『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第五:書き下し文

[書き下し文]

『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第五(読誦用テキスト) 後秦(こうしん)亀茲国(きじこく)の三蔵(さんぞう)、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳(やく)す。

魔事品(まじほん)第十一

爾(その)時(とき)、須菩提(しゅぼだい)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、已(すで)に善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)の功徳(くどく)を説(と)けり。云何(いかん)が留難(るなん)を起(おこ)すや。」

「須菩提、若(も)し説法(せっぽう)の者(もの)、即(すなわ)ち楽(ねが)いて説かずんば、菩薩(ぼさつ)は当(まさ)に知(し)るべし、是(これ)を魔事(まじ)と為(な)す。復次(またつぎに)、須菩提、説法の者、楽いて説きて止(や)まずんば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、説法の者、説きて究竟(くきょう)せずんば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を書(しょ)し読誦(どくじゅ)し説く時(とき)、傲慢(ごうまん)にして自大(じだい)ならば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、般若波羅蜜を書し読誦し説く時、互(たが)いに相(あい)嗤笑(ししょう)せば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、般若波羅蜜を書し読誦し説く時、互いに相軽蔑(きょうべつ)せば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、般若波羅蜜を書し読誦し説く時、其(そ)の心(こころ)散乱(さんらん)せば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、般若波羅蜜を書し読誦し説く時、心、専一(せんいつ)ならずんば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、行者(ぎょうじゃ)、是(こ)の念(ねん)を作(な)さば、『我(われ)、般若波羅蜜において気味(きみ)を得(え)ず』とて、座(ざ)よりして去(さ)らば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、行者、是の念を作さば、『我、般若波羅蜜の中(なか)において受記(じゅき)有(あ)ること無(な)し』とて、心清浄(しょうじょう)ならずして座よりして去らば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、行者、是の念を作さば、『般若波羅蜜の中において我(わ)が名(な)を説かず』とて、心清浄ならずんば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。須菩提、行者、是の念を作さば、『般若波羅蜜の中において我が生処(しょうしょ)、若しくは城邑(じょうゆう)・聚落(じゅらく)を説かず』と。是の因縁(いんねん)を以(もっ)て般若波羅蜜を説くを聞(き)くことを楽(ねが)わず、便(すなわ)ち棄捨(きしゃ)して去らん。起(おこ)す所(ところ)の念に随(したが)いて輒(すなわ)ち若干(そこばく)の劫数(こうしゅ)を却(しりぞ)けて、乃(すなわ)ち復(ま)た還(かえ)りて菩薩道(ぼさつどう)を修(しゅ)することを得(え)ん。菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「復次、須菩提、諸(もろもろ)の経(きょう)の薩婆若(さつばにゃ)に至(いた)ること能(あた)わざる者(もの)を、菩薩、般若波羅蜜を捨(す)てて之(これ)を読誦す。是(こ)の菩薩は則(すなわ)ち本(もと)を捨てて枝葉(しよう)を取(と)ると為す。何(なに)を以ての故(ゆえ)に。是の菩薩は般若波羅蜜に因(よ)りて、能(よ)く世間(せけん)・出世間(しゅっせけん)の法(ほう)を成就(じょうじゅ)す。般若波羅蜜を学(まな)びて、能く世間・出世間の法を学ぶ。若し般若波羅蜜を捨てば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「須菩提、譬(たと)えば狗(いぬ)有(あ)りて、主(あるじ)の与(あた)うる所の食分(じきぶん)を捨てて、反(かえ)って作務(さむ)の者より索(もと)むるが如(ごと)し。是(かく)の如し、須菩提。当来世(とうらいせ)に或(ある)いは菩薩有りて、深(ふか)き般若波羅蜜を捨てて、反って余(よ)の声聞(しょうもん)・辟支仏(びゃくしぶつ)の経を取らん。菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「須菩提、譬えば人(ひと)、象(ぞう)を得て観(み)ずして、反って其(そ)の跡(あと)を尋(たず)ぬるが如し。意(こころ)において云何(いかん)。是の人を智(ち)と為すや不(いな)や。」 「不(いな)なり、世尊。」 「須菩提、菩薩も亦(ま)た是の如し。深き般若波羅蜜を得て之を棄捨し、反って声聞・辟支仏の経において薩婆若を求(もと)む。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「須菩提、譬えば人、大海(たいかい)を見んと欲(ほっ)し、見已(おわ)りて反って牛跡(ごしゃく)の水(みず)を求めて、是の言(ことば)を作さく、『大海の水、能く是より多(おお)からんや』と。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、当来世の菩薩も亦た是の如し。深き般若波羅蜜を得て之を棄捨し、反って声聞・辟支仏の経を読誦す。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「須菩提、譬えば工匠(こうしょう)、帝釈(たいしゃく)の勝殿(しょうでん)の如きを造(つく)らんと欲して、而(しか)も反って日月(にちがつ)の宮殿(くうでん)を揆度(きたく)するが如し。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、当来世の菩薩も亦た是の如し。深き般若波羅蜜を得て之を棄捨し、反って声聞・辟支仏の経の中(なか)において薩婆若を求む。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「須菩提、譬えば人、転輪王(てんりんおう)を見んと欲し、見已りて知らずして是の念を作さく、『転輪王の形貌(ぎょうぼう)・威徳(いとく)は云何なる』と。諸(もろもろ)の小王(しょうおう)を見て其の形貌を取り、是の言を作さく、『転輪王の形貌・威徳は是の如き相(そう)なるや』と。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、当来世の菩薩も亦た是の如し。深き般若波羅蜜を得て之を棄捨し、反って声聞・辟支仏の経の中において薩婆若を求む。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「須菩提、譬えば飢人(きじん)、百味(ひゃくみ)の食(じき)を捨てて、反って六十日(ろくじゅうにち)の飯(いい)を食(く)らうが如し。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、菩薩も亦た是の如し。深き般若波羅蜜を得て之を棄捨し、反って声聞・辟支仏の経の中において薩婆若を求む。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「須菩提、譬えば人、無価(むげ)の宝珠(ほうじゅ)を得て水精(すいしょう)と比(ひ)するが如し。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、当来世の菩薩も亦た是の如し。深き般若波羅蜜を得て、声聞・辟支仏の経と比し、其の中において薩婆若を求む。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

「復次、須菩提、般若波羅蜜を書し読誦し説く時、若し多く余事(よじ)を説きて般若波羅蜜を妨廃(ぼうはい)せば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。」

