小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第十
後秦(こうしん)の亀茲国(きじこく)の三蔵(さんぞう)、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
薩陀波崙品(さったはろんほん) 第二十七
仏(ほとけ)、須菩提(しゅぼだい)に告(つ)ぐ、「若(も)し菩薩(ぼさつ)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を求(もと)めんと欲(ほっ)せば、当(まさ)に薩陀波崙(さったはろん)菩薩の今(いま)、雷音威王仏(らいおんいおうぶつ)の所(みもと)に在(あ)りて菩薩の道(どう)を行(ぎょう)ずるが如(ごと)くすべし」と。
須菩提、仏に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、薩陀波崙菩薩は云何(いかん)が般若波羅蜜を求めたる」と。
仏、須菩提に告ぐ、「薩陀波崙菩薩、本(もと)、般若波羅蜜を求むる時(とき)、世事(せじ)に依(よ)らず、身命(しんみょう)を惜(お)しまず、利養(りよう)を貪(むさぼ)らず。空林(くうりん)の中(なか)に於(お)いて空中の声(こえ)の言(いわ)く、『善男子(ぜんなんし)、汝(なんじ)是(ここ)より東行(とうぎょう)せば当(まさ)に般若波羅蜜を聞(き)くことを得(う)べし。行(ゆ)く時、疲倦(ひけん)を念(ねん)ずる莫(ことなか)れ、睡眠(すいみん)を念ずる莫れ、飲食(おんじき)を念ずる莫れ、昼夜(ちゅうや)を念ずる莫れ、寒熱(かんねつ)を念ずる莫れ。是(かく)の如(ごと)きの諸事(しょじ)、念ずる莫れ、観(かん)ずる莫れ、亦(また)思惟(しゆい)する莫れ。諂曲(てんごく)の心(こころ)を離(はな)れ、自(みずか)ら身(み)を高くして他人(たにん)を卑下(ひげ)する莫れ。当に一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)の相(そう)を離るべし。当に一切の利養名誉(りようみょうよ)を離るべし。当に五蓋(ごがい)を離るべし。当に慳嫉(けんしつ)を離るべし。亦た内法(ないほう)外法(げほう)を分別(ふんべつ)する莫れ。行く時、左右(さゆう)を顧視(こし)すること得(う)る莫れ。前(まえ)を念ずる莫れ、後(うしろ)を念ずる莫れ、上(うえ)を念ずる莫れ、下(した)を念ずる莫れ、四維(しゆい)を念ずる莫れ。色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)を動(どう)ずる莫れ。何を以(もっ)ての故(ゆえ)に。若し色受想行識を動ぜば、則(すなわ)ち仏法(ぶっぽう)を行ぜずして、生死(しょうじ)に行ず。是の如きの人(ひと)は、般若波羅蜜を得る能(あた)わず』と聞(き)けり。
薩陀波崙、空中の声に報(むく)いて言さく、「当に教(おしえ)の如く行ずべし。何を以ての故に。我(われ)、一切の衆生の為(ため)に光明(こうみょう)と作(な)るが故に、諸の仏法を集(あつ)めん」と。
空中の声言わく、「善哉善哉(ぜんざいぜんざい)。善男子、汝、応(まさ)に空(くう)・無相(むそう)・無作(むさ)の法を信解(しんげ)すべし。応に諸相(しょそう)を離れ、有見(うけん)を離れ、衆生見(しゅじょうけん)・人見(にんけん)・我見(がけん)を離れて、般若波羅蜜を求むべし。善男子、応に悪知識(あくちしき)を離れて善知識(ぜんちしき)に親近(しんごん)すべし。善知識とは、能(よ)く空・無相・無作・無生(むしょう)・無滅(むめつ)の法を説(と)く。善男子、汝、能く是の如くせば、久(ひさ)しからずして般若波羅蜜を聞くことを得ん。若しくは経巻(きょうかん)より聞き、若しくは法師(ほうし)より聞かん。善男子、汝が従(よ)りて般若波羅蜜を聞く所ならば、当に是の人に於いて大師想(だいしそう)を生(しょう)ずべし。当に報恩(ほうおん)を知るべし。応に是の念を作(な)すべし。我が従りて般若波羅蜜を聞く所は、則ち是れ我が善知識なり。我、般若波羅蜜を聞くことを得ば、当に阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)より退(しりぞ)かず、諸仏を離れず、無仏世界(むぶつせかい)に生ぜず、諸難(しょなん)を離るることを得べしと。是の如きの功徳の利(り)を思惟するが故に、法師の所(みもと)に於いて大師想を生ず。善男子、世俗(せぞく)の財利(ざいり)の心を以ての故に法師に随逐(ずいちく)する莫れ。当に法を愛重(あいじゅう)し恭敬(くぎょう)するを以ての故に法師に随逐すべし。
又(ま)た善男子、応に魔事(まじ)を覚(さと)るべし。悪魔(あくま)、或時(あるとき)は説法者(せっぽうしゃ)の為に諸の因縁(いんねん)を作(な)し、好妙(こうみょう)なる色声香味触(しきしょうこうみそく)を受(う)けしむ。説法者、方便(ほうべん)の力を以ての故に是の五欲(ごよく)を受く。汝、此(こ)の中(なか)に於いて不浄(ふじょう)の心を生ずる莫れ。応に念を作して言(い)うべし、我れ方便の力を知らず。法師、或(あるい)は衆生を利益(りやく)し善根(ぜんこん)を種(う)えしめんが為の故に、是の法を受用(じゅよう)す、諸(もろもろ)の菩薩は障礙(しょうげ)する所無しと。
善男子、汝、爾時(そのとき)に於いて応に諸法(しょほう)の実相(じっそう)を観(かん)ずべし。何等(なんら)か是れ諸法の実相なる。仏は一切法は無垢(むく)なりと説く。何を以ての故に。一切法は性空(しょうくう)なり。一切法は無我(むが)なり無衆生(むしゅじょう)なり。一切法は幻(げん)の如く夢(ゆめ)の如く響(ひびき)の如く影(かげ)の如く炎(えん)の如し。善男子、汝、若し是の如く諸法の実相を観じて法師に随逐せば、久しからずして当に善く般若波羅蜜を知るべし。
又た善男子、復(ま)た応に魔事を覚知(かくち)すべし。若し法師、般若波羅蜜を求むる者に於いて、心に嫌恨(けんこん)有(あ)りて顧録(ころく)せずとも、汝、此の中に於いて応に憂悩(うのう)すべからず。但(た)だ法を愛重し恭敬する心を以て、法師に随逐して厭離(おんり)を生ずること勿(なか)れ」と。
[書き下し文]
(仏(ほとけ)、須菩提(しゅぼだい)に告(つ)ぐ)「須菩提、薩陀波崙(さったはろん)菩薩(ぼさつ)は虚空(こくう)中(ちゅう)の是(かく)の如(ごと)きの教(おしえ)を受(う)け已(おわ)りて、即(すなわ)ち便(すなわ)ち東行(とうぎょう)す。東行して久(ひさ)しからずして復(ま)た是(こ)の念(ねん)を作(な)さく、(『我(われ)、向者(さき)、云何(いかん)ぞ空中の声(こえ)に東行の遠近(おんごん)を問(と)わざりし。当(まさ)に誰(たれ)よりか般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を聞(き)くべき』と。)即ち住(じゅう)して行(ゆ)かず、憂愁啼哭(ゆうしゅうていこく)す。是の念を作して言(いわ)く、『我、此(ここ)に住すること、若(も)しくは一日、二日、乃至(ないし)七日、疲極(ひごく)を念ぜず、睡眠(すいみん)を念ぜず、飲食(おんじき)を念ぜず、昼夜(ちゅうや)を念ぜず、寒熱(かんねつ)を念ぜず。要(かなら)ず当に我、誰よりか般若波羅蜜を聞くべきかを知(し)るべし』と。
須菩提、譬(たと)えば人(ひと)の唯(た)だ一子(いっし)のみ有(あ)りて、之(これ)を愛(あい)すること甚(はなは)だ重(おも)く、一旦(いったん)命終(みょうじゅう)して甚だ大(おお)いに憂悩(うのう)し、唯だ憂悩を懐(いだ)いて余念(よねん)有ること無(な)きが如し。須菩提、薩陀波崙も亦(また)た是の如し。余念有ること無く、但(た)だ我、当に何(いづ)れの時(とき)にか般若波羅蜜を聞くことを得(う)べきとのみ念ず。
