2,『釋禪波羅蜜次第法門』 現代語訳(六妙門:数・随の段階)

最初に「六妙門」について、大きく三つの項目に分けて解説する。一には名前の定義(釈名)、二には階層(位次)、三には実践と証明(修証)についてである。

【一、釈名(六妙門の定義)】

第一に名前の定義について。「六妙門」とは、 一に「数(すう:息を数える)」 二に「随(ずい:息に従う)」 三に「止(し:心を止める)」 四に「観(かん:真理を観る)」 五に「還(げん:元に還る)」 六に「浄(じょう:清らかになる)」 の六つである。これらを総じて「六妙門」と呼ぶ理由は、「妙」とは涅槃(ねはん:迷いのない究極の境地)を意味し、この優れた法が涅槃へと至る入り口(門)となるからである。

この六妙門のうち、三つは「定法(心を静める法)」であり、三つは「慧法(真理を見極める法)」である。「定」は心を慈しみ養い、「慧」は心に鞭打ち促す。有漏(迷いが残る状態)と無漏(迷いのない状態)のどちらの性質も併せ持っている理由はここにある。

【二、位次(階層について)】

第二に階層について。この六妙門の階層は「決まっていない(無定)」である。 なぜか。もし欲界未到地(初期の浅い集中の段階)において巧みにこの六法を行えば、第六の「浄心」が成就し、そのままの段階で直ちに三乗の無漏(迷いのない清らかな境地)を起こすことができるからである。ましてや、さらに進んで上の段階の深い禅定を得ていれば、速やかに道を悟ることは言うまでもない。 これは前述した(段階を一つずつ上る)法とは異なる。それゆえ『瑞応経』に「この六つの法によって三・四(の段階)に自由に留まり、十二(の段階)を成就する」と説かれている通り、六妙門の階層は必ずしも固定されていないのである。

【三、修証(実践と証明の十二段階)】

第三に実践と結果の証明について。広くこの六法の修証を明かそうとすれば、すべての禅定が六妙門に含まれる。ここでは、順序立てて道に入るための要点だけを取り上げ、六妙門の修証の姿を明らかにしよう。

今、六妙門の修証を説明するにあたり、展開して「十二の門」とする。なぜか。例えば最初の「数」に、みずから実践する「修数」と、自然と合致する「数相応」の二種類があるように、最後の「浄」に至るまでそれぞれ「修」と「相応」の二種類があるからだ。実践と結果の観点から分類すると十二の門になる。


(第一段階:数 – 息を数える) 一に「修数」、二に「数相応」。

1. 修数(みずから数を修める): 実践者が呼吸を整え、滞ることもなく、滑りすぎることもなく、安らかに落ち着いてゆっくりと息を数えること。一から十に至るまで心を集中させて数に留め、散らさないようにする。これを「修数」と名付ける。

2. 数相応(自然と数に合致する): 意識が自然な流れに任せられ、力を入れなくても一から十まで数えられる状態。心も息も自然に落ち着き、息は空虚に凝縮し、心の状態も次第に微細になる。すると、数を数えること自体が煩わしく「粗い」ものと感じられ、心はもう数えることを欲しなくなる。その時、実践者は「数」を手放して、次の「随」を修めるべきである。


(第二段階:随 – 息に従う) 「随」にも二種類ある。一には「修随」、二には「随相応」。

1. 修随(みずから随を修める): 息を数える法を捨てて、ひたすら息の出入りに心を寄り添わせること。心が息の対象に留まり、意識が散らばらない状態。これを「修随」と名付ける。

2. 随相応(自然と随に合致する): 心が次第に微細になり、息の長短を感じ、息が全身に出入りするのを感じる。息が自然な流れで互いに寄り添い、意識の働きが穏やかで静寂に凝り固まる状態。これを「随相応」と名付ける。 すると今度は、この「随(息を追うこと)」自体が粗いものと感じられ、心はこれを疎ましく思い捨てたくなる。それはまるで、人が極度に疲れて眠りたくなり、あらゆる用事をしたくなくなるようなものである。その時、実践者は「随」を捨てて、次の「止」を修めるべきである。

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