小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第二 後秦(こうしん)の亀茲国(きじこく)の三蔵(さんぞう)、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳す
塔品(とうほん)第三
爾の時(そのとき)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)、梵天王(ぼんてんのう)、自在天王(じざいてんのう)、及(およ)び衆生主(しゅじょうしゅ)なる諸(もろもろ)の天女(てんにょ)等、皆(みな)大(おおいに)歓喜(かんき)す。 同時(どうじ)に三唱(さんしょう)す、 「快(こころよ)き哉(かな)、快(こころよ)き哉(かな)。仏(ほとけ)の出世(しゅっせ)せるが故(ゆえ)に、須菩提(しゅぼだい)乃(すなわ)ち能(よ)く是(こ)の法(ほう)を演説(えんぜつ)す」と。 爾の時(そのとき)、諸天(しょてん)の大衆(だいしゅ)、倶(とも)に仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、若(も)し菩薩(ぼさつ)能(よ)く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の行(ぎょう)を離(はな)れずんば、当(まさ)に是(こ)の人(ひと)を視(み)ること仏(ほとけ)の如(ごと)くすべし」と。
仏(ほとけ)、諸(もろもろ)の天子(てんし)に告(つ)げたまわく、 「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し。 昔(むかし)、我(われ)、衆華城(しゅけじょう)の燃灯仏(ねんとうぶつ)の所(みもと)に於(お)いて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の行(ぎょう)を離(はな)れざりし時(とき)、燃灯仏(ねんとうぶつ)、我(われ)に記(き)したまわく、 『来世(らいせ)に阿僧祇劫(あそうぎこう)を過(す)ぎて於(お)いて、当(まさ)に仏(ほとけ)と作(な)ることを得(う)べし、号(な)は釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)、応供(おうぐ)、正遍知(しょうへんち)、明行足(みょうぎょうそく)、善逝(ぜんぜい)、世間解(せけんげ)、無上士(むじょうし)、調御丈夫(じょうごじょうぶ)、天人師(てんにんし)、仏(ほとけ)、世尊(せそん)なり』と」 諸(もろもろ)の天子(てんし)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「希有(けう)なり、世尊(せそん)。諸(もろもろ)の菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)の般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は、能(よ)く薩婆若(さつばにゃ)を摂取(せっしゅ)す」と。
仏(ほとけ)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)に因(よ)りて、欲色界(よくしきかい)の諸(もろもろ)の天子(てんし)、及(およ)び四衆(ししゅ)の比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)等に告(つ)げたまわく、 「憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)有(あ)りて、能(よ)く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ぜば、魔(ま)若(も)しくは魔天(まてん)、人(ひと)若(も)しくは非人(ひにん)、其(そ)の便(たより)を得(え)ず、終(つい)に横死(おうし)せじ。 善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)するが故(ゆえ)に、忉利(とうり)の諸天(しょてん)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)し、未(いま)だ般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)せざる者(もの)は、来(きた)りて其(そ)の所(ところ)に至(いた)らん」と。
「復次(またつぎに)、憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)する時(とき)、若(も)しは空舎(くうしゃ)に在(あ)り、若(も)しは道路(どうろ)に在(あ)り、若(も)しは或(ある)いは道(みち)を失(うしな)うとも、恐怖(きょうふ)有(あ)ること無(な)し」と。
爾の時(そのとき)、四天王(してんのう)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ぜば、我等(われら)皆(みな)当(まさ)に護念(ごねん)すべし」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ぜば、我(われ)当(まさ)に護念(ごねん)すべし」と。 梵天王(ぼんてんのう)及(およ)び諸(もろもろ)の梵天(ぼんてん)、倶(とも)に仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ぜば、我等(われら)も亦(また)当(まさ)に護念(ごねん)すべし」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「希有(けう)なり、世尊(せそん)。善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)して、是(かく)の如(ごと)き現世(げんせ)の功徳(くどく)を得(う)。世尊(せそん)、若(も)し般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)する者(もの)は、則(すなわ)ち諸(もろもろ)の波羅蜜(はらみつ)を受持(じゅじ)すると為(な)す」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し。憍尸迦(きょうしか)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)する者(もの)は、則(すなわ)ち諸(もろもろ)の波羅蜜(はらみつ)を受持(じゅじ)すると為(な)す。 復次(またつぎに)、憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)して、得(う)る所(ところ)の功徳(くどく)、汝(なんじ)今(いま)善(よ)く聴(き)け、当(まさ)に汝(なんじ)が為(ため)に説(と)くべし」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)、教(おしえ)を受(う)けて聴(き)く。
仏(ほとけ)、憍尸迦(きょうしか)に告(つ)げたまわく、 「若(も)し我(わ)が此(こ)の法(ほう)を毀乱(きらん)し違逆(いぎゃく)せんと欲(ほっ)する者(もの)有(あ)らば、是(こ)の心(こころ)有(あ)りと雖(いえど)も、漸漸(ぜんぜん)に自滅(じめつ)し、終(つい)に願(ねがい)に従(したが)わず。 何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)せば、種種(しゅじゅ)の毀乱(きらん)違逆(いぎゃく)の事(こと)起(おこ)るとも、法(ほう)として応(まさ)に皆(みな)滅(めっ)すべし。是(こ)の故(ゆえ)に此(こ)の人(ひと)終(つい)に願(ねがい)に従(したが)わず。 憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)して、是(かく)の如(ごと)き現世(げんせ)の功徳(くどく)を得(う)。 譬(たと)えば薬(くすり)有(あ)りて名(なづ)けて摩醯(まけい)と為(な)すに、蛇(へび)有(あ)りて飢(う)え行(ゆ)きて食(しょく)を求(もと)め、小虫(しょうちゅう)有(あ)るを見(み)て之(これ)を食(くら)わんと欲(ほっ)するが如(ごと)し。虫(むし)、薬(くすり)の所(ところ)に赴(おもむ)けば、蛇(へび)、薬(くすり)の気(き)を聞(か)いで即(すなわ)ち廻還(えかん)して去(さ)る。 所以(ゆえん)は者何(いかん)。薬力(やくりき)、能(よ)く蛇毒(じゃどく)を消(しょう)ずるが故(ゆえ)なり。 憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)も亦(また)是(かく)の如(ごと)し。若(も)し般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)せば、種種(しゅじゅ)の毀乱(きらん)違逆(いぎゃく)の事(こと)起(おこ)るとも、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の力(ちから)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、即(すなわ)ち自(おのずか)ら消滅(しょうめつ)す」と。
「復次(またつぎに)、憍尸迦(きょうしか)、若(も)し般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)せば、護世(ごせ)の四天王(してんのう)、皆(みな)当(まさ)に護念(ごねん)すべし」
[書き下し文] 復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の人(ひと)終(つい)に無益(むやく)の語(ことば)を説(と)かず。 言説(ごんせつ)する所(ところ)有(あ)れば、人(ひと)信受(しんじゅ)する所(ところ)と為(な)る。 瞋恚(しんに)を少(すく)なくして、終(つい)に恨(うらみ)を懐(いだ)かず。 我慢(がまん)の為(ため)に覆(おお)われず。 瞋恚(しんに)の為(ため)に使(つか)われず。 善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、若(も)し瞋恚(しんに)の時(とき)、能(よ)く是(こ)の念(ねん)を作(な)す、 「若(も)し我(われ)瞋(いか)らば、則(すなわ)ち諸根(しょこん)を壊(やぶ)り、顔色(がんしき)変異(へんい)せん。 我(われ)阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を求(もと)めんと欲(ほっ)するに、云何(いかん)ぞ当(まさ)に瞋心(しんじん)に随(したが)うべき」と。 是(かく)の如(ごと)く思惟(しゆい)して、即(すなわ)ち正念(しょうねん)を得(う)。 憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)して、亦(また)是(こ)の現世(げんせ)の功徳(くどく)を得(う)。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「希有(けう)なり、世尊(せそん)。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は廻向(えこう)を為(な)す故(ゆえ)に、高心(こうしん)を為(な)さず」と。
