目次
今回の位置/語注/書き下し/現代語の要約/ポイント 心性は迴向すべからず/つまずきやすい所/次回
今回の位置
①は、舎利弗の浄故から入り、須菩提の畢竟浄故、非中流までで閉じた。此岸にも、彼岸にも、中流にも置かない。置かないことも、畢竟浄故であった。
②は、その須菩提の口が続くところから入る。是の如くしてまた分別すれば、即ち失し、即ち遠ざかる。仏は、名相従り故に著を生ず、と印す。須菩提が讃え、舎利弗が問い、帝釈が問う。心性は迴向すべからず。
仏が更に微細の著を説く。取相の念仏も、隨喜の迴向もまた著。諸法の性は三世に非ず。そのあと、知り難い、不可思議、無所作が並ぶ。知る主体も作る主体も立てない。
巻第三⑤の迴向に触れる。触れても、定義にしない。棚に上げない。浄を新しい所有にしない。不可思議を神秘の商品にしない。経を売る文にしない。有料は記事の置き方である。
読む範囲は、「菩薩若如是、亦分別、即失般若波羅蜜」から、「般若波羅蜜無所作。須菩提、作者不可得故」まで。
語注
著(じゃく) — 取り付くこと。名相従り故に生ず。悪い行いの品名にしません。
名相(みょうそう) — 名と相。従名相故に著を生ず。
分別(ふんべつ) — 分けて立てること。色空を分別しても著。
福徳(ふくとく) — 初発心の菩薩が得る若干の福徳。福は認める。得を著にする。出所へ戻す。
釋提桓因(しゃくだいかんいん)/憍尸迦(きょうしか) — 帝釈。①では出しません。②で問います。
迴向(えこう) — 是の心を以て阿耨多羅三藐三菩提に迴向す。心性は迴向すべからず。巻第三⑤に触れます。定義は足しません。
心性(しんしょう) — 心の性。迴向する器として立てません。
示教利喜(じきょうりき) — 示し、教え、利し、喜ばしむ。諸法の実相の如くします。
取相(しゅそう) — 相を取ること。取相して諸仏を念ずれば、取る所の相に随って皆な著。
隨喜(ずいき) — 諸仏の無漏法を皆な隨喜す。隨喜し已りて迴向すれば、即ちまた著。
無漏法(むろほう) — 漏無き法。過去未来現在の諸仏の所有として取りません。
畢竟離故(ひっきょうりこ) — 畢竟して離るるが故に。①の畢竟浄故に、離を足して持ちません。
無作法(むさほう) — 作無き法。仏得是無作法故。得を所有の証明にしません。
無二無三(むにむさん) — 二も無く、三も無し。法性は唯一である、という句に続きます。一を数えて持つ語ではありません。
非性非作(ひしょうひさ) — 性に非ず、作に非ず。唯一と言われたその性も、性として取られません。
離諸著(りしょじゃく) — 諸の著を離る。離を新しい所有にしません。
無有知者(むうちしゃ) — 知る者有ること無し。無知の人、ではありません。
不可思議(ふかしぎ) — 心を以て知ること能わず。神秘の商品にしません。
無所作(むしょさ) — 所作無し。
作者不可得(さしゃふかとく) — 作者は得べからず。作る主体を立てません。
書き下し
「世尊、菩薩若し是の如くして、また分別せば、即ち般若波羅蜜を失し、即ち般若波羅蜜を遠ざかる」と。
仏言わく、「善きかな、善きかな、須菩提。名相従り故に著を生ず」と。
「希有なるかな世尊、よく般若波羅蜜の中の著を説きたもう」と。
▼ここから有料
爾の時、舎利弗、須菩提に語らく、「何の因縁故に名づけて著と為す」と。
「舎利弗、若し善男子善女人、色空を分別せば、即ち名づけて著と為す。受想行識空を分別せば、即ち名づけて著と為す。過去法、未来法、現在法を分別せば、即ち名づけて著と為す。初発心の菩薩、若干の福徳を得れば、即ち名づけて著と為す」と。
釋提桓因、須菩提に問うて言わく、「何の因縁ぞ、是の事を名づけて著と為す」と。
「憍尸迦、是の人、是の心を分別し、是の心を以て阿耨多羅三藐三菩提に迴向す。憍尸迦、心性は迴向すべからず。是の故に菩薩、若し人を教化して阿耨多羅三藐三菩提ならしめんと欲せば、応に諸法の実相の如く示教利喜すべし。是の如くんば則ち自ら傷らず。是れ仏の許す所、是れ仏の教うる所、善男子善女人もまた諸著を離る」と。
