【Batch 11】戒の重層構造

解脱道論 分別戒品第二 ── 物語版 Batch 11

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目次

1. 三種の戒が始まる

Batch 10で10軸の二分法が展開された。ウパティッサは次に三種の戒へ移る。そしてここからの密度は凄まじい。三種が8軸、四種が4軸。合計12の分類軸が連続して展開される。


2. 止悪・受・断──不犯の三段階

何者をか三と爲す。謂く止惡不犯・受不犯・斷不犯なり。

最初の三種は「犯さない」ことの三つの段階である。

云何が止惡不犯なる。未だ受を受けざると雖も、所行の處に非ざれば心に犯を生ぜず。是れを止惡不犯と謂う。

止悪不犯──戒を受ける以前に、すでに犯す心が生じない。これは自然な善性である。誰かに「するな」と言われなくても、しない。

云何が受不犯なる。受を受けてより已に終に復た犯さず。是れを受不犯と謂う。

受不犯──戒を受けてから犯さない。これは持戒者の段階。受けたから守る。

云何が斷不犯なる。聖人、聖道を以て諸の惡因を斷ず。是れを斷不犯と謂う。

断不犯──聖道によって悪の原因そのものを断つ。もはや犯す可能性がない。これは聖者の段階。

三段階は、Batch 10の「無犯戒と清浄戒」の延長線上にある。止悪と受は「無犯」の範囲内。断は「清浄」の領域に入る。


3. 触・不触・猗──戒への執着の変遷

觸戒・不觸戒・猗戒なり。云何が觸と爲す。有爲の相、初めて愛を見るを觸と爲す。是れ凡夫の善戒なり。

触戒──凡夫は善戒を持っていても、その戒に「触れる」。触れるとは、戒を持つことの快感、満足、誇りに執着すること。善いことをしている自分を見る。それが触。

資用して道に入るは、是れを無觸戒と謂う。

不触戒──戒を道に入るための道具として使う。戒そのものへの愛着がない。道具は使うものであって愛するものではない。

云何が猗戒なる。謂く阿羅漢の戒なり。

猗戒──「猗」は安息、休息。阿羅漢の戒は安息である。努力でも道具でもない。ただ在る。

この三段階は、Batch 10の有依と無依を時間軸に展開したものである。触=愛に依る。不触=無依。猗=依そのものの消滅。


4. 依世・依身・依法──何を恐れるか

依世戒・依身戒・依法戒なり。

三番目の三種は、恐れの対象による分類。

依世戒──世間の目を恐れて悪をなさない。「人に見られたらどう思われるか」。 依身戒──身命を恐れて悪をなさない。「罰を受けたらどうするか」。 依法戒──正法を恐れて不善をなさない。「法に反するから」。

恐れの質が違う。最初の二つは外的な恐れ。最後の一つは内的な恐れ──法そのものに対する畏敬。座る人間にとって、「なぜ座るか」の動機点検に使える分類。


5. 清浄・不清浄・有疑──座禅者への直接指示

8軸の三種の中で、座る人間に最も直接的に語りかけるのがこの分類である。

二因縁を以て戒清淨を成ず。一には犯さず。二には犯して已に能く悔ゆ。此れを清淨戒と謂う。

清浄の条件は二つしかない。犯さないか、犯しても悔いるか。

二因縁を以て不清淨を成ず。一には自ら故に犯す。二には犯して悔いず。

不清浄の条件も二つ。故意に犯すか、犯して悔いないか。

有疑は三つの因から成る──処を分別しない、犯を分別しない、不正行を分別しない。何が場所として不適切か知らない。何が犯であるか知らない。何が不正行であるか知らない。