仏(ほとけ)、憍尸迦(きょうしか)に告(つ)げたまわく、 「善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、若(も)し人(ひと)、軍陣(ぐんじん)にて般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦(じゅ)せば、若(も)しは住(じゅう)し若(も)しは出(い)でて、若(も)しは寿命(じゅみょう)を失(うしな)い若(も)しは悩害(のうがい)を被(こうむ)らんこと、是(こ)の処(ことわり)有(あ)ること無(な)し。 若(も)しは刀箭(とうせん)向(むか)うとも、終(つい)に傷(やぶ)るること能(あた)わず。 何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)大呪術(だいじゅじゅつ)にして、無上(むじょう)の呪術(じゅじゅつ)なればなり。 善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、此(こ)の呪術(じゅじゅつ)を学(まな)べば、自(みずか)ら悪(あく)を念(ねん)ぜず、他(た)の悪(あく)を念(ねん)ぜず、両(ふたつ)ながら悪(あく)を念(ねん)ぜず。 是(こ)の呪術(じゅじゅつ)を学(まな)びて、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)、薩婆若智(さつばにゃち)を得(え)て、能(よ)く一切衆生(いっさいしゅじょう)の心(こころ)を観(かん)ず。
復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、若(も)し般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)の住(じゅう)する処(ところ)、若(も)しは読誦(どくじゅ)の処(ところ)には、人(ひと)若(も)しくは非人(ひにん)、其(そ)の便(たより)を得(え)ず。唯(ただ)業行(ごうぎょう)として必(かなら)ず受(う)くべき者(もの)を除(のぞ)く。 憍尸迦(きょうしか)、譬(たと)えば道場(どうじょう)の四辺(しへん)に、人(ひと)若(も)しくは畜生(ちくしょう)の能(よ)く悩(なや)ます者(もの)無(な)きが如(ごと)し。 何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。過去(かこ)未来(みらい)現在(げんざい)の諸仏(しょぶつ)、此(こ)の中(なか)にて道(どう)を得(う)、已(すで)に得(え)、今(いま)得(え)、当(まさ)に得(う)べし。 是(こ)の処(ところ)の一切衆生(いっさいしゅじょう)、恐(おそ)れ無(な)く畏(おそ)れ無(な)く能(よ)く悩害(のうがい)すること無(な)し。 憍尸迦(きょうしか)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、是(こ)の処(ところ)は則(すなわ)ち吉(きち)にして、人(ひと)の恭敬(くぎょう)し供養(くよう)し礼拝(らいはい)する所(ところ)となん」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を書(しょ)し、経巻(きょうかん)を受持(じゅじ)し、供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き花香(けこう)、瓔珞(ようらく)、塗香(ずこう)、焼香(しょうこう)、末香(まっこう)、雑香(ざっこう)、繒蓋(そうがい)、幢幡(どうばん)を以(もっ)て而(しこう)して以(もっ)て供養(くよう)せん。 若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて、如来(にょらい)の舎利(しゃり)を以(もっ)て、供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き花香(けこう)、瓔珞(ようらく)、塗香(ずこう)、焼香(しょうこう)、末香(まっこう)、雑香(ざっこう)、繒蓋(そうがい)、幢幡(どうばん)を以(もっ)て而(しこう)して以(もっ)て供養(くよう)せば、其(そ)の福(ふく)は何(いづれ)の所(ところ)か多(おお)しと為(な)さん」と。
「憍尸迦(きょうしか)、我(われ)還(かえ)って汝(なんじ)に問(と)わん、汝(なんじ)が意(こころ)に随(したが)って答(こた)えよ。 意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。如来(にょらい)は何(いか)なる道(どう)を行(ぎょう)じて、薩婆若(さつばにゃ)の依止(えし)する所(ところ)の身(み)を得(え)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たるや」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、如来(にょらい)は般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を学(まな)べるが故(ゆえ)に、是(こ)の身(み)を得(え)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たまえり」と。
「憍尸迦(きょうしか)、仏(ほとけ)は身(み)を以(もっ)ての故(ゆえ)に名づけて如来(にょらい)と為(な)さず、薩婆若(さつばにゃ)を得(え)たるを以(もっ)ての故(ゆえ)に名(なづ)けて如来(にょらい)と為(な)す。 憍尸迦(きょうしか)、諸仏(しょぶつ)の薩婆若(さつばにゃ)は般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)より生(しょう)ず、是(こ)の身(み)は薩婆若智(さつばにゃち)の依止(えし)する所(ところ)なるが故(ゆえ)なり。 如来(にょらい)、是(こ)の身(み)に因(よ)りて薩婆若智(さつばにゃち)を得(え)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成(じょう)ず。 是(こ)の身(み)は薩婆若(さつばにゃ)の依止(えし)する所(ところ)なるが故(ゆえ)に、我(わ)が滅度(めつど)の後のち、舎利(しゃり)は供養(くよう)を得(う)。 憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を書(しょ)し、受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き花香(けこう)、瓔珞(ようらく)、塗香(ずこう)、焼香(しょうこう)、末香(まっこう)、雑香(ざっこう)、繒蓋(そうがい)、幢幡(どうばん)を以(もっ)て而(しこう)して以(もっ)て供養(くよう)せば。 是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)は、即(すなわ)ち是(これ)薩婆若智(さつばにゃち)を供養(くよう)するなり。 是(こ)の故(ゆえ)に若(も)し人(ひと)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を書写(しょしゃ)し、供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)せば、当(まさ)に知(し)るべし、是(こ)の人(ひと)大(だい)なる福徳(ふくとく)を得(う)と。 何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。薩婆若智(さつばにゃち)を供養(くよう)するが故(ゆえ)なり」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、閻浮提(えんぶだい)の人(ひと)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)せざるは、是(かく)の如(ごと)き大(だい)なる利益(りやく)を得(う)ることを知(し)らざるが為(ため)なるや」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「憍尸迦(きょうしか)、意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。閻浮提(えんぶだい)に幾所(いくばく)の人(ひと)か仏(ほとけ)に於(お)いて不壊信(ふえしん)を得(え)たる。幾所(いくばく)の人(ひと)か法(ほう)に於(お)いて、僧(そう)に於(お)いて不壊信(ふえしん)を得(え)たる」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)言(もう)さく、 「少所(しょうしょ)の人(ひと)、仏(ほとけ)に於(お)いて不壊信(ふえしん)を得(え)、法(ほう)に於(お)いて、僧(そう)に於(お)いて不壊信(ふえしん)を得(え)たり。 世尊(せそん)、閻浮提(えんぶだい)に少所(しょうしょ)の人(ひと)、須陀洹(しゅだおん)、斯陀含(しだごん)、阿那含(あなごん)、阿羅漢(あらかん)を得(う)。 辟支仏(ひゃくしぶつ)を得(う)る者(もの)は転(うた)た復(ま)た減少(げんしょう)す。 能(よ)く菩薩(ぼさつ)の道(どう)を行(ぎょう)ずる者(もの)も亦復(またま)た転(うた)た少(すくな)し」と。
「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し。憍尸迦(きょうしか)、閻浮提(えんぶだい)に少所(しょうしょ)の人(ひと)、仏(ほとけ)に於(お)いて不壊信(ふえしん)を得(う)。 乃至(ないし)、能(よ)く阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)し、菩薩(ぼさつ)の道(どう)を行(ぎょう)ずる者(もの)も亦復(またま)た転(うた)た少(すくな)し。 憍尸迦(きょうしか)、無量無辺(むりょうむへん)阿僧祇(あそうぎ)の衆生(しゅじょう)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)すも、中(なか)に於(お)いて若(も)しは一(いち)、若(も)しは二(に)のみ阿毘跋致(あびばっち)の地(じ)に住(じゅう)す。 是(こ)の故(ゆえ)に当(まさ)に知(し)るべし、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)し、乃至(ないし)、能(よ)く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)せんことを。 何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。是(こ)の人(ひと)是(こ)の念(ねん)を作(な)す、 『過去(かこ)の諸仏(しょぶつ)、菩薩(ぼさつ)の道(どう)を行(ぎょう)ずる時(とき)、是(ここ)の中(なか)より学(まな)びたまう。我等(われら)も亦(また)応(まさ)に是(ここ)の中(なか)に於(お)いて学(まな)ぶべし。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)我(わ)が大師(だいし)なり』と。 憍尸迦(きょうしか)、若(も)し我(われ)現在(げんざい)せむも、若(も)し我(われ)滅(めっ)して後のちも、菩薩(ぼさつ)は常(つね)に応(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に依止(えし)すべし」と。