須菩提、薩陀波崙菩薩、是の如く憂愁啼哭する時、仏像(ぶつぞう)、前(まえ)に在(あ)りて立(た)ち、讃(さん)じて言わく、『善哉善哉(ぜんざいぜんざい)。善男子(ぜんなんし)、過去(かこ)の諸仏(しょぶつ)、本(もと)、菩薩の道(どう)を行(ぎょう)じし時、般若波羅蜜を求(もと)むるも、亦た汝(なんじ)が今(いま)の如し。是(こ)の故(ゆえ)に善男子、汝、是の勤行精進(ごんぎょうしょうじん)し法(ほう)を愛楽(あいぎょう)するを以(もっ)ての故に、是(ここ)より東行せよ。此(これ)を去(さ)ること五百由旬(ゆじゅん)に城(しろ)有(あ)り、衆香(しゅこう)と名(なづ)く。七宝(しっぽう)の合成(ごうじょう)なり。其(そ)の城は七重(ななえ)、縦広(じゅうこう)十二由旬なり。皆(みな)な七宝の多羅(たら)の樹(き)を以て、周遍囲繞(しゅうへんいにょう)す。豊楽安静(ぶらくあんじょう)にして人民(にんみん)熾盛(しじょう)なり。街巷(がいこう)相当(そうとう)し、端厳(たんごん)なること画(え)の如し。橋津(きょうしん)は地(ち)の如く寛博清浄(かんぱくしょうじょう)なり。七重の城の上(うえ)には皆な閻浮檀金(えんぶだごん)を以て楼閣(ろうかく)と為(な)す。一一の楼閣には七宝の行樹(ぎょうじゅ)と種種(しゅじゅ)の宝果(ほうか)あり。其の諸(もろもろ)の楼閣は次第(しだい)に皆な宝縄(ほうじょう)を以て連綿(れんめん)とし、宝鈴(ほうれい)羅網(らもう)を以て城上(じょうじょう)を覆(おお)う。風(かぜ)、鈴(すず)を吹(ふ)くに其の音(おと)の和雅(わが)なること、五楽(ごがく)を作(な)すが如く、甚だ愛楽すべし。是の音声を以て衆生(しゅじょう)を娯楽(ごらく)す。其の城の四辺(しへん)に流池(るち)あり、清浄にして冷暖調適(れいだんちょうちゃく)なり。中(なか)に諸船(しょせん)あり、七宝にて厳飾(ごんじき)す。是れ諸の衆生の宿業(しゅくごう)の致(いた)す所(ところ)なり。諸の池水(ちすい)の中(なか)にて種種の蓮華(れんげ)に娯楽遊戯(ごらくゆうげ)す。青黄赤白(しょうおうしゃくびゃく)、衆雑(しゅぞう)の好華(こうけ)なり。香色(こうしき)具足(ぐそく)して其の上に遍満(へんまん)す。三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に有る所の好華、悉(ことごと)く皆な具有(ぐゆう)す。
其の城の四辺に五百の園観(おんかん)有(あ)り。七宝の荘厳(しょうごん)にして甚だ愛楽すべし。一一の園中(おんちゅう)に五百の池水あり。池水は各各(おのおの)縦広十里なり。皆な七宝雑色(ぞうしき)を以て荘厳す。諸の池水中には皆な青黄赤白の蓮花あり。大(おお)いさ車輪(しゃりん)の如くにして水上(すいじょう)に弥覆(みふく)す。青色には青光(しょうこう)、黄色には黄光(おうこう)、赤色には赤光(しゃっこう)、白色には白光(びゃっこう)あり。諸の池水中には皆な鳧(ふ)・鴈(がん)・鴛鴦(えんおう)・異類(いるい)の衆鳥(しゅちょう)有(あ)り。是の諸の園観池沼(おんかんちしょう)は適(たまたま)属(ぞく)する所無(な)し。皆な是れ衆生の宿業の果報(かほう)にして、長夜(じょうや)に深法(じんぽう)を信楽して般若波羅蜜を行じたる福徳(ふくとく)の致す所なり。
善男子、衆香城中(しゅこうじょうちゅう)に大高台(だいこうだい)有(あ)り。曇無竭(どんむかつ)菩薩の宮舎(くしゃ)、其の上(かみ)に在(あ)り。其の宮(みや)は縦広各々五十里。皆な七宝を以て校成(きょうじょう)し雑色に荘厳す。其の墻(かき)は七重、皆な亦た七宝なり。七宝の行樹、周匝囲繞(しゅうそういにょう)す。其の宮舎中に四の囲観(いかん)あり、常(つね)に娯楽する所なり。一(いち)を常喜(じょうき)と名(なづ)け、二(に)を無憂(むう)と名づけ、三(さん)を華飾(けしき)と名づけ、四(し)を香飾(こうしき)と名づく。一一の園中に八池水あり。一を賢(けん)と為し、二を賢上(けんじょう)と名づけ、三を歓喜と名づけ、四を喜上(きじょう)と名づけ、五を安穏(あんのん)と名づけ、六を多安穏(たあんのん)と名づけ、七を必定(ひつじょう)と名づけ、八を阿毘跋致(あびばっち)と名づく。諸の池水の辺面(へんめん)は各々一宝(いちぼう)なり。黄金・白銀・琉璃(るり)・頗梨(はり)・玫瑰(まいかい)を底(そこ)と為し、金沙(こんしゃ)を上(うえ)に布(し)く。一一の池側(ちそく)に八の梯階(ていかい)あり。種種の宝物を以て梯橙(ていとう)と為し、諸の階陛(かいへい)の間(あいだ)には閻浮檀金の芭蕉(ばしょう)の樹あり。諸の池水中には、皆な青黄赤白の蓮花ありて、遍(あまね)く其の上(うえ)を覆う。鳧・鴈・鴛鴦・孔雀(くじゃく)の衆鳥、鳴声(みょうじょう)相和(あいわ)して甚だ愛楽すべし。諸の池水辺には皆な花樹(けじゅ)香樹(こうじゅ)を生(しょう)ず。風、香華(こうけ)を吹きて池水中に堕(お)つ。其の池は八功徳水(はっくどくすい)を成就(じょうじゅ)し、香(かおり)は栴檀(せんだん)の若(ごと)く、色味具足(しきみぐそく)す。曇無竭菩薩は六万八千の婇女(さいにょ)と、五欲具足して共(とも)に相(あい)娯楽す。及(およ)び城中の男女(なんにょ)、倶(とも)に常喜等の園、賢等の池中に入(い)りて、共に相娯楽す。
善男子、曇無竭菩薩、諸の婇女と遊戯娯楽(ゆうげごらく)し已りて、日日(にちにち)三時(さんじ)に般若波羅蜜を説(と)く。衆香城中の男女大小、曇無竭菩薩の為に其の城内(じょうない)の多聚人(たしゅにん)の処(ところ)に於(お)いて、大法座(だいほうざ)を敷(し)く。其の座(ざ)は四足(しそく)なり。或(あるい)は黄金を以てし、或は白銀を以てし、或は琉璃を以てし、或は頗梨を以てす。敷くに綩綖(えんえん)雑色の茵蓐(いんにょく)を以てし、迦尸(かし)の白㲲(びゃくじょう)を以て其の上を覆う。座の高(たか)さ五里、諸の幃帳(いちょう)を施(ほどこ)す。其の地(ち)の四辺に五色の華を散(さん)じ衆(しゅ)の名香(みょうこう)を焼(や)くは、法を供養(くよう)するが故なり。曇無竭菩薩、此の座の上(うえ)に於いて般若波羅蜜を説く。
善男子、彼(か)の諸の人衆(にんじゅ)、是の如く供養恭敬(くぎょう)して曇無竭菩薩の、般若波羅蜜を聞かんが為の故なり。是の大会(だいえ)に百千万衆の諸天(しょてん)世人(せにん)、一処(いっしょ)に集会(しゅうえ)す。中に聴(き)く者あり、中に受(う)くる者あり、中に持(たも)つ者あり、中に誦(じゅ)する者あり、中に書(しょ)する者あり、中に正観(しょうかん)する者あり、中に説の如く行ずる者あり。是の諸の衆生は已に悪道(あくどう)を度(ど)し、皆な阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に退転(たいてん)せず。善男子、汝是(ここ)より去(ゆ)きて、当に曇無竭菩薩の所(みもと)に於いて般若波羅蜜を聞くべし。曇無竭菩薩は世世(せせ)是れ汝の善知識(ぜんちしき)にして、汝に阿耨多羅三藐三菩提を示教利喜(じきょうりき)す。善男子、曇無竭菩薩の本(もと)菩薩の道を行じし時、般若波羅蜜を求むるも、亦た汝が今の如し。今汝東行するに昼夜を計(はか)る莫(ことなか)れ、久しからずして当に般若波羅蜜を聞くことを得(う)べし』と。」
[書き下し文]
薩陀波崙(さったはろん)菩薩(ぼさつ)、心(こころ)に大(おお)いに歓喜(かんき)す。譬(たと)えば人(ひと)の毒箭(どくせん)の中(あ)つる所(ところ)と為(な)りて、更(さら)に余念(よねん)無(な)く、唯(た)だ何(いづ)れの時(とき)に当(まさ)に良医(りょうい)を得(え)て毒箭を抜(ぬ)き出(いだ)し、我(が)が此(こ)の苦(く)を除(のぞ)くべきかと念(ねん)ずるが如(ごと)し。是(かく)の如く薩陀波崙菩薩、余念有ること無く、但(た)だ何れの時に曇無竭(どんむかつ)菩薩の見(まみ)ゆることを得て我(われ)が為(ため)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を説(と)くかと念ず。我(われ)般若波羅蜜を聞(き)きて諸(もろもろ)の有見(うけん)を断(だん)ぜんと。