そしてウパティッサは直接言う。

若し坐禪の人、戒清淨ならざれば、深く慚悔を生じ清淨樂を成ず。又疑惑有れば、現に罪を知らしめ、安樂を成ることを得。

「坐禅の人」──ここで初めて、分別戒品が座る人間に直接語りかける。戒が清浄でなければ、深く慚悔せよ。疑惑があれば、罪を知れ。そうすれば安楽を成じる。


6. 癡戒──牛の戒、犬の戒

8軸の中で最も異質なのが第七軸の「畏・憂・癡」である。

云何が癡戒なる。人有りて牛戒狗戒を受く。斯れを癡戒と謂う。癡戒若し成ずれば則ち牛狗と爲る。若し復た成ぜざれば則ち地獄に墮す。

牛の戒──牛の行動を模倣する戒。犬の戒──犬の行動を模倣する戒。これはウパティッサの時代に実際に存在した修行法である。

ウパティッサの評価は明快。「成ずれば牛か犬になる。成ぜざれば地獄に堕ちる」。どちらに転んでも結果は悪い。成功が成功ではない。


7. 四諦の戒──善戒をも滅す

四種の戒の最後の軸は、戒に四諦を適用する。

戒・戒集・戒滅・戒滅道具足なり。

戒がある。戒が集まる因がある。戒が滅する。戒が滅する道の具足がある。

ここで注目すべきは「戒滅」の定義である。

善戒を得て不善戒を滅す。阿羅漢を得て善戒を滅す。

善戒を得れば不善戒は滅する──これは理解しやすい。しかし、「阿羅漢を得て善戒を滅す」。善戒すらも滅する。

これはBatch 09で述べた無記戒(過患なく果報もなし)の意味を明らかにする。阿羅漢の戒は善でも不善でもない。善戒すらも超えている。善を持ち続けることが目的ではない。善を超えることが帰結である。

そして滅道具足戒は「四正勤」と定義される。だが、

是の如く四法を分別し曉了す。是れを精進と謂い、眞の持戒に非ず。是れを正勤と名づく。

四諦を分別し了解することは精進であり、「真の持戒」ではない。正勤と名づけられる。ウパティッサは、理解と実践の区別をここで明確にする。四諦を知ることは正勤であって、持戒そのものではない。


座ることとの接続

本バッチの12軸は、座る人間にとって12の鏡である。

止悪→受→断の三段階は、座る行為の深化と重なる。最初は「座らないことの方が不自然」な状態(止悪)。次に「座ると決めたから座る」状態(受)。最後に「座らない可能性そのものがない」状態(断)。

触→不触→猗の三段階は、Kernel 4.x の全体弧と対応する。Vol.1〜Vol.3(障害検知〜因果トレース)が触の段階──座ることに触れ、座ることの効果に執着する。Vol.4〜Vol.6(リソースマウント〜カーネル操作)が不触の段階──座ることを道具として使う。Vol.7〜Vol.8(最終シーケンス〜完全性証明)が猗の段階──座ることが安息そのものになる。

「阿羅漢を得て善戒を滅す」は、大安般守意経 MODULE 6 の「浄」の最終定義と接続する。浄は善でも悪でもない。善を超えた清浄。戒の四諦がここに着地する。


詳細な仕様は → SPEC-SILA-04(シンプル版)を参照


原文(書き下し)

何者をか三と爲す。謂く止惡不犯・受不犯・斷不犯なり。云何が止惡不犯なる。未だ受を受けざると雖も、所行の處に非ざれば心に犯を生ぜず。是れを止惡不犯と謂う。云何が受不犯なる。受を受けてより已に終に復た犯さず。是れを受不犯と謂う。云何が斷不犯なる。聖人、聖道を以て諸の惡因を斷ず。是れを斷不犯と謂う。

復た次に、戒に三種有り。謂く觸戒・不觸戒・猗戒なり。云何が觸と爲す。有爲の相、初めて愛を見るを觸と爲す。是れ凡夫の善戒なり。資用して道に入るは、是れを無觸戒と謂う。云何が猗戒なる。謂く阿羅漢の戒なり。

復た次に、三種有り。謂く依世戒・依身戒・依法戒なり。何者か依世戒なる。若し人恐怖有りて、世の意を將護し諸の惡法を除く。是れを依世と名づく。何者か依身戒なる。若し人恐懼有りて、身命を將護し諸の惡法を除く。是れを依身と名づく。何者か依法戒なる。若し人驚畏して、正法を將護し諸の不善を除く。是れを依法と名づく。

復た次に、戒に三種有り。謂く所願不等・所願等・無所願なり。云何が所願不等なる。他を惱まして戒を受く。此れを所願不等と謂う。云何が所願等なる。戒を受けて現有の樂及び未來の解脱樂の爲にす。是れを所願等と謂う。云何が無所願なる。戒を受けて悔いず、他を饒益せんが爲なり。此れを無所願と謂う。