「若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、我(わ)が滅後(めつご)に於(お)いて、如来(にょらい)を供養(くよう)するが故(ゆえ)を以(もっ)て七宝(しっぽう)の塔(とう)を起(た)て、其(そ)の形寿(ぎょうじゅ)を尽(つく)して、好(よ)き花香(けこう)、塗香(ずこう)、末香(まっこう)、衣服(えぶく)、幢幡(どうばん)を以(もっ)て、是(こ)の塔(とう)を供養(くよう)せん。 意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、是(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、福(ふく)を得(う)ること多(おお)しや不(いな)や」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)言(もう)さく、 「甚(はなは)だ多(おお)し、世尊(せそん)」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き華香(けこう)、塗香(ずこう)、末香(まっこう)、衣服(えぶく)、幢幡(どうばん)を以(もっ)て、而(しこう)して以(もっ)て供養(くよう)せば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
[書き下し文]
「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の一塔(いっとう)を置(お)け。 若(も)し閻浮提(えんぶだい)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)に、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、其(そ)の形寿(ぎょうじゅ)を尽(つく)して、好(よ)き華香(けこう)乃至(ないし)伎楽(ぎがく)を以(もっ)て、是(こ)の塔(とう)を供養(くよう)せん。 意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。是(こ)の人(ひと)、是(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、福(ふく)を得(う)ること多(おお)しや不(いな)や」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)言(もう)さく、「甚(はなは)だ多(おお)し、世尊(せそん)」と。 仏(ほとけ)、憍尸迦(きょうしか)に告(つ)げたまわく、「若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き華香(けこう)、塗香(ずこう)、末香(まっこう)、衣服(えぶく)、幢幡(どうばん)を以(もっ)てせん。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の閻浮提(えんぶだい)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)を置(お)け。 若(も)し四天下(してんげ)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)に、若(も)し人(ひと)、形寿(ぎょうじゅ)を尽(つく)して、花香(けこう)を以(もっ)て供養(くよう)し乃至(ないし)伎楽(ぎがく)せん。 若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)せば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の四天下(してんげ)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)を置(お)け。 若(も)し周梨迦(しゅりか)小千世界(しょうせんせかい)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)に、若(も)し人(ひと)、形(かたち)を尽(つく)して、好(よ)き華香(けこう)を以(もっ)て供養(くよう)し乃至(ないし)幢幡(どうばん)せん。 若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)せば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の周梨迦(しゅりか)小千世界(しょうせんせかい)の七宝(しっぽう)の塔(とう)を置(お)け。 若(も)し二千中世界(にせんちゅうせかい)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)に、若(も)し人(ひと)、形(かたち)を尽(つく)して、花香(けこう)を以(もっ)て供養(くよう)し乃至(ないし)幢幡(どうばん)せん。 若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)せば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の二千中世界(にせんちゅうせかい)を置(お)け。 若(も)し三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)に、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、其(そ)の形寿(ぎょうじゅ)を尽(つく)して、花香(けこう)を以(もっ)て供養(くよう)し乃至(ないし)幢幡(どうばん)せん。 憍尸迦(きょうしか)、意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。是(こ)の人(ひと)、是(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、福(ふく)を得(う)ること多(おお)しや不(いな)や」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)言(もう)さく、「甚(はなは)だ多(おお)し、世尊(せそん)」と。 仏(ほとけ)、憍尸迦(きょうしか)に告(つ)げたまわく、「若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)し、花香(けこう)乃至(ないし)幢幡(どうばん)せば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に満(み)ちたる七宝(しっぽう)の塔(とう)を置(お)け。 仮令(たとい)三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に有(あ)る所(ところ)の衆生(しゅじょう)、一時(いちじ)に皆(みな)人身(じんしん)を得(え)ん。是(こ)の一一(いちいち)の人(ひと)、七宝(しっぽう)の塔(とう)を起(た)て、其(そ)の形寿(ぎょうじゅ)を尽(つく)して、一切(いっさい)の好(よ)き華(はな)、名香(みょうこう)、幢幡(どうばん)、伎楽(ぎがく)、歌舞(かぶ)を以(もっ)て、是(こ)の塔(とう)を供養(くよう)せん。 憍尸迦(きょうしか)、意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。是(こ)の人(ひと)、是(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、福(ふく)を得(う)ること多(おお)しや不(いな)や」と。 「甚(はなは)だ多(おお)し、世尊(せそん)」と。 仏(ほとけ)、憍尸迦(きょうしか)に告(つ)げたまわく、「若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、花香(けこう)乃至(ないし)幢幡(どうばん)せば、其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)言(もう)さく、 「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し、世尊(せそん)。 若(も)し人(ひと)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)せば、即(すなわ)ち是(これ)、過去(かこ)未来(みらい)現在(げんざい)の諸仏(しょぶつ)の薩婆若(さつばにゃ)を供養(くよう)し恭敬(くぎょう)するなり。 世尊(せそん)、是(こ)の三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)の一一(いちいち)の衆生(しゅじょう)の起(た)つる所(ところ)の七宝(しっぽう)の塔(とう)を置(お)け。 若(も)し十方(じっぽう)の恒河沙(ごうがしゃ)等(ら)の世界(せかい)の衆生(しゅじょう)、皆(みな)人身(じんしん)を得(え)、一一(いちいち)の人(ひと)七宝(しっぽう)の塔(とう)を起(た)てん。若(も)しは一劫(いっこう)に於(お)いて、若(も)しは一劫(いっこう)より減(げん)じて、好(よ)き華香(けこう)乃至(ないし)伎楽(ぎがく)を以(もっ)て、是(こ)の塔(とう)を供養(くよう)せん。 若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、華香(けこう)乃至(ないし)伎楽(ぎがく)せば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し、憍尸迦(きょうしか)。 是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、是(こ)の般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)する因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し。無量(むりょう)無辺(むへん)にして数(かぞ)う得(べ)からず、思議(しぎ)す可(べ)からず。 何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。憍尸迦(きょうしか)、一切諸仏(いっさいしょぶつ)の薩婆若智(さつばにゃち)は、皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)より生(しょう)ず。 憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)し、華香(けこう)乃至(ないし)伎楽(ぎがく)もて供養(くよう)せば。 前(さき)の功徳(くどく)に於(お)いては、百分(ひゃくぶ)も一分(いちぶ)に及(およ)ばず、千分(せんぶ)万分(まんぶ)百千万億分(ひゃくせんまんおくぶ)も一(いち)に及(およ)ばず。乃至(ないし)算数(さんすう)譬喩(ひゆ)も及(およ)ぶこと能(あた)わざる所(ところ)なり」と。
摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)明呪品(みょうじゅほん)第四(だいし) 爾の時(そのとき)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)と四万(しまん)の天子(てんし)の会中(えちゅう)に在(あ)る者(もの)とあり。釈提桓因(しゃくだいかんいん)に語(かた)って言(もう)さく、 「憍尸迦(きょうしか)、応(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)すべし」と。
[書き下し文]
仏(ほとけ)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)に告(つ)げたまわく、「憍尸迦(きょうしか)、汝(なんじ)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)せよ。若(も)し阿修羅(あしゅら)念(ねん)を生(しょう)じて、忉利(とうり)の諸天(しょてん)と共(とも)に闘(たたか)わんと欲(ほっ)せば。爾の時(そのとき)、汝(なんじ)当(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦念(じゅねん)すべし。是(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、阿修羅(あしゅら)の悪心(あくしん)即(すなわ)ち滅(めっ)せん」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)大明呪(だいみょうじゅ)なり。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)無上呪(むじょうじゅ)なり。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)無等等呪(むとうどうじゅ)なり」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し、憍尸迦(きょうしか)。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)大明呪(だいみょうじゅ)なり、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)無上呪(むじょうじゅ)なり、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は是(これ)無等等呪(むとうどうじゅ)なり。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。憍尸迦(きょうしか)、過去(かこ)の諸仏(しょぶつ)は是(こ)の明呪(みょうじゅ)に因(よ)って、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たまえり。未来(みらい)の諸仏(しょぶつ)も亦(また)是(こ)の呪(じゅ)に因(よ)って、当(まさ)に阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(う)べし。今(いま)十方(じっぽう)現在(げんざい)の諸仏(しょぶつ)も亦(また)是(こ)の呪(じゅ)に因(よ)って、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たまう。
憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の明呪(みょうじゅ)に因(よ)って、十善道(じゅうぜんどう)世(よ)に出現(しゅつげん)す。四禅(しぜん)、四無量心(しむりょうしん)、四無色定(しむしきじょう)、五神通(ごじんづう)世(よ)に出現(しゅつげん)す。菩薩(ぼさつ)に因(よ)るが故(ゆえ)に、十善道(じゅうぜんどう)世(よ)に出現(しゅつげん)す。四禅(しぜん)、四無量心(しむりょうしん)、四無色定(しむしきじょう)、五神通(ごじんづう)世(よ)に出現(しゅつげん)す。若(も)し諸仏(しょぶつ)世(よ)に出(しゅつ)したまわずとも、但(た)だ菩薩(ぼさつ)に因(よ)るが故(ゆえ)に、十善道(じゅうぜんどう)、四禅(しぜん)、四無量心(しむりょうしん)、四無色定(しむしきじょう)、五神通(ごじんづう)世(よ)に出現(しゅつげん)す。譬(たと)えば月(つき)出(い)でざる時(とき)、星宿(しょうしゅく)の光明(こうみょう)、世間(せけん)を照(てら)すが如(ごと)し。是(かく)の如(ごと)し憍尸迦(きょうしか)、世(よ)に仏(ほとけ)無(な)き時(とき)も、有(あ)る所(ところ)の善行(ぜんぎょう)・正行(しょうぎょう)は皆(みな)菩薩(ぼさつ)より出生(しゅっしょう)す。菩薩(ぼさつ)の方便力(ほうべんりき)は皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)より生(しょう)ず」と。
「復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)せば、是(こ)の現世(げんせ)の福徳(ふくとく)を得(う)」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、何等(なんら)の現世(げんせ)の福徳(ふくとく)を得(う)るや」と。 「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)を、毒(どく)も傷(やぶ)ること能(あた)わず、火(ひ)も焼(や)くこと能(あた)わず、終(つい)に横死(おうし)せじ。又(また)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、若(も)し官事(かんじ)起(おこ)らんに、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦念(じゅねん)せば、官事(かんじ)即(すなわ)ち滅(めっ)せん。諸(もろもろ)の短(たん)を求(もと)むる者(もの)も、皆(みな)便(たより)を得(え)ず。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の護(まも)る所(ところ)なるが故(ゆえ)なり。
復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦念(じゅねん)し、若(も)し国王(こくおう)、若(も)しくは王子(おうじ)・大臣(だいじん)の所(ところ)に至(いた)らば、皆(みな)歓喜(かんき)して問訊(もんじん)し共(とも)に語言(ごごん)せん。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。憍尸迦(きょうしか)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は一切衆生(いっさいしゅじょう)を慈悲(じひ)せんが為(ため)の故(ゆえ)に出(い)づればなり。是(こ)の故(ゆえ)に憍尸迦(きょうしか)、諸(もろもろ)の短(たん)を求(もと)むる者(もの)も皆(みな)便(たより)を得(え)ず」と。
爾の時(そのとき)、外道(げどう)の出家(しゅっけ)百人(ひゃくにん)、仏(ほとけ)の短(たん)を求(もと)めんと欲(ほっ)して仏(ほとけ)の所(ところ)に来向(らいこう)す。釈提桓因(しゃくだいかんいん)是(こ)の念(ねん)を作(な)す、「是(こ)の諸(もろもろ)の外道(げどう)の出家(しゅっけ)百人(ひゃくにん)、仏(ほとけ)の短(たん)を求(もと)めんと欲(ほっ)して仏(ほとけ)の所(ところ)に来向(らいこう)す。我(われ)、仏(ほとけ)の所(みもと)より般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受(う)けたり、今(いま)当(まさ)に誦念(じゅねん)すべし。是(こ)の諸(もろもろ)の外道(げどう)、仏(ほとけ)の所(ところ)に来至(らいし)せば、或(ある)いは能(よ)く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を説(と)くを断(た)たん」と。是(かく)の如(ごと)く思惟(しゆい)し已(おわ)りて、即(すなわ)ち仏(ほとけ)の所(みもと)より受(う)くる所(ところ)の般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦念(じゅねん)す。時(とき)に諸(もろもろ)の外道(げどう)、遥(はるか)に仏(ほとけ)を遶(めぐ)りて道(みち)を復(かえ)して去(さ)りぬ。
舎利弗(しゃりほつ)、是(こ)の念(ねん)を作(な)す、「何(いか)なる因縁(いんねん)の故(ゆえ)に、是(こ)の諸(もろもろ)の外道(げどう)、仏(ほとけ)を遶(めぐ)りて去(さ)るや」と。仏(ほとけ)、舎利弗(しゃりほつ)の心(こころ)の念(おも)う所(ところ)を知(し)りて、舎利弗(しゃりほつ)に告(つ)げたまわく、「是(これ)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦念(じゅねん)せり。是(かく)の如(ごと)き外道(げどう)、乃(すなわ)ち一人(いちにん)として善心(ぜんしん)を有(も)つ者(もの)無(な)し。皆(みな)悪意(あくい)を持(じ)して来(きた)りて仏(ほとけ)の短(たん)を求(もと)む。是(こ)の故(ゆえ)に外道(げどう)各各(おのおの)道(みち)を復(かえ)して去(さ)りぬ」と。
爾の時(そのとき)、悪魔(あくま)是(こ)の念(ねん)を作(な)す、「今(いま)是(こ)の四衆(ししゅ)及(およ)び欲色界(よくしきかい)の諸(もろもろ)の天子(てんし)、仏前(ぶつぜん)に在(あ)りて坐(ざ)す。其(そ)の中(なか)に必(かなら)ず菩薩(ぼさつ)の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の記(き)を受(う)くる者(もの)有(あ)らん。我(われ)当(まさ)に壊乱(えらん)すべし」と。即(すなわ)ち化(け)して四種(ししゅ)の兵(へい)を作(な)し、仏(ほとけ)の所(ところ)に向(むか)う。