爾(その)時(とき)、薩陀波崙即(すなわ)ち住処(じゅうしょ)の一切法(いっさいほう)の中(なか)に於(お)いて、無決定(むけつじょう)の想(そう)を生(しょう)じ、諸(もろもろ)の三昧門(さんまいもん)に入(い)る。所謂(いわゆる)、諸法性観三昧(しょほうしょうかんさんまい)。諸法不可得三昧(しょほうふかとくさんまい)。破諸法無明三昧(はしょほうむみょうさんまい)。諸法不異三昧(しょほうふいさんまい)。諸法不壊三昧(しょほうふえさんまい)。諸法照明三昧(しょほうしょうみょうさんまい)。諸法離闇三昧(しょほうりあんさんまい)。諸法不相続三昧(しょほうふそうぞくさんまい)。諸法性不可得三昧(しょほうしょうふかとくさんまい)。散華三昧(さんげさんまい)。不受諸身三昧(ふじゅしょしんさんまい)。離幻三昧(りげんさんまい)。如鏡像三昧(にょきょうぞうさんまい)。一切衆生語言三昧(いっさいしゅじょうごごんさんまい)。一切衆生歓喜三昧(いっさいしゅじょうかんきさんまい)。随一切善三昧(ずいいっさいぜんさんまい)。種種語言字句荘厳三昧(しゅじゅごごんじくしょうごんさんまい)。無畏三昧(むいさんまい)。性常黙然三昧(しょうじょうもくねんさんまい)。無碍解脱三昧(むげげだつさんまい)。離塵垢三昧(りじんくさんまい)。名字語言荘厳三昧(みょうじごごんしょうごんさんまい)。一切見三昧(いっさいけんさんまい)。一切無碍際三昧(いっさいむげさいさんまい)。如虚空三昧(にょこくうさんまい)。如金剛三昧(にょこんごうさんまい)。無負三昧(むふさんまい)。得勝三昧(とくしょうさんまい)。転眼三昧(てんがんさんまい)。畢法性三昧(ひつほうしょうさんまい)。得安穏三昧(とくあんのんさんまい)。師子吼三昧(ししくさんまい)。勝一切衆生三昧(しょういっさいしゅじょうさんまい)。離垢三昧(りくさんまい)。無垢浄三昧(むくじょうさんまい)。華荘厳三昧(けしょうごんさんまい)。随堅実三昧(ずいけんじつさんまい)。出諸法得力無畏三昧(しゅつしょほうとくりきむいさんまい)。通達諸法三昧(つうだつしょほうさんまい)。壊一切法印三昧(えいっさいほういんさんまい)。無差別見三昧(むさべつけんさんまい)。離一切見三昧(りいっさいけんさんまい)。離一切闇三昧(りいっさいあんさんまい)。離一切相三昧(りいっさいそうさんまい)。離一切著三昧(りいっさいじゃくさんまい)。離一切懈怠三昧(りいっさいけたいさんまい)。深法照明三昧(じんぽうしょうみょうさんまい)。善高三昧(ぜんこうさんまい)。不可奪三昧(ふかだつさんまい)。破魔三昧(はまさんまい)。生光明三昧(しょうこうみょうさんまい)。見諸仏三昧(けんしょぶつさんまい)なり。
薩陀波崙菩薩、是(これ)の諸の三昧中(さんまいちゅう)に住(じゅう)し、即ち十方(じっぽう)の諸仏(しょぶつ)の諸菩薩の為に般若波羅蜜を説くを見(み)る。諸仏、各々(おのおの)安慰(あんい)し讃(さん)じて言(のたま)わく、「善哉善哉(ぜんざいぜんざい)。善男子(ぜんなんし)、我等(われら)本(もと)、菩薩の道(どう)を行(ぎょう)じし時(とき)、般若波羅蜜を求(もと)むるも、亦(また)た汝(なんじ)が今(いま)の如(ごと)し。是の諸の三昧を得(う)るも、亦た汝が今の如し。是の諸の三昧を得已(おわ)りて、般若波羅蜜を了達(りょうだつ)し、阿毘跋致地(あびばっちじ)に住す。我等、是の諸の三昧を得るが故(ゆえ)に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たり。善男子、是(れ)を般若波羅蜜と為(な)す。所謂(いわゆる)、諸法(しょほう)に於(お)いて念(ねん)ずる所(ところ)無(な)きなり。我等、無念(むねん)の法中(ほうちゅう)に住して、是の如き金色(こんじき)の身(み)、三十二相(さんじゅうにそう)、大光明(だいこうみょう)、不可思議智慧(ふかしぎちえ)、諸仏の無上三昧(むじょうさんまい)、無上智慧を得て、諸(もろもろ)の功徳(くどく)の辺(ほとり)を尽(つく)せり。是の如きの功徳、諸仏之(これ)を説くも猶(なお)お尽くすこと能(あた)わず。況(いわん)や声聞(しょうもん)・辟支仏(びゃくしぶつ)をや。
是(こ)の故(ゆえ)に善男子、汝、是の法に於いて倍(ますます)応(まさ)に恭敬(くぎょう)し愛重(あいじゅう)し清浄心(しょうじょうしん)を生(しょう)ずべし。阿耨多羅三藐三菩提を得ること、難(かた)しと為すに足(た)らず。汝、善知識(ぜんちしき)に於いて、応に深(ふか)く恭敬し愛重し信楽(しんぎょう)すべし。善男子、若(も)し菩薩、善知識の護念(ごねん)する所と為らば、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得べし」と。
薩陀波崙菩薩、諸仏に白(もう)して言(もう)さく、「何等(なんら)か是れ我(が)が善知識なる」と。
諸仏答(こた)えて言わく、「善男子、曇無竭菩薩、世世(せせ)に教誨(きょうかい)して、汝を阿耨多羅三藐三菩提に成就(じょうじゅ)せしめ、汝をして般若波羅蜜の方便(ほうべん)の力(ちから)を学(がく)することを得(え)しむ。曇無竭菩薩は是れ汝の善知識なり。汝、応に報恩(ほうおん)すべし。善男子、汝、若し一劫(いっこう)、若しくは二劫三劫、乃至(ないし)百劫、若しくは百劫を過(す)ぐとも、頂戴(ちょうだい)し恭敬して一切(いっさい)の楽具(らくぐ)を以(もっ)て之(これ)を供養(くよう)し、若し三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)の妙好(みょうこう)なる色声香味触(しきしょうこうみそく)を以て、尽(ことごと)く以て供養するも、亦(また)た未(いま)だ須臾(しゅゆ)の恩(おん)を報(ほう)ずるに能わず。何(なに)を以ての故に。曇無竭菩薩の因縁力(いんねんりき)の故を以て、汝をして是(かく)の如きの諸深(しょじん)の三昧、及(およ)び般若波羅蜜の方便を聞(き)くことを得しむればなり」と。
(仏(ほとけ)、須菩提(しゅぼだい)に告(つ)ぐ)「諸仏、是(かく)の如(ごと)く、薩陀波崙菩薩を教授(きょうじゅ)し安慰(あんい)し已りて、忽然(こつねん)として現(げん)ぜず。薩陀波崙菩薩、三昧より起(た)ちて諸仏を見(み)ず。是の念(ねん)を作(な)さく、(『是の諸仏、向者(さき)に何(いづ)れより来(きた)りて、今何れの所(ところ)に至(いた)れるや』と。)仏を見ざるが故に即(すなわ)ち大(おお)いに憂愁(ゆうしゅう)す。是の念を作さく、(『曇無竭菩薩は已(すで)に陀羅尼(だらに)諸神通力(しょじんずうりき)を得(え)、已に曾(かつ)て過去(かこ)の諸仏を供養し、世世に我が善知識と為りて、常(つね)に我を利益(りやく)す。我、曇無竭菩薩の所に至りて、当(まさ)に諸仏の何れの所より来りて何れの所へ去(さ)り至れるかを問(と)うべし』と。)
爾時、薩陀波崙菩薩、曇無竭菩薩に於いて、益々(ますます)愛重し恭敬し信楽を加え、是の如きの念を作さく、(『我今(いま)、貧窮(びんぐう)なり。華香(けこう)、瓔珞(ようらく)、焼香(しょうこう)、塗香(ずこう)、衣服(えぶく)、幡蓋(ばんがい)、金銀(こんごん)、真珠(しんじゅ)、頗梨(はり)、珊瑚(さんご)有(あ)ること無(な)く、是の如きの以て曇無竭菩薩を供養すべき諸物(しょぶつ)有ること無し。我、今、空(むな)しく曇無竭菩薩の所に往(ゆ)くべからず。我、若し空しく往かば心則ち安(やす)からず。当に自(みずか)ら身(み)を売(う)りて以て財物を求め、般若波羅蜜の為の故に、曇無竭菩薩を供養すべし。何を以ての故に。我、世世已来(いらい)、身を喪(うしな)うこと無数(むしゅ)なり。無始(むし)の生死(しょうじ)の中(なか)に於いて、欲(よく)の因縁の為の故に、地獄(じごく)に在(あ)りて無量の苦を受(う)けたれども、未だ曾て是の清浄(しょうじょう)の法(ほう)の為にせざりき』と。)
