記事の説明
泥犁品の入口と、巻第三の結び。舎利弗が讃える。般若は照明を作し、光明を与え、闇冥を除く。盲者に眼を与え、邪行の者を正道に入らしむ。即ち薩婆若であり、諸菩薩の母である。敬視すること、仏を敬視するが如し。五波羅蜜は、般若を離れば盲人に導が無い。不精進の難しさが開く。色は無縛無解、色の真性是れ色。色浄即ち果浄、色浄即ち薩婆若浄、無二無別、無異無壊。罰で終わらない。母と照明で閉じる。
今回の位置
⑥は、捨去し誹謗拒逆する口と、泥犁への展転でした。不精進の者は信解が甚だ難しい、と印して止まりました。難しさの中身は、まだ開いていません。
⑦は品の入口へ戻ります。舎利弗が先に讃える。照明、敬礼、光明、闇冥を除く、無所染汚、利益、安隠、盲者に眼、邪行を正道へ、即ち薩婆若、諸菩薩の母、非生法者非滅法者、三転十二相の法輪を具足す、孤窮の救護、生死を滅す、一切法性を示す。どう敬視すべきか。仏は、仏を敬視するが如し、と返す。
帝釈が、何の因縁で問うか、と舎利弗に聞く。舎利弗は、菩薩が般若を以て隨喜の福徳を薩婆若へ迴向するが故に、上の布施持戒等に勝る、と言う。
盲人の喩えが続く。百千万衆あっても導が無ければ、城邑に進めない。五波羅蜜は般若を離れば、盲人に導が無い。般若に護られれば目が有る。般若の力故に、五波羅蜜は般若の名を得る。
そのあと、⑥で印した難しさが開きます。須菩提が問う。云何が、不精進の者は信解すること甚だ難しきや。仏が答える。色は無縛無解。何を以ての故に。色の真性是れ色。受想行識も同じ。前際・後際・現在も無縛無解。
須菩提が重ねる。甚深である、不精進の者は信解が甚だ難しい。仏がまた印し、浄を置く。色浄即ち果浄。色浄即ち薩婆若浄。無二無別、無異無壊。識もまた是の如し。
巻第三は、ここで閉じます。
読む範囲は、泥犁品の「世尊、是般若波羅蜜」から盲人の喩えの「五波羅蜜得般若波羅蜜名」まで、および「世尊、云何不精進者、信解般若波羅蜜甚難」から巻末までです。捨去と展転は⑥です。
語注
照明(しょうみょう) — 照らして明らかにする。舎利弗の最初の讃。所有の灯ではありません。闇を除く働きの名です。
無所染汚(むしょぜんな) — 染め汚される所が無い。⑤の雑毒と対になります。毒が雑じる迴向はあった。般若そのものは染まらない。
孤窮(こぐう) — 孤り、窮まった者。般若が救護を作す相手として置かれます。位で選ばれていません。
盲者眼(もうしゃげん) — 盲いた者に眼を与える。讃の一句です。あとに盲人の喩えが重なります。五波羅蜜に導を与える側です。
正道(しょうどう) — 正しい道。邪った行を正道に入らしむ、という讃です。八正道の中道に読み替えません。経文の「中道にして」だけを途中と開く、という決まりは、ここでも動かしません。
薩婆若 — ③⑥で出た一切智。ここは、般若即ち薩婆若、と讃に置かれる。般若の外に智の山を立てない。
諸菩薩母 — 諸菩薩の母。産み出す側です。菩薩を所有する母ではありません。巻第二の上首・樹陰と対になります。導と陰と母です。
非生法者非滅法者 — 生の法を作る者に非ず、滅の法を作る者に非ず。生滅を業とする主体ではない、です。自分を消す讃ではありません。
三転十二相法輪 — 法輪を三度転じ、十二の相を具足する。讃の一句として置く。転じ方の解説は、ここに無い。
一切法性(いっさいほっしょう) — 一切の法の性。般若が能く示す、と讃に置かれます。性を一つ取り出して掴む文ではありません。
敬視(けいし) — 敬って視る。仏を敬視するが如く、般若を敬視せよ。経巻を仏の代わりの像にする文ではありません。見方を揃える、です。
上の諸菩薩 — 舎利弗が帝釈に答える句にある語。迴向品で較べられた、有所得の心で布施持戒等を行ずる菩薩の側です。⑤⑥の較べを受けています。新しい階級ではありません。
導(どう) — 手引き。盲人に導が無ければ進めない。巻第二⑤の「五つの導」と同じ手です。五は残る。般若が導く。
無縛無解(むばくむげ) — 縛も無く、解も無い。⑥の難しさの中身です。縛を解け、ではない。真性是れ色、故に無縛無解です。
真性是れ色(しんしょうこれしき) — 色の真性は是れ色。色を壊して真性を残す文ではありません。②の不壞色故に無常を観よ、と対になります。色は残る。縛としても解としても取らない。