爾の時(そのとき)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)是(こ)の念(ねん)を作(な)す、「魔(ま)、四兵(しへい)を厳(ごん)して仏(ほとけ)の所(ところ)に来至(らいし)す。四種(ししゅ)の兵相(へいそう)は、摩伽陀国(まかだこく)の頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)にも有(あ)る所(ところ)無(な)し。憍薩羅国(きょうさらこく)の波斯匿王(はしのくおう)にも亦(また)有(あ)る所(ところ)無(な)し。諸(もろもろ)の釈子(しゃくし)にも有(あ)る所(ところ)無(な)し。諸(もろもろ)の黎車(りしゃ)にも有(あ)る所(ところ)無(な)し。今(いま)是(こ)の兵相(へいそう)、必(かなら)ず是(これ)悪魔(あくま)の作(な)す所(ところ)ならん。是(こ)の魔(ま)、長夜(じょうや)に仏(ほとけ)の短(たん)を求(もと)め、衆生(しゅじょう)を悩乱(のうらん)せんと欲(ほっ)す。我(われ)当(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦念(じゅねん)すべし」と。釈提桓因(しゃくだいかんいん)、即(すなわ)ち黙(もだ)して般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を誦(じゅ)す。其(そ)の誦(じゅ)する所(ところ)に随(したが)いて、悪魔(あくま)稍稍(しょうしょう)に道(みち)を復(かえ)して去(さ)りぬ。
爾の時(そのとき)、忉利(とうり)の諸天(しょてん)、化(け)して天華(てんげ)を作(な)して空中(くうちゅう)に在(あ)り、仏上(ぶつじょう)に散(さん)じて是(こ)の念願(ねんがん)を作(な)す、「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)、久(ひさ)しく閻浮提(えんぶだい)に住(じゅう)せよ。閻浮提(えんぶだい)の人(ひと)当(まさ)に誦習(じゅじゅう)することを得(う)べし」と。是(こ)の時(とき)、諸天(しょてん)、復(また)天花(てんげ)を以(もっ)て仏上(ぶつじょう)に散(さん)じて、是(こ)の言(ことば)を作(な)す、「世尊(せそん)、若(も)し衆生(しゅじょう)有(あ)りて般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を行(ぎょう)じ、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を修習(しゅじゅう)せば、魔(ま)、若(も)しくは魔天(まてん)も其(そ)の便(たより)を得(え)ず」と。
爾の時(そのとき)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、若(も)し人(ひと)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を聞(き)くことを得(う)る者(もの)は、已曾(いぞう)て諸仏(しょぶつ)に親近(しんごん)せり。小功徳(しょうくどく)より来(きた)らず。何(いか)に況(いわん)や受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、所説(しょせつ)の如(ごと)く学(まな)び、所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ずるをや。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。世尊(せそん)、諸(もろもろ)の菩薩(ぼさつ)の薩婆若(さつばにゃ)は当(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の中(なか)に於(お)いて求(もと)むべし。世尊(せそん)、譬(たと)えば大宝(だいほう)を当(まさ)に大海(だいかい)の中(なか)に於(お)いて求(もと)むべきが如(ごと)し。世尊(せそん)、諸仏(しょぶつ)の薩婆若(さつばにゃ)の大宝(だいほう)は、応(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の中(なか)に於(お)いて求(もと)むべし」と。 仏(ほとけ)言(のたま)わく、「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し。憍尸迦(きょうしか)、諸仏(しょぶつ)の薩婆若(さつばにゃ)は皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の中(なか)に於(お)いて生(しょう)ず」と。
爾の時(そのとき)、阿難(あなん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、世尊(せそん)は檀波羅蜜(だんはらみつ)の名(な)を讃説(さんせつ)したまわず。尸羅波羅蜜(しらはらみつ)、羼提波羅蜜(せんだいはらみつ)、毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)、禅波羅蜜(ぜんはらみつ)の名(な)を讃説(さんせつ)したまわず。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。但(た)だ般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の名(な)を讃説(さんせつ)したまうや」と。
仏(ほとけ)、阿難(あなん)に告(つ)げたまわく、「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は五波羅蜜(ごはらみつ)を導(みちび)く。阿難(あなん)、意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。若(も)し布施(ふせ)して薩婆若(さつばにゃ)に廻向(えこう)せざれば、檀波羅蜜(だんはらみつ)と成(な)るや不(いな)や」と。 阿難(あなん)言(もう)さく、「不(いな)なり、世尊(せそん)」と。 「若(も)し持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)、薩婆若(さつばにゃ)に廻向(えこう)せざれば、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)と成(な)るや不(いな)や」と。 阿難(あなん)言(もう)さく、「不(いな)なり、世尊(せそん)」と。 「阿難(あなん)、是(こ)の故(ゆえ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は五波羅蜜(ごはらみつ)の導(しるべ)と為(な)る。阿難(あなん)、譬(たと)えば大地(だいち)に種(たね)を其(そ)の中(なか)に散(さん)じて、因縁(いんねん)和合(わごう)して即(すなわ)ち生長(しょうちょう)することを得(う)るが如(ごと)し。此(こ)之地(ち)に依(よ)らざれば、終(つい)に生(しょう)ずることを得(え)ず。阿難(あなん)、是(かく)の如(ごと)く五波羅蜜(ごはらみつ)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の中(なか)に住(じゅう)して増長(ぞうちょう)することを得(う)。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に護(まも)らるる所(ところ)と為(な)るが故(ゆえ)に、薩婆若(さつばにゃ)に向(むか)うことを得(う)。是(こ)の故(ゆえ)に阿難(あなん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は五波羅蜜(ごはらみつ)の為(ため)に導(しるべ)と作(な)るなり」と。
爾の時(そのとき)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ずるに得(う)る所(ところ)の功徳(くどく)、如来(にょらい)之(これ)を説(と)きたまうも猶(なお)亦(また)未(いま)だ尽(つく)さず」と。 仏(ほとけ)、憍尸迦(きょうしか)に告(つ)げたまわく、「我(われ)、但(た)だ是(こ)の人(ひと)の般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し、所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ずる功徳(くどく)を説(と)くのみにあらず。憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)有(あ)りて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き華香(けこう)乃至(ないし)幢幡(どうばん)を以(もっ)てせん。我(われ)亦(また)其(そ)の得(う)る所(ところ)の功徳(くどく)を説(と)く」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊(せそん)、我(われ)も亦(また)当(まさ)に是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を供養(くよう)し、恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)し、好(よ)き華香(けこう)乃至(ないし)幢幡(どうばん)を以(もっ)てする者(もの)を護念(ごねん)すべし」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、「憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)せば、若干(そこばく)百千(ひゃくせん)の諸天(しょてん)の大衆(だいしゅ)、法(ほう)を聴(き)かんと為(する)が故(ゆえ)に其(そ)の所(ところ)に来至(らいし)す。是(こ)の法師(ほっし)、諸天(しょてん)の為(ため)に説法(せっぽう)する時(とき)、非人(ひにん)、其(そ)の気力(きりょく)を益(ます)。若(も)し法師(ほっし)疲極(ひごく)して説法(せっぽう)を楽(ねが)わざれば、諸天(しょてん)、法(ほう)を恭敬(くぎょう)するが故(ゆえ)に其(これ)をして楽説(ぎょうせつ)せしむ。憍尸迦(きょうしか)、是(これ)も亦(また)善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、是(こ)の現世(げんせ)の功徳(くどく)を得(う)るなり。