須菩提、仏に白して言さく、「世尊、般若波羅蜜は書し読誦し説くことを得(う)べきや。」 「不なり、須菩提。若し善男子・善女人、文字(もんじ)を書写(しょしゃ)して、而して是の念を作さく、『我、般若波羅蜜を書す』とせば、即ち是れ魔事なり。須菩提、爾の時、応(まさ)に是の善男子・善女人に教(おし)うべし、『汝等(なんじら)、但(た)だ文字を書写するを以て、便ち是の念を作して、「我、般若波羅蜜を書す」と言(い)うと謂(おも)う勿(なか)れ。諸の善男子、是の文字を以て、般若波羅蜜の義(ぎ)を示(しめ)すなり。是の故に汝等、文字に著(じゃく)する勿れ』と。若し文字に著せば、菩薩は当に知るべし、是を魔事と為す。若し貪著(とんじゃく)せずんば、即ち魔事を捨つ。」

「復次、須菩提、般若波羅蜜を書し読誦し説く時、諸方(しょほう)の国土(こくど)・城邑・聚落・国王(こくおう)・怨賊(おんぞく)・戦闘(せんとう)の事を憶念(おくねん)し、父母(ぶも)・兄弟(きょうだい)・姉妹(しまい)を憶念す。悪魔、是の如き等(ら)の念を生ぜしめて、般若波羅蜜を妨廃す。菩薩は皆応に之を覚(さと)るべし。須菩提、是の如きは、当に知るべし、亦た是れ魔事なり。」

「復次、須菩提、般若波羅蜜を書し読誦し説く時、供養(くよう)の事起(おこ)る。衣服(えぶく)・飲食(おんじき)・臥具(がぐ)・医薬(いやく)・資生(ししょう)の物(もの)、般若波羅蜜を妨廃す。菩薩は皆応に之を覚るべし。須菩提、是の如きは、当に知るべし、亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、悪魔、因縁(いんねん)を作す。菩薩をして諸の深経(じんきょう)を得しむるに方便(ほうべん)有らば、菩薩は此の深経において貪著を生ぜず。方便無き菩薩は般若波羅蜜を捨てて、是の深経を取る。須菩提、我、般若波羅蜜の中において広く方便を説けり、応に中において求むべし。而るに反って余の深経・声聞・辟支仏の法の中において方便を求索(ぐさく)す。意において云何。是の人を智と為すや不や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、是の如きは、当に知るべし、亦た魔事と為す。」

[書き下し文]

「復次(またつぎに)、須菩提(しゅぼだい)、聴法(ちょうほう)の者(もの)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を聞(き)かんと欲(ほっ)するに、説法(せっぽう)の者、疲懈(ひけ)して楽(ねが)いて為(ため)に説(と)かず。須菩提、是(かく)の如(ごと)き不和合(ふわごう)も亦(ま)た魔事(まじ)と為(な)す。」

「復次、須菩提、説法の者、身(み)疲極(ひごく)せずして、楽いて般若波羅蜜を説くに。聴法の者、余国(よこく)に至(いた)らんと欲して、般若波羅蜜を書(しょ)し読誦(どくじゅ)し説くことを得(え)ず。是の如き不和合も亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、聴法の者、念力(ねんりき)・智力(ちりき)有(あ)りて、楽いて般若波羅蜜を聴受(ちょうじゅ)し読誦せんと欲するに。説法の者、余国に至らんと欲して、般若波羅蜜を書し読誦し説くことを得ず。是の如き不和合も亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、説法の者、財物(ざいぶつ)・衣服(えぶく)・飲食(おんじき)を貴(たっと)ぶに、聴法の者、惜(おし)みて之(これ)を与(あた)えずして、般若波羅蜜を書し読誦し説くことを得ず。是の如き不和合も亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、聴法の者、信楽(しんぎょう)の心(こころ)有りて、説法の者を供養(くよう)せんと欲す。而(しか)るに説法の者、誦習(じゅしゅう)利(り)ならずして、聴法の者、楽いて聴受せず、般若波羅蜜を書し読誦し説くことを得ず。是の如き不和合も亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、説法の者、心に楽いて為に説くに、聴法の者、楽いて聴受せずして、般若波羅蜜を書し読誦し説くことを得ず。是の如き不和合も亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、説法の者、身重(おも)く疲極し、睡眠(すいみん)に覆(おお)われる所(ところ)となりて言説(ごんせつ)することを楽わざるに、聴法の者、楽いて聴受し読誦せんと欲す。是の如き不和合も亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、若(も)し般若波羅蜜を書し読誦し説く時、人(ひと)有りて来(きた)りて三悪道(さんまくどう)の苦(く)を説く。『地獄(じごく)の中(なか)には是の如き苦有り、畜生(ちくしょう)・餓鬼(がき)の中には是の如き苦有り。是(こ)の身(み)において苦を尽(つ)くして涅槃(ねはん)を取(と)るに如(し)かじ、何(なに)を用(もっ)てか更(さら)に生(しょう)じて是の諸(もろもろ)の苦を受(う)けん』と。是の如く、須菩提、菩薩(ぼさつ)は当(まさ)に知(し)るべし、亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、若し般若波羅蜜を書し読誦し説く時、若し人有りて来りて天上(てんじょう)の快楽(けらく)を讃歎(さんだん)す。『欲界(よくかい)の中には極妙(ごくみょう)の五欲(ごよく)の快楽有り、色界(しきかい)の中には禅定(ぜんじょう)の快楽有り、無色界(むしきかい)の中には寂滅(じゃくめつ)の定楽(じょうらく)有り。是の三界(さんがい)の楽(らく)は、皆(みな)無常(むじょう)・苦(く)・空(くう)・壊敗(えはい)の相(そう)なり。汝(なんじ)、是の身において、須陀洹果(しゅだおんか)・斯陀含果(しだごんか)・阿那含果(あなごんか)・阿羅漢果(あらかんか)を取るべし、更に後身(こうしん)を受くるを須(もち)いず』と。菩薩は当に知るべし、亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、説法の者、徒衆(としゅ)を愛楽(あいぎょう)して、是の言(ことば)を作(な)さく、『若し能(よ)く我(われ)に随(したが)わば当に般若波羅蜜を与うべし。若し我に随わずんば則ち汝に与えず』と。此(こ)の因縁(いんねん)を以て、多人(たにん)随従(ずいじゅう)する時。説法の者、険難(けんなん)危命(きみょう)の処(ところ)を経(へ)んと欲して、諸人(しょにん)に語(かた)りて言わく、『善男子(ぜんなんし)、汝等(なんじら)知るや不(いな)や。何を用いてか我に随いて此の険難を経る。善(よ)く自(みずか)ら籌量(ちゅうりょう)して後悔(こうかい)を得る有ること無(なか)れ』と。而して是の言を作さく、『何(なに)の故(ゆえ)に此の飢餓(きが)怨賊(おんぞく)の中に至(いた)るや』と。説法の者、此の細微(さいみ)の因縁を以て諸人を捨離(しゃり)す。聴法の者、是の念(ねん)を作さく、『是れ捨離の相にして、般若波羅蜜を与える相に非(あら)ず』とて。般若波羅蜜を書し読誦し説くことを得ず。是の如き不和合は。菩薩は当に知るべし、亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、説法の者、悪獣(あくじゅう)・虎狼(ころう)・師子(しし)・怨賊・毒害(どくがい)・無水(むすい)の処を経んと欲す。説法の者、諸人に語りて言わく、『汝等知るや不や。我(わ)が至る所の処は、悪獣・怨賊・毒害・無水の処を経過(きょうか)す。汝等、豈(あに)能く是の如き苦を受くるや』と。説法の者、此の細微の因縁を以て之(これ)を捨離す。諸人、復(ま)た随従せずして、是の念を作さく、『是れ捨離の相にして、般若波羅蜜を与える相に非ず』とて、即(すなわ)ち便(すなわ)ち退還(たいげん)す。須菩提、是の如き諸の難(なん)は、菩薩は当に知るべし、亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、説法の者、檀越(だんおつ)を重(おもん)じて、此の因縁を以て常に数(しばしば)往返(おうへん)す。是の事(こと)の故を以て聴法の者に語らく、『諸(もろもろ)の善男子、我に檀越有りて、応(まさ)に往(ゆ)きて問訊(もんじん)すべし』と。諸人、念じて言わく、『是れ我に般若波羅蜜を与えざる相と為す』とて、即時(そくじ)に捨離す。学習(がくしゅう)し書し読誦し説くことを得ず。是の如き不和合は、菩薩は当に知るべし、亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、悪魔、勤(ねんご)ろに方便(ほうべん)を作(な)して、人として般若波羅蜜を読誦し修習(しゅじゅう)するもの無からしめんと欲す。」

