記事の説明
与えて書写読誦せしめるより、自ら他人のために読誦する福が多い。読誦より、其の義を解説する福が多い。誰に説くか。義を知らぬ人に説け。未来に相似の般若が出る。色は無常なり、是の如く求めよ、を行だとする。仏は、色を壞さざるが故に無常を観よ、と返す。似た言葉で、行を取り違える。
今回の位置
①は、十善と禪と神通の教化まで量を積んだ。答えは動かなかった。経巻を与えて書写読誦せしめる福がなお多い。理由は、そこに書いていない。
今回は、与える段がもう一度開きます。書写読誦せしめるより、自ら読誦する。読誦より、義を解説する。
そのとき帝釈が問う。応に何等の人のために義を説くべきか。仏は、知らぬ人のために説け、と返す。未来に相似の般若が出る。菩提を求める者がそれを聞けば、違錯する。
何が相似か。色は無常なり、是の如く求めば般若を行ずる、と説くことである。壞さずに観る者は、無常の語をそのまま置いて、「是の如く求む」の行だけを外れる。
読む範囲は、「以般若波羅蜜経巻、与他人令得書写読誦。不如〜自為他人読誦」から、「菩薩説般若波羅蜜義、其福甚多」まで。須陀洹果を得せしめる較べは、次です。
語注
読誦(どくじゅ) — 自ら声に出して読むこと。①の「令得書写読誦」は、相手が写し読むことを得せしめる。ここは、自ら他人のために読む。与える手が、口まで開く。
解説其義(げせつ・そのぎ) — 義を解き説く。巻を渡すことでも、声に出すことでもない。義が開かないと、次の相似が入れない。
應為何等人(まさになんらのひとのためにすべし) — 帝釈の問い。説く相手を問う。福の量を問うていない。
未来世・当来世(みらいせ・とうらいせ) — どちらもこれから先のこと。仏は一度目に「未来世に相似の般若有るべし」と置き、二度目に「当来世に比丘有りて」と言い換える。時を先送りする語ではありません。
相似般若波羅蜜(そうじはんにゃはらみつ) — 似て、般若ではないもの。未来に出る、と仏が先に置く。題が違う経、という文ではない。同じ五蘊、同じ無常の語を使って、求め方を取り違える。
違錯(いさく) — 違えて、錯る。聞いた側が行を外す。相似を出した側だけの話ではない。
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい) — anuttarā samyaksaṃbodhi。無上の正しいさとり。字は替えません。
比丘(びく) — 出家の衆。当来世に、般若を説こうとして相似を説く、と仏は名指す。今の席の帝釈を責める文ではない。
色受想行識(しき・じゅ・そう・ぎょう・しき) — 五蘊。色は形あるもの。受は感じ。想は思い画く。行は作る働き。識は知る。字は替えません。
無常(むじょう) — 留まらない。ここは無常を否定する文ではありません。無常の語を、求める行に変えるな、です。
求(もとむ)・觀(かんず) — この段で分かれる二つ。求めるは、手に入れに行く。観るは、そのまま見る。相似は「是の如く求めば」と言い、仏は「無常を観ず」と言う。同じ無常の語が、二つの動詞で行き先を変える。
不壞(ふえ) — 壞さない。色を無くしてから無常を見るのではない。壞すのは手を加えること、観るのは加えずに見ること。常見の語ではありません。色を我として守る文でもありません。
行相似(そうじをぎょうず) — 説相似のあとに出る。是の如く観ぜざる者を、相似を行ずると名づける。説く口と、行ずる身が、両方とも名前を持っている。
書き下し
「復次に、憍尸迦(きょうしか)、若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしめば。善男子・善女人、自ら他人の為に読誦するにしかず。其の福甚だ多し」と。
「復次に、憍尸迦、若し善男子・善女人、自ら他人の為に般若波羅蜜を読誦せば。善男子・善女人、自ら他人の為に其の義を解説するにしかず。其の福甚だ多し」と。
是の時、釋提桓因(しゃくだいかんいん)、仏に白(もう)して言わく、「世尊、応に何等の人の為に、般若波羅蜜の義を解説すべき」と。
仏言わく、「憍尸迦、若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の義を知らざるが故に、応に為に其の義を解説すべし。何を以ての故に。憍尸迦、未来世に、当に相似の般若波羅蜜有るべし。善男子・善女人、是の中に於て阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得んと欲し、是の相似の般若波羅蜜を聞けば、則ち違錯有り」と。
釋提桓因言わく、「世尊、何等か是れ相似の般若波羅蜜なる」と。