復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、四衆(ししゅ)の中(なか)に於(お)いて般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を説(と)く時(とき)、其(そ)の心(こころ)、来(きた)りて難問(なんもん)及(およ)び詰責(きっせき)する者(もの)有(あ)るを畏(おそ)れず。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。是(こ)の人(ひと)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の為(ため)に護念(ごねん)せらるるが故(ゆえ)なり。人(ひと)有(あ)りて般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の短(たん)を得(う)る者(もの)を見(み)ず。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)も亦(また)得(う)べき短(たん)無(な)し。是(こ)の人(ひと)、是(かく)の如(ごと)く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の為(ため)に護念(ごねん)せらるるが故(ゆえ)に。来(きた)りて難問(なんもん)詰責(きっせき)する者(もの)有(あ)るを畏(おそ)れず。憍尸迦(きょうしか)、是(これ)も亦(また)善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)の現世(げんせ)の功徳(くどく)なり」と。
[書き下し文]
復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を読誦(どくじゅ)するが故(ゆえ)に。 父母(ふぼ)の愛(あい)する所(ところ)と為(な)る。宗親(そうしん)、知識(ちしき)、沙門(しゃもん)、婆羅門(ばらもん)の敬(うやま)う所(ところ)と為(な)る。 衰悩(すいのう)や闘訟(とうしょう)も法(ほう)の如(ごと)く能(よ)く度(ど)す。 憍尸迦(きょうしか)、是(これ)も亦(また)善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)の現世(げんせ)の功徳(くどく)なり。
復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)の住(じゅう)する所(ところ)の処(ところ)には。 四天王天(してんのうてん)上(じょう)の諸天(しょてん)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)す者(もの)は、皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の所(ところ)に来至(らいし)して。受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し供養(くよう)し作礼(さらい)して去(さ)る。 忉利天(とうりてん)、夜摩天(やまてん)、兜率陀天(とそつだてん)、化楽天(けらくてん)、他化自在天(たけじざいてん)上(じょう)の諸天(しょてん)。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)す者(もの)は、皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の所(ところ)に来至(らいし)して。受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し供養(くよう)し作礼(さらい)して去(さ)る。 梵天(ぼんてん)、梵世天(ぼんせてん)、梵輔天(ぼんほてん)、梵衆天(ぼんしゅてん)、大梵天(だいぼんてん)、光天(こうてん)、少光天(しょうこうてん)、無量光天(むりょうこうてん)、光音天(こうおんてん)、浄天(じょうてん)、少浄天(しょうじょうてん)、無量浄天(むりょうじょうてん)、遍浄天(へんじょうてん)、無陰行天(むおんぎょうてん)、福生天(ふくしょうてん)、広果天(こうかてん)、無広天(むこうてん)、無熱天(むねつてん)、妙見天(みょうけんてん)、善見天(ぜんけんてん)、無小天(むしょうてん)上(じょう)の諸天(しょてん)。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)す者(もの)は、皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の所(ところ)に来至(らいし)して。受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し供養(くよう)し作礼(さらい)して去(さ)る。 憍尸迦(きょうしか)、汝(なんじ)但(た)だ無小天(むしょうてん)のみ般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を供養(くよう)せんが為(ため)の故(ゆえ)に来(きた)る有(あ)りと謂(おも)うこと勿(なか)れ。 三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)の中(なか)の欲色界(よくしきかい)の諸天(しょてん)。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(おこ)す者(もの)は、皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の所(ところ)に来至(らいし)して。受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し供養(くよう)し作礼(さらい)して去(さ)る。
善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、応(まさ)に是(こ)の念(ねん)を作(な)すべし、 「十方(じっぽう)無量(むりょう)阿僧祇(あそうぎ)の国土(こくど)の中(なか)に。所有(あらゆる)の諸天(しょてん)、竜(りゅう)、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅伽(まごらが)、人(ひと)、非人(ひにん)有(あ)り。 是等(これら)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の所(ところ)に来至(らいし)して。受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し供養(くよう)し作礼(さらい)す。 時(とき)に我(われ)当(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を以(もっ)て法施(ほうせ)すべし」と。 善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)の住(じゅう)する所(ところ)の処(ところ)は。若(も)しは殿堂(でんどう)、若(も)しは房舎(ぼうしゃ)も、能(よ)く毀壊(きかい)する者(もの)無(な)し。先(さき)の行業(ぎょうごう)として必(かなら)ず応(まさ)に受(う)くべき者(もの)を除(のぞ)く。 憍尸迦(きょうしか)、亦(また)是(これ)善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)の現世(げんせ)の功徳(くどく)なり。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、諸天(しょてん)の来(きた)りて般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し供養(くよう)し礼敬(らいきょう)する時(とき)を云何(いかん)が知(し)るや」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、大光明(だいこうみょう)を見(み)ば、必(かなら)ず天(てん)、竜(りゅう)、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)等(ら)の其(そ)の所(ところ)に来至(らいし)することを知(し)るべし。 復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、若(も)し殊異(しゅい)の香(かおり)を聞(か)がば、必(かなら)ず諸天(しょてん)の其(そ)の所(ところ)に来至(らいし)することを知(し)るべし。 復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、住(じゅう)する所(ところ)の処(ところ)は応(まさ)に浄潔(じょうけつ)ならしむべし。浄潔(じょうけつ)なるを以(もっ)ての故(ゆえ)に、非人(ひにん)皆(みな)大(おおいに)歓喜(かんき)して其(そ)の所(ところ)に来到(らいとう)す。是(こ)の中(なか)に先(ま)ず住(じゅう)する小鬼(しょうき)は、大力(だいりき)の諸天(しょてん)の威徳(いとく)に堪(た)えざるが故(ゆえ)に皆悉(みなことごと)く避去(ひきょ)す。大力(だいりき)の諸天(しょてん)の数数(しばしば)来(きた)るに随(したが)うが故(ゆえ)に、其(そ)の心(こころ)転(うた)た大法(だいほう)を楽(ねが)う。是(こ)の故(ゆえ)に住(じゅう)する所(ところ)の処(ところ)の四辺(しへん)、臭穢(しゅうえ)不浄(ふじょう)有(あ)らしむべからず。
復次(またつぎに)憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、身(み)疲極(ひごく)せず。臥起(がき)安穏(あんのん)にして悪夢(あくむ)を見(み)ず。若(も)し其(そ)の夢(ゆめ)の時(とき)、但(た)だ諸仏(しょぶつ)と諸仏(しょぶつ)の塔廟(とうびょう)とを見(み)る。阿羅漢(あらかん)の衆(しゅ)、諸(もろもろ)の菩薩(ぼさつ)の衆(しゅ)を。六波羅蜜(ろくはらみつ)を修習(しゅじゅう)し。薩婆若(さつばにゃ)を学(まな)び仏世界(ぶつせかい)を浄(きよ)むるを。又(また)、仏名(ぶつみょう)を聞(き)くに、某甲(それがし)の仏(ほとけ)、某方(それがしのかた)某国(それがしのくに)に於(お)いて、若干(そこばく)百千万億(ひゃくせんまんおく)の衆(しゅ)と恭敬(くぎょう)し囲遶(いにょう)せられて、而(しこう)して為(ため)に説法(せっぽう)したまうを。 憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、夢中(むちゅう)に見(み)る所(ところ)是(かく)の如(ごと)し。覚(さ)め已(おわ)りて安楽(あんらく)にして気力(きりょく)充足(じゅうそく)し、身体(しんたい)軽便(きょうびん)なり。是(こ)の善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、飲食(おんじき)を貪(とん)ぜず。譬(たと)えば坐禅(ざぜん)の比丘(びく)、三昧(さんまい)より起(た)つが如(ごと)し。禅(ぜん)を学(まな)ぶを以(もっ)ての故(ゆえ)に飲食(おんじき)を貪(とん)ぜず。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。憍尸迦(きょうしか)、非人(ひにん)、其(そ)の気力(きりょく)を益(ます)が故(ゆえ)なり。善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、是(かく)の如(ごと)き等(ら)の現世(げんせ)の功徳(くどく)を得(え)んと欲(ほっ)せば。当(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ずべし。
