記事の説明
教化の較べが、果へ移る。須陀洹果を得せしめる福は多い。経巻を与えて「応般若の功徳を得べし」と言えば、なお多い。理由が、ここで初めて出る。果は般若から出る。上の果も辟支仏も、薩婆若を随って得る。人数の山は、そこで折れる。発心の多きより、一人の阿毘跋致に与える。皆が不退でも、疾く得る一人に義を教える。帝釈は、近づくに随い福が転た多い、と受ける。須菩提は向きを変える。汝は聖弟子、法として菩薩を佐助すべし。佐助品は、ここで閉じる。
今回の位置
②は、義を知らぬ人に説け、で止まった。相似は、無常を求めて行だとする。壞さずに観る。須陀洹果の較べは、まだ開いていなかった。
今回は佐助品の残り全部です。まず果の教化と経巻を較べる。①が空けた理由が、須陀洹果は般若から出る、と出る。斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支仏は、同じ較べのあとに、随って学び、薩婆若を得、随って果を得る、と開く。
そのあと較べは、人数を積まない。閻浮提に満ちる発心者に与えるより、一人の阿毘跋致に与える。解義も同じ。皆が阿毘跋致でも、その中の疾く菩提を得る一人に義を教える福が多い。
帝釈が印して、近いほど転た教える、転た供養する、と言う。須菩提がそれを讃えたうえで、聖弟子の務めを佐助へ返す。
読む範囲は、「教閻浮提衆生、令得須陀洹果」から、須菩提の讃の「得阿耨多羅三藐三菩提」まで。迴向品は次です。
語注
須陀洹果(しゅだおんか) — 預流。流れに入った果。声聞の最初の果。ここは果を捨てる文ではありません。較べる側に置く。
斯陀含果(しだごんか) — 一来。一度還る果。
阿那含果(あなごんか) — 不還。欲界に還らない果。
阿羅漢果(あらかんか) — 応供。声聞の究極の果。
辟支仏道(びゃくしぶつどう) — 縁覚の道。仏の教化を待たずして覚る、とされる行。四果と並べて、なお経巻の下に置かれる。
不如(しからず/〜にしかず) — ①で出た語。及ばない、の意。①②では理由なしに置かれていた。③で初めて、及ばない理由が付く。
応般若波羅蜜功徳(おうはんにゃはらみつくどく) — 般若に応じた功徳。巻を渡すだけではない。「汝当に是を得べし」と言い添える。功徳を相手の所有として渡す語ではない。応ずる側を示す。
従般若波羅蜜出故(はんにゃはらみつよりいづるがゆえに) — ①が空けた理由の、最初の一句。須陀洹果は般若から出る。出所を言う句であって、順位を言う句ではない。
薩婆若(さつばにゃ) — sarvajñā。一切智。仏の知。斯陀含以下は、法を随って学び、薩婆若を得、随ってその果を得る、と開く。果を単独の山にしない。
阿毘跋致(あびばっち) — avaivartika。不退転。他巻には別の音写もある。字は、出たままにする。
増廣流布(ぞうこうるふ) — 増し広がり、流れる。一人に与える理由は、その人が学んで修習し、般若が増廣流布するからである。その一人を福の器にする文ではない。
衣服・飮食・臥具・醫藥 — 四事の供養。帝釈が、義を教えるのに加えて置く。福の買い物の品目ではない。
福多於彼(ふくはかれよりおおし) — 彼、はその前に挙げた方。恒河沙の発心者に与える福より、一人の阿毘跋致に与える福が多い、という較べの結び。
疾得(しつとく) — 疾く得る。皆がすでに不退であっても、その中に疾く無上の菩提を得る一人がいる。義をそこに教える福が、なお多い。速さの競争ではない。届く箇所へ義を開く。
聖弟子(しょうでし) — 聖なる弟子。須菩提が帝釈をこう呼ぶ。天の王であることより、法を聞いた側の名である。
佐助(さじょ) — 助け佐ける。品の名。安慰護念と対になる。福の順位を管理する語ではない。
初発心・初発意 — 無上の菩提心を初めて発した時。仏も、その時に過去の諸仏と諸弟子の六波羅蜜の安慰が無ければ、得られなかった、と須菩提は言う。近い完成品だけを佐ける文ではない。発したところから佐ける。
書き下し
「復次に、憍尸迦(きょうしか)、若し善男子・善女人有りて、閻浮提(えんぶだい)の衆生を教え、須陀洹果(しゅだおんか)を得せしめば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因(しゃくだいかんいん)言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしめ、是の言を作さく、汝当に是の応般若波羅蜜の功徳を得べし、とするにしかず。其の福甚だ多し。何を以ての故に。須陀洹果は、般若波羅蜜従り出づるが故に。
憍尸迦、是の閻浮提及び三千大千世界を置け。乃至十方の恒河沙等の世界の衆生を教えて、須陀洹果を得せしめん。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしめ、是の言を作さく、汝当に是の応般若波羅蜜の功徳を得べし、とするにしかず。其の福甚だ多し。何を以ての故に。須陀洹果は、般若波羅蜜従り出づるが故に」と。