是の時、薩陀波崙菩薩、中道(ちゅうどう)にして一の大城(だいじょう)に入りて市肆(しし)の上(ほとり)に至り、高声(こうしょう)に唱(とな)えて言(いわ)く、『誰(たれ)か人を須(もち)いんと欲(ほっ)する、誰か人を須いんと欲する』と。」
[書き下し文]
爾(その)時(とき)、悪魔(あくま)是(こ)の念(ねん)を作(な)さく、(『薩陀波崙(さったはろん)菩薩(ぼさつ)は法(ほう)を愛(あい)するが為(ため)の故(ゆえ)に自(みずか)ら身(み)を売(う)りて以(もっ)て曇無竭(どんむかつ)菩薩を供養(くよう)せんと欲(ほっ)す。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の方便(ほうべん)を聞(き)かんが為なり。云何(いかん)ぞ菩薩、般若波羅蜜を行(ぎょう)じて、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)、亦(また)た多聞(たもん)なること大海(だいかい)の水(みず)の如(ごと)くにして、諸(もろもろ)の魔(ま)の為に壊(やぶ)るる所(ところ)と為(な)らずして、能(よ)く一切(いっさい)の諸の功徳(くどく)の辺(ほとり)を尽(つく)し、此(ここ)に於(お)いて無量(むりょう)の衆生(しゅじょう)を利益(りやく)せんや。是(こ)の諸の衆生、我(が)が境界(きょうがい)を出(い)でて、阿耨多羅三藐三菩提を得ん。我今(いま)当(まさ)に往(ゆ)きて其(そ)の道意(どうい)を壊(やぶ)るべし』と。)即時(そくじ)に悪魔、諸人(しょにん)を隠蔽(おんぺい)して、乃至(ないし)一人(いちにん)も唱声(しょうしょう)を聞くことを得(え)せしめず。唯(た)だ一(いち)の長者(ちょうじゃ)の女(むすめ)のみ魔も蔽(おお)うこと能(あた)わず。
薩陀波崙菩薩、身を売るに售(う)れず。一処(いっしょ)に在(あ)りて立(た)ちて流涙(るるい)して言(いわ)く、『我大罪(だいざい)の為の故に。自ら身を売りて曇無竭菩薩を供養し般若波羅蜜を聞かんと欲するに、而(しか)も買(か)う者無(な)し』と。
爾時、釈提桓因(しゃくだいかんいん)是の念を作さく、(『我今当に是の善男子(ぜんなんし)の、実(げに)深心(じんしん)を以て法を愛するが為の故に是の身を捨(す)つるや不(いな)やを試(こころ)むべし』と。)即ち化(け)して婆羅門(ばらもん)と作(な)る。薩陀波崙菩薩の辺(ほとり)に在りて行(あゆ)み、問(と)うて言(いわ)く、『善男子、汝(なんじ)今何(なに)の故に憂愁(ゆうしゅう)啼哭(ていこく)する』と。
薩陀波崙言(もう)さく、『我、貧窮(びんぐう)にして財宝(ざいほう)有ること無きを以て、自ら身を売りて曇無竭菩薩を供養し般若波羅蜜を聞かんと欲するに、而も買う者無し』と。
婆羅門言わく、『善男子、我、人を須(もち)いず。今、大祠(だいし)せんと欲して当に人の心(こころ)、人の血(ち)、人の髄(ずい)を須うべし。能く我に与(あた)うるや不や』と。
薩陀波崙、自(みずか)ら念(ねん)ず、(『我、大(おお)いなる利(り)を得(え)たり。定(さだ)めて当に般若波羅蜜の方便を聞くことを得(う)べし。婆羅門の、心血髄を買わんと欲するを以ての故なり』と。)即ち大(おお)いに歓喜(かんき)して婆羅門に語(かた)らく、『汝が須う所の者、尽(ことごと)く当に相与(あいあた)うべし』と。
婆羅門言わく、『汝、何(いか)なる価(あたい)をか須う』と。
答えて言わく、『汝が与うる所に随(したが)わん』と。
薩陀波崙菩薩、即ち利刀(りとう)を執(と)りて右の臂(ひじ)を刺(さ)して血を出(いだ)す。復(ま)た右の髀(もも)を割(さ)きて骨(ほね)を破(やぶ)り髄を出さんと欲(ほっ)す。
時に一の長者の女、閣上(かくじょう)に在りて、遥(はる)かに薩陀波崙菩薩の臂を刺して血を出し、其の右の髀を割きて復た骨を破りて髄を出さんと欲するを見て、是の念を作さく、(『此の善男子、何の因縁(いんねん)の故に其の身を困苦(こんく)するや。我当に往(ゆ)きて問うべし』と。)時に長者の女、即便(すなわ)ち閣(かく)を下(くだ)りて薩陀波崙菩薩の所(みもと)に到(いた)り、問うて言わく、『善男子、何の因縁の故に其の身を困苦する。是の血髄を用(もっ)て何(なに)をか為(な)す』と。
薩陀波崙言さく、『売りて婆羅門に与え、般若波羅蜜及び曇無竭菩薩を供養せん』と。
長者の女言わく、『善男子、汝、血髄を売りて是の人を供養して何等(なんら)の利(り)を得(う)る』と。
薩陀波崙言さく、『是の人、当に我(が)が為に般若波羅蜜の方便の力を説(と)くべし。我中(うち)に随いて学(がく)して、当に阿耨多羅三藐三菩提、金色(こんじき)の身、三十二相(さんじゅうにそう)、常光(じょうこう)、無量光(むりょうこう)、大慈(だいじ)、大悲(だいひ)、大喜(だいき)、大捨(だいしゃ)、十力(じゅうりき)、四無所畏(しむしょい)、四無碍智(しむげち)、十八不共法(じゅうはちふぐほう)、六神通(ろくじんずう)、不可思議(ふかしぎ)、清浄戒品(しょうじょうかいほん)、定品(じょうほん)、智慧品(ちえほん)、解脱品(げだつほん)、解脱知見品(げだつちけんほん)を得、仏の無上智慧(むじょうちえ)、無上法宝(むじょうほうほう)を得て、分(わか)ちて布施(ふせ)し一切の衆生に与(あた)うべし』と。
時に長者の女、薩陀波崙に語らく、『汝が説く所の者、甚(はなは)だ希有(けう)微妙(みみょう)第一と為(な)す。一々の法の為には、乃(すなわ)ち応(まさ)に恒河沙(ごうがしゃ)の身を捨つべし。善男子、汝が今須う所の金銀(こんごん)・真珠(しんじゅ)・琉璃(るり)・頗梨(はり)・琥珀(こはく)・珊瑚(さんご)・諸(もろもろ)の好珍宝(こうちんぽう)、及び華香(けこう)・瓔珞(ようらく)・幡蓋(ばんがい)・衣服(えぶく)は、尽く当に相与えて曇無竭菩薩を供養すべし。自ら困苦すること莫(ことなか)れ。我今亦た汝に随いて曇無竭菩薩の所に至り諸の善根(ぜんこん)を種(う)えんと欲す。是の如き清浄の法を得んが為の故なり』と。
爾時、釈提桓因、即ち其の身を復(ふく)し、薩陀波崙菩薩の前(まえ)に在りて立(た)ち、是の言(ことば)を作さく、『善哉善哉。善男子、汝が心の堅固(けんご)にして法を愛すること是の如し。過去(かこ)の諸仏の菩薩の道を行じし時も、亦た汝が今の如し。般若波羅蜜の方便を聞くことを求めて、阿耨多羅三藐三菩提を得たり。善男子、我実(げに)は人の心血髄を須いず。故(ことさら)に来(きた)りて相試(こころ)む。汝が願(ねがい)は何等ぞ、当に以て相与うべし』と。
薩陀波崙言さく、『我に阿耨多羅三藐三菩提を与えよ』と。
釈提桓因言わく、『我に此れ無し。諸仏世尊(せそん)こそ乃ち之(これ)を弁(べん)ずるに能(た)え。更に余願(よがん)を求めば、当に以て相与うべし』と。
薩陀波崙言さく、『汝此の中に於いて若し力無くんば、還(かえ)って我が身をして平復(へいふく)して故(もと)の如くならしめよ』と。
薩陀波崙の身、即ち平復して瘡𤻧(そうはん)有ること無し。是(ここ)に於いて釈提桓因、忽然(こつねん)として現(げん)ぜず。
時に長者の女、薩陀波崙菩薩に語って言わく、『我が舎(いえ)に至るべし。当に父母(ふぼ)に白(もう)して財宝を求索(ぐさく)すべし。法を聞かんが為の故に、曇無竭菩薩を供養せん』と。
薩陀波崙菩薩、長者の女と倶(とも)に其の舎に到る。長者の女、入りて父母に白して言わく、『我に華香・瓔珞・種種の衣服及び諸の宝物を与えよ。願わくは我が身并(なら)びに先(さき)に給(きゅう)せし所の五百の侍女(じにょ)の、薩陀波崙菩薩と共に往きて曇無竭菩薩を供養するを聴(ゆる)せ。曇無竭菩薩、当に我が為に説法すべし。是の法を以ての故に、我等当に諸仏の法を得べし』と。
父母、女に語らく、『薩陀波崙菩薩、今何(いづ)れの処にか在(あ)る』と。