憍尸迦(きょうしか)、善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、若(も)し般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)し所説(しょせつ)の如(ごと)く行(ぎょう)ずる能(あた)わずんば、当(まさ)に経巻(きょうかん)を書写(しょしゃ)し、供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き華香(けこう)、塗香(ずこう)、末香(まっこう)、焼香(しょうこう)、雑香(ざっこう)、衣服(えぶく)、幢幡(どうばん)、伎楽(ぎがく)を以(もっ)てすべし」と。
[書き下し文]
摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)舎利品(しゃりほん)第五(だいご)
爾の時(そのとき)、仏(ほとけ)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)に告(つ)げて言(のたま)わく、 「憍尸迦(きょうしか)、閻浮提(えんぶだい)に満(み)ちたる舎利(しゃり)を以(もっ)て一分(いちぶ)と為(な)し。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を以(もっ)て一分(いちぶ)と為(な)さん。二分(にぶ)の中(なか)に於(お)いて何(いづれ)の分(ぶん)を取(と)ると為(な)すや」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、我(われ)は般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を取(と)らん。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。世尊(せそん)、我(われ)、舎利(しゃり)に於(お)いて恭敬(くぎょう)せざるには非(あら)ず。舎利(しゃり)は般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)より生(しょう)ずる故(ゆえ)を以(もっ)てなり。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に熏(くん)ぜらるる所(ところ)なるが故(ゆえ)に供養(くよう)を得(う)。 世尊(せそん)、我(われ)、忉利天(とうりてん)上(じょう)の善法堂(ぜんぽうどう)の中(なか)に於(お)いて、我(われ)に坐処(ざしょ)有(あ)り、忉利(とうり)の諸天子(しょてんし)、来(きた)りて我(われ)を供養(くよう)するが故(ゆえ)なり。若(も)し我(われ)座上(ざじょう)に在(あ)らずんば、諸天子(しょてんし)、我(わ)が坐処(ざしょ)の為(ため)に、作礼(さらい)し恭敬(くぎょう)し遶(めぐ)り已(おわ)りて去(さ)る。是(こ)の念(ねん)を作(な)す、『釈提桓因(しゃくだいかんいん)、此(こ)の処(ところ)に於(お)いて坐(ざ)し、忉利(とうり)の諸天(しょてん)の為(ため)に説法(せっぽう)す』と。 諸仏(しょぶつ)の舎利(しゃり)も亦(また)是(かく)の如(ごと)し。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)より生(しょう)ず。薩婆若(さつばにゃ)の依止(えし)する所(ところ)なるが故(ゆえ)に供養(くよう)を得(う)。是(こ)の故(ゆえ)に世尊(せそん)、我(われ)、二分(にぶ)の中(なか)に於(お)いて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を取(と)らん。
世尊(せそん)、閻浮提(えんぶだい)に満(み)ちたる舎利(しゃり)を置(お)け。若(も)し三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に満(み)ちたる舎利(しゃり)を以(もっ)て一分(いちぶ)と為(な)し。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を以(もっ)て一分(いちぶ)と為(な)さん。二分(にぶ)の中(なか)に於(お)いて、我(われ)は般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を取(と)らん。 何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。諸仏(しょぶつ)の舎利(しゃり)は、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に因(よ)って生(しょう)ずるが故(ゆえ)に供養(くよう)を得(う)。 世尊(せそん)、譬(たと)えば負債(ふさい)の人(ひと)、常(つね)に債主(さいしゅ)を畏(おそ)る。親近(しんごん)して王(おう)に奉事(ぶじ)することを得(う)るを以(もっ)ての故(ゆえ)に、債主(さいしゅ)反(かえ)って更(さら)に恭敬(くぎょう)し怖畏(ふい)するが如(ごと)し。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。国王(こくおう)に依恃(えじ)して其(そ)の力(ちから)大(だい)なるが故(ゆえ)なり。 世尊(せそん)、舎利(しゃり)も亦(また)是(かく)の如(ごと)し。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に依止(えし)するが故(ゆえ)に供養(くよう)を得(う)。 世尊(せそん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は王(おう)の如(ごと)し。舎利(しゃり)は王(おう)に親近(しんごん)する人(ひと)の如(ごと)し。如来(にょらい)の舎利(しゃり)は、一切智慧(いっさいちえ)に依止(えし)するが故(ゆえ)に供養(くよう)を得(う)。 世尊(せそん)、諸仏(しょぶつ)の一切智慧(いっさいちえ)も、亦(また)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)より生(しょう)ず。是(こ)の故(ゆえ)に我(われ)、二分(にぶ)の中(なか)に於(お)いて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を取(と)らん。
世尊(せそん)、譬(たと)えば無価(むげ)の宝珠(ほうじゅ)に、是(かく)の如(ごと)きの功徳(くどく)有(あ)るが如(ごと)し。其(そ)の住(じゅう)する所(ところ)の処(ところ)は、非人(ひにん)も其(そ)の便(たより)を得(う)ること能(あた)わず。若(も)し男(おとこ)、若(も)し女(おんな)、若(も)し大(だい)、若(も)し小(しょう)、非人(ひにん)の所(ため)に、宝珠(ほうじゅ)を持(じ)して其(そ)の処(ところ)に至(いた)らば、非人(ひにん)則(すなわ)ち去(さ)らん。 若(も)し熱病(ねつびょう)有(あ)らば、珠(たま)、能(よ)く除滅(じょめつ)す。若(も)し風病(ふうびょう)有(あ)らば、珠(たま)を以(もっ)て身上(しんじょう)に著(つ)くれば、風患(ふうかん)即(すなわ)ち除(のぞ)こん。若(も)し冷病(れいびょう)有(あ)らば、珠(たま)を以(もっ)て身上(しんじょう)に著(つ)くれば、冷患(れいかん)も亦(また)除(のぞ)こん。 是(こ)の珠(たま)の住(じゅう)する処(ところ)、夜の時(とき)は能(よ)く明(あき)らかと為(な)る。熱(ねつ)の時(とき)は能(よ)く涼(すず)しと為(な)る。寒(かん)の時(とき)は能(よ)く温(あたたか)と為(な)る。珠(たま)の住(じゅう)する所(ところ)の処(ところ)には蛇毒(じゃどく)も入(い)らず。若(も)し男(おとこ)、若(も)し女(おんな)、若(も)し大(だい)、若(も)し小(しょう)、毒虫(どくちゅう)の螫(さ)す所(ところ)と為(な)りて、珠(たま)を以(もっ)て之(これ)を示(しめ)せば、毒(どく)即(すなわ)ち除滅(じょめつ)す。若(も)し諸(もろもろ)の目患(もくかん)、珠(たま)を以(もっ)て目上(もくじょう)に著(つ)くれば、目患(もくかん)即(すなわ)ち除(のぞ)こん。 世尊(せそん)、又(また)、是(こ)の宝珠(ほうじゅ)、若(も)し水中(すいちゅう)に著(つ)くれば水(みず)と同色(どうしょく)なり。若(も)し白繒(びゃくそう)を以(もっ)て裹(つつ)みて水中(すいちゅう)に著(つ)くれば、水(みず)の色(いろ)、即(すなわ)ち白(しろ)し。若(も)し青(しょう)・黄(おう)・紫(し)・赤(しゃく)の種種(しゅじゅ)の色の繒(そう)を以(もっ)て、裹(つつ)みて水中(すいちゅう)に著(つ)くれば、水(みず)、即(すなわ)ち各(おのおの)其(そ)の色(いろ)に随(したが)う。水(みず)濁(にご)らば即(すなわ)ち清(きよ)しと為(な)る。是(こ)の珠(たま)、是(かく)の如(ごと)きの功徳(くどく)を成就(じょうじゅ)す」と。
爾の時(そのとき)、阿難(あなん)、釈提桓因(しゃくだいかんいん)に問(と)う、 「此(これ)は是(これ)閻浮提(えんぶだい)の宝(たから)なるや、是(これ)天上(てんじょう)の宝(たから)と為(な)すや」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)言(もう)さく、 「此(これ)は是(これ)天上(てんじょう)の宝(たから)なり。閻浮提(えんぶだい)の人(ひと)にも亦(また)是(こ)の宝(たから)有(あ)り。但(た)だ功徳(くどく)少(すくな)くして重(おも)し。天上(てんじょう)の宝珠(ほうじゅ)は功徳(くどく)多(おお)くして軽(かろ)し。人宝(にんぽう)、天宝(てんぽう)に比(ひ)するに、算数(さんすう)譬喩(ひゆ)も及(およ)ぶこと能(あた)わざる所(ところ)なり。