爾の時、仏、須菩提を讃めて言わく、「善きかな、善きかな。汝よく諸菩薩の著法を示す。須菩提、我れ当に更に微細の著法を説くべし。汝今よく聴け」と。
須菩提言わく、「唯然なり、教えを受く」と。
仏言わく、「若し善男子善女人、相を取りて諸仏を念ずれば、取る所の相に随って、皆な名づけて著と為す。過去未来現在の諸仏の所有の無漏法を、皆な隨喜す。隨喜し已りて、阿耨多羅三藐三菩提に迴向すれば、即ちまた是れ著なり。何を以ての故に。須菩提、諸法の性は過去に非ず、未来に非ず、現在に非ず、相を取るべからず、縁ずべからず、見るべからず、聞くべからず、覚すべからず、知るべからず、迴向すべからず」と。
「世尊、是の諸法の性は甚深なり」と。
仏言わく、「畢竟離故なり」と。
「世尊、我れ般若波羅蜜を敬礼す」と。
仏言わく、「仏、是の無作法を得たまえるが故に」と。
「世尊、仏は一切法を得たまえり」と。
「是の如し、須菩提、如来は一切法を得たまえり。須菩提、法性は唯一にして無二無三なり。是の性もまた非性非作なり。須菩提、菩薩能く是の如く知らば、則ち諸著を離る」と。
「世尊、般若波羅蜜は甚だ知り難し」と。
「須菩提、知る者有ること無きが故に」と。
「世尊、般若波羅蜜は不可思議なり」と。
「須菩提、般若波羅蜜は心を以て知るべからざるが故に」と。
「世尊、般若波羅蜜は無所作なり」と。
「須菩提、作者は得べからざるが故に」と。
現代語の要約
須菩提が言います。是の如くしてまた分別すれば、般若を失し、般若を遠ざかる。
仏が印します。名相従り故に著を生ず。
須菩提が讃えます。よく般若の中の著を説いてくださった。
舎利弗が、何を著と呼ぶのか、と問います。色空を分別しても著。受想行識空を分別しても著。過去・未来・現在を分別しても著。初発心の菩薩が若干の福徳を得ても著。
帝釈が重ねて問います。是の心を分別し、是の心を以て無上の菩提に迴向する。その事を著と呼ぶ。心性は迴向すべからず。人を教化するなら、諸法の実相の如く示教利喜せよ。自ら傷らない。仏の許しであり、仏の教えである。
仏が須菩提を讃め、更に微細の著を説きます。
相を取りて諸仏を念ずれば、取る所の相に随って皆な著。諸仏の無漏法を隨喜し、隨喜し已りて迴向しても、また著。諸法の性は三世に非ず。相を取るべからず、縁ずべからず、見聞覚知すべからず、迴向すべからず。
諸法の性は甚深である。畢竟離故である。敬礼も、仏が無作法を得たまえるが故、と返る。如来は一切法を得たまえり。法性は唯一で、無二無三。是の性も非性非作。是の如く知らば、諸著を離れる。
知り難いのは、知る者が無いからである。不可思議なのは、心を以て知るべからざるからである。無所作なのは、作者が得られないからである。
ポイント 心性は迴向すべからず
②で一番取り違えやすいのは、著を悪い行いの一覧にすることです。
空を分別することが悪いのではない。福徳が悪いのでもない。念仏が悪いのでもない。隨喜が悪いのでもない。迴向が悪いのでもない。名相従り故に、それを持つことが著です。
分別すれば、失し、遠ざかる。仏は、そこを著と呼ぶ。何が著か、は二度問われ、そのあと仏が微細の著を説きます。
福は認めます。初発心の菩薩が若干の福徳を得る、と経は言う。得るな、ではない。得た福を著にする。出所へ戻す。
巻第三⑤の迴向に触れます。迴向の心を物にしない。ここでも定義を足しません。心性は迴向すべからず、の一句のまま置きます。
微細の著は、善い行のあとに残ります。相を取りて諸仏を念ず。無漏法を隨喜し、迴向する。善い口のまま、取る所の相に随う。仏は、諸法の性は三世に非ず、と返します。不可取相、不可縁、不可見、不可聞、不可覚、不可知、不可迴向。
知り難い、不可思議、無所作は、神秘を足す語ではありません。知る者が無い。心を以て知るべからず。作者は得べからず。主体を立てない、という返しです。