前際・後際・現在 — 前の端、後の端、今。三時の色も無縛無解。時を三つに分けて、どれかを得る文ではありません。
色浄・果浄(しきじょう・かじょう) — 色が浄ければ果も浄い。果を色の外に置かない。
無二無別、無異無壊(むにむべつ、むいむえ) — 二つ無く、別無く、異なり無く、壊れること無し。色浄と薩婆若浄を、二つの物にしない。壊して一つにするのでもない。
書き下し
爾の時、舎利弗、仏に白して言わく、「世尊、是れ般若波羅蜜なり」と。
仏言わく、「是れ般若波羅蜜なり」と。
「世尊、般若波羅蜜は能く照明を作す。世尊、般若波羅蜜は応に敬礼すべき所なり。世尊、般若波羅蜜は能く光明を与う。世尊、般若波羅蜜は諸の闇冥を除く。世尊、般若波羅蜜は染汚する所無し。世尊、般若波羅蜜は多く利益する所あり。世尊、般若波羅蜜は多く安隠する所あり。世尊、般若波羅蜜は能く盲者に眼を与う。世尊、般若波羅蜜は能く邪行の者をして正道に入らしむ。世尊、般若波羅蜜は即ち是れ薩婆若なり。世尊、般若波羅蜜は是れ諸菩薩の母なり。世尊、般若波羅蜜は生法の者に非ず、滅法の者に非ず。世尊、般若波羅蜜は三転十二相の法輪を具足す。世尊、般若波羅蜜は能く孤窮の者の為に救護を作す。世尊、般若波羅蜜は能く生死を滅す。世尊、般若波羅蜜は能く一切法性を示す。世尊、応に云何が般若波羅蜜を敬視すべき」と。
仏言わく、「仏を敬視するが如し。般若波羅蜜を敬礼すること、仏を敬礼するが如し」と。
爾の時、釋提桓因、心に念ずらく、「舎利弗、何の因縁を以て是の問を作す」と。念じ已って、舎利弗に問う、「何の因縁を以て是の問を作す」と。
舎利弗言わく、「菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を以て隨喜の福徳を薩婆若に迴向するが故に、上の諸菩薩の所有る布施・持戒・忍辱・精進・禪定等に於て、其の福最勝なり。是の故に我是の問を作す。
憍尸迦、譬えば盲人の、百千万衆有りと雖も、導く者無ければ、城邑聚落に進趣すること能わざるが如し。憍尸迦、五波羅蜜、般若波羅蜜を離るれば、また盲人に導無きが如く、道を修して薩婆若に至ること能わず。若し五波羅蜜、般若波羅蜜に護らるれば、則ち目有りと為す。般若波羅蜜の力の故に、五波羅蜜、般若波羅蜜の名を得」と。
須菩提、仏に白して言わく、「世尊、云何が不精進の者、般若波羅蜜を信解すること甚だ難しきや」と。
「須菩提、色は無縛無解なり。何を以ての故に。色の真性是れ色なるが故に。受想行識は無縛無解なり。何を以ての故に。識の真性是れ識なるが故に。
復次に、須菩提、色の前際は無縛無解なり。何を以ての故に。色の前際の真性是れ色なるが故に。色の後際は無縛無解なり。何を以ての故に。色の後際の真性是れ色なるが故に。現在の色は無縛無解なり。何を以ての故に。現在の色の真性是れ色なるが故に。
須菩提、受想行識の前際は無縛無解なり。何を以ての故に。識の前際の真性是れ識なるが故に。識の後際は無縛無解なり。何を以ての故に。識の後際の真性是れ識なるが故に。現在の識は無縛無解なり。何を以ての故に。現在の識の真性是れ識なるが故に」と。
「世尊、般若波羅蜜は甚深なり。不精進の者、信解すること甚だ難し」と。
仏言わく、「是の如し、是の如し、須菩提、深般若波羅蜜、不精進の者、信解すること甚だ難し。
須菩提、色浄は即ち是れ果浄なり。色浄なるが故に果もまた浄し。受想行識浄は即ち是れ果浄なり。受想行識浄なるが故に果もまた浄し。
復次に、須菩提、色浄は即ち是れ薩婆若浄なり。薩婆若浄なるが故に色浄なり。須菩提、色浄と薩婆若浄とは、無二無別、無異無壊なり。受想行識浄は即ち是れ薩婆若浄なり。薩婆若浄なるが故に受想行識浄なり。須菩提、薩婆若浄と受想行識浄とは、無二無別、無異無壊なり」と。
現代語の要約
席が泥犁品の入口に戻ります。
舎利弗が、是れ般若波羅蜜なり、と言います。仏が印します。そのうえで舎利弗が讃えます。
照らす。敬礼すべし。光明を与える。闇を除く。染汚が無い。利益し、安隠する。盲いた者に眼を与える。邪った行の者を正道に入れる。即ち薩婆若である。諸菩薩の母である。生の法を作る者でも、滅の法を作る者でもない。三転十二相の法輪を具足する。孤窮を救護する。生死を滅する。一切法性を示す。
どう敬視すべきか。仏は、仏を敬視するが如し、と返します。
帝釈が、心の中で、なぜ舎利弗はこれを問うのか、と念じ、そのまま舎利弗に聞きます。
