【読誦用】小品摩訶般若波羅蜜經

小品經序しょうぼんきょうじょ 釋僧叡しゃくそうえい
般若はんにゃ波羅蜜經はらみつきょうしゃ
窮理ぐり盡性じんしょう格言きゃくごん
菩薩ぼさつ成佛じょうぶつ弘軌ぐき

不弘ふぐ
そく不足ふそくとう群異ぐんい其歸ごき
しょう不盡ふじん
そくもつ何以がいとう道場どうじょうじょう正覺しょうがく
正覺しょうがく所以そいじょう
群異ぐんい所以そいいつ
何莫がばく斯道しどう

是以ぜい遺教いきょう慇懃うんごん
三撫さんぶ以之いし頻發びんほつ
功徳くどく疊校じょうきょう
九増くぞう以之いし屡至るし

如問にょもん相標そうひょうげんげん其玄ごげん
幻品げんぼん忘寄もうきもう其忘ごもう
道行どうぎょうたん其津ごしん
難問なんもん其源ごげん
隨喜ずいき忘趣もうしゅ要終ようしゅう
照明しょうみょう不化ふげ即玄そくげん

しょうすい三十さんじゅう
貫之者かんししゃどう
ごんすい十萬じゅうまん
倍之者ばいししゃぎょう
ぎょうぎょう然後ねんご無生むしょう
どうそく然後ねんご補處ほしょ
及此ぎゅうしへん一切智いっさいち

法華ほっけ鏡本きょうほん凝照ぎょうしょう
般若はんにゃ冥末みょうまつ解懸げけん
解懸げけん理趣りしゅ
菩薩道ぼさつどう
凝照ぎょうしょう鏡本きょうほんこく其終ごしゅう

しゅう不泯ふみんそく歸途きず扶疎ぶそ
三乘さんじょう之跡ししゃく
權應ごんおう不夷ふい
そく亂緒らんちょ紛綸ふんりん
惑趣わくしゅ之異しい

是以ぜい法華ほっけ般若はんにゃ
相待そうたい期終ごしゅう
方便ほうべん實化じつけ
冥一みょういつ俟盡しじん
ろん窮理ぐり盡性じんしょう夷明いみょう萬行まんぎょう
そくじつ不如ふにょしょう
しゅ大明だいみょう眞化しんけ解本げほん無三むさん
そくしょう不如ふにょじつ

是故ぜこ歎深たんじんそく般若はんにゃ之功しくじゅう
美實みじつそく法華ほっけ之用しようみょう
此經しきょう之尊しそん
三撫さんぶ三囑さんぞく
未足みそくわく

じん太子たいししゃ
寓跡ぐしゃく儲宮ちょぐう
擬韻ぎうん區外くげ
翫味がんみ斯經しきょう
夢想むそう増至ぞうし
准悟じゅんご小品しょうぼん
深知じんち譯者やくしゃ之失ししつ

會聞えもん鳩摩羅くまら法師ほっし
神授じんず其文ごもん
眞本しんほん猶存ゆぞん
弘始ぐし十年じゅうねん二月にがつ六日ろくにち
しょう令出之りょうしゅつし
四月しがつ三十日さんじゅうにち
校正きょうしょう都訖つこつ
考之こうし舊譯ぐやく
眞若しんにゃく荒田こうぜん之稼しけうん
其半ごはん未詎みご多也たや

斯經しきょう正文しょうもん
凡有ぼんう四種ししゅ
ぶつ異時いじ適化てきけ廣略こうりゃく之説しせつ
其多者ごたしゃうん
十萬偈じゅうまんげ
少者しょうしゃ六百偈ろくひゃくげ
此之しし小品しょうぼん
乃是ないぜ天竺てんぢく之下品しげぼん

隨宜ずいぎ之言しごん
復何必ぶがひつ其多少ごたしょう
煩簡ぼんけん
梵文ぼんもん雅質げしつ
あん本譯之ほんやくし
麗巧らいぎょう不足ふそく
樸正ぼくしょう有餘うよ
幸冀ぎょうき文悟もんご之賢しけん
りゃく其華ごけ其實ごじつ

摩訶まか般若はんにゃ波羅蜜經はらみつきょうかん第一だいいち
丹本たんぽん摩訶まかじょう小品しょうぼん二字にじ後秦ごしん龜茲國きじこく三藏さんぞう鳩摩羅什くまらじゅうやく

初品しょほん第一だいいち
如是にょぜ我聞がもん一時いちじぶつざい王舍城おうしゃじょう耆闍崛山中ぎじゃくっせんちゅう
大比丘僧だいびくそう千二百五十人せんにひゃくごじゅうにん皆是かいぜ阿羅漢あらかん
諸漏しょろ已盡いじんにょ調象王ちょうぞうおう所作しょさ已辦いばんしゃ重擔じゅうたん
逮得たいとく己利こりじん諸有結しょうけつ正智しょうち解脱げだつしんとく自在じざいゆいじょ阿難あなん
爾時にじぶつごう須菩提しゅぼだいにょ樂説ぎょうせつしゃ
しょ菩薩ぼさつせつ所應しょおう成就じょうじゅ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ

舍利弗しゃりほつ即作そくさ是念ぜねん
須菩提しゅぼだいりきせつじょうぶつ神力じんりき
須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつしん所念しょねん舍利弗しゃりほつごん
ぶつしょ弟子でしかん所説しょせつ皆是かいぜ佛力ぶつりき
所以者何しょいしゃがぶつ所説しょせつほうちゅうがくしゃ
のうしょう諸法相しょほうそうしょう所言説しょごんせつ
かい法相ほうそう不相ふそう違背いはい法相ほうそうりき

爾時にじ須菩提しゅぼだいびゃくぶつごん世尊せそんぶつ使しょ菩薩ぼさつせつ所應しょおう成就じょうじゅ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
世尊せそん所言しょごん菩薩ぼさつ菩薩ぼさつしゃ何等がとう法義ほうぎ
菩薩ぼさつ不見ふけんほう名爲みょうい菩薩ぼさつ
世尊せそん不見ふけん菩薩ぼさつ不得ふとく菩薩ぼさつやく不見ふけん不得ふとく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
當教とうきょう何等がとう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
にゃく菩薩ぼさつもん是説ぜせつ不驚ふきょう不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたいにょ所説しょせつぎょう
是名ぜみょうきょう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ

復次ぶし世尊せそん菩薩ぼさつぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつおう如是にょぜがく不念ふねん菩薩ぼさつしん
所以者何しょいしゃが是心ぜしん非心ひしん心相しんそう本淨ほんじょう

爾時にじ舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだい非心ひしんしん
須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつ非心ひしんしん可得かとく若有にゃくう若無にゃくむ
舍利弗しゃりほつごん不也ふや
須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつにゃく非心ひしんしん不可得ふかとく有無うむしゃ應作おうさ是言ぜごん有心うしん無心むしん
舍利弗しゃりほつごん何法がほう非心ひしん
須菩提しゅぼだいごん不壞ふえ不分別ふふんべつ
菩薩ぼさつもん是説ぜせつ不驚ふきょう不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたい當知とうち菩薩ぼさつ不離ふり般若はんにゃ波羅蜜はらみつぎょう

にゃく善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにんよくがく聲聞地しょうもんじ當聞とうもん般若はんにゃ波羅蜜はらみつ受持じゅじ讀誦どくじゅ如説にょせつ修行しゅぎょう
よくがく辟支佛地びゃくしぶつじ當聞とうもん般若はんにゃ波羅蜜はらみつ受持じゅじ讀誦どくじゅ如説にょせつ修行しゅぎょう
よくがく菩薩地ぼさつじやく當聞とうもん般若はんにゃ波羅蜜はらみつ受持じゅじ讀誦どくじゅ如説にょせつ修行しゅぎょう
所以者何しょいしゃが般若はんにゃ波羅蜜はらみつちゅう廣説こうせつ菩薩ぼさつ所應しょおう學法がくほう

須菩提しゅぼだいびゃくぶつごん世尊せそん不得ふとく不見ふけん菩薩ぼさつ當教とうきょう何等がとう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
世尊せそん不見ふけん菩薩ぼさつほう來去らいこ菩薩ぼさつ字言じごん菩薩ぼさつそく疑悔ぎけ
世尊せそん菩薩ぼさつ決定けつじょう住處じゅうしょ所以者何しょいしゃが無所有むしょう
無所有むしょうやく無定むじょう無處むしょ
にゃく菩薩ぼさつもん是事ぜじ不驚ふきょう不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたい當知とうち菩薩ぼさつ畢竟ひっきょうじゅう不退轉地ふたいてんじじゅう無所住むしょじゅう

復次ぶし世尊せそん菩薩ぼさつぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不應ふおう色中しきちゅうじゅう不應ふおう受想行識じゅそうぎょうしきちゅうじゅう
何以故がいこにゃくじゅう色中しきちゅう爲作いさ色行しきぎょうにゃくじゅう受想行識じゅそうぎょうしきちゅう爲作いさ識行しきぎょう
にゃくぎょう作法さほうそく不能ふのうじゅ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不能ふのうじゅう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ具足ぐそく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
そく不能ふのう成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ
何以故がいこしき受想じゅそう受想行識じゅそうぎょうしき受想じゅそう
にゃくしき無受むじゅそく非色ひしき受想行識じゅそうぎょうしき無受むじゅそく非識ひしき般若はんにゃ波羅蜜はらみつやく無受むじゅ
菩薩ぼさつおう如是にょぜ學行がくぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ

是名ぜみょう菩薩ぼさつ諸法しょほう無受三昧むじゅさんまい廣大こうだい無量むりょう無定むじょう一切いっさい聲聞しょうもん辟支佛びゃくしぶつしょ不能壞ふのうえ
何以故がいこ三昧さんまい不可ふか相得そうとくにゃく三昧さんまい可以かい相得そうとく
先尼梵志せんにぼんじ薩婆若智さつばにゃち不應ふおう生信しょうしん
先尼梵志せんにぼんじ有量智うりょうちにゅう法中ほうちゅうにゅう不受ふじゅしき不受ふじゅ受想行識じゅそうぎょうしき
梵志ぼんじ得門とくもんけん是智ぜち内色ないしきけん是智ぜち外色げしきけん
是智ぜち内外色ないげしきけん是智ぜちやく不離ふり内外色ないげしきけん
是智ぜち内受想行識ないじゅそうぎょうしきけん是智ぜち外受想行識げじゅそうぎょうしきけん
是智ぜち内外受想行識ないげじゅそうぎょうしきけん是智ぜちやく不離ふり内外受想行識ないげじゅそうぎょうしきけん
是智ぜち先尼梵志せんにぼんじ信解しんげ薩婆若智さつばにゃちとく諸法實相しょほうじっそうとく解脱げだつ
とく解脱げだつ諸法中しょほうちゅう無取むしゅ無捨むしゃ乃至ないし涅槃ねはんやく無取むしゅ無捨むしゃ

世尊せそん是名ぜみょう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不受ふじゅしき不受ふじゅ受想行識じゅそうぎょうしき
すい不受ふじゅしき不受ふじゅ受想行識じゅそうぎょうしき具足ぐそくぶつ十力じゅうりき四無所畏しむしょい十八不共法じゅうはちふぐほうしゅう中道ちゅうどう般涅槃はつねはん
復次ぶし世尊せそん菩薩ぼさつぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつおう如是にょぜ思惟しゆい
何等がとう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
にゃくほう不可得ふかとく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
にゃく菩薩ぼさつ思惟しゆいかん不驚ふきょう不畏ふい不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたい當知とうち菩薩ぼさつ不離ふり般若はんにゃ波羅蜜はらみつぎょう

爾時にじ舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだいにゃくしき色性しきしょう受想行識じゅそうぎょうしき識性しきしょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ般若はんにゃ波羅蜜性はらみつしょうしゃ
何故がこせつ菩薩ぼさつ不離ふり般若はんにゃ波羅蜜はらみつぎょう
須菩提しゅぼだいごん如是にょぜ舍利弗しゃりほつしき色性しきしょう受想行識じゅそうぎょうしき識性しきしょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ般若はんにゃ波羅蜜性はらみつしょう是法ぜほう皆離かいり自性じしょう性相しょうそう亦離やくり
舍利弗しゃりほつごんにゃく菩薩ぼさつ是中ぜちゅうがくのう成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ
須菩提しゅぼだいごん如是にょぜ舍利弗しゃりほつ菩薩ぼさつ如是にょぜがくしゃのう成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ
所以者何しょいしゃが一切法いっさいほう無生むしょう無成就むじょうじゅにゃく菩薩ぼさつ如是にょぜぎょうしゃ則近そくごん薩婆若さつばにゃ

爾時にじ須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつごん菩薩ぼさつにゃくぎょう色行しきぎょう行相ぎょうそう
にゃくしょう色行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくめつ色行しきぎょう行相ぎょうそうにゃく色行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくくう色行しきぎょう行相ぎょうそうぎょう是行ぜぎょう亦是やくぜ行相ぎょうそう
にゃくぎょう受想行識行じゅそうぎょうしきぎょう行相ぎょうそうにゃくしょう識行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくめつ識行しきぎょう行相ぎょうそうにゃく識行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくくう識行しきぎょう行相ぎょうそうぎょう是行ぜぎょう亦是やくぜ行相ぎょうそう
にゃく是念ぜねんのう如是にょぜぎょうしゃ是行ぜぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ亦是やくぜ行相ぎょうそう當知とうち菩薩ぼさつ未善知みぜんち方便ほうべん

舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだいこん菩薩ぼさつ云何うんがぎょう名爲みょういぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
須菩提しゅぼだいごんにゃく菩薩ぼさつ不行ふぎょうしき不行ふぎょう色生しきしょう不行ふぎょう色滅しきめつ不行ふぎょう色壞しきえ不行ふぎょう色空しきくう
不行ふぎょう受想行識じゅそうぎょうしき不行ふぎょう識生しきしょう不行ふぎょう識滅しきめつ不行ふぎょう識壞しきえ不行ふぎょう識空しきくう
是名ぜみょうぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不念ふねんぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不念ふねん不行ふぎょう不念ふねんぎょう不行ふぎょうやく不念ふねん非行ひぎょう非不行ひふぎょう
是名ぜみょうぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ所以者何しょいしゃが一切法いっさいほう無受むじゅ
是名ぜみょう菩薩ぼさつ諸法しょほう無受三昧むじゅさんまい廣大こうだい無量むりょう無定むじょう一切いっさい聲聞しょうもん辟支佛びゃくしぶつしょ不能壞ふのうえ
菩薩ぼさつぎょう三昧さんまい疾得しっとく阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい

須菩提しゅぼだいじょうぶつ威神いじん是言ぜごんにゃく菩薩ぼさつぎょう三昧さんまい不念ふねん不分別ふふんべつ三昧さんまい當入とうにゅう三昧さんまい我今がこんにゅう我已入がいにゅう如是にょぜ分別ふんべつ
當知とうち菩薩ぼさつじゅう諸佛しょぶつ得受とくじゅ阿耨多羅三藐三菩提記あのくたらさんみゃくさんぼだいき
舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだい菩薩ぼさつ所行しょぎょう三昧さんまいとくじゅう諸佛しょぶつじゅ阿耨多羅三藐三菩提記あのくたらさんみゃくさんぼだいき三昧さんまい可得かとく
須菩提しゅぼだいごん不也ふや舍利弗しゃりほつ何以故がいこ善男子ぜんなんし不分別ふふんべつ三昧さんまい所以者何しょいしゃが三昧性さんまいしょう無所有むしょう

ぶつさん須菩提しゅぼだいごん善哉善哉ぜんざいぜんざい我説がせつにょ無諍三昧むじょうさんまい人中にんちゅう最爲さいい第一だいいち如我にょが所説しょせつ菩薩ぼさつおう如是にょぜがく般若はんにゃ波羅蜜はらみつにゃく如是にょぜがくしゃ是名ぜみょうがく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
舍利弗しゃりほつびゃくぶつごん世尊せそん菩薩ぼさつ如是にょぜがく爲學いがく何法がほう
ぶつごう舍利弗しゃりほつ菩薩ぼさつ如是にょぜがくほう無所學むしょがく何以故がいこ舍利弗しゃりほつ諸法しょほう不爾ふににょ凡夫ぼんぶ所著しょじゃく

舍利弗しゃりほつびゃくぶつごん世尊せそんこん云何うんが
ぶつごんにょ無所有むしょう如是にょぜ如是にょぜ諸法しょほう無所有むしょうみょう無明むみょう
凡夫ぼんぶ分別ふんべつ無明むみょう貪著とんじゃく無明むみょう二邊にへん不知ふち不見ふけん無法中むほうちゅう憶想おくそう分別ふんべつ貪著とんじゃく名色みょうしき
いん貪著とんじゃく無所有むしょうほう不知ふち不見ふけん不出ふしゅつ不信ふしん不住ふじゅう是故ぜこざい凡夫ぼんぶ貪著數中とんじゃくしゅちゅう

舍利弗しゃりほつびゃくぶつごん世尊せそん菩薩ぼさつ如是にょぜがく亦不やくふがく薩婆若さつばにゃ
ぶつごう舍利弗しゃりほつ菩薩ぼさつ如是にょぜがく亦不やくふがく薩婆若さつばにゃ如是にょぜがく亦名やくみょうがく薩婆若さつばにゃ成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ

摩訶まか般若はんにゃ波羅蜜經はらみつきょうかん第一だいいち
丹本たんぽん摩訶まかじょう小品しょうぼん二字にじ後秦ごしん龜茲國きじこく三藏さんぞう鳩摩羅什くまらじゅうやく

初品しょほん第一だいいち
如是にょぜ我聞がもん一時いちじぶつざい王舍城おうしゃじょう耆闍崛山中ぎじゃくっせんちゅう
大比丘僧だいびくそう千二百五十人せんにひゃくごじゅうにん皆是かいぜ阿羅漢あらかん
諸漏しょろ已盡いじんにょ調象王ちょうぞうおう所作しょさ已辦いばんしゃ重擔じゅうたん
逮得たいとく己利こりじん諸有結しょうけつ正智しょうち解脱げだつしんとく自在じざいゆいじょ阿難あなん
爾時にじぶつごう須菩提しゅぼだいにょ樂説ぎょうせつしゃ
しょ菩薩ぼさつせつ所應しょおう成就じょうじゅ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ

舍利弗しゃりほつ即作そくさ是念ぜねん
須菩提しゅぼだいりきせつじょうぶつ神力じんりき
須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつしん所念しょねん舍利弗しゃりほつごん
ぶつしょ弟子でしかん所説しょせつ皆是かいぜ佛力ぶつりき
所以者何しょいしゃがぶつ所説しょせつほうちゅうがくしゃ
のうしょう諸法相しょほうそうしょう所言説しょごんせつ
かい法相ほうそう不相ふそう違背いはい法相ほうそうりき