[書き下し文]
女(むすめ)、言(もう)さく、『今(いま)、門外(もんげ)に在(いま)す。是(こ)の人(ひと)、発心(ほっしん)して阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を求(もと)む。一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)の生死(しょうじ)の苦悩(くのう)を度(ど)せんと欲(ほっ)す。法(ほう)を愛(あい)するが為(ため)の故(ゆえ)に自(みずか)ら身(み)を売(う)らんと欲するに、而(しか)も買(か)う者(もの)無(な)し。憂愁(ゆうしゅう)啼哭(ていこく)して一処(いっしょ)に立(た)ちて在(あ)り。是(こ)の言(ことば)を作(な)さく、我(われ)、身を売らんと欲するに、而も買う者無しと。時(とき)に一(いち)の婆羅門(ばらもん)、是の言を作さく、汝(なんじ)今何の故に、自ら身を売らんと欲するや、と。答(こた)えて言(いわ)く、我、法を愛するが故なり。曇無竭(どんむかつ)菩薩(ぼさつ)を供養(くよう)せんと欲す。我、当(まさ)に彼(かれ)に従(よ)りて諸仏(しょぶつ)の法を得(う)べし、と。婆羅門言わく、我、人(ひと)を須(もち)いず。今、大祠(だいし)せんと欲す。当に人の心(こころ)、人の血(ち)、人の髄(ずい)を須うべし、と。即時(そくじ)に是の人、心(こころ)に大(おお)いに歓喜(かんき)し、手(て)に利刀(りとう)を執(と)りて臂(ひじ)を刺(さ)して血を出(いだ)し、復(ま)た右の髀(もも)を割(さ)きて、骨(ほね)を破(やぶ)りて髄を出せんと欲す。我、閣上(かくじょう)に在りて遥(はる)かに此事(このこと)を見(み)て、心に自(みずか)ら念じて言わく、是の人、何の故に其(そ)の身を困苦(こんく)するや。当に往(ゆ)きて之(これ)を問(と)うべし、と。我、即(すなわ)ち往きて問う。我に答えて言わく、我、貧窮(びんぐう)にして財宝(ざいほう)有ること無きを以(もっ)て、心血髄(しんけつずい)を売りて婆羅門に与(あた)えんと欲す、と。我、時に問うて言わく、善男子(ぜんなんし)、是の財物(ざいぶつ)を持(もっ)て何等(なんら)の作(なさ)んと欲するや、と。我に答えて言わく、法を愛するが為の故に、曇無竭菩薩を供養せん、と。我、復た問うて言わく、善男子、汝此の中(なか)に於(お)いて何等の利(り)を得るや、と。我に答えて言わく、我此の中に於いて当に無量(むりょう)不可思議(ふかしぎ)の功徳(くどく)の利を得べし、と。我、是の無量不可思議なる諸仏の功徳を聞(き)きて、心に大いに歓喜し是の念を作さく、是の善男子は、甚(はなは)だ希有(けう)と為す。乃(すなわ)ち能(よ)く自ら是(かく)の如きの苦悩を受く。法を愛するが為の故に、尚(なお)お能く身を捨つ。我、当に云何(いかん)ぞ法を供養せざるべき。我、今、多(おお)く財物有(あ)り。是の事(こと)の中(なか)に於いて当に大願(だいがん)を発(おこ)すべし、と。我時に語(かた)りて言わく、善男子、汝、是の如く其の身を困苦すること莫(ことなか)れ。我、当に多く財物を与えて曇無竭菩薩を供養すべし。我亦(また)た汝に随(したが)いて曇無竭菩薩の所(みもと)に至(いた)りて自ら供養せんと欲す。我亦た無上(むじょう)の仏法を得んと欲す、と。上(かみ)に説(と)く所の如し。父母(ふぼ)、今、当に我が是の善男子に随い、及び財物を給(きゅう)して曇無竭菩薩を供養するを聴(ゆる)すべし』と。
父母、報(むく)いて言わく、『汝が讃(ほ)むる所の者は、希有にして及(およ)び難(がた)し。是の人、一心(いっしん)に法を念(ねん)ず。一切世界に勝最(しょうさい)第一なり。必(かなら)ず能く一切の衆生を安楽(あんらく)すべし。是の人、能く難事(なんじ)を求む。我、今、汝の随い去(ゆ)くを聴す。我等(われら)も亦た曇無竭菩薩を見(み)んと欲す』と。
是の女、曇無竭菩薩を供養せんが為の故に、父母に白(もう)して言わく、『我、敢(あえ)て人の功徳を断(だん)ぜじ』と。是の女、即時に五百乗(じょう)の車(くるま)を荘厳(しょうごん)し、五百の侍女(じにょ)に勅(みことのり)して亦た皆(みな)な荘厳せしむ。種種(しゅじゅ)の色の華(はな)、種種の色の衣(ころも)、種種の雑香(ぞうこう)・末香(まっこう)・塗香(ずこう)、金銀の宝華(ほうけ)、種種の雑色(ぞうしき)の妙好(みょうこう)なる瓔珞(ようらく)、諸(もろもろ)の美(び)なる飲食(おんじき)を持(と)らしむ。薩陀波崙(さったはろん)菩薩と各々(おのおの)一(いち)の車に載(の)り、五百の侍女、恭敬(くぎょう)し囲繞(いにょう)して、漸漸(ぜんぜん)に東行(とうぎょう)す。遥かに衆香城(しゅこうじょう)を見(み)るに、其(そ)の城は七重(ななえ)、七宝(しっぽう)の荘厳にして甚だ愛楽(あいぎょう)すべし。七重の塹(ほり)、七重の行樹(ぎょうじゅ)あり。其の城は縦広(じゅうこう)十二由旬(ゆじゅん)なり。豊楽安静(ぶらくあんじょう)にして人民(にんみん)熾盛(しじょう)なり。五百の街巷(がいこう)は端厳(たんごん)なること画(え)の如し。橋津(きょうしん)は地(ち)の如く寛博清浄(かんぱくしょうじょう)なり。曇無竭菩薩の、城の中央(ちゅうおう)の法座(ほうざ)の上(うえ)に坐(ざ)し、無量百千万の衆の囲繞して説法するを見て、心即ち歓喜す。譬えば比丘(びく)の第三禅(だいさんぜん)を得(う)るが如し。見已(おわ)りて是の念を作さく、(『我等、車に載りて曇無竭菩薩に趣(おもむ)くべからず』と。)
[書き下し文]
即(すなわ)ち皆(みな)な車(くるま)を下(お)りて歩進(ほしん)す。薩陀波崙(さったはろん)と五百の侍女(じにょ)、恭敬(くぎょう)し囲繞(いにょう)す。各々(おのおの)種種(しゅじゅ)の荘厳(しょうごん)の諸物(しょぶつ)を持(と)りて、倶(とも)に曇無竭(どんむかつ)菩薩(ぼさつ)の所(みもと)に詣(もう)づ。曇無竭菩薩の所(ところ)に七宝(しっぽう)の台(うてな)有(あ)り、牛頭栴檀(ごずせんだん)にして以(もっ)て校飾(きょうしき)す。真珠(しんじゅ)の羅網(らもう)、宝鈴(ほうれい)間錯(けんさく)す。四角(しかく)に各々明珠(みょうじゅ)を懸(か)けて以て光明(こうみょう)と為(な)す。四(よっつ)の白銀(びゃくぎん)の香炉(こうろ)有(あ)りて、黒沈水(こくじんすい)を焼(や)き、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)す。其(そ)の宝台(ほうだい)の中(なか)に七宝の大床(だいしょう)有(あ)り。床(しょう)の上(うえ)に四の宝函(ほうかん)有(あ)り。真金(しんきん)の鍱(よう)を以て般若波羅蜜を書(しょ)し、是(こ)の函(はこ)の中に置(お)く。其の台の四辺(しへん)に諸(もろもろ)の宝幡(ほうばん)を垂(た)る。
爾(その)時(とき)、薩陀波崙菩薩と五百の侍女、遥(はる)かに妙台(みょうだい)の種種の珍宝(ちんぽう)以て挍飾(きょうしき)と為すを見(み)る。又(ま)た釈提桓因(しゃくだいかんいん)と無量(むりょう)百千(ひゃくせん)の諸天(しょてん)の、天(てん)の曼陀羅華(まんだらけ)、天の金銀華(こんごんけ)、天の栴檀華(せんだんけ)を以て台の上(うえ)に散(さん)ずるを見る。天、虚空(こくう)の中(なか)に於(お)いて諸の伎楽(ぎがく)を作(な)す。即ち釈提桓因に問(と)う、『憍尸迦(きょうしか)、汝(なんじ)何(なに)の故(ゆえ)を以て諸天の衆(しゅ)と、天の曼陀羅華、天の金銀華、天の栴檀華を以て此(こ)の台の上に散じ、虚空の中に於いて諸の伎楽を作すや』と。