離諸著も、離を新しい所有にしません。畢竟離故は、①の畢竟浄故の上に離を積みません。
つまずきやすい所
「分別色空、即ち著」を、空を言うな、と読まない。
空を分別して持つことが著です。空を捨てて浄に戻る話ではありません。
「若干の福徳を得れば著」を、福が罪だ、と読まない。
福は認める。得を山にしない。
「取相念仏」「隨喜迴向もまた著」を、念仏するな、迴向するな、と読まない。
相を取り、心を器にして向けることが著です。行を消さない。自分を消さない。衆生の苦を捨てない。
「心性不可迴向」を、巻第三⑤の定義の再掲にしない。
触れる。棚に上げない。
「仏得是無作法故」「如来得一切法」を、仏が一切を所有した、と読まない。
得を証明にしない。非性非作のまま置く。
「法性唯一無二無三」を、一つの本体だ、と読まない。
唯一と言われた性が、そのまま非性非作と返されます。一を数えて持たない。
「無有知者」を、無知の人、と読まない。
知る主体を立てない、という口です。①の無知を、ここで人にしない。
「不可思議」を、神秘の商品にしない。
心を以て知るべからざるが故、と経は返します。無我に開かない。非我の定義も足さない。「中道にして」の語は、この範囲にありません。定義は動かしません。
次回
③ 小品般若経 巻第四③ 無転無還 無料
不行色即ち行般若。諸著を過ぎて無礙薩婆若。説くも増えず、説かざるも減らず。虚空を守護するが如し。彌勒の説く時。色浄故に般若浄。天子が再見法輪転と唱える。須菩提は初転にも二転にも非ず。
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#須菩提 #舎利弗 #帝釈 #迴向 #小品般若経
小品般若経 巻第四② 知る者無し、作者不可得 有料
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今回の位置/語注/書き下し/現代語の要約/ポイント 心性は迴向すべからず/つまずきやすい所/次回
今回の位置
①は、舎利弗の浄故から入り、須菩提の畢竟浄故、非中流までで閉じた。此岸にも、彼岸にも、中流にも置かない。置かないことも、畢竟浄故であった。
②は、その須菩提の口が続くところから入る。是の如くしてまた分別すれば、即ち失し、即ち遠ざかる。仏は、名相従り故に著を生ず、と印す。須菩提が讃え、舎利弗が問い、帝釈が問う。心性は迴向すべからず。
仏が更に微細の著を説く。取相の念仏も、隨喜の迴向もまた著。諸法の性は三世に非ず。そのあと、知り難い、不可思議、無所作が並ぶ。知る主体も作る主体も立てない。
巻第三⑤の迴向に触れる。触れても、定義にしない。棚に上げない。浄を新しい所有にしない。不可思議を神秘の商品にしない。経を売る文にしない。有料は記事の置き方である。
読む範囲は、「菩薩若如是、亦分別、即失般若波羅蜜」から、「般若波羅蜜無所作。須菩提、作者不可得故」まで。
語注
著(じゃく) — 取り付くこと。名相従り故に生ず。悪い行いの品名にしません。
名相(みょうそう) — 名と相。従名相故に著を生ず。
分別(ふんべつ) — 分けて立てること。色空を分別しても著。
福徳(ふくとく) — 初発心の菩薩が得る若干の福徳。福は認める。得を著にする。出所へ戻す。
釋提桓因(しゃくだいかんいん)/憍尸迦(きょうしか) — 帝釈。①では出しません。②で問います。
迴向(えこう) — 是の心を以て阿耨多羅三藐三菩提に迴向す。心性は迴向すべからず。巻第三⑤に触れます。定義は足しません。
心性(しんしょう) — 心の性。迴向する器として立てません。
示教利喜(じきょうりき) — 示し、教え、利し、喜ばしむ。諸法の実相の如くします。
取相(しゅそう) — 相を取ること。取相して諸仏を念ずれば、取る所の相に随って皆な著。