須菩提、仏(ほとけ)に白(もう)して言さく、「世尊(せそん)、悪魔は云何(いかん)が勤ろに方便を作して、人をして般若波羅蜜を読誦し修習することを得ざらしむるや。」「須菩提、悪魔は諸人を詭誑(ききょう)して是の言を作さく、『此(これ)は真(まこと)の般若波羅蜜に非ず、我が所有(あらゆる)経(きょう)こそ是れ真の般若波羅蜜なり』と。須菩提、悪魔、是の如く衆人(しゅにん)を詭誑す。未受記(みじゅき)の者は、当に般若波羅蜜の中において疑(うたがい)を生ずべし。疑う因縁の故に、般若波羅蜜を読誦し修習することを得ず。是の如く、須菩提、菩薩は当に知るべし、亦た魔事と為す。」

「復次、須菩提、復た魔事有り。若し菩薩、般若波羅蜜を行(ぎょう)じて、即ち実際(じっさい)を証(しょう)し声聞果(しょうもんか)を取らば。是の如く、須菩提、菩薩は当に知るべし、亦た魔事と為す。」

[書き下し文]

摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)小如品(しょうにょほん)第十二

仏(ほとけ)、須菩提(しゅぼだい)に告(つ)ぐ、「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)には、多(おお)く是(かく)の如(ごと)き諸(もろもろ)の留難(るなん)の事(こと)有(あ)り。」

須菩提、仏に白(もう)して言(もう)さく、「是の如し是の如し。世尊(せそん)、般若波羅蜜は多く留難有り。譬(たと)えば珍宝(ちんぽう)に多く怨賊(おんぞく)有るが如く、般若波羅蜜も亦(ま)た是の如し。若(も)し人(ひと)、般若波羅蜜を受持(じゅじ)読誦(どくじゅ)し修習(しゅじゅう)せずんば、当(まさ)に知(し)るべし、是の人は新(あらた)に道意(どうい)を発(おこ)し、少智(しょうち)少信(しょうしん)にして大法(だいほう)を楽(ねが)わず、魔(ま)に摂(しょう)せらるる所(ところ)と為(な)るを。」 「是の如し是の如し。須菩提、若し人、般若波羅蜜を受持読誦し修習せずんば、当に知るべし、是の人は新に道意を発し、少智少信にして大法を楽わず、魔に摂せらるる所と為る。」

「須菩提、般若波羅蜜には、多(おお)く是(かく)の如(ごと)き魔事(まじ)及(およ)び諸(もろもろ)の留難有りと雖(いえど)も、若し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)の、能(よ)く受持し書(しょ)し読誦し説(と)くこと有らば、当に知るべし、是(これ)ら皆(みな)是れ仏力(ぶつりき)なり。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。悪魔(あくま)、復(ま)た勤(ねんご)ろに方便(ほうべん)を作(な)して般若波羅蜜を滅(めっ)せんと欲(ほっ)すと雖も、諸仏(しょぶつ)も亦復(またまた)勤ろに方便を作して之(これ)を守護(しゅご)す。」

「須菩提、譬えば母人(ぼにん)に多くの諸子(しょし)有りて、若しくは十、若しくは百、乃至(ないし)十万なるが如し。其(そ)の母(はは)に疾(やまい)有らば、諸子、各各(おのおの)勤ろに救療(くりょう)を求(もと)め、皆是(こ)の願(がん)を作さく、『我等(われら)、要(かなら)ず当に母をして久寿(きゅうじゅ)に身体(しんたい)安穏(あんのん)にして、諸の苦患(くげん)、風雨(ふうう)、寒熱(かんねつ)、蚊虻(ぶんぼう)、毒螫(どくぜき)無からしむべし。当に諸薬(しょやく)の因縁(いんねん)を以て母をして安穏ならしむべし。何を以ての故に。我等を生育(しょういく)し寿命(じゅみょう)を賜与(しよ)し、世間(せけん)を示悟(しご)して其の恩(おん)甚(はなは)だ重(おも)ければなり』と。須菩提、今(いま)十方(じっぽう)現在(げんざい)の諸仏、常に般若波羅蜜を念(ねん)じて、皆是の言(ことば)を作さく、『般若波羅蜜は、能く諸仏を生(しょう)じ、能く薩婆若(さつばにゃ)を示(しめ)す。何を以ての故に。諸仏の薩婆若は、皆般若波羅蜜より生ずるが故に』と。須菩提、諸仏、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(う)るに、若しくは已(すで)に得、今得、若しくは当に得んとするも、皆般若波羅蜜に因(よ)る。須菩提、般若波羅蜜は是の如く十方の諸仏の薩婆若を示し、亦た世間を示す。」