釈提桓因、言(いわ)く、『善男子(ぜんなんし)、汝知(し)らざるや。法(ほう)有(あ)り、摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)と名(なづ)く。是(こ)れ諸の菩薩の母(はは)なり。菩薩是の中(なか)に於いて学(がく)せば、当(まさ)に諸の功徳(くどく)、一切(いっさい)の仏法(ぶっぽう)を尽(つく)すことを得(え)て、疾(と)く薩婆若(さつばにゃ)を得(う)べし』と。
薩陀波崙言わく、『憍尸迦、摩訶般若波羅蜜は是れ諸の菩薩の母なり。為(はた)して何(いづ)れの処(ところ)にか在(あ)る。我(われ)今(いま)見(み)んと欲(ほっ)す』と。
(釈提桓因言わく)『善男子、此の七宝の篋(きょう)の中、黄金(おうごん)の鍱(よう)の上(うえ)に在り。曇無竭菩薩、七処(しちしょ)に之(これ)を印(いん)す。我汝に示(しめ)すことを得ず』と。
[書き下し文]
爾(その)時(とき)、薩陀波崙(さったはろん)菩薩(ぼさつ)と五百の女人(にょにん)、各々(おのおの)種種(しゅじゅ)の華香(けこう)・瓔珞(ようらく)・幡蓋(ばんがい)・衣服(えぶく)・金銀(こんごん)珍宝(ちんぽう)を持(と)り、半(なかば)を以(もっ)て般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)し、半を以て曇無竭(どんむかつ)菩薩を供養す。薩陀波崙菩薩、種種の華香・瓔珞・幡蓋・衣服・金銀の宝華(ほうけ)を以て、諸(もろもろ)の伎楽(ぎがく)を作(な)し、般若波羅蜜を供養し已(おわ)りて、曇無竭菩薩の所(みもと)に向(むか)う。復(ま)た種種の華香・瓔珞・砕末(さいまつ)の栴檀(せんだん)・金銀の宝華を以て、法(ほう)を供養せんが故(ゆえ)に曇無竭菩薩の上(うえ)に散(さん)ず。即(すなわ)ち虚空(こくう)に住(じゅう)して合(がっ)して宝蓋(ほうがい)と成(な)る。其(そ)の蓋(きぬがさ)の四辺(しへん)に諸の宝幡(ほうばん)を垂(た)る。
薩陀波崙菩薩及(およ)び五百の女人、此(こ)の神力(じんりき)を見(み)て心(こころ)に大(おお)いに歓喜(かんき)し、是(こ)の念(ねん)を作(な)さく、(『未曾有(みぞう)なり。曇無竭大師(だいし)の神力は乃(すなわ)ち爾(しか)り。未(いま)だ仏道(ぶつどう)を成(じょう)ぜずして、神通(じんずう)の力(ちから)は尚(なお)お能(よ)く是(かく)の如(ごと)し。況(いわん)や阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たるをや』と。)
時(とき)に五百の女人、曇無竭菩薩を敬重(きょうじゅう)するが故に、皆(みな)な阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)を発(おこ)して言(いわ)く、『我等(われら)、是の善根(ぜんこん)の因縁(いんねん)を以て、未来世(みらいせ)に於(お)いて当(まさ)に仏と作(な)ることを得(う)べし。菩薩の道(どう)を行(ぎょう)ずる時、亦(また)た是の如きの功徳(くどく)を得ること、今(いま)の曇無竭菩薩の如くならん。般若波羅蜜を供養恭敬(くぎょう)尊重(そんじゅう)し、人(ひと)の為(ため)に演説(えんぜつ)し、方便(ほうべん)の力を成就(じょうじゅ)すること、亦た曇無竭菩薩の如くならん』と。
薩陀波崙及び五百の女人、頭面(ずめん)に曇無竭菩薩の足(あし)を礼(らい)し、合掌(がっしょう)恭敬して、却(しりぞ)いて一面(いちめん)に住す。薩陀波崙、曇無竭菩薩に白(もう)して言(もう)さく、『我(われ)本(もと)般若波羅蜜を求(もと)めし時、空林(くうりん)の中(なか)に於いて空中の声(こえ)の言わく、善男子(ぜんなんし)、是(ここ)より東行(とうぎょう)せば、当に般若波羅蜜を聞くことを得べし、と聞(き)けり。我、即ち東行す。東行して久(ひさ)しからずして便(すなわ)ち是の念を作さく、我云何(いかん)ぞ空中の声に、去(ゆ)くこと当に遠近(おんごん)いかん、誰(たれ)より聞き得るやと問(と)わざりし、と。憂愁(ゆうしゅう)懊悩(おうのう)して即ち住すること七日、飲食(おんじき)及び世俗(せぞく)の事(こと)を念ぜず、但(た)だ般若波羅蜜のみを念じて、我云何ぞ空中の声に、去くこと当に遠近いかん、誰よりか聞き得んと問わざりしやと。即時(そくじ)に仏像(ぶつぞう)我が前(まえ)に現在(げんざい)して、是の言を作さく、善男子、是より東行すること五百由旬(ゆじゅん)に城有り、衆香城(しゅこうじょう)と名(なづ)く。中(なか)に菩薩有(あ)り、曇無竭と名づけ、諸の大衆(だいしゅ)の為に般若波羅蜜を説く。汝、是の中に於いて当に般若波羅蜜を聞くことを得べし、と。我、是の処(ところ)の一切法(いっさいほう)の中に於いて無依止(むえし)の想(そう)を生(しょう)じ、亦た無量(むりょう)の諸(もろもろ)の三昧門(さんまいもん)を得(え)たり。我、是の諸の三昧に住し、即ち十方(じっぽう)の諸仏の諸の大衆の為に般若波羅蜜を説くを見る。諸仏、我を讃(ほ)めて言わく、善哉善哉(ぜんざいぜんざい)。善男子、我等本菩薩の道を行じし時も亦た是の諸の三昧を得、是の諸の三昧中に住して、能く諸仏の法を成就せり、と。諸仏、我を安慰(あんい)し示教(じきょう)し已りて、皆な復(ま)た現(げん)ぜず。我、諸の三昧より覚(さ)め已りて是の念を作さく、諸仏は何(いづ)れの所(ところ)より来(きた)りて何れの所に至(いた)れるや、と。諸仏の来去(らいこ)の因縁を知らざるが故に、即ち是の念を作さく、曇無竭菩薩は已(すで)に曾(かつ)て過去の諸仏を供養し、深(ふか)く善根を種(う)え、善(よ)く方便を学(がく)せり。必(かなら)ず能く我が為に、諸仏は何れの所より来りて何れの所に至れるかを説(と)くべし。惟(ただ)願わくは大師、今当に我が為に諸仏は何れの所より来りて何れの所に至れるかを説き、我をして常(つね)に仏を見(み)ることを離(はな)れざることを得せしめよ』と。
摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ) 曇無竭品(どんむかつほん) 第二十八
爾時、曇無竭菩薩、薩陀波崙菩薩に語(かた)りて言(いわ)く、「善男子、諸仏は従(よ)りて来(きた)る所(ところ)無(な)く、去(ゆ)きて至(いた)る所無し。何を以ての故に。諸法(しょほう)の如(にょ)は不動(ふどう)なるが故に、諸法の如は即(すなわ)ち是(こ)れ如来(にょらい)なり。善男子。無生(むしょう)は無来(むらい)無去(むこ)なり、無生は即ち是れ如来なり。実際(じっさい)は無来無去なり、実際は即ち是れ如来なり。空(くう)は無来無去なり、空は即ち是れ如来なり。断(だん)は無来無去なり、断は即ち是れ如来なり。離(り)は無来無去なり、離は即ち是れ如来なり。滅(めつ)は無来無去なり、滅は即ち是れ如来なり。虚空性(こくうしょう)は無来無去なり、虚空性は即ち是れ如来なり。
善男子、是の諸法を離(はな)れては如来有(あ)ること無(な)し。是の諸法の如と諸の如来の如とは、皆(みな)な是れ一如(いちにょ)にして無二(むに)無別(むべつ)なり。善男子、是の如は唯一(ゆいいつ)にして二(に)無(な)く三(さん)無し。諸数(しょすう)を離れて無所有(むしょう)なり。
善男子、譬(たと)えば春末(しゅんまつ)の後月(ごがつ)、日中(にっちゅう)の熱時(ねつじ)に野馬(やば)(※陽炎)の動(うご)くを見(み)て、愚夫(ぐふ)之(これ)を逐(お)いて当(まさ)に水(みず)を得(う)べしと謂(おも)うが如(ごと)し。善男子、意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。是の水は何(いづ)れの所よりか来れる。為(はた)して東海(とうかい)より来れるや、南西北海(なんさいほっかい)より来れるや。」
薩陀波崙、大師に白(もう)して言(もう)さく、「焔(えん)の中(なか)には尚お水有ること無し。況や来処(らいしょ)去処(こしょ)有らんや。但(た)だ是れ愚人(ぐにん)、智(ち)有ること無きが故に、無水(むすい)の中に於いて水想(すいそう)を生ずるのみにして、実(げに)は水有ること無し。」