「復次に、憍尸迦、若し善男子・善女人有りて、閻浮提の衆生を教え、斯陀含果(しだごんか)・阿那含果(あなごんか)・阿羅漢果・辟支仏道を得せしめば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしめ、是の言を作さく、汝当に是の応般若波羅蜜の功徳を得べし、とするにしかず。其の福甚だ多し。何を以ての故に。汝是の法を随って学ばば、当に薩婆若の法を得べし。薩婆若の法を随って得ば、当に随って斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏道を得べし。
憍尸迦、是の閻浮提及び三千大千世界の衆生を置け。乃至十方の恒河沙等の世界の衆生を教えて、斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏道を得せしめん。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て他人に与え、書写し読誦することを得せしめ、是の言を作さく、汝当に是の応般若波羅蜜の功徳を得べし、とするにしかず。其の福甚だ多し。何を以ての故に。汝是の法を随って学ばば、当に薩婆若の法を得べし。薩婆若の法を随って得ば、当に随って斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏道を得べし」と。
「復次に、憍尸迦、若し閻浮提に満つる衆生、皆な阿耨多羅三藐三菩提心を発さば。若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の経巻を以て之に与え、書写し読誦することを得せしめば。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て一の阿毘跋致(あびばっち)菩薩に与え、是の念を作さく、是の菩薩、是の中に於て学ばば、当に能く般若波羅蜜を修習すべし、とするにしかず。是の因縁を以て、般若波羅蜜増廣流布す。福は彼より多し」と。
「憍尸迦、是の閻浮提及び三千大千世界の衆生を置け。乃至十方の恒河沙等の世界の衆生、皆な阿耨多羅三藐三菩提心を発さん。若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の経巻を以て之に与え、書写し読誦することを得せしめば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て一の阿毘跋致菩薩に与え、是の念を作さく、是の菩薩、是の中に於て学ばば、当に能く般若波羅蜜を修習すべし、とするにしかず。是の因縁を以て、般若波羅蜜増廣流布す。福は彼より多し」と。
「復次に、憍尸迦、閻浮提の所有の衆生、皆な阿耨多羅三藐三菩提心を発さん。若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の経巻を以て之に与え、為に其の義を解かば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て一の阿毘跋致菩薩に与えて為に其の義を解くにしかず。福は彼より多し」と。
「憍尸迦、是の閻浮提及び三千大千世界の衆生を置け。乃至十方の恒河沙等の世界の衆生を教えて、皆な阿耨多羅三藐三菩提心を発さしめん。若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の経巻を以て之に与え、為に其の義を解かば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を以て一の阿毘跋致菩薩に与えて為に其の義を解くにしかず。福は彼より多し」と。
「復次に、憍尸迦、閻浮提の所有の衆生、皆な是れ阿毘跋致菩薩なり。若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の義を以て之を教えば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、是の中に一の菩薩有りて、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得ん。若し人有りて般若波羅蜜の義を以て之を教えば、福は彼より多し」と。
「憍尸迦、是の閻浮提及び三千大千世界の衆生を置け。乃至十方の恒河沙等の世界の衆生、皆な是れ阿毘跋致菩薩なり。若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の義を以て之を教えば。意に於て云何。是の人、是の因縁を以て、其の福多きや不や」と。
釋提桓因言わく、「甚だ多し、世尊」と。
仏言わく、「憍尸迦、是の中に一の菩薩有りて、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得ん。若し人有りて般若波羅蜜の義を以て之を教えば、福は彼より多し」と。