爾時にじ須菩提しゅぼだいびゃくぶつごん世尊せそんぶつ使しょ菩薩ぼさつせつ所應しょおう成就じょうじゅ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
世尊せそん所言しょごん菩薩ぼさつ菩薩ぼさつしゃ何等がとう法義ほうぎ
菩薩ぼさつ不見ふけんほう名爲みょうい菩薩ぼさつ
世尊せそん不見ふけん菩薩ぼさつ不得ふとく菩薩ぼさつやく不見ふけん不得ふとく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
當教とうきょう何等がとう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
にゃく菩薩ぼさつもん是説ぜせつ不驚ふきょう不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたいにょ所説しょせつぎょう
是名ぜみょうきょう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ

復次ぶし世尊せそん菩薩ぼさつぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつおう如是にょぜがく不念ふねん菩薩ぼさつしん
所以者何しょいしゃが是心ぜしん非心ひしん心相しんそう本淨ほんじょう

爾時にじ舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだい非心ひしんしん
須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつ非心ひしんしん可得かとく若有にゃくう若無にゃくむ
舍利弗しゃりほつごん不也ふや
須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつにゃく非心ひしんしん不可得ふかとく有無うむしゃ應作おうさ是言ぜごん有心うしん無心むしん
舍利弗しゃりほつごん何法がほう非心ひしん
須菩提しゅぼだいごん不壞ふえ不分別ふふんべつ
菩薩ぼさつもん是説ぜせつ不驚ふきょう不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたい當知とうち菩薩ぼさつ不離ふり般若はんにゃ波羅蜜はらみつぎょう

にゃく善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにんよくがく聲聞地しょうもんじ當聞とうもん般若はんにゃ波羅蜜はらみつ受持じゅじ讀誦どくじゅ如説にょせつ修行しゅぎょう
よくがく辟支佛地びゃくしぶつじ當聞とうもん般若はんにゃ波羅蜜はらみつ受持じゅじ讀誦どくじゅ如説にょせつ修行しゅぎょう
よくがく菩薩地ぼさつじやく當聞とうもん般若はんにゃ波羅蜜はらみつ受持じゅじ讀誦どくじゅ如説にょせつ修行しゅぎょう
所以者何しょいしゃが般若はんにゃ波羅蜜はらみつちゅう廣説こうせつ菩薩ぼさつ所應しょおう學法がくほう

須菩提しゅぼだいびゃくぶつごん世尊せそん不得ふとく不見ふけん菩薩ぼさつ當教とうきょう何等がとう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
世尊せそん不見ふけん菩薩ぼさつほう來去らいこ菩薩ぼさつ字言じごん菩薩ぼさつそく疑悔ぎけ
世尊せそん菩薩ぼさつ決定けつじょう住處じゅうしょ所以者何しょいしゃが無所有むしょう
無所有むしょうやく無定むじょう無處むしょ
にゃく菩薩ぼさつもん是事ぜじ不驚ふきょう不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたい當知とうち菩薩ぼさつ畢竟ひっきょうじゅう不退轉地ふたいてんじじゅう無所住むしょじゅう

復次ぶし世尊せそん菩薩ぼさつぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不應ふおう色中しきちゅうじゅう不應ふおう受想行識じゅそうぎょうしきちゅうじゅう
何以故がいこにゃくじゅう色中しきちゅう爲作いさ色行しきぎょうにゃくじゅう受想行識じゅそうぎょうしきちゅう爲作いさ識行しきぎょう
にゃくぎょう作法さほうそく不能ふのうじゅ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不能ふのうじゅう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ具足ぐそく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
そく不能ふのう成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ
何以故がいこしき受想じゅそう受想行識じゅそうぎょうしき受想じゅそう
にゃくしき無受むじゅそく非色ひしき受想行識じゅそうぎょうしき無受むじゅそく非識ひしき般若はんにゃ波羅蜜はらみつやく無受むじゅ
菩薩ぼさつおう如是にょぜ學行がくぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ

是名ぜみょう菩薩ぼさつ諸法しょほう無受三昧むじゅさんまい廣大こうだい無量むりょう無定むじょう一切いっさい聲聞しょうもん辟支佛びゃくしぶつしょ不能壞ふのうえ
何以故がいこ三昧さんまい不可ふか相得そうとくにゃく三昧さんまい可以かい相得そうとく
先尼梵志せんにぼんじ薩婆若智さつばにゃち不應ふおう生信しょうしん
先尼梵志せんにぼんじ有量智うりょうちにゅう法中ほうちゅうにゅう不受ふじゅしき不受ふじゅ受想行識じゅそうぎょうしき
梵志ぼんじ得門とくもんけん是智ぜち内色ないしきけん是智ぜち外色げしきけん
是智ぜち内外色ないげしきけん是智ぜちやく不離ふり内外色ないげしきけん
是智ぜち内受想行識ないじゅそうぎょうしきけん是智ぜち外受想行識げじゅそうぎょうしきけん
是智ぜち内外受想行識ないげじゅそうぎょうしきけん是智ぜちやく不離ふり内外受想行識ないげじゅそうぎょうしきけん
是智ぜち先尼梵志せんにぼんじ信解しんげ薩婆若智さつばにゃちとく諸法實相しょほうじっそうとく解脱げだつ
とく解脱げだつ諸法中しょほうちゅう無取むしゅ無捨むしゃ乃至ないし涅槃ねはんやく無取むしゅ無捨むしゃ