仏言わく、「憍尸迦、当来世に比丘有りて、般若波羅蜜を説かんと欲して、而も相似の般若波羅蜜を説かん」と。
釋提桓因言わく、「世尊、云何が諸比丘、相似の般若波羅蜜を説く」と。
仏言わく、「諸比丘、説いて言わく、色は是れ無常なり、若し是の如く求めば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す、と。受・想・行・識は是れ無常なり、若し是の如く求めば、是れを般若波羅蜜を行ずと為す、と。憍尸迦、是れを相似の般若波羅蜜を説くと名づく。
憍尸迦、色を壞せざるが故に、色の無常を観ず。受・想・行・識を壞せざるが故に、識の無常を観ず。是の如く観ぜざる者を、是れを相似の般若波羅蜜を行ずと名づく。
憍尸迦、是の因縁を以ての故に、菩薩、般若波羅蜜の義を説けば、其の福甚だ多し」と。
現代語の要約
経巻を与えて書写読誦せしめる福は、①で多いと出た。その上で、自ら他人のために読誦する福がなお多い。読誦より、義を解説する福がなお多い。渡す手が、巻から声へ、声から義へ開く。
帝釈が問う。では、誰に義を説くのか。仏は、義を知らぬ人のために説け、と返す。理由は、未来に相似の般若が出るからである。さとりを求めている者が、それを聞けば違錯する。
帝釈の問いは、そこから一段ずつ進む。まず、相似の般若とは何か。仏は、当来の比丘が、般若を説こうとして相似を説く、と答える。誰が出すか、が返る。次に帝釈は、ではどう説くのか、と問う。そこで初めて、説き方が出る。
その説き方は、色は無常である、是の如く求めよ、それが般若の行だ、とする。受想行識も同じ型である。
仏は、そのあとに観方を置く。色を壞さないが故に、色の無常を観る。受想行識を壞さないが故に、識の無常を観る。是の如く観ない者を、相似を行ずると名づける。
この因縁で、菩薩が義を説く福は甚だ多い。
①で空けた理由の全部ではない。なぜ義を説くのか、の入口だけが、ここで開く。
ポイント 観るのであって、壞して求めない
①の「与えて書写せしめよ」は、蔵するな、であった。②は、渡した巻の義を開く。開かないと、似た言葉が先に入る。
無常の語は、残っている。相似は、無常を否定した言葉ではない。無常を求めて、それを般若の行だとする言葉である。
求めると、無常が向こう側に立つ。手に入れる先になる。留まらない、と見ていたはずのものが、留めて持つ対象の位置へ移る。得ない、が外れるのはそこである。
壞さざるが故に観る。色を消して空にしたあとで無常を見る、ではない。色を我として守るのでもない。色は残る。色は留まらない。観る手は、色を得ず、色を捨てて住まない。離れない。
説相似と行相似は、両方出る。口が似た言葉を出し、観が壞す側へ寄る。
義を説く福が多いのは、この取り違えが未来に出るからである。福を新しい山にしない。出所は、壞さずに観るその義である。
つまずきやすい所
「色は是れ無常なり」を、間違いの命題だと思わない。
間違いは「若し是の如く求めば、是れを行ずと為す」にある。無常の観察を止めよ、という文ではない。
「不壞色」を、色は常住だ、と読まない。
壞さないのは、観るための色を残すことである。色を我にしない。自分を消して無常だけを残すのでもない。
相似を、他人の宗派の名にするな。
経は当来の比丘が般若を説こうとする、と書く。題を変えた偽経だけを撃つ文ではない。同じ五蘊、同じ無常で、求め方を取り違える。
義を説く福を、解説の商売にしない。
説く相手は、義を知らぬ人である。知らぬ人の上に立ち、福を取る文ではない。相似が入らないように、義を開く。
①の理由を、ここで全部埋めない。
ここにあるのは、なぜ義を説くか、である。なぜ経巻が十善に勝るかの全部ではない。果は般若から出る、と経が自ら言うのは、次の較べである。
次回
次は、教化の段が果へ移る。閻浮提の衆生に須陀洹果を得せしめる福は多い。それでも、経巻を与えて書写読誦せしめ、「汝当に是の応般若波羅蜜の功徳を得べし」と言えば、なお多い。理由が、そこで初めて出る。須陀洹果は般若から出るが故に、と。斯陀含、阿那含、阿羅漢、辟支仏も同じ型である。
そのあと、較べは人数から離れる。閻浮提に満ちる発心の者に与えるより、一人の阿毘跋致に与える福が多い。理由は、般若が増広流布するから。さらに、皆が阿毘跋致であっても、その中の疾く菩提を得る一人に義を教える福が多い、と上がる。
帝釈が、菩提に近づくに随い転た多い、と受ける。須菩提はそれを讃えたうえで向きを変える。汝は聖弟子、法として諸菩薩を佐助すべし、と。③はそこまでです。
佐助品/相似般若/五蘊/無常/帝釈天/小品般若経/経典解説/巻第三
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