須菩提、仏に白して言さく、「世尊、仏の説く所の如く般若波羅蜜は、諸仏と世間を示す。世尊、云何(いかん)が世間と為す。」 仏、言(のたま)わく、「五陰(ごおん)は是れ世間なり。」 「世尊、云何が般若波羅蜜は五陰を示すや。」 仏、言わく、「般若波羅蜜は五陰の不壊(ふえ)の相(そう)を示す。何を以ての故に。須菩提、空(くう)は是れ不壊の相なり、無相(むそう)・無作(むさ)は是れ不壊の相なり。般若波羅蜜は是の如く世間を示す。」

「復次(またつぎに)、須菩提、仏は無量(むりょう)無辺(むへん)の衆生(しゅじょう)の性(しょう)に随(したが)うが故に、如実(にょじつ)に其(そ)の心(こころ)を知(し)る。是の如く、須菩提、般若波羅蜜は諸仏の世間を示す。」

「復次、須菩提、衆生の乱心(らんしん)と摂心(しょうしん)。是の乱心と摂心を、仏は如実に知る。須菩提、云何が如来(にょらい)、諸の衆生の乱心と摂心を知るや。法相(ほうそう)を以ての故に知る。須菩提、法相なるが故に心は乱に非(あら)ずと知る、是の如く乱心を知る。云何が如来、摂心を知るや。須菩提、如来、心の尽相(じんそう)を知り、如実に尽相を知る、是の如く摂心を知る。」

「復次、須菩提、衆生の染心(ぜんしん)を、如来は如実に染心を知る。恚心(いしん)・痴心(ちしん)を、如実に恚心・痴心を知る。云何が如来、如実に染心を知り、如実に恚心を知り、如実に痴心を知るや。須菩提、染心の如実相(にょじつそう)は即(すなわ)ち染心に非ず。恚心・痴心の如実相は即ち恚心・痴心に非ず。是の如く、須菩提、諸仏は般若波羅蜜より薩婆若智(さつばにゃち)を生ず。」

「云何が如来、離染心(りぜんしん)を如実に離染心と知り、離恚心(りいしん)を如実に離恚心と知り、離痴心(りちしん)を如実に離痴心と知るや。須菩提、離染心の中(なか)に離染心の相無く、離恚心の中に離恚心の相無く、離痴心の中に離痴心の相無し。是の如く、須菩提、般若波羅蜜は諸仏の世間を示す。」

「復次、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の広心(こうしん)を如実に広心と知る。云何が如来、衆生の広心を如実に広心と知るや。須菩提、是の衆生の心は不増(ふぞう)不広(ふこう)にして、離相(りそう)を離(はな)れざるが故なり。是の如く、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の広心を如実に広心と知る。」

「復次、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の大心(だいしん)を如実に大心と知る。云何が如来、衆生の大心を如実に大心と知るや。須菩提、如来は是の心、無来(むらい)無去(むこ)無住(むじゅう)なりと知る。是の如く、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の大心を如実に大心と知る。」

「復次、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の無量心(むりょうしん)を如実に無量心と知る。云何が如来、衆生の無量心を如実に無量心と知るや。須菩提、如来は是の心住せずして、寂滅(じゃくめつ)に住して依止(えし)する所無しと知る。虚空(こくう)の無量なるが如く、心の相を知ることも亦た爾(しか)なり。是の如く、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の無量心を如実に無量心と知る。」

「復次、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の不可見心(ふかけんしん)を如実に不可見心と知る。云何が如来、衆生の不可見心を如実に不可見心と知るや。如来、無相の義(ぎ)を以ての故に、如実に不可見心を知る。是の如く、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の不可見心を如実に不可見心と知る。」

「復次、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の不現心(ふげんしん)を如実に不現心と知る。云何が如来、衆生の不現心を如実に不現心と知るや。是の心は五眼(ごげん)の見る所にあらず。是の如く、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の不現心を如実に不現心と知る。」

「復次、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の諸の出没(しゅつもつ)を知る。云何が出没を知るや。衆生の起こす所の出没は皆色(しき)に依(よ)りて生じ、受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)に依りて生ず。何等(なんら)か是れ諸の出没なる。所謂(いわゆる)我(が)及び世間は常(じょう)なりと。是の見(けん)は色に依り、受・想・行・識に依る。我及び世間は無常(むじょう)なり、常無常なり、非常(ひじょう)非無常(ひむじょう)なりと。是の見は色に依り、受・想・行・識に依る。世間は有辺(うへん)なり、世間は無辺(むへん)なり、有辺無辺なり、非有辺(ひうへん)非無辺(ひむへん)なりと。是の見は色に依り、受・想・行・識に依る。死後(しご)に如去(にょこ)す、死後に不如去(ふにょこ)す、死後に如去不如去す、死後に非如去(ひにょこ)非不如去(ひふにょこ)すと。是の見は色に依り、受・想・行・識に依る。身(み)即ち是れ神(たましい)なりと。是の見は色に依り、受・想・行・識に依る。身異(こと)なり神異なりと。是の見は色に依り、受・想・行・識に依る。是の如く、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて、衆生の諸の出没を知る。」

「復次、須菩提、如来、般若波羅蜜に因りて色相(しきそう)を知る。云何が色相を知るや。如如(にょにょ)と知る。須菩提、如来は受・想・行・識の相を知る。云何が識相(しきそう)を知るや。如如と知る。須菩提、五陰の如(にょ)は、即ち是れ如来の説く所の出没なり。五陰の如の如きは、即ち是れ世間の如なり。五陰の如は、即ち是れ一切法(いっさいほう)の如なり。一切法の如は、即ち是れ須陀洹果(しゅだおんか)の如、斯陀含果(しだごんか)・阿那含果(あなごんか)・阿羅漢果(あらかんか)・辟支仏道(びゃくしぶつどう)の如なり。辟支仏道の如は、即ち是れ如来の如なり。是の諸の如は皆是れ一如(いちにょ)にして、無二(むに)無別(むべつ)無尽(むじん)無量(むりょう)なり。是の如く、須菩提、如来は般若波羅蜜に因りて是の如相(にょそう)を得(う)。是の如く、須菩提、般若波羅蜜は諸仏の世間を示す。能く諸仏を生ず。諸仏は世間の如を知り、如実に是の如を得るが故に、名(なづ)けて如来と為す。」