世尊せそん是名ぜみょう菩薩ぼさつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不受ふじゅしき不受ふじゅ受想行識じゅそうぎょうしき
すい不受ふじゅしき不受ふじゅ受想行識じゅそうぎょうしき具足ぐそくぶつ十力じゅうりき四無所畏しむしょい十八不共法じゅうはちふぐほうしゅう中道ちゅうどう般涅槃はつねはん
復次ぶし世尊せそん菩薩ぼさつぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつおう如是にょぜ思惟しゆい
何等がとう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
にゃくほう不可得ふかとく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
にゃく菩薩ぼさつ思惟しゆいかん不驚ふきょう不畏ふい不怖ふふ不沒ふもつ不退ふたい當知とうち菩薩ぼさつ不離ふり般若はんにゃ波羅蜜はらみつぎょう

爾時にじ舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだいにゃくしき色性しきしょう受想行識じゅそうぎょうしき識性しきしょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ般若はんにゃ波羅蜜性はらみつしょうしゃ
何故がこせつ菩薩ぼさつ不離ふり般若はんにゃ波羅蜜はらみつぎょう
須菩提しゅぼだいごん如是にょぜ舍利弗しゃりほつしき色性しきしょう受想行識じゅそうぎょうしき識性しきしょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ般若はんにゃ波羅蜜性はらみつしょう是法ぜほう皆離かいり自性じしょう性相しょうそう亦離やくり
舍利弗しゃりほつごんにゃく菩薩ぼさつ是中ぜちゅうがくのう成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ
須菩提しゅぼだいごん如是にょぜ舍利弗しゃりほつ菩薩ぼさつ如是にょぜがくしゃのう成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ
所以者何しょいしゃが一切法いっさいほう無生むしょう無成就むじょうじゅにゃく菩薩ぼさつ如是にょぜぎょうしゃ則近そくごん薩婆若さつばにゃ

爾時にじ須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつごん菩薩ぼさつにゃくぎょう色行しきぎょう行相ぎょうそう
にゃくしょう色行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくめつ色行しきぎょう行相ぎょうそうにゃく色行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくくう色行しきぎょう行相ぎょうそうぎょう是行ぜぎょう亦是やくぜ行相ぎょうそう
にゃくぎょう受想行識行じゅそうぎょうしきぎょう行相ぎょうそうにゃくしょう識行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくめつ識行しきぎょう行相ぎょうそうにゃく識行しきぎょう行相ぎょうそうにゃくくう識行しきぎょう行相ぎょうそうぎょう是行ぜぎょう亦是やくぜ行相ぎょうそう
にゃく是念ぜねんのう如是にょぜぎょうしゃ是行ぜぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ亦是やくぜ行相ぎょうそう當知とうち菩薩ぼさつ未善知みぜんち方便ほうべん

舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだいこん菩薩ぼさつ云何うんがぎょう名爲みょういぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
須菩提しゅぼだいごんにゃく菩薩ぼさつ不行ふぎょうしき不行ふぎょう色生しきしょう不行ふぎょう色滅しきめつ不行ふぎょう色壞しきえ不行ふぎょう色空しきくう
不行ふぎょう受想行識じゅそうぎょうしき不行ふぎょう識生しきしょう不行ふぎょう識滅しきめつ不行ふぎょう識壞しきえ不行ふぎょう識空しきくう
是名ぜみょうぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不念ふねんぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ不念ふねん不行ふぎょう不念ふねんぎょう不行ふぎょうやく不念ふねん非行ひぎょう非不行ひふぎょう
是名ぜみょうぎょう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ所以者何しょいしゃが一切法いっさいほう無受むじゅ
是名ぜみょう菩薩ぼさつ諸法しょほう無受三昧むじゅさんまい廣大こうだい無量むりょう無定むじょう一切いっさい聲聞しょうもん辟支佛びゃくしぶつしょ不能壞ふのうえ
菩薩ぼさつぎょう三昧さんまい疾得しっとく阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい

須菩提しゅぼだいじょうぶつ威神いじん是言ぜごんにゃく菩薩ぼさつぎょう三昧さんまい不念ふねん不分別ふふんべつ三昧さんまい當入とうにゅう三昧さんまい我今がこんにゅう我已入がいにゅう如是にょぜ分別ふんべつ
當知とうち菩薩ぼさつじゅう諸佛しょぶつ得受とくじゅ阿耨多羅三藐三菩提記あのくたらさんみゃくさんぼだいき
舍利弗しゃりほつ須菩提しゅぼだい菩薩ぼさつ所行しょぎょう三昧さんまいとくじゅう諸佛しょぶつじゅ阿耨多羅三藐三菩提記あのくたらさんみゃくさんぼだいき三昧さんまい可得かとく
須菩提しゅぼだいごん不也ふや舍利弗しゃりほつ何以故がいこ善男子ぜんなんし不分別ふふんべつ三昧さんまい所以者何しょいしゃが三昧性さんまいしょう無所有むしょう