(曇無竭言わく)「善男子、若し人(ひと)有りて如来の身色(しんしき)音声(おんじょう)を以て貪著(とんじゃく)を生(しょう)ぜば、是(かく)の如きの人等(ひとら)、諸仏に去来(こらい)の相(そう)有りと分別(ふんべつ)す。当に知るべし、是等(これら)は愚痴(ぐち)無智(むち)なり。無水の中に於いて水想を生ずるが如し。何を以ての故に。諸仏如来は応に色身(しきしん)を以て見るべからず。諸仏如来は皆な是れ法身(ほっしん)なるが故なり。善男子、諸法の実相(じっそう)は無来無去なり。諸仏如来も亦た復た是の如し。
善男子、譬えば幻師(げんし)の象兵(ぞうひょう)・馬兵(ばひょう)・車兵(しゃひょう)・歩兵(ふひょう)を幻作(げんさ)するに無来無去なるが如し。当に知るべし、諸仏の無来無去なるも亦た復た是の如し。」
[書き下し文]
善男子(ぜんなんし)、人(ひと)の夢中(むちゅう)に如来(にょらい)有(あ)るを見(み)るが如(ごと)し。若(も)しくは一(いち)、若しくは二(に)、若しくは十(じゅう)、若しくは二十(にじゅう)、若しくは五十(ごじゅう)、若しくは百(ひゃく)、若しくは百(ひゃく)の数(かず)を過(す)ぐ。覚(さ)め已(おわ)りて乃至(ないし)一の如来有るをも見ず。善男子、意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。是(こ)の諸(もろもろ)の如来は何(いづ)れの所(ところ)より来去(らいこ)して、何れの所に至(いた)れるや」と。
薩陀波崙(さったはろん)、大師(だいし)に白(もう)して言(もう)さく、「夢(ゆめ)には定法(じょうほう)無(な)く、皆(みな)な是(こ)れ虚妄(こもう)なり」と。
(曇無竭(どんむかつ)言(いわ)く)「善男子、如来は一切法(いっさいほう)の虚妄なること夢の如しと説(と)く。若し人、諸法(しょほう)の虚妄なること夢の如きを知(し)らずして、色身(しきしん)・名字(みょうじ)・語言(ごごん)・章句(しょうく)を以(もっ)て貪著(とんじゃく)を生(しょう)ぜば、是の如きの人等(ひとら)、諸仏を分別(ふんべつ)して来去有りとす。諸法の相(そう)を知らざるが故(ゆえ)なり。若し人、仏に於いて来去を分別せば、当(まさ)に知るべし、是の人は凡夫(ぼんぶ)にして無智(むち)なり。数々(しばしば)生死(しょうじ)を受(う)け六道(ろくどう)に往来(おうらい)し、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を離れ、仏法(ぶっぽう)を離る。
善男子、若し能(よ)く如実(にょじつ)に仏の説く所の一切諸法の虚妄なること夢の如きを知らば、是の人は法に於いて則(すなわ)ち若しくは来、若しくは去、若しくは生、若しくは滅を分別せず。若し分別せずんば、是の人は則ち諸法の実相(じっそう)を以て如来を観(かん)ず。若し法相(ほうそう)を以て如来を知る者、是の人は則ち如来の若しくは来、若しくは去を分別せず。若し能く是の如く諸法の相を知らば、是の人は則ち般若波羅蜜を行(ぎょう)じ、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に近(ちか)づく。是(れ)を真(しん)の仏弟子(ぶつでし)と名(なづ)け、虚(むな)しく人(ひと)の信施(しんせ)を受(う)けず。是れ世界(せかい)の福田(ふくでん)と為(な)す。
善男子、譬えば海中(かいちゅう)の種種(しゅじゅ)の珍宝(ちんぽう)は、東方(とうほう)より来らず、南西北方(なんさいほっぽう)・四維(しゆい)・上下(じょうげ)よりも来らざるが如し。衆生(しゅじょう)の福業(ふくごう)の因縁(いんねん)により海に此(こ)の宝を生ず。無因(むいん)にして有るには非(あら)ず。諸の宝の滅(めっ)する時も亦(また)た十方(じっぽう)に至らず。衆縁(しゅえん)合(がっ)するを以て則ち有り、衆縁滅すれば則ち無し。善男子、諸の如来の身(み)も亦た復(ま)た是の如し。定法有ること無く十方より来らず、亦た無因にして有るにも非ず。本行(ほんぎょう)の報(ほう)を以て生ず。衆縁合するを以て則ち有り、衆縁滅すれば則ち無し。
善男子、譬えば箜篌(くご)の音声(おんじょう)の、従(よ)りて来(きた)る所無く去(ゆ)きて至る所無きが如し。衆因縁(しゅいんねん)に属(ぞく)す。絃(いと)有(あ)り、槽(そう)有り、棍(こん)有り、人(ひと)の手(て)を以て之(これ)を鼓(こ)する有り。衆縁合すれば則ち声(こえ)有り。是の声は絃より出(い)でず、槽より出でず、棍より出でず、手より出でず。衆縁合すれば則ち声有るにして、従りて来る所無し。衆縁散(さん)ずれば則ち滅して、至る所無し。善男子、諸の如来の身も亦た復た是の如し。衆因縁に属して、無量(むりょう)の福徳(ふくとく)の成就(じょうじゅ)する所なり。一(いち)の因縁、一の福徳より生ぜず、亦た無因無縁(むいんむえん)にして有るにも非ず。衆縁合するを以て則ち有るにして、従りて来る所無し。衆縁散ずれば則ち滅して、去りて至る所無し。
善男子、応(まさ)に当(まさ)に是の如く諸の如来の来去(らいこ)の相を観(かん)ずべし。亦た応に是の如く諸法の相を観ずべし。善男子、汝(なんじ)、若し是の如く諸の如来及び一切法は、無来(むらい)無去(むこ)、無生(むしょう)無滅(むめつ)なりと観ぜば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に至り、亦た般若波羅蜜の方便(ほうべん)を了達(りょうだつ)することを得ん」と。
是の如来の無来無去の法を説く時、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)の地(ち)、大(おお)いに震動(しんどう)す。諸天(しょてん)の宮殿(くでん)も亦た皆な震動す。諸魔(しょま)の宮殿は皆な復た現(げん)ぜず。三千大千世界の草木華樹(そうもくけじゅ)、悉(ことごと)く皆な曇無竭菩薩に傾向(きょうこう)す。諸の樹、皆な非時(ひじ)の妙華(みょうけ)を出(いだ)す。釈提桓因(しゃくだいかんいん)及び四天王(してんのう)、虚空の中(なか)に於いて天の名華、天の末栴檀(まつせんだん)を雨(ふ)らし、曇無竭菩薩の上(うえ)に散ず。薩陀波崙菩薩に語(かた)りて言わく、「仁者(じんじゃ)に因(よ)るが故に、我等(われら)、今日(こんにち)第一義(だいいちぎ)を聞(き)けり。一切の世界に値遇(ちぐ)し難(がた)き所にして、身見(しんけん)を貪(むさぼ)る者の能(よ)く及(およ)ぶ所に非ず」と。
爾(その)時(とき)、薩陀波崙菩薩、曇無竭菩薩に白(もう)す、「何の因縁の故に、地、大いに震動するや」と。
曇無竭言わく、「汝の向者(さき)に是の諸の如来は無来無去なるを問うを以て、我、汝に答(こた)うる時、八千人(はっせんにん)の無生法忍(むしょうほうにん)を得(う)る有り。八十那由他(なゆた)の衆生、阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)を発(おこ)す。八万四千の衆生、遠塵離垢(おんじんりく)して、諸法の中に於いて法眼浄(ほうがんじょう)を得たり」と。
薩陀波崙菩薩、心(こころ)即ち歓喜(かんき)して是の念を作さく、(『我今則ち為(おお)いに善利(ぜんり)を得たり。般若波羅蜜の中の無来無去を聞きて、是の如き無量の衆生を利益(りやく)す。我が善根(ぜんこん)已(すで)に為(ため)に具足(ぐそく)す。阿耨多羅三藐三菩提に於いて、心に疑悔(ぎけ)無く、必ず当に仏と作(な)るべし』と。)薩陀波崙、法を聞きて歓喜を生ずる因縁により、即ち虚空(こくう)に昇(のぼ)ること高さ七多羅樹(しちたらじゅ)なり。是の念を作さく、(『我今当に何物(なにもの)を以て曇無竭菩薩を供養すべきや』と。)