隨喜(ずいき) — 諸仏の無漏法を皆な隨喜す。隨喜し已りて迴向すれば、即ちまた著。
無漏法(むろほう) — 漏無き法。過去未来現在の諸仏の所有として取りません。
畢竟離故(ひっきょうりこ) — 畢竟して離るるが故に。①の畢竟浄故に、離を足して持ちません。
無作法(むさほう) — 作無き法。仏得是無作法故。得を所有の証明にしません。
無二無三(むにむさん) — 二も無く、三も無し。法性は唯一である、という句に続きます。一を数えて持つ語ではありません。
非性非作(ひしょうひさ) — 性に非ず、作に非ず。唯一と言われたその性も、性として取られません。
離諸著(りしょじゃく) — 諸の著を離る。離を新しい所有にしません。
無有知者(むうちしゃ) — 知る者有ること無し。無知の人、ではありません。
不可思議(ふかしぎ) — 心を以て知ること能わず。神秘の商品にしません。
無所作(むしょさ) — 所作無し。
作者不可得(さしゃふかとく) — 作者は得べからず。作る主体を立てません。
書き下し
「世尊、菩薩若し是の如くして、また分別せば、即ち般若波羅蜜を失し、即ち般若波羅蜜を遠ざかる」と。
仏言わく、「善きかな、善きかな、須菩提。名相従り故に著を生ず」と。
「希有なるかな世尊、よく般若波羅蜜の中の著を説きたもう」と。
▼ここから有料
爾の時、舎利弗、須菩提に語らく、「何の因縁故に名づけて著と為す」と。
「舎利弗、若し善男子善女人、色空を分別せば、即ち名づけて著と為す。受想行識空を分別せば、即ち名づけて著と為す。過去法、未来法、現在法を分別せば、即ち名づけて著と為す。初発心の菩薩、若干の福徳を得れば、即ち名づけて著と為す」と。
釋提桓因、須菩提に問うて言わく、「何の因縁ぞ、是の事を名づけて著と為す」と。
「憍尸迦、是の人、是の心を分別し、是の心を以て阿耨多羅三藐三菩提に迴向す。憍尸迦、心性は迴向すべからず。是の故に菩薩、若し人を教化して阿耨多羅三藐三菩提ならしめんと欲せば、応に諸法の実相の如く示教利喜すべし。是の如くんば則ち自ら傷らず。是れ仏の許す所、是れ仏の教うる所、善男子善女人もまた諸著を離る」と。
爾の時、仏、須菩提を讃めて言わく、「善きかな、善きかな。汝よく諸菩薩の著法を示す。須菩提、我れ当に更に微細の著法を説くべし。汝今よく聴け」と。
須菩提言わく、「唯然なり、教えを受く」と。
仏言わく、「若し善男子善女人、相を取りて諸仏を念ずれば、取る所の相に随って、皆な名づけて著と為す。過去未来現在の諸仏の所有の無漏法を、皆な隨喜す。隨喜し已りて、阿耨多羅三藐三菩提に迴向すれば、即ちまた是れ著なり。何を以ての故に。須菩提、諸法の性は過去に非ず、未来に非ず、現在に非ず、相を取るべからず、縁ずべからず、見るべからず、聞くべからず、覚すべからず、知るべからず、迴向すべからず」と。
「世尊、是の諸法の性は甚深なり」と。
仏言わく、「畢竟離故なり」と。
「世尊、我れ般若波羅蜜を敬礼す」と。
仏言わく、「仏、是の無作法を得たまえるが故に」と。
「世尊、仏は一切法を得たまえり」と。
「是の如し、須菩提、如来は一切法を得たまえり。須菩提、法性は唯一にして無二無三なり。是の性もまた非性非作なり。須菩提、菩薩能く是の如く知らば、則ち諸著を離る」と。
「世尊、般若波羅蜜は甚だ知り難し」と。
「須菩提、知る者有ること無きが故に」と。
「世尊、般若波羅蜜は不可思議なり」と。
「須菩提、般若波羅蜜は心を以て知るべからざるが故に」と。
「世尊、般若波羅蜜は無所作なり」と。
「須菩提、作者は得べからざるが故に」と。
現代語の要約
須菩提が言います。是の如くしてまた分別すれば、般若を失し、般若を遠ざかる。
仏が印します。名相従り故に著を生ず。
須菩提が讃えます。よく般若の中の著を説いてくださった。
舎利弗が、何を著と呼ぶのか、と問います。色空を分別しても著。受想行識空を分別しても著。過去・未来・現在を分別しても著。初発心の菩薩が若干の福徳を得ても著。