舎利弗は、隨喜の福徳を般若を以て薩婆若へ迴向するが故に、上の菩薩たちの布施持戒忍辱精進禪定の福より最勝である、と答える。迴向品の較べを、ここで受けています。
盲人の喩えが続きます。人がどれほど多くても、導が無ければ城へ進めない。五波羅蜜は、般若を離れば盲人に導が無い。護られれば目が有る。般若の力故に、五は般若の名を得る。
巻第二の上首と樹陰が、ここで目と導になります。
須菩提が問います。⑥で印されたその難しさは、どういうことか。
仏が答えます。色は縛されず、解かれてもいない。何故か。色の真性は是れ色だからである。受想行識も同じ。色の前際も、後際も、現在も、同じです。
色を壊して縛を解く文ではない。真性の名で色を消す文でもない。
須菩提が重ねます。甚深であり、不精進の者は信解が甚だ難しい。
仏はまた印し、浄を置きます。色浄は即ち果浄。色浄なる故に果も浄い。色浄は即ち薩婆若浄。薩婆若浄なる故に色浄である。二つ無く、別無く、異なり無く、壊れることが無い。識もまた是の如し。
巻第三は、ここで閉じます。
ポイント 罰で終わらず、母と照明で閉じる
巻第三は、与えて書写せしめよ、から始まりました。渡す福を、十善と禪と神通と較べ、果と較べ、人数の山を折り、隨喜を最大と認め、向ける心を尽滅させ、正迴向と雑毒を分け、拒逆の口を泥犁へ見た。
閉じは、罰ではありません。照明と母です。
しかも、順序は逆です。讃は品の入口にあり、展転はその後に来る。読む順を組み替えて、罰の前に讃を置き直したのではありません。経が先に照明を置き、そのあとで落ち先を書いています。
盲者に眼、は、讃であると同時に、五の導です。五波羅蜜を捨てない。離れば盲いる。護られれば目が有る。巻第二⑦の樹はさまざま、陰は一つ、と同じ手です。形を消さない。出所へ揃える。
正道は、邪行を入らしむ、という讃です。中道の定義に書き換えない。非我の行も、この一句から作らない。
無縛無解は、⑥の難しさの中身です。しかもそれは、須菩提が問うて初めて開きます。難しい、で置かれた印が、問われて中身を出す。縛を解け、と売らない。
色の真性是れ色、故に縛も解も無い。②で色を壊さずに無常を観よ、と聞いた色が、ここで縛としても解としても住しない。得ない。住しない。離れない。
色浄と薩婆若浄は、二つの浄を足して一つにするのではありません。無二無別、無異無壊です。果を色の外に置かない。智を色の外に置かない。新しい山を立てない。
つまずきやすい所
照明と母を、新しい所有にしない。
讃です。灯を持つ主体を立てない。母を、菩薩を産む道具にしない。敬視は、仏を視る目を、般若に揃える、です。経巻を仏像の代わりにしない。
「正道」を、八正道の中道に読み替えない。
邪行の者を正道に入らしむ、です。定義を動かさない。
「真性是れ色」を、色は常住だ、と読まない。
②の不壞と同じ側です。色を壊さない。色を我として守るのでもない。真性の名で色を消すのでもない。
無縛無解を、解縛の行にしない。
縛が無い。解も無い。解く主体を残さない。
「無二無別」を、色と智を同じ物として掴め、と読まない。
二つに分けて所有しない、です。一つにまとめて所有するのでもない。無異無壊が、その両側を止める。
「五波羅蜜が般若の名を得る」を、五を般若に吸収する文にしない。
五は残ります。導かれ、護られて、名を得る。名を得たから五が消えるのではありません。①以来、行の形は残ってきました。
⑥の展転で巻を閉じない。
罰のあとに、照明と母が置かれています。落ち先を見た口が、出所へ戻る。棚を替えない。
巻第三を閉じる
経巻を与えて書写せしめよ。相似の般若に違錯す。聖弟子は菩薩を佐助す。随喜の福は最大なり。廻向の心は即ち尽滅す。破法は泥犁に展転す。般若は照明であり、菩薩の母である。
巻第二は、持ったものを渡し、説いて閉じました。巻第三は、渡す福が計算の山へ戻らないかを見ました。多いを認める。新しい所有を立てない。向ける心を物にしない。拒逆の口を残さない。
閉じは、照明と母です。次の巻へ、棚は替えません。
次回
巻第四に入ります。品の名と範囲は、巻第四の目次で先に示します。巻第三の通路は、ここで一度閉じます。
泥犁品/照明/菩薩母/色浄/舎利弗/小品般若経/経典解説/巻第三
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