目次
今回の位置/語注/書き下し/現代語の要約/ポイント 無處所行にして行ず/つまずきやすい所/次回
今回の位置
④は、已に曾て諸仏を供養せり、で入り、住せざるが即ち習う、未受記は久発の大乗心、で切った。譬喩には入っていない。
⑤は、その舎利弗の譬喩から入る。夢に道場に坐す、険道の本相、大海、春の樹、懷妊。仏が仏神力と印す。須菩提に口が替わり、増を見ず減を見ず、色不可思議を分別しない、久行、無處所行にして行ず、で切る。
留難と悪魔には入らない。本相を予言の商品にしない。不可思議を神秘の商品にしない。久行を年季の資格にしない。経を売る文にしない。有料は記事の置き方である。定義の注釈からは入らない。
読む範囲は、「舍利弗白佛言、世尊、我今當説譬喩」から、「是名無處所行而行般若波羅蜜、是故名爲久行」まで。
語注
譬喩(ひゆ) — 舎利弗が説きます。仏は、楽説せば便ち説け、と許します。
本相(ほんそう) — すでに現れている相。近いと知るしるしです。先の果を今持つ語ではありません。
阿毘跋致/受記 — ④の語。譬喩は、その近さを本相として見ます。位に積みません。
善根成就(ぜんごんじょうじゅ) — 善根が成り就く。深般若を見聞し得た者について言われます。今の見聞が善根を作る、という向きではありません。
宿世善根因縁(しゅくせぜんごんいんねん) — 過去世の善根の因縁。故に今、深般若を得る。④の已に曾ての側です。
長夜(じょうや) — 長い夜。諸菩薩が長夜に多く利益する、と置かれます。
不可思議(ふかしぎ) — 色も識も、十力も薩婆若も不可思議。分別しなければ行ず。神秘の商品にしません。
久行(くぎょう) — 久しく菩薩道を行ずる者。年数の所有ではありません。分別せざるが、久行と名づく。
十力(じゅうりき)/四無所畏(しむしょい)/十八不共法(じゅうはちふぐうほう) — 仏法の名。分別すれば、久行の名から落ちる側に置かれます。
無處所行(むしょしょぎょう) — 處所無き行にして行ず。場所を消した行、ではありません。行の住所を立てない、という名です。
書き下し
舎利弗、仏に白して言わく、「世尊、我れ今当に譬喩を説くべし」と。
仏言わく、「楽説せば便ち説け」と。
「世尊、譬えば菩薩道を求むる者、夢に道場に坐するが如し。是の菩薩、当に阿耨多羅三藐三菩提に近かるべしと知る。若し菩薩道を求むる者、深般若波羅蜜を聞くことを得ば、当に知るべし、是の菩薩は久しく大乗心を発し、善根成就し、受記に近く、久しからずして必ず受記を得」と。
▼ここから有料
仏言わく、「善きかな、善きかな、舎利弗。汝、仏神力を承けて、復た更に之を説け」と。
「世尊、譬えば人有りて険道を過ぎんと欲し、若しは百由旬、若しは二百、若しは三百、若しは四百、若しは五百由旬なるが如し。難を出でんと欲する時、先に諸の相を見る。若しは放たれたる牛羊を見、若しは疆界を見、若しは園林を見る。是の如き相を見るが故に、当に知るべし、此の中に必ず城邑聚落有り。是の相を見已りて是の念を作さく、我が所見の相の如くんば、城邑聚落は此を去ること遠からず、其の心安隠にして、復た怨家賊害有らんことを畏れず、と。世尊、菩薩もまた是の如し。若し深般若波羅蜜を聞くことを得ば、当に知るべし、是の菩薩は受記に近く、久しからずして必ず受記を得。爾の時、声聞辟支仏地に堕せんことを畏れず。何を以ての故に。是の菩薩、是の本相を得ればなり。所謂深般若波羅蜜を見ることを得、深般若波羅蜜を聞くことを得るなり。
世尊、譬えば人有りて大海を見んと欲し、稍稍に前行し、若し樹を見、若し樹の相を見、若し山を見、若し山の相を見ば、当に知るべし、是の中、海を去ること尚お遠し。若し樹を見ず樹の相無く、山を見ず山の相無くば、当に知るべし、大海は是を去ること遠からず。大海深きが故に、山樹有ること無し。是の人、海を見ずと雖も、必ず之に近しと知る。世尊、菩薩もまた是の如し。深般若波羅蜜を聞くことを得ば、未だ現在の諸仏の前に於て記を受けずと雖も、自ら必ず阿耨多羅三藐三菩提に近しと知る。何を以ての故に。我れ深般若波羅蜜を見聞し供養するが故に。