爾の時、釋提桓因、仏に白(もう)して言わく、「是の如し、是の如し、世尊。菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に近づくに随いて、転た応に般若波羅蜜の義を以て之を教うべし。また転た応に衣服・飮食・臥具・醫藥を以て之を供養すべし。其の福甚だ多し。何を以ての故に。世尊、法応に爾るべし。阿耨多羅三藐三菩提に近づくに随いて、福を得ること転た多し」と。
爾の時、須菩提、釋提桓因を讃めて言わく、「善哉、善哉、憍尸迦。汝は是れ聖弟子なり。法として応に諸菩薩を佐助し、阿耨多羅三藐三菩提を以て安慰護念すべし。若し仏、初めて阿耨多羅三藐三菩提心を発せし時、過去の諸仏及び諸弟子、若し六波羅蜜を以て安慰佐助せずんば、阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わず。憍尸迦、仏、初めて意を発せし時、過去の諸仏及び諸弟子、六波羅蜜を以て応に安慰佐助せしが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえるなり」と。
現代語の要約
閻浮提の人に須陀洹果を得せしめる福は、多い。世界を恒河沙まで広げても、多い。仏は、その多いを消さない。
そのうえで、経巻を与えて書写読誦せしめ、「汝当に応般若の功徳を得べし」と言えば、なお多い。理由が、ここで初めて出る。須陀洹果は般若から出るが故に、と。
斯陀含、阿那含、阿羅漢、辟支仏も同じ較べです。理由の開きだけが変わる。この法を随って学べば薩婆若を得る。薩婆若を随って得れば、それらの果も随って得る。果は、単独の頂上ではない。
問いと答えは、閻浮提と恒河沙で、そのまま繰り返されます。①からここまで、較べの答えは一度も動きません。
人数を積む較べは、そこで折れる。閻浮提に満ちる発心の者に巻を与える福は多い。一人の阿毘跋致に与え、「この中で学べば修習できる」と念じ、その因縁で般若が増広流布すれば、福はなお多い。恒河沙の発心者に与えても、同じ答えです。解義も同じ型です。
さらに、皆がすでに阿毘跋致であっても、その中の疾く無上の菩提を得る一人に義を教える福が多い。これも恒河沙まで広げて、同じ答えです。
帝釈は印します。近づくに随い、転た義を教え、転た四事を供養せよ。法は応に爾る。近いほど福は転た多い、と。
須菩提は、善哉と受けたうえで向きを変えます。汝は聖弟子である。法として菩薩を佐助し、無上の菩提を以て安慰護念せよ。仏が初めて発心した時も、過去の諸仏と諸弟子が六波羅蜜で安慰佐助しなければ、得られなかった。
佐助品は、ここで閉じます。
ポイント 近い完成品を買わない
①②は、巻を渡し、義を開いた。③は、渡した先の果まで較べる。果は多い。果は般若から出る。出た果を、新しい山にしない。
「応般若の功徳を得べし」は、相手に福を所有させる呪文ではない。応ずる出所を示す一句である。須陀洹が先で経巻が後なのではない。果は出る。出所は般若である。
薩婆若を挟む開きも、同じ手です。上の果も辟支仏も、随って学び、随って得る。得ても、そこに住しない。離れない。捨てて無くすのでもない。
人数が一人になるのは、投資先を絞る文ではない。理由は二つだけ経が書く。般若が増広流布する。その中に疾く得る者がいる。多いを認めたうえで、流布する側と、義が届く側へ戻す。
帝釈の「近いほど転た多い」を、須菩提は否定しない。印したあとに、務めの名を変える。福の計算ではなく、佐助である。安慰護念である。
対象は、完成の直前だけではない。初めて発したところからである。仏も、そこを佐助されて得た。聖弟子は、その手を繰り返す。品の名は、この最後の一句で閉じる。
つまずきやすい所
果を得せしめる行を、無意味だと思わない。
須陀洹も羅漢も辟支仏も、「甚だ多し」と残っている。捨てたのではない。出所へ還しただけである。
「従般若出故」を、①に遡って全部の理由にしない。
ここにあるのは、須陀洹果の出所である。十善と禪の較べまで、この一句で埋めない。経が書いていない場所に、理由を住させない。
阿毘跋致一人を、福の高利の相手にしない。
経が書く理由は、修習し、増広流布する、である。不退の肩書を買って、発心の多数を捨てる文ではない。発心の福も、「甚だ多し」と残っている。
「疾く得る」を、速さの順位表にしない。
皆がすでに不退でも、義を開く先は残る。近い者だけを供養する商売にすると、須菩提の「初発意を佐助す」が消える。
帝釈の「得福転多」で品を閉じない。
帝釈の口は、近いほど福が多い、である。須菩提の口は、聖弟子は菩薩を佐助す、である。口を取り違えると、佐助品が福の品に戻る。
次回
次は迴向品第七の入口です。弥勒が須菩提に言う。菩薩の随喜の福徳は、余の衆生の布施・持戒・修禪の福徳より、最大最勝最上最妙である、と。④はそこからです。随喜を認めたあと、廻向する心そのものが尽き滅する段は、まだ⑤です。
佐助品/須陀洹/阿毘跋致/薩婆若/聖弟子/小品般若経/経典解説/巻第三
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