記事の説明
佐助品の冒頭。閻浮提の人に十善を行ぜしめる福は多い。四天下、小千、中千、大千、十方の恒河沙まで広げても多い。四禪・四無量心・四無色定・五神通でも同じ。そのうえで、般若の経巻を与えて書写読誦せしめる福がなお多い。福は認める。新しい山にはしない。
今回の位置
巻第二⑦は、写して与え、在在処処で人のために説け、で閉じました。巻第三はその直後です。渡したあとに、渡す福が計算の山へ戻らないかを見ます。
今回は佐助品第六の入口だけです。仏が帝釈に問う。閻浮提の十善はどうか。多い、と帝釈が答える。仏は、経巻を与えて書写読誦せしめる福がなお多い、と較べる。数を置け、世界を広げよ、禪と神通まで乗せよ。較べの答えは一度も変わりません。
読む範囲は、「教閻浮提人、令行十善道」から、四禪等の較べの「其福甚多」まで。自ら他人のために読誦し、義を解説する段は、次回です。
語注
釋提桓因(しゃくだいかんいん) — 帝釈。仏はこれを憍尸迦(きょうしか)と呼ぶ。巻第二と同じ口です。
閻浮提(えんぶだい) — Jambudvīpa。須弥の南の洲。我々の世界。巻第二の樹陰と同じ語です。
十善道(じゅうぜんどう) — 身の三(不殺生・不偸盗・不邪婬)、口の四(不妄語・不両舌・不悪口・不綺語)、意の三(不貪欲・不瞋恚・不邪見)。ここは戒の行を捨てる文ではありません。較べる側に置いただけです。
四天下(してんげ) — 須弥を囲む四つの洲。閻浮提はその一つです。
周梨迦小千世界(しゅりか・しょうせんせかい) — 「周梨迦」は cūḍika(小)の音写。音写と訳語の「小千」が重なった形です。字は替えません。
二千中世界(にせんちゅうせかい) — 小千を千集めたもの。千を二度かけるので「二千」。
三千大千世界(さんぜんだいせんせかい) — 中千を千集めたもの。千を三度かけるので「三千」。三千個あるのではありません。「三千大千」で一つの世界です。
恒河沙(ごうがしゃ) — ガンジスの砂の数。量を積むときの上限の喩えです。
四禪(しぜん) — 色界の四定。初禪から第四禪。
四無量心(しむりょうしん) — 慈・悲・喜・捨。
四無色定(しむしきじょう) — 空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処。無色界の四定。
五神通(ごじんずう) — 天眼・天耳・他心・宿命・神足。漏尽は数えません。
経巻(きょうかん) — 般若波羅蜜を書いた巻。巻第二⑥⑦で取った側です。
書写読誦(しょしゃどくじゅ) — 写し、読み、誦えること。与えるのは紙だけではありません。相手が写し、読むところまで渡す、です。
置是(この〜を置け) — しばらく措け、の意。数え終えた分を脇に置いて、次の広さへ移る合図です。前の福を消す語ではありません。
不如(しからず/〜にしかず) — 及ばない。多いを否定して無くす語ではありません。較べて、出所の側を上に置く語です。
書き下し
仏、釋提桓因(しゃくだいかんいん)に告げて言わく、「憍尸迦(きょうしか)、若し善男子・善女人有りて、閻浮提(えんぶだい)の人を教え、十善道を行ぜしめば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、福を得ること多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしむるにしかず。其の福甚だ多し」と。
「憍尸迦、是の閻浮提の衆生を置け。若し復た人有りて、四天下の衆生を教え、十善道を行ぜしめん。是の四天下を置け。若し周梨迦(しゅりか)の小千世界、若し二千の中世界、若し三千大千世界の衆生、若し十方の恒河沙等の世界の衆生を教えて、十善道を行ぜしめん。意に於て云何。是の人、是の因縁を以ての故に、福を得ること多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしむるにしかず。其の福甚だ多し」と。
「復次に、憍尸迦、若し善男子・善女人有りて、閻浮提の衆生を教え、四禪・四無量心・四無色定・五神通を行ぜしめば。是の人、是の因縁を以て、福を得ること多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしむるにしかず。其の福甚だ多し」と。
「憍尸迦、是の閻浮提及び三千大千世界の衆生を置け。乃至、十方の恒河沙等の世界の衆生を教えて、四禪・四無量心・四無色定・五神通を行ぜしめん。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、福を得ること多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしむるにしかず。其の福甚だ多し」と。
現代語の要約
仏が帝釈に問います。閻浮提の人に十善を行ぜしめたら、その福は多いか。帝釈は、甚だ多い、と答えます。仏は、それでも、般若の経巻を他人に与えて書写読誦させる福には及ばない、と言います。
閻浮提を置け。四天下を置け。小千、中千、大千、十方の恒河沙の衆生に十善を行ぜしめても、答えは同じです。多い。しかし経巻を与えて書写読誦せしめる福がなお多い。
四禪、四無量心、四無色定、五神通でも、同じ型です。閻浮提から十方の恒河沙まで広げても、多い。
仏は、その多いを消しません。そのうえで、経巻を与える福が上に来る、と較べます。
ここに理由は書かれていません。なぜ経巻の側が上なのかは、この段では示されないままです。
ポイント 多いを認めて、山には戻さない
巻第二の終わりは、写して与え、人のために説け、でした。巻第三の入口は、その与える福を、十善と禪と神通の教化と較べます。
教化の福は、すでに多い。経は、多いと言った口を閉じません。帝釈は問われるたびに「甚だ多し」と答え、一度も否定させられない。そのうえで、さらに積む。積んで、経巻の側へ戻す。
戻す先は、与えた人の所有ではありません。経巻そのものを新しい財にすることでもありません。出所は般若です。
十善も禪も神通も、形を捨てていません。巻第二の樹陰と同じ手です。樹はさまざまである。陰は一つである。行の形は残る。較べの頂点だけが、経巻の通路に揃う。
「与えて書写せしめよ」は、蔵することではありません。相手が写し、読むところまで渡すことです。巻第二⑦の「与えて供養せしむ」が、ここで読誦まで開きます。説く段は、まだ次です。
つまずきやすい所
「十善より写経が上」を、戒を軽くする文にしない。
十善の福は「甚だ多し」と残っています。捨てたのではありません。出所へ還しただけです。
量を積むのを、福の競争にしない。
恒河沙まで広げるのは、頂上の山を新しく作るためではありません。どの広さでも、答えが動かない、と見るためです。
「不如」を、前の行が無意味だ、と読まない。
及ばない、です。無い、ではありません。
紙を配れば福が殖える、という商売の文にしない。
与えるのは経巻です。書写し読誦することを得せしめる、までが一句です。
渡した側に住しない。
経巻を持った人が福の主になる、と読むと、巻第二の「持ったまま目的にしない」が、ここで所有に戻ります。得ない。住しない。離れない。福は認め、出所へ戻す。
理由を先に埋めない。
この段は較べの形だけを置きます。理由を自分で作ると、福の大小の理屈がそこに立ちます。本文が理由を言うのは、もっと後の段です。
次回
次は、与える段がもう一度開きます。経巻を与えて書写読誦せしめるより、自ら他人のために読誦する福が多い。読誦より、其の義を解説する福が多い。そのとき帝釈が問う。応に何等の人のために義を説くべきか。仏は、義を知らぬ人のために説け、と返す。未来に相似の般若が出る。聞いた者が違錯する。②はそこからです。
佐助品/十善/経巻/書写/帝釈天/小品般若経/経典解説/巻第三
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