須菩提、仏に白して言さく、「世尊、是の如は甚だ深し。諸仏の阿耨多羅三藐三菩提は是の如より生ず。世尊、如来は是の深法(じんぽう)を得て、能く衆生の為に是の如相を説く。是の如き如相を誰(たれ)か能く信ずる者ならん。唯(ただ)阿毘跋致(あびばっち)の菩薩、及び正見(しょうけん)を具足(ぐそく)する者、満願(まんがん)の阿羅漢(あらかん)有りて、乃(すなわ)ち能く之を信ぜん。」 「須菩提、是の如は無尽なり。仏は如実に無尽を説く。」

[書き下し文]

摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)相無相品(そうむそうほん)第十三

爾(その)時(とき)、釈提桓因(しゃくだいがんいん)、及(およ)び欲界(よくかい)の万(まん)の天子(てんし)、梵世(ぼんせ)の二万の天子、倶(とも)に仏(ほとけ)の所(みもと)に詣(もう)ず。頭面(ずめん)に仏の足(あし)を礼(らい)して却(しりぞ)きて一面(いちめん)に住(じゅう)し、各各(おのおの)仏に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、是(こ)の法(ほう)は甚(はなは)だ深(ふか)し。此(こ)の法の中(なか)において云何(いかん)が相(そう)を作(な)す。」

仏、諸(もろもろ)の天子に告(つ)ぐ、「諸法(しょほう)は空(くう)を以(もっ)て相と為(な)す。無相(むそう)、無作(むさ)、無起(むき)、無生(むしょう)、無滅(むめつ)、無依(むえ)を以て相と為す。」

諸の天子言さく、「如来(にょらい)は是の諸相の空の如くして依(よ)る所無(な)しと説きたまへり。是の如き諸相は、一切(いっさい)の世間(せけん)・天人(てんにん)・阿修羅(あしゅら)も壊(やぶ)ること能(あた)わざる所なり。何(なに)を以ての故(ゆえ)に。一切の世間・天人・阿修羅も、即(すなわ)ち是れ其(そ)の相なるが故に。世尊、是の諸相は作すべかるに非(あら)ず。是の諸相は色(しき)の数(じゅ)に在(あ)らず、受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の数に在らず。是の諸相は人(にん)の作す所にも非ず、非人(ひにん)の作す所にも非ず。」

仏、欲界・色界(しきかい)の諸の天子に告ぐ、「若(も)し人(ひと)問うて言わく、『虚空(こくう)は誰(たれ)の作す所ぞ』と。是の人を正問(しょうもん)と為すや不(いな)や。」 「不なり、世尊。虚空には作者(さしゃ)有ること無し。何を以ての故に。虚空は無為(むい)なるが故に。」 「諸の天子、此の諸相も亦(ま)た是の如(ごと)し。仏有(あ)るも仏無(な)きも常住(じょうじゅう)にして異(こと)ならず。諸相は常住なるが故に、如来は是の諸相を得已(おわ)りて名(なづ)けて如来と為す。」

諸の天子言さく、「如来の説く所の諸相は甚だ深し。諸仏の智慧(ちえ)は無碍(むげ)なるが故に能(よ)く是の如(にょ)を示(しめ)し、亦た能く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の行相(ぎょうそう)を説く。世尊、般若波羅蜜は是れ諸仏の行処(ぎょうしょ)なり、亦た是の如く諸仏の世間を示す。」

「復次(またつぎに)、須菩提(しゅぼだい)、諸仏は法に依止(えし)し、法において供養(くよう)・恭敬(くぎょう)・尊重(そんじゅう)・讃歎(さんだん)す。法とは則ち是れ般若波羅蜜なり。諸仏は般若波羅蜜を供養し恭敬し尊重し讃歎す。何を以ての故に。般若波羅蜜は諸仏を出生(しゅっしょう)するが故に。須菩提、如来は知恩(ちおん)知報恩(ちほうおん)の者(もの)なり。若し人、正(ただ)しく『何等(なんら)か是れ知恩知報恩の者なる』と問わば、当(まさ)に答(こた)うべし、『仏は是れ知恩知報恩の者なり』と。須菩提、云何が仏は是れ知恩知報恩の者なるや。如来の行ずる所の道(どう)、行ずる所の法にて、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)、即ち是の道、是の法を護念(ごねん)す。是の事(こと)を以ての故に、当に知(し)るべし、仏は是れ知恩知報恩の者なり。」

「復次、須菩提、如来は一切法の無作なるを知る、亦た是れ如来は作恩(さおん)を知る者なり。須菩提、如来は般若波羅蜜に因(よ)りて一切法の無作の相を知り、是の如き智慧を得(う)。是の因縁(いんねん)を以ての故に、般若波羅蜜も亦た是の如く諸仏の世間を示す。」

「世尊、若し一切法は無知者(むちしゃ)無見者(むけんしゃ)ならん。云何が般若波羅蜜は諸仏の世間を示すや。」 「須菩提、是の如し是の如し。一切法は無知者無見者なり。須菩提、云何が一切法は無知者なるや。一切法は空なるが故に。云何が一切法は無見者なるや。一切法は依る所無きが故に。是(こ)の故に一切法は無知者無見者なり。須菩提、如来は般若波羅蜜に因りて是の如き法を得。是の故に般若波羅蜜も亦た是の如く諸仏の世間を示す。色を見ざるが故に世間を示し、受・想・行・識を見ざるが故に世間を示す。般若波羅蜜は是の如く諸仏の世間を示す。」

「世尊、云何が色を見ざるが故に世間を示すと名づくるや。云何が受・想・行・識を見ざるが故に世間を示すと名づくるや。」 「須菩提、若し色に縁(えん)ぜずして色を生ぜざれば、是れを色を見ずと名づく。若し受・想・行・識に縁ぜずして識を生ぜざれば、是れを識を見ずと名づく。若し是の如く世間を見ざれば、是れを真(まこと)に世間を見ると名づく。」

「復次、須菩提、世間は空なり。般若波羅蜜は如実(にょじつ)に世間の空なるを示す。世間は離相(りそう)なり。般若波羅蜜は如実に世間の離相を示す。世間は浄相(じょうそう)なり。般若波羅蜜は如実に世間の浄なるを示す。世間は寂滅(じゃくめつ)なり。般若波羅蜜は如実に世間の寂滅を示す。須菩提、般若波羅蜜も亦た是の如く諸仏の世間を示す。」

