持ち込みません。定義は動かしません。
波羅蜜の名を、功徳の列として集めない。
名が増えても、所得は立ちません。
次回
④ 小品般若経 巻第四④ 已に曾て諸仏を供養せり 無料
不可思議品の入口。帝釈の念。聞き得る者は、過去に既に供養している。不驚不怖。住せざるが即ち習うなり。
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