帝釈が重ねて問います。是の心を分別し、是の心を以て無上の菩提に迴向する。その事を著と呼ぶ。心性は迴向すべからず。人を教化するなら、諸法の実相の如く示教利喜せよ。自ら傷らない。仏の許しであり、仏の教えである。
仏が須菩提を讃め、更に微細の著を説きます。
相を取りて諸仏を念ずれば、取る所の相に随って皆な著。諸仏の無漏法を隨喜し、隨喜し已りて迴向しても、また著。諸法の性は三世に非ず。相を取るべからず、縁ずべからず、見聞覚知すべからず、迴向すべからず。
諸法の性は甚深である。畢竟離故である。敬礼も、仏が無作法を得たまえるが故、と返る。如来は一切法を得たまえり。法性は唯一で、無二無三。是の性も非性非作。是の如く知らば、諸著を離れる。
知り難いのは、知る者が無いからである。不可思議なのは、心を以て知るべからざるからである。無所作なのは、作者が得られないからである。
ポイント 心性は迴向すべからず
②で一番取り違えやすいのは、著を悪い行いの一覧にすることです。
空を分別することが悪いのではない。福徳が悪いのでもない。念仏が悪いのでもない。隨喜が悪いのでもない。迴向が悪いのでもない。名相従り故に、それを持つことが著です。
分別すれば、失し、遠ざかる。仏は、そこを著と呼ぶ。何が著か、は二度問われ、そのあと仏が微細の著を説きます。
福は認めます。初発心の菩薩が若干の福徳を得る、と経は言う。得るな、ではない。得た福を著にする。出所へ戻す。
巻第三⑤の迴向に触れます。迴向の心を物にしない。ここでも定義を足しません。心性は迴向すべからず、の一句のまま置きます。
微細の著は、善い行のあとに残ります。相を取りて諸仏を念ず。無漏法を隨喜し、迴向する。善い口のまま、取る所の相に随う。仏は、諸法の性は三世に非ず、と返します。不可取相、不可縁、不可見、不可聞、不可覚、不可知、不可迴向。
知り難い、不可思議、無所作は、神秘を足す語ではありません。知る者が無い。心を以て知るべからず。作者は得べからず。主体を立てない、という返しです。
離諸著も、離を新しい所有にしません。畢竟離故は、①の畢竟浄故の上に離を積みません。
つまずきやすい所
「分別色空、即ち著」を、空を言うな、と読まない。
空を分別して持つことが著です。空を捨てて浄に戻る話ではありません。
「若干の福徳を得れば著」を、福が罪だ、と読まない。
福は認める。得を山にしない。
「取相念仏」「隨喜迴向もまた著」を、念仏するな、迴向するな、と読まない。
相を取り、心を器にして向けることが著です。行を消さない。自分を消さない。衆生の苦を捨てない。
「心性不可迴向」を、巻第三⑤の定義の再掲にしない。
触れる。棚に上げない。
「仏得是無作法故」「如来得一切法」を、仏が一切を所有した、と読まない。
得を証明にしない。非性非作のまま置く。
「法性唯一無二無三」を、一つの本体だ、と読まない。
唯一と言われた性が、そのまま非性非作と返されます。一を数えて持たない。
「無有知者」を、無知の人、と読まない。
知る主体を立てない、という口です。①の無知を、ここで人にしない。
「不可思議」を、神秘の商品にしない。
心を以て知るべからざるが故、と経は返します。無我に開かない。非我の定義も足さない。「中道にして」の語は、この範囲にありません。定義は動かしません。
次回
③ 小品般若経 巻第四③ 無転無還 無料
不行色即ち行般若。諸著を過ぎて無礙薩婆若。説くも増えず、説かざるも減らず。虚空を守護するが如し。彌勒の説く時。色浄故に般若浄。天子が再見法輪転と唱える。須菩提は初転にも二転にも非ず。
タグ:小品般若経/小品般若波羅蜜経/巻第四/歎淨品/著/迴向/隨喜/不可思議/作者不可得/経典解説
#須菩提 #舎利弗 #帝釈 #迴向 #小品般若経
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