釈提桓因、薩陀波崙が心の念ずる所を知り、即ち天(てん)の曼陀羅華(まんだらけ)を以て薩陀波崙に与(あた)う。是の言を作さく、「汝、是の華(はな)を以て曇無竭菩薩を供養せよ。善男子、我等応に助(たす)けて汝を成(じょう)ずべし。汝の因縁の故を以て無量の衆生を利益す。善男子、是の如きの人には甚(はなは)だ値(もう)あい得難(がた)し。能く一切の衆生の為の故に、無量阿僧祇劫(むりょうあそうぎこう)に於いて生死に往来(おうらい)す」と。
爾時、薩陀波崙菩薩、釈提桓因の曼陀羅華を受(う)け、曇無竭菩薩の上に散ず。虚空より下(くだ)りて頭面(ずめん)に礼(らい)を作す。大師に白して言わく、「我今日(こんにち)より身を以て供給(きょうきゅう)し、大師に奉上(ぶじょう)す」と。是の語を作し已りて、合掌(がっしょう)して一面(いちめん)に立つ。
爾時、長者の女及び五百の侍女(じにょ)、薩陀波崙菩薩に白して言わく、「我等、今者(いま)、身を以て奉上す。是の善根の因縁を持(たも)ちて、当に是の如きの善法(ぜんぽう)を得べし。世世(せせ)常に共に諸仏を供養し常に相親近(あいしんごん)せん」と。
薩陀波崙菩薩、諸の女に報(むく)いて言わく、「汝、若し身を以て我に与え、誠心(せいしん)に我に随(したが)いて行ぜば、我当に汝を受くべし」と。
諸の女、白して言わく、「我等、誠心に身を以て奉上し、当に所行(しょぎょう)に随うべし」と。
[書き下し文]
薩陀波崙(さつだはろん)菩薩、此の華を受け已(おわ)りて、半ばを以て地に散じ、半ばを以て曇無竭(どんむかつ)菩薩に供養す。
爾(そ)の時、曇無竭菩薩、七日を過ぎ已りて三昧(さんまい)より起(た)ち、無量百千万の衆と、恭敬(くぎょう)囲繞(いにょう)せられて法座の所に趣(おもむ)き、法座の上に坐して般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を説く。
薩陀波崙、曇無竭菩薩を見て、心に大いに喜楽(きらく)すること、譬えば比丘(びく)の第三禅に入るが如し。
爾の時、薩陀波崙及び五百の女人、華を散じて供養し、頭面(ずめん)に足を礼して、却(しりぞ)きて一面に坐す。
曇無竭菩薩、薩陀波崙に因(よ)りて、大衆の為に説きて言(もう)さく、
「諸法等しきが故に、般若波羅蜜も亦(また)等し。
諸法離るるが故に、般若波羅蜜も亦離る。
諸法動ぜざるが故に、般若波羅蜜も亦動ぜず。
諸法念無きが故に、般若波羅蜜も亦念無し。
諸法畏(おそ)れ無きが故に、般若波羅蜜も亦畏れ無し。
諸法一味なるが故に、般若波羅蜜も亦一味なり。
諸法無辺なるが故に、般若波羅蜜も亦無辺なり。
諸法無生なるが故に、般若波羅蜜も亦無生なり。
諸法無滅なるが故に、般若波羅蜜も亦無滅なり。
虚空(こくう)の無辺なるが如く、般若波羅蜜も亦無辺なり。
大海の無辺なるが如く、般若波羅蜜も亦無辺なり。
須弥山(しゅみせん)の荘厳(しょうごん)なるが如く、般若波羅蜜も亦荘厳なり。
虚空の無分別なるが如く、般若波羅蜜も亦無分別なり。
色(しき)無辺なるが故に、般若波羅蜜も亦無辺なり。
受・想・行・識、無辺なるが故に、般若波羅蜜も無辺なり。
地種(じしゅ)無辺なるが故に、般若波羅蜜も無辺なり。
水種・火種・風種・空種、無辺なるが故に、般若波羅蜜も無辺なり。
金剛(こんごう)の等しきが如きが故に、般若波羅蜜も亦等し。
諸法壊(え)すること無きが故に、般若波羅蜜も壊すること無し。
諸法の性(しょう)不可得なるが故に、般若波羅蜜の性も不可得なり。
諸法等しきこと無きが故に、般若波羅蜜も等しきこと無し。
諸法作す所無きが故に、般若波羅蜜も作す所無し。
諸法不可思議なるが故に、般若波羅蜜も不可思議なり」と。
是の時、薩陀波崙菩薩、即ち坐せる所に於いて、
諸法等三昧、
諸法離三昧、
諸法不動三昧、
諸法無念三昧、
諸法無畏三昧、
諸法一味三昧、
諸法無辺三昧、
諸法無生三昧、
諸法無滅三昧、
虚空無辺三昧、
大海無辺三昧、
須弥山荘厳三昧、
如虚空無分別三昧、
色無辺三昧、
受想行識無辺三昧、
地種無辺三昧、
水種火種風種空種無辺三昧、
如金剛等三昧、
諸法不壊三昧、
諸法性不可得三昧、
諸法無等三昧、
諸法無所作三昧、
諸法不可思議三昧を得たり。
是(かく)の如き等の六百万の三昧を得たり。
摩訶般若波羅蜜 嘱累品(ぞくるいほん)第二十九
爾の時、仏、須菩提(しゅぼだい)に告げたまわく、
「薩陀波崙菩薩、六百万の三昧門を得已りて、即ち十方の恒河沙(ごうがしゃ)の如き等の世界の諸仏を見る。大比丘衆と、恭敬囲繞せられて、皆な是の文字・章句・相貌(そうみょう)を以て般若波羅蜜を説きたもう。我が今、此の三千大千世界に於いて、諸の大衆と、恭敬囲繞せられて、是の文字・章句・相貌を以て般若波羅蜜を説くが如し。
薩陀波崙、是れより已後(いご)、多聞・智慧、不可思議なること大海の水の如し。世世(せせ)に生ずる所、諸仏を離れず。現在の諸仏、常に其の所に生ず。一切の衆難、皆悉く断ずることを得たり。
須菩提、当に知るべし、是の般若波羅蜜の因縁は、能く菩薩の道を具足す。是の故に諸の菩薩、若し一切智慧を得んと欲せば、応(まさ)に当に般若波羅蜜を信受し、読誦し、正憶念し、説の如く修行し、広く人の為に説くべし。亦当に了了(りょうりょう)に経巻を書写し、供養・恭敬・尊重・讃歎し、華・香・瓔珞(ようらく)・末香(まっこう)・塗香(ずこう)・幡蓋(ばんがい)・伎楽(ぎがく)等すべし。則ち是れ我が教なり」と。
爾の時、仏、阿難(あなん)に告げたまわく、
「意(こころ)に於いて云何(いかん)。仏は是れ汝が大師なりや不(いな)や」と。
(阿難)「世尊、仏は是れ我が大師なり。如来は是れ我が大師なり」と。
仏、阿難に告げたまわく、
「我は是れ汝が大師なり。汝は是れ我が弟子なり。汝、身・口・意の業を以て、今現在に我を供養・恭敬・尊重す。我が滅度の後、汝当に是を以て般若波羅蜜を供養・恭敬・尊重すべし」と。第二・第三にも亦是の如く説きたもう。
「我、般若波羅蜜を以て汝に嘱累(ぞくるい)す。慎(つつし)んで忘失すること莫(な)かれ。最後の断種(だんしゅ)の人と作ること莫かれ。
阿難、爾(そ)れ所(ばか)りの時に随いて般若波羅蜜、世に在らば、当に知るべし、爾れ所りの時、仏の世に在(ましま)して法を説きたもう有りと。
阿難、若し般若波羅蜜を書写し、受持・読誦・正憶念し、所説の如く行じ、広く人の為に説き、供養・恭敬・尊重・讃歎し、華・香、乃至伎楽するもの有らば、当に知るべし、是の人は仏を見るを離れず、法を聞くを離れず、常に仏に親近(しんごん)すと」。
仏、般若波羅蜜を説き已りたもうに、弥勒(みろく)等の諸の菩薩摩訶薩、舎利弗(しゃりほつ)・須菩提・目揵連(もっけんれん)・摩訶迦葉(まかかしょう)等の諸の声聞衆、一切世間の天・人・阿修羅(あしゅら)等、仏の所説を聞きて、歓喜し信受せり。
小品般若経 巻第十
摩訶般若波羅蜜経(まかはんにゃはらみつきょう)巻第一(かんだいいち):書き下し文
小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第二:書き下し文
小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第三:書き下し文
『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第四:書き下し文
『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第五:書き下し文
『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第六:書き下し文
『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第七(かんのだいしち):書き下し文
『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第八(かんのだいはち):書き下し文
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