須菩提、仏に白して言さく、「世尊、般若波羅蜜は大事(だいじ)の為の故に出(しゅつ)す。般若波羅蜜は不可思議事(ふかしぎじ)・不可称事(ふかしょうじ)・不可量事(ふかりょうじ)・無等等事(むとうとうじ)の為の故に出す。」

仏、言(のたま)わく、「是の如し是の如し。須菩提、般若波羅蜜は大事の為の故に出す。不可思議事・不可称事・不可量事・無等等事の為の故に出す。」

「須菩提、云何が般若波羅蜜は大事の為の故に出し、不可思議事・不可称事・不可量事・無等等事の為の故に出すや。須菩提、如来の法、仏の法、自然(じねん)の法、一切智人(いっさいちじん)の法は、広大(こうだい)にして不可思議・不可籌量(ふかちゅうりょう)なり。是の故に須菩提、般若波羅蜜は大事・不可思議事の為の故に出す。云何が般若波羅蜜は不可称事・不可量事の為の故に出すや。須菩提、如来の法、仏の法、自然の法、一切智人の法は、不可称(ふかしょう)・不可量(ふかりょう)なり。是の故に須菩提、般若波羅蜜は不可称・不可量事の為の故に出す。云何が般若波羅蜜は無等等事の為の故に出すや。須菩提、一切において如来と等(ひと)しき者有ること無し。何(いか)に況(いわん)や勝(まさ)れる有らんや。是の故に須菩提、般若波羅蜜は無等等事の為の故に出す。」

「世尊、但(た)だ如来の法、仏の法、自然の法、一切智人の法のみ不可思議・不可称・不可量なるや。色も亦た不可思議・不可称・不可量なり、受・想・行・識も亦た不可思議・不可称・不可量なり。」

「須菩提、色も亦た不可思議・不可称・不可量なり。受・想・行・識も亦た不可思議・不可称・不可量なり。一切法も亦た不可思議・不可称・不可量なり。何を以ての故に。須菩提、諸法の実相(じっそう)の中には、心(こころ)も無く心数(しんじゅ)の法も無ければなり。須菩提、色は不可称なり。受・想・行・識も亦た不可称なり。一切法も亦た不可称なり。此の中には分別(ふんべつ)有ること無きが故に。須菩提、色は不可量なり。受・想・行・識も亦た不可量なり。一切法も亦た不可量なり。須菩提、何の故に色は不可量、受・想・行・識は不可量、一切法は不可量なる。須菩提、色の量(りょう)は無所有(むしょう)にして得べからず、受・想・行・識の量は無所有にして得べからず、一切法の量は無所有にして得べからず。須菩提、何の故に色の量は無所有にして得べからず、受・想・行・識の量は無所有にして得べからず、一切法の量は無所有にして得べからざる。須菩提、色は無所有なるが故に、受・想・行・識は無所有なるが故に、一切法は無所有なるが故に、量得べからず。」

「須菩提、意(こころ)において云何。虚空に心・心数の法有るや不や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、是の因縁を以て一切法は不可思議なり。諸の籌量(ちゅうりょう)を滅(めっ)するが故に不可思議と名づく。諸の称(しょう)を滅するが故に不可称と名づく。須菩提、称とは即ち是れ識(しき)の業(ごう)なり。須菩提、無量とは諸の量を過(す)ぐるが故なり。須菩提、虚空の不可思議・不可称・不可量なるが如く。諸の如来の法、仏の法、自然の法、一切智人の法も、亦た是の如く不可思議・不可称・不可量なり。」

是の不可思議・無等等の法を説く時、五百の比丘(びく)、二十の比丘尼(びくに)、一切法を受(う)けざるが故に、漏(ろ)尽(つ)きて心(こころ)解脱(げだつ)を得(え)たり。六万の優婆塞(うばそく)、三万の優婆夷(うばい)、諸法の中において法眼浄(ほうげんじょう)を得たり。二十の菩薩、無生法忍(むしょうほうにん)を得て、此の賢劫(けんごう)において皆当に成仏(じょうぶつ)すべし。

爾の時、須菩提、仏に白して言さく、「世尊、是の深き般若波羅蜜は大事の為の故に出し、乃至無等等事の為の故に出す。」

[書き下し文]

仏(ほとけ)、言(のたま)わく、「是(かく)の如(ごと)し是の如し。須菩提(しゅぼだい)、是(こ)の深(ふか)き般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は大事(だいじ)の為(ため)の故(ゆえ)に出(しゅつ)し、乃至(ないし)無等等事(むとうとうじ)の為の故に出す。諸仏(しょぶつ)の薩婆若(さつばにゃ)は、皆(みな)般若波羅蜜の中(なか)に在(あ)り。一切(いっさい)の声聞(しょうもん)・辟支仏(びゃくしぶつ)の地(じ)も、皆般若波羅蜜の中に在り。須菩提、譬(たと)えば灌頂(かんじょう)の刹帝利王(せつていりおう)、若(も)し諸(もろもろ)の城(しろ)の事(こと)、諸の聚落(じゅらく)の事を皆大臣(だいじん)に付(ふ)せば、王(おう)は憂(うれ)うる所(ところ)無(な)きが如(ごと)し。是の如し、須菩提、諸の如来(にょらい)も亦(ま)た是の如し。所有(あらゆる)声聞の事、辟支仏の事、仏の事も、皆般若波羅蜜の中に在り。般若波羅蜜は能(よ)く其(そ)の事を成弁(じょうべん)す。是(こ)の故に須菩提、当(まさ)に知(し)るべし、般若波羅蜜は大事の為の故に出し、乃至無等等事の為の故に出すことを。須菩提、般若波羅蜜は色(しき)を受(う)けず著(じゃく)せざるが故に出し、受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)を受けず著せざるが故に出し、須陀洹果(しゅだおんか)・斯陀含果(しだごんか)・阿那含果(あなごんか)・阿羅漢果(あらかんか)・辟支仏道(びゃくしぶつどう)を受けず著せざるが故に出し、乃至薩婆若も亦た受けず著せざるが故に出す。」

須菩提、仏に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、云何(いかん)が般若波羅蜜は薩婆若を受けず、薩婆若に著せざるや。」 「須菩提、意(こころ)において云何。汝(なんじ)、阿羅漢(あらかん)の法(ほう)の受くべく著すべかるを見るや不(いな)や。」 「不(いな)なり、世尊。我(われ)、是の法の著を生ずべきを見ず。」 仏、言わく、「善哉善哉(よきかなよきかな)。須菩提、我も亦た如来の法を見ず。見ざるを以(もっ)ての故に受けず著せず。是の故に須菩提、薩婆若は受くべからず著すべからず。」