世尊、譬えば春の時、樹葉零落すれば、当に知るべし、此の樹の華葉果実、将に生ずること久しからざらんと。何を以ての故に。本相現ずるが故に。閻浮提の人、樹の本相を見て、皆な悉く歓喜し是の念を作さく、是の樹、久しからずして当に華葉果実を生ずべし、と。世尊、菩薩もまた是の如し。若し深般若波羅蜜を見聞することを得ば、当に知るべし、是の菩薩は善根成就し、宿世の善根因縁の故に、今深般若波羅蜜を得」と。
会中に曾て仏を見し諸天有りて、皆な大いに歓喜し是の念を作さく、「先の諸菩薩もまた是の如き受記の本相有り。是の菩薩、久しからずして当に阿耨多羅三藐三菩提の記を受くべし」と。
「世尊、譬えば女人懷妊し、転転として不便、身体疲極し、事務を楽しまず、眠臥安んぜず、飲食転た少なく、苦悩身に在り、語言を欲せず、本の所習を厭い、復た楽を憶わず。本相現ずるが故に、当に知るべし、是の女、将に産すること久しからざらんと。菩薩の善根成就もまた復た是の如し。若し深般若波羅蜜を見聞し思惟することを得ば、当に知るべし、是の菩薩、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得」と。
仏言わく、「善きかな、善きかな、舎利弗。汝が楽説する所は、皆な仏神力なり」と。
爾の時、須菩提、仏に白して言わく、「希有なるかな世尊、如来はよく諸菩薩の事を説きたもう」と。
「須菩提、是の諸菩薩摩訶薩は、長夜に多く利益する所、多く安隠する所、多く安楽する所、世間を憐愍し、阿耨多羅三藐三菩提を得て、諸の天人の為に法要を演説す」と。
須菩提、仏に白して言わく、「世尊、菩薩摩訶薩、云何が具足して般若波羅蜜を修習し行ずることを得る」と。
「須菩提、若し菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を行ずるに、色の増を見ざれば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す。受想行識の増を見ざれば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す。色の減を見ざれば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す。受想行識の減を見ざれば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す。乃至法を見ず、非法を見ざれば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す」と。
「世尊、仏の所説の如くんば不可思議なり」と。
「須菩提、色不可思議なり、受想行識不可思議なり。若し菩薩、色不可思議を分別せず、受想行識不可思議を分別せざれば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す」と。
「世尊、般若波羅蜜是の如し、誰か能く信解せん」と。
「須菩提、若し久しく菩薩道を行ずる者なり」と。
「世尊、云何が菩薩、名づけて久行を得と為す」と。
「須菩提、若し菩薩、般若波羅蜜を行じて、仏の十力四無所畏を分別せず、乃至薩婆若を分別せざれば、是れを久行と名づく。何を以ての故に。仏の十力不可思議なり、四無所畏十八不共法不可思議なり、乃至薩婆若不可思議なり。色不可思議なり、受想行識不可思議なり、一切法もまた不可思議なり。菩薩是の如く行ずる者、是れを無處所行にして般若波羅蜜を行ずと名づく。是の故に名づけて久行と為す」と。
現代語の要約
舎利弗が譬喩を説きます。仏は、楽説せば便ち説け、と許します。
夢に道場に坐す。深い般若を聞けば、久しく大乗心を発し、善根成就し、受記に近いと知る。
仏が、仏神力を承けて更に説け、と言います。