世尊(せそん)、若(も)し是(こ)の珠(たま)、篋(はこ)の中(なか)に在(あ)りて、珠(たま)を挙(あ)げて去(さ)ると雖(いえど)も、珠(たま)の功徳(くどく)の故(ゆえ)を以(もっ)て其(そ)の篋(はこ)も則(すなわ)ち貴(たっと)し。世尊(せそん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)と薩婆若智(さつばにゃち)の功徳(くどく)の故(ゆえ)を以(もっ)て、如来(にょらい)の滅後(めつご)、舎利(しゃり)は供養(くよう)を得(う)。如来(にょらい)の舎利(しゃり)は、是(これ)薩婆若智(さつばにゃち)の住(じゅう)する所(ところ)の処(ところ)なる故(ゆえ)を以(もっ)てなり。我(われ)、二分(にぶ)の中(なか)に於(お)いて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を取(と)らん。 世尊(せそん)、是(こ)の三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に満(み)ちたる舎利(しゃり)を置(お)け。若(も)し恒河沙(ごうがしゃ)等(ら)の世界(せかい)の中(なか)に満(み)ちたる舎利(しゃり)を以(もっ)て一分(いちぶ)と為(な)し。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を以(もっ)て一分(いちぶ)と為(な)さん。二分(にぶ)の中(なか)に於(お)いて、我(われ)は般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を取(と)らん。何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に。諸仏如来(しょぶつにょらい)の薩婆若智(さつばにゃち)は、皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)より生(しょう)ず。薩婆若(さつばにゃ)に熏(くん)ぜらるる所(ところ)なるが故(ゆえ)に舎利(しゃり)は供養(くよう)を得(う)。
復次(またつぎに)世尊(せそん)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、如実(にょじつ)に十方(じっぽう)無量(むりょう)阿僧祇(あそうぎ)の諸仏(しょぶつ)を見(み)んと欲(ほっ)せば。当(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を行(ぎょう)ずべし。当(まさ)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を修(しゅ)すべし」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し。憍尸迦(きょうしか)、過去(かこ)の諸仏(しょぶつ)は皆(みな)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に因(よ)って、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たまえり。未来(みらい)の諸仏(しょぶつ)も亦(また)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に因(よ)って、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(う)べし。現在(げんざい)の十方(じっぽう)無量(むりょう)阿僧祇(あそうぎ)の世界(せかい)の諸仏(しょぶつ)も亦(また)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に因(よ)って、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たまう」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、摩訶波羅蜜(まかはらみつ)は是(これ)般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)なり。仏(ほとけ)、是(こ)の般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に因(よ)って、皆(みな)一切衆生(いっさいしゅじょう)の心(こころ)、心所(しんじょ)の行(ぎょう)を知(し)りたまえり」と。 仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「憍尸迦(きょうしか)、菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)、長夜(じょうや)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を行(ぎょう)ずるが故(ゆえ)なり」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、菩薩(ぼさつ)は但(た)だ般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)のみを行(ぎょう)じて、余(よ)の波羅蜜(はらみつ)を行(ぎょう)ぜざるや」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「憍尸迦(きょうしか)、菩薩(ぼさつ)は皆(みな)六波羅蜜(ろくはらみつ)を行(ぎょう)ず。若(も)し布施(ふせ)の時(とき)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を上首(じょうしゅ)と為(な)す。若(も)し持戒(じかい)、若(も)し忍辱(にんにく)、若(も)し精進(しょうじん)、若(も)し禅定(ぜんじょう)、若(も)し諸法(しょほう)を観(かん)ずる時(とき)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を上首(じょうしゅ)と為(な)す。譬(たと)えば閻浮提(えんぶだい)の種種(しゅじゅ)の樹(き)、種種(しゅじゅ)の形(かたち)、種種(しゅじゅ)の色(いろ)、種種(しゅじゅ)の葉(は)、種種(しゅじゅ)の華(はな)、種種(しゅじゅ)の果(み)、其(そ)の陰(かげ)は皆(みな)一(いつ)にして差別(しゃべつ)有(あ)ること無(な)きが如(ごと)し。五波羅蜜(ごはらみつ)も亦(また)是(かく)の如(ごと)し。般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の中(なか)に入(い)りて差別(しゃべつ)有(あ)ること無(な)し」と。
釈提桓因(しゃくだいかんいん)、白(もう)して言(もう)さく、 「世尊(せそん)、是(こ)の般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)に大功徳(だいくどく)有(あ)り。無量無辺(むりょうむへん)の功徳(くどく)有(あ)り。無等等(むとうどう)の功徳(くどく)有(あ)り。世尊(せそん)、若(も)し人(ひと)有(あ)りて般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を写(うつ)し、供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き華香(けこう)乃至(ないし)幢幡(どうばん)を以(もっ)てせん。若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を写(うつ)して他人(たにん)に与(あた)えん。是(こ)の二(ふたつ)の功徳(くどく)、何(いづ)れの所(ところ)か多(おお)しと為(な)さん」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「憍尸迦(きょうしか)、我(われ)還(かえ)って汝(なんじ)に問(と)わん。意(こころ)に随(したが)って我(われ)に答(こた)えよ。意(こころ)に於(お)いて云何(いかん)。若(も)し人(ひと)有(あ)りて仏(ほとけ)の舎利(しゃり)を得(え)て但(た)だ自(みずか)ら供養(くよう)せん。若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて仏(ほとけ)の舎利(しゃり)を得(え)て、自(みずか)ら供養(くよう)し亦(また)他人(たにん)に与(あた)えて供養(くよう)せしめん。是(こ)の二(ふたつ)の功徳(くどく)、何(いづ)れの所(ところ)か多(おお)しと為(な)さん」と。 釈提桓因(しゃくだいかんいん)言(もう)さく、 「世尊(せそん)、若(も)し人(ひと)、仏(ほとけ)の舎利(しゃり)を得(え)て自(みずか)ら供養(くよう)し、亦(また)他人(たにん)に与(あた)えて供養(くよう)せしめば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
仏(ほとけ)言(のたま)わく、 「是(かく)の如(ごと)し、是(かく)の如(ごと)し。憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を写(うつ)し、供養(くよう)し恭敬(くぎょう)し尊重(そんちょう)し讃嘆(さんだん)して、好(よ)き花香(けこう)乃至(ないし)幢幡(どうばん)を以(もっ)てせんも。善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の経巻(きょうかん)を写(うつ)し、自(みずか)ら供養(くよう)し亦(また)他人(たにん)に与(あた)えて供養(くよう)せしむる其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)きには如(し)かず。 仏(ほとけ)言(のたま)わく、憍尸迦(きょうしか)、若(も)し善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、在在処処(ざいざいしょしょ)にて、人(ひと)の為(ため)に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を解説(げせつ)せば。其(そ)の福(ふく)甚(はなは)だ多(おお)し」と。
小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)巻第二(まきのだいに)
摩訶般若波羅蜜経(まかはんにゃはらみつきょう)巻第一(かんだいいち):書き下し文
小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第二:書き下し文
小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう) 巻第三:書き下し文
『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第四:書き下し文
『小品般若波羅蜜経(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』巻第五:書き下し文
『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第六:書き下し文
『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第七(かんのだいしち):書き下し文
『小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)』卷第八(かんのだいはち):書き下し文
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