爾(その)時(とき)、欲界(よくかい)・色界(しきかい)の諸の天子(てんし)、仏に白して言さく、「世尊、是の深き般若波羅蜜は難解(なんげ)難得(なんとく)なり。若し能く深き般若波羅蜜を信解(しんげ)する者(もの)は、当に知るべし、是の人(ひと)は已(すで)に先世(せんせ)において諸仏を供養(くよう)せり。世尊、若し三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)の衆生(しゅじょう)、皆信行(しんぎょう)と作(な)りて、信行の地(じ)の中において修行(しゅぎょう)すること、若しくは一劫(いっこう)、若しくは減一劫(げんいっこう)ならんに。若し人、一日(いちにち)深き般若波羅蜜を行(ぎょう)じ、籌量(ちゅうりょう)し思惟(しゆい)し観忍(かんにん)し通利(つうり)せば、是の福(ふく)を勝(まさ)れりと為(な)す。」

仏、諸の天子に告(つ)ぐ、「若し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、是の深き般若波羅蜜を聞きて疾(と)く涅槃(ねはん)を得(え)ば、是の人が信行の地の中において修行すること若しくは一劫、若しくは減一劫なるも、及(およ)ぶこと能(あた)わざる所なり。」

爾の時、欲界・色界の諸の天子、頭面(ずめん)に仏の足(あし)を礼(らい)し、仏を繞(めぐ)りて出(い)で、此(ここ)を去(さ)ること遠(とお)からずして忽然(こつぜん)として現(げん)ぜず。欲界の諸の天子は還(かえ)りて欲天(よくてん)に至(いた)り、色界の諸の天子は還りて色天(しきてん)に至りき。

爾の時、須菩提、仏に白して言さく、「世尊、若し菩薩の能く深き般若波羅蜜を信解せば、是の人は何(いずく)において命終(みょうじゅう)して来(きた)りて此間(このかん)に生(しょう)ぜるや。」

仏、須菩提に告ぐ、「若し菩薩、是の深き般若波羅蜜を聞きて、即時(そくじ)に信解し疑(うたが)わず悔(く)いず難(なん)ぜず、見ることを楽(ねが)い聞くことを楽い常に行じ、是の念にして般若波羅蜜を説く者を離(はな)れずんば。須菩提、譬えば新産(しんさん)の犢子(とくし)の其の母(はは)を離れざるが如し。菩薩も亦た是の如し。深き般若波羅蜜を聞きて、説法の者を離れず、乃至般若波羅蜜を読誦し書写することを得(う)。須菩提、当に知るべし、是の菩薩は人中(にんちゅう)にて命終して還りて人中に生ず。」

「世尊、頗(すこぶ)る菩薩の是の如き功徳(くどく)の因縁(いんねん)を成就(じょうじゅ)して、他方世界(たほうせかい)において諸仏を供養し、彼(かしこ)において命終して来りて此間に生ずる有(あ)るや不や。」 「須菩提、菩薩の是の如き功徳を成就して、他方世界において諸仏を供養し、彼において命終して来りて此間に生ずる有(あ)り。」

「復次(またつぎに)、須菩提、菩薩の是の如き功徳を成就して、兜率天上(とそつてんじょう)において、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の般若波羅蜜を説くを聞き、其の中の事を問い、彼において命終して来りて此間に生ずる有り。」

「復次、須菩提、若し人、先世に是の深き般若波羅蜜を聞きて、其の義(ぎ)を問わずんば。是の人、若し人中に生ぜば、心(こころ)続(つづ)いて疑悔(ぎけ)して決(けっ)し難(がた)からん。須菩提、当に知るべし、是の人は前世(ぜんせ)において問わざりし所の致(いた)すなり。何を以ての故に。是の般若波羅蜜の中において、心疑悔して決し難きが故に。」

「復次、須菩提、若し人、先世に若しくは一日、若しくは二日、三日、四日、五日、是の深き般若波羅蜜を聞きて、其の中の事を問えども、而(しか)も説く所に随(したが)いて行ぜずんば。是の人、転身(てんしん)して続いて深き般若波羅蜜を聞くことを得て、其の中の事を問いて信心(しんじん)無碍(むげ)ならんも。若し法師(ほっし)を離れて復(ま)た問難(もんなん)せずんば、還りて因縁の牽(ひ)く所と為りて、深き般若波羅蜜を失(うしな)わん。何を以ての故に。須菩提、法、応(まさ)に爾(しか)るべければなり。若し人、能く是の深き般若波羅蜜を問難すと雖(いえど)も、説く所に随いて行ずること能わず。或時(あるとき)は深き般若波羅蜜を聞くを楽い、或時は楽わずんば。其の心、軽躁(きょうそう)にして少㲲毳(しょうじょうぜい)の如くならん。当に知るべし、是の菩薩は新たに大乗(だいじょう)を発(おこ)せるなり。是の菩薩は信心清浄なれども。若し般若波羅蜜の護(まも)る所と為らずんば、二地(にじ)の中において当に一処(いっしょ)に堕(だ)すべし、若しくは声聞の地、若しくは辟支仏の地に。」

[書き下し文]

摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)船喩品(せんゆほん)第十四

爾(その)時(とき)、仏(ほとけ)、須菩提(しゅぼだい)に告(つ)ぐ、「譬(たと)えば大海(たいかい)の中(なか)の船(ふね)、卒(にわか)に破(やぶ)れんに、其(そ)の中の人(ひと)、若(も)し木(き)、若しくは板(いた)、若しくは浮嚢(ふのう)、若しくは死屍(しし)を取(と)らずんば。当(まさ)に知(し)るべし、是(こ)の人は彼岸(ひがん)に到(いた)らずして水(みず)に没(もっ)して死(し)せん。須菩提、其の中の人、若し木・板・浮嚢・死屍を取らば、当に知るべし、是の人は水に没して死せず、安穏(あんのん)無悩(むのう)にして彼岸に至(いた)ることを得(え)ん。須菩提、菩薩(ぼさつ)も亦(ま)た是(かく)の如(ごと)し。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)において、信(しん)有(あ)り忍(にん)有り楽(ぎょう)有り浄心(じょうしん)有り深心(じんしん)有り欲(よく)有り解(げ)有り捨(しゃ)有り精進(しょうじん)有れども。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を取らずんば。当に知るべし、是の人は中道(ちゅうどう)にして退没(たいもつ)し、声聞(しょうもん)・辟支仏(びゃくしぶつ)の地(じ)に堕(だ)せん。須菩提、若し菩薩、阿耨多羅三藐三菩提において、信有り忍有り楽有り浄心有り深心有り欲有り解有り捨有り精進有りて。般若波羅蜜を取(と)りて、般若波羅蜜の守護(しゅご)する所(ところ)と為(な)るが故(ゆえ)に、中道に退(しりぞ)かず、声聞・辟支仏の地を過(す)ぎて、当に阿耨多羅三藐三菩提に住(じゅう)すべし。」