険道を過ぎようとする者が、牛羊・疆界・園林を見て、城邑は遠からずと知る。心安隠で、怨賊を畏れない。菩薩も同じで、深般若を見聞するのが本相である。声聞辟支仏地に堕することを畏れない。
海を見ようとする者が、樹や山の相を見ればまだ遠い。樹も山も無ければ、海は遠からず。海は深く、山樹が無い。海を見ずとも近いと知る。まだ現在の仏前で記を受けなくても、見聞し供養するが故に近いと知る。
春に樹葉が零落すれば、華葉果実は久しからずして生ずる。本相が現れている。宿世の善根因縁の故に、今深般若を得る。
会中の諸天も、受記の本相だ、と歓喜します。
懷妊の女は、疲れ、安んぜず、本の所習を厭う。本相現ずるが故に、産は久しからず。見聞し思惟すれば、記を受くること久しからず。
仏は、楽説は皆な仏神力なり、と印します。
須菩提が、諸菩薩の事を希有と讃えます。仏は、長夜に利益し、世間を憐愍する、と返します。
須菩提が、具足して行ずるとは何か、と問います。仏は、色の増を見ず、減を見ず、法も非法も見ない、と返します。
不可思議を分別しなければ、行ず。誰が信解するか。久しく菩薩道を行ずる者である。久行の名は、十力も四無所畏も薩婆若も分別しないことである。一切法不可思議なり。是の如く行ずるを、無處所行にして行ずと名づく。是の故に久行と名づく。
ポイント 無處所行にして行ず
⑤で一番取り違えやすいのは、譬喩を、もうすぐ得る、という先取りにすることです。
夢も、険道の相も、海に山樹が無いことも、春の葉が落ちることも、懷妊の疲れも、本相です。果を今持つのではありません。近いと知る、です。④の久発の大乗心の側です。
険道で怨賊を畏れないのも、守りを買ったからではありません。本相を得た故です。いわゆる深般若を見、深般若を聞く。
海をまだ見なくても近いと知るのも、見聞し供養するが故、です。供養を今の商品にしない。已に曾ての側です。
譬喩は舎利弗の口ですが、仏は二度、仏神力なり、と印します。舎利弗の手柄として立ちません。
不可思議は、分けて持つ対象ではありません。色不可思議を分別せず、識不可思議を分別せず。是れを行ずと為す。十力も、四無所畏も、十八不共法も、薩婆若も分別しない。分別せざるが、久行の名です。年数を積んだ人の称号ではありません。
無處所行にして行ず。處所の無い場所へ移るのではありません。行の住所を立てない。③の不行即行、④の住せざるが習う、の側です。
増を見ず、減を見ず。見ないことを、新しい所有にしない。
つまずきやすい所
「夢坐道場」を、夢のお告げ、と売らない。
近いと知る、です。夢を吉兆の商品にしない。
「城邑聚落去此不遠」を、到着した、と読まない。
本相を見て、遠からずと知るだけです。
「不見山樹、知必近海」を、何も見えなければ悟り、と読まない。
大海深きが故に山樹無し、です。空に置き換えて持たない。
「懷妊」を、成果が腹にある、と読まない。
本相現ずるが故に、産は久しからず、です。子を果として持たない。
「善根成就」「宿世善根因縁」を、今の見聞が善根を作る、と読まない。
故に今得る、という向きです。④の已に曾てと同じ側です。
「不分別色不可思議」を、不可思議だから考えるな、と読まない。
分別して持たない、です。神秘の商品にしない。
「久行」を、長くやった人、と読まない。
十力も薩婆若も分別せず、が久行の名です。
「無處所行」を、どこにも行かない、と読まない。
處所無き行にして行ず、です。行を消さない。自分を消さない。衆生の苦を捨てない。世間を憐愍す、と経は置きます。無我に開かない。非我の定義も足さない。「中道にして」の語は、この範囲にありません。定義は動かしません。
次回
⑥ 小品般若経 巻第四⑥ 悪魔は断絶を得ず 有料
珍寶には怨賊多し。伺求すれども得ず。仏神力、十方諸仏の護念。脅しにも守護の商品にもしない。
タグ:小品般若経/小品般若波羅蜜経/巻第四/不可思議品/本相/久行/無處所行/経典解説
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