ぶつさん須菩提しゅぼだいごん善哉善哉ぜんざいぜんざい我説がせつにょ無諍三昧むじょうさんまい人中にんちゅう最爲さいい第一だいいち如我にょが所説しょせつ菩薩ぼさつおう如是にょぜがく般若はんにゃ波羅蜜はらみつにゃく如是にょぜがくしゃ是名ぜみょうがく般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
舍利弗しゃりほつびゃくぶつごん世尊せそん菩薩ぼさつ如是にょぜがく爲學いがく何法がほう
ぶつごう舍利弗しゃりほつ菩薩ぼさつ如是にょぜがくほう無所學むしょがく何以故がいこ舍利弗しゃりほつ諸法しょほう不爾ふににょ凡夫ぼんぶ所著しょじゃく

舍利弗しゃりほつびゃくぶつごん世尊せそんこん云何うんが
ぶつごんにょ無所有むしょう如是にょぜ如是にょぜ諸法しょほう無所有むしょうみょう無明むみょう
凡夫ぼんぶ分別ふんべつ無明むみょう貪著とんじゃく無明むみょう二邊にへん不知ふち不見ふけん無法中むほうちゅう憶想おくそう分別ふんべつ貪著とんじゃく名色みょうしき
いん貪著とんじゃく無所有むしょうほう不知ふち不見ふけん不出ふしゅつ不信ふしん不住ふじゅう是故ぜこざい凡夫ぼんぶ貪著數中とんじゃくしゅちゅう

舍利弗しゃりほつびゃくぶつごん世尊せそん菩薩ぼさつ如是にょぜがく亦不やくふがく薩婆若さつばにゃ
ぶつごう舍利弗しゃりほつ菩薩ぼさつ如是にょぜがく亦不やくふがく薩婆若さつばにゃ如是にょぜがく亦名やくみょうがく薩婆若さつばにゃ成就じょうじゅ薩婆若さつばにゃ

摩訶まか般若はんにゃ波羅蜜はらみつ釋提桓因品しゃくだいかんいんほん第二だいに

爾時にじ釋提桓因しゃくだいかんいん四萬しまん天子てんし倶在くざい會中えちゅう
四天王してんのう二萬にまん天子てんし倶在くざい會中えちゅう
娑婆世界主しゃばせかいしゅ梵天王ぼんてんのうまん梵天ぼんてん倶在くざい會中えちゅう
乃至ないし淨居じょうご天衆てんじゅ無數むしゅ千種せんしゅ倶在くざい會中えちゅう
しょ天衆てんじゅ業報ごっぽう光明こうみょう佛身ぶっしん神力じんりき光明こうみょうかい不復ふぶげん

爾時にじ釋提桓因しゃくだいかんいん須菩提しゅぼだいごん
しょ無數むしゅ天衆てんじゅ皆共かいぐ集會しゅうえよくちょう須菩提しゅぼだいせつ般若はんにゃ波羅蜜義はらみつぎ
菩薩ぼさつ云何うんがじゅう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
須菩提しゅぼだい釋提桓因しゃくだいかんいんぎゅうしょ天衆てんじゅ
憍尸迦きょうしか我今がこん當承とうじょうぶつ神力じんりきせつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつ

にゃくしょ天子てんし未發みほつ阿耨多羅三藐三菩提心あのくたらさんみゃくさんぼだいしんしゃこん應當おうとうほつ
にゃくにん已入いにゅう正位しょういそく不堪任ふかんにんほつ阿耨多羅三藐三菩提心あのくたらさんみゃくさんぼだいしん
何以故がいこ生死しょうじ障隔しょうきゃく
是人ぜにんにゃくほつ阿耨多羅三藐三菩提心あのくたらさんみゃくさんぼだいしんやく隨喜ずいき終不しゅうふだん功徳くどく
所以者何しょいしゃが上人じょうにん應求おうぐ上法じょうほう

爾時にじぶつさん須菩提しゅぼだいごん善哉善哉ぜんざいぜんざいにょのう如是にょぜ勸樂かんぎょうしょ菩薩ぼさつ
須菩提しゅぼだいごん世尊せそんとうほう佛恩ぶっとんにょ過去かこ諸佛しょぶつぎゅうしょ弟子でし
きょう如來にょらいじゅう空法中くうほうちゅうやく教學きょうがくしょ波羅蜜はらみつ如來にょらいがくほうとく阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい
世尊せそん我今がこんやくとう如是にょぜ護念ごねんしょ菩薩ぼさつ
護念ごねん因縁いんねんしょ菩薩ぼさつとう疾得しっとく阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい

須菩提しゅぼだい釋提桓因しゃくだいかんいんごん憍尸迦きょうしかにょ一心いっしんちょう菩薩ぼさつじゅう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
憍尸迦きょうしか菩薩ぼさつほつ大莊嚴乘だいしょうごんじょう大乘だいじょう空法くうほうじゅう般若はんにゃ波羅蜜はらみつ
不應ふおうじゅうしき不應ふおうじゅう受想行識じゅそうぎょうしき
不應ふおうじゅうしきにゃくじょうにゃく無常むじょう不應ふおうじゅう受想行識じゅそうぎょうしきにゃくじょうにゃく無常むじょう
不應ふおうじゅうしきにゃくにゃくらく不應ふおうじゅう受想行識じゅそうぎょうしきにゃくにゃくらく
不應ふおうじゅうしきにゃくじょうにゃく不淨ふじょう不應ふおうじゅう受想行識じゅそうぎょうしきにゃくじょうにゃく不淨ふじょう
不應ふおうじゅうしきにゃくにゃく無我むが不應ふおうじゅう受想行識じゅそうぎょうしきにゃくにゃく無我むが
不應ふおうじゅうしきにゃくくうにゃく不空ふくう不應ふおうじゅう受想行識じゅそうぎょうしきにゃくくうにゃく不空ふくう

不應ふおうじゅう須陀洹果しゅだおんか不應ふおうじゅう斯陀含果しだごんか不應ふおうじゅう阿那含果あなごんか
不應ふおうじゅう阿羅漢果あらかんか不應ふおうじゅう辟支佛道びゃくしぶつどう不應ふおうじゅう佛法ぶっぽう
不應ふおうじゅう須陀洹しゅだおん無爲果むいか不應ふおうじゅう須陀洹しゅだおん福田ふくでん不應ふおうじゅう須陀洹しゅだおん乃至ないし七往來生死しちおうらいしょうじ
不應ふおうじゅう斯陀含しだごん無爲果むいか不應ふおうじゅう斯陀含しだごん福田ふくでん不應ふおうじゅう斯陀含しだごん一來いちらい此間しかん當得とうとく盡苦じんく
不應ふおうじゅう阿那含あなごん無爲果むいか不應ふおうじゅう阿那含あなごん福田ふくでん不應ふおうじゅう阿那含あなごん彼間ひかん滅度めつど
不應ふおうじゅう阿羅漢あらかん無爲果むいか不應ふおうじゅう阿羅漢あらかん福田ふくでん不應ふおうじゅう阿羅漢あらかん今世こんせにゅう無餘涅槃むよねはん
不應ふおうじゅう辟支佛道びゃくしぶつどう無爲果むいか不應ふおうじゅう辟支佛びゃくしぶつ福田ふくでん
不應ふおうじゅう辟支佛びゃくしぶつ聲聞地しょうもんじ不及ふぎゅう佛地ぶつじ般涅槃はつねはん
不應ふおうじゅう佛法ぶっぽう利益りやく無量むりょう衆生しゅじょう滅度めつど無量むりょう衆生しゅじょう

爾時にじ舍利弗しゃりほつ是念ぜねん菩薩ぼさつとう云何うんがじゅう
須菩提しゅぼだい舍利弗しゃりほつしん所念しょねん舍利弗しゃりほつ
云何うんが如來にょらい爲住いじゅう何處がしょ
舍利弗しゃりほつごん如來にょらい無所住むしょじゅう無住心むじゅうしん名爲みょうい如來にょらい
如來にょらい不住ふじゅう有爲性ういしょうやく不住ふじゅう無爲性むいしょう
舍利弗しゃりほつ菩薩ぼさつ摩訶薩まかさつ亦應やくおう如是にょぜじゅうにょ如來にょらいじゅう一切法いっさいほう非住ひじゅう非不住ひふじゅう

爾時にじ衆中しゅちゅうしょ天子てんし是念ぜねん
しょ夜叉衆やしゃしゅ語言章句ごごんしょうく尚可しょうか知義ちぎ須菩提しゅぼだい所説しょせつ所論しょろん難可なんか得解とくげ
須菩提しゅぼだいしょ天子てんししん所念しょねんしょ天子てんしごん是中ぜちゅう無説むせつ無示むじ無聽むちょう
しょ天子てんし是念ぜねん須菩提しゅぼだいよくりょう此義しぎ易解いげてん深妙じんみょう
須菩提しゅぼだいしょ天子てんししん所念しょねんしょ天子てんしごん
にゃく行者ぎょうじゃ欲證よくしょう須陀洹果しゅだおんか欲住よくじゅう須陀洹果しゅだおんか不離ふり是忍ぜにん
欲證よくしょう斯陀含果しだごんか阿那含果あなごんか阿羅漢果あらかんか欲證よくしょう辟支佛道びゃくしぶつどう欲證よくしょう佛法ぶっぽうやく不離ふり是忍ぜにん

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次