「須菩提、譬えば人有りて坏瓶(はいびょう)を持(じ)して河(かわ)・井(い)・池(いけ)・泉(いずみ)に詣(いた)りて水(みず)を取るが如し。当に知るべし、是の瓶(かめ)は爛壊(らんえ)して久(ひさ)しからずして地(ち)に還帰(げんき)せん。何(なに)を以(もっ)ての故に。瓶未(いま)だ熟(じゅく)せざるが故に。須菩提、菩薩も亦た是の如し。阿耨多羅三藐三菩提において、信有り忍有り楽有り浄心有り深心有り欲有り解有り捨有り精進有れども。般若波羅蜜の方便(ほうべん)の護(まも)る所と為らずんば。当に知るべし、是の人は未だ薩婆若(さつばにゃ)を得(え)ずして中道に退転(たいてん)せん。須菩提、云何(いかん)が菩薩の中道に退転すると為すや。所謂(いわゆる)、若しくは声聞の地に堕し、若しくは辟支仏の地に堕すなり。須菩提、譬えば人有りて熟瓶(じゅくびょう)を持して河・井・池・泉に詣りて水を取るが如し。当に知るべし、是の瓶は堅固(けんご)にして壊(やぶ)れず、水を持して帰(き)せん。何を以ての故に。是の瓶は熟せるが故に。須菩提、菩薩も亦た是の如し。阿耨多羅三藐三菩提において、信有り忍有り楽有り浄心有り深心有り欲有り解有り捨有り精進有りて。般若波羅蜜の方便の護る所と為るが故に。当に知るべし、是の菩薩は中道に退転せず、安穏にして薩婆若に到ることを得ん。」

「須菩提、譬えば大海の中の船、未だ荘治(しょうじ)を被(こうむ)らずして、推(お)して水辺(すいへん)に著(つ)け諸(もろもろ)の財物(ざいぶつ)を載(の)するが如し。当に知るべし、是の船は中道にして漏没(ろもつ)し財物を散失(さんしつ)せん。是の賈客(こかく)、方便無きを以ての故に、多(おお)く財物を失い自(みずか)ら憂悩(うのう)を致(いた)す。須菩提、菩薩も亦た是の如し。阿耨多羅三藐三菩提において、信有り乃至(ないし)進(しん)有るも。般若波羅蜜の方便の護る所と為らざるが故に、未だ薩婆若に到らずして、中道にして退き大宝(だいほう)を失い、而(しか)して自ら大珍宝(だいちんぽう)を失うを憂悩す。中道に没すとは、声聞・辟支仏の地に堕すなり。大珍宝を失うとは、薩婆若の宝(たから)を失うなり。須菩提、譬えば大海の辺(ほとり)の船、荘治堅牢(しょうじけんろう)にして、推して水中(すいちゅう)に著け諸の財物を載するが如し。当に知るべし、是の船は中道に没せず、至る所の処(ところ)に随(したが)いて必ず能(よ)く到ることを得ん。須菩提、菩薩も亦た是の如し。阿耨多羅三藐三菩提において、信有り乃至進有り。般若波羅蜜の方便の護る所と為るが故に、当に知るべし、是の菩薩は阿耨多羅三藐三菩提において中道に退転せず。何を以ての故に。須菩提、法、応(まさ)に爾(しか)るべければなり。若し菩薩、阿耨多羅三藐三菩提において信有り乃至進有りて、般若波羅蜜の方便の護る所と為るが故に、声聞・辟支仏の地に堕せず、但(た)だ是の諸の功徳(くどく)を以て阿耨多羅三藐三菩提に向(かう)なり。」

「須菩提、譬えば老人(ろうじん)の年(よわい)百二十にして、雑病(ぞうびょう)・風(ふう)・寒(かん)・冷(れい)・熱(ねつ)有るが如し。須菩提、意(こころ)において云何。是の人は能く床(ゆか)より起(た)つや不(いな)や。」 「不なり、世尊。」 「須菩提、是の人、或時(あるとき)は能く起つ。」 「世尊、仮令(たとい)能く起つとも、遠行(おんぎょう)すること若しくは十里、二十里なること能わず。何を以ての故に。是の人已(すで)に老病(ろうびょう)の侵(おか)す所と為り、復(ま)た能く起つと雖(いえど)も遠行すること能わざればなり。」 「須菩提、菩薩も亦た是の如し。阿耨多羅三藐三菩提心(しん)を発(おこ)し乃至精進有ると雖も、阿耨多羅三藐三菩提において信有り乃至進有るも。般若波羅蜜の方便の護る所と為らざるが故に、未だ薩婆若を得ずして、中道に退転し、声聞・辟支仏の地に堕す。須菩提、是の百二十歳の老人。若し風寒冷熱の病(やまい)有りて床より起たんと欲(ほっ)するに、二(ふたり)の健人(こんじん)有りて各各(おのおの)一(ひと)つの腋(わき)を扶(たす)け、之(これ)を安慰(あんい)して言(い)わく、『意(こころ)の至る所に随え、我等(われら)好(よ)く相扶持(あいふじ)せん、中道にして墜落(ついらく)する所(ところ)有らんことを懼(おそ)るる勿(なか)れ』と。須菩提、菩薩も亦た是の如し。阿耨多羅三藐三菩提において信有り乃至進有り。般若波羅蜜の方便の護る所と為るが故に、当に知るべし、是の菩薩は中道に退転せずして、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らん。」

『小品般若経(しょうぼんはんにゃきょう)』巻第五(まきのだいご)

摩訶般若波羅蜜経(まかはんにゃはらみつきょう)巻第一(かんだいいち):書き下し文

小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第二:書き下し文

小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第三:書き下し文

『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第四:書き下し文

『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第五:書き下し文

『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第六:書き下し文

『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第七(かんのだいしち):書き下し文

『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第八(かんのだいはち):書き下し文

小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第九:書き下し文

小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第十

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