復た次に、戒に三種有り。謂く清淨戒・不清淨戒・有疑戒なり。云何が清淨戒なる。二因縁を以て戒清淨を成ず。一には犯さず。二には犯して已に能く悔ゆ。此れを清淨戒と謂う。二因縁を以て不清淨を成ず。一には自ら故に犯す。二には犯して悔いず。此れを不清淨と謂う。云何が有疑戒なる。三因を以ての故に有疑を成就す。一には處を分別せざるを以てなり。二には犯を分別せず。三には不正行を分別せず。此れを有疑戒と謂う。若し坐禪の人、戒清淨ならざれば、深く慚悔を生じ清淨樂を成ず。又疑惑有れば、現に罪を知らしめ、安樂を成ることを得。

復た次に、戒に三種有り。謂く學・無學・非學非無學なり。云何が學と爲す。七學人の戒なり。云何が無學なる。阿羅漢の戒なり。云何が非學非無學なる。凡夫人の戒なり。

復た次に、戒に三種有り。謂く畏戒・憂戒・癡戒なり。云何が畏と爲す。人有りて罪を畏れ敢えて惡を爲さず。斯れを畏戒と謂う。云何が憂と爲す。若し人、親友を離るるを念じて暫く愁苦を生ず。愁苦を以ての故に諸惡を起こさず。斯れを憂戒と謂う。云何が癡戒なる。人有りて牛戒狗戒を受く。斯れを癡戒と謂う。癡戒若し成ずれば則ち牛狗と爲る。若し復た成ぜざれば則ち地獄に墮す。

復た次に、戒に三種有り。謂く下・中・上なり。云何が下と爲す。謂く上煩惱・上上煩惱・大煩惱の觸する所なり。知足せざる所の染なり。此れを下戒と謂う。云何が中と爲す。細煩惱の觸する所、知足の所の染なり。此れを中戒と謂う。云何が上と爲す。觸する所無く、知足の所の染なり。此れを上戒と謂う。下戒成滿すれば人の具足を令む。中戒成滿すれば天の具足を令む。上戒成滿すれば解脱を得しむ。

復た次に、戒に四種有り。謂く退分・住分・勝分・達分なり。云何が退分なる。道の障礙を除かず。精進を離れたる人なり。知りて而して故に犯す。犯して已に覆藏す。此れを退分と謂う。云何が住分なる。戒に於いて成就して放逸を起こさず。寂見を生ぜず、住分を成就す。戒定に於いて成滿して放逸を起こさず。寂見を生ぜず、勝分を成就す。戒定に於いて成滿して放逸を起こさず。寂見を生ずるを以て達分を成就す。

復た次に、戒に四種有り。比丘戒・比丘尼戒・不具足戒・白衣戒なり。云何が比丘戒なる。波羅提木叉の威儀、是れ比丘戒なり。比丘尼戒、波羅提木叉の威儀、是れ比丘尼戒なり。沙彌・沙彌尼の十戒、式叉摩尼の戒、是れを不具足戒と謂う。優婆塞・優婆姨の五戒及び八戒、是れ白衣戒なり。

復た次に、戒に四種有り。謂く性戒・行戒・法志戒・初因戒なり。云何が性戒なる。欝單越の戒、此れを性戒と謂う。云何が行戒なる。姓族・國土・外道等の法の如し。是れを行戒と謂う。云何が法志戒なる。菩薩の入胎の戒、是れを法志戒と謂う。云何が初因戒なる。菩薩及び摩訶迦葉の戒、是れを初因戒と謂う。

復た次に、戒に四種有り。戒・戒集・戒滅・戒滅道具足なり。云何が戒なる。戒とは二種有り。善戒・不善戒なり。此れを戒と謂う。云何が戒集なる。善心は善戒を集む。不善心は不善戒を集む。云何が滅戒なる。善戒を得て不善戒を滅す。阿羅漢を得て善戒を滅す。云何が滅道具足戒なる。謂く四正勤なり。此れを滅道具足戒と謂う。是の如く四法を分別し曉了す。是れを精進と謂い、眞の持戒に非ず。是れを正勤と名づく。


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