お示しの真言は、前回整理した「一 如来の諸印」セクションの続き、「三 金剛部の印(属:金剛部または護身・降魔の真言)」に含まれる真言です。
具体的には、『大日経』密印品第九の13番「降魔の印(怖一切爲障者印=一切の障礙者を恐怖させる印)」の真言です。
全体の意味は、「あまねき諸仏に帰命したてまつる。大いなる力を具える(女性格の)者よ、十力より生じた者よ、大慈より完全に生起した者よ、成就あれ」となります。
サンスクリット語の単語ごとに詳しく分解すると、以下のようになります。
1. namaḥ (ナマッ)
- 意味: 「帰命する」「礼拝する」「敬礼する」。
- 解説: 対象に対する絶対的な帰依と尊敬を表す言葉です。マントラの冒頭に置かれる定型句です。
2. samanta-buddhānām (サマンタ・ブッダーナーム)
- 意味: 「あまねき(samanta)一切の仏たちに(buddhānām)」。
- 解説: この真言が「如来身会」の中の「Buddha家族(如来部)」またはそれに準ずる「Vajra家族(金剛部)」の諸尊に向けられていることを示します。
3. mahā-bala-vati (マハー・バラ・ヴァティ)
- 意味: 「大いなる力を具える女性格の者よ(呼格)」。
- 解説:
mahā:大いなる。bala:力(ここではBuddhaの十力)。vati:〜を持つ者(女性形接尾辞の呼格)。
- この真言が呼びかけている保護の原理(または諸尊の働き)が、「大いなる力」そのものであることを示しています。
4. daśa-balodbhave (ダシャ・バロードバヴェ)
- 意味: 「十力より生じた者よ(呼格)」。
- 解説:
daśa-bala:十力。udbhave:〜から生じた( ud + bhava の呼格)。
- お示しの真言が呼びかけている「大いなる力」とは、具体的には如来の十力(じゅうりき)であることを示しています。
5. mahā-maitry-abhyudgate (マハー・マイトリャ・アビューガテ)
- 意味: 「大慈より完全に生起した者よ(呼格)」。
- 解説:
mahā:大いなる。maitry:慈、Loving-kindness。abhyudgate:完全に( abhi )、生起した( ud + gata の呼格)。
- この真言が呼びかけている「大いなる力(十力)」の究極の源泉が、「大慈(大いなる慈しみ)」であることを示しています。
6. svāhā (スヴァーハー)
- 意味: 「成就あれ」「警発(諸仏を呼び覚ます)」。
『大日経疏』の緻密な解説:力と慈悲の論理的結合
前回の「与願印」の「vajrātmaka(金剛の本質)」と同様に、この真言も、疏(解説書)の注釈を併せて読むことで、その思想的な深みが明らかになります。
疏の注:「この大力とは如来の十力、一切の力の中で最も自在なるもの。如来はいかにしてこの十力を得たか。大慈から得た。ゆえにこの力は大慈より生ずるという。」
この疏の解説こそ、この真言が語る論理的構造です。
- 力の正体(十力): 真言が呼ぶ「大いなる力(bala)」とは、世俗的な暴力や権力ではなく、Buddhaが持つ「十力」を指します。疏はこれを「一切の力の中で最も自在なるもの(最も制限がなく、本質的な力)」と定義します。
- 力の源泉(大慈): そして最も重要なのは、「Buddhaはどのようにしてその究極の力を得たのか?」という問いへの答えです。疏は「大慈から得た」と明言します。つまり、Buddhaの十力は、それ自体が目的として存在する力ではなく、「大慈( mahā-maitry )」が、衆生を救済し、障礙( Mara )を退けるために具体的に発現した「働き」なのです。
- 真言の構造: したがって、真言は「大慈より完全に生起した十力( mahā-bala-vati daśa-balodbhave mahā-maitry-abhyudgate )」を呼び起こしているのです。
「11. 施無畏印」の「jina jina(勝者よ)」が二重の勝利(凡夫と二乗の煩悩)を指していたのと同様、この真言も、呼び起こす「力」が、慈悲に基づかない単なる力(=それ自身がMaraになり得る力)ではなく、「大慈から生じた力」であることを言葉によって封印し、その清浄なる働きを自身に呼び戻すプロトコルとなっています。
このように、これまでの真言の「型」が、この金剛部(降魔)の真言にも共通して作動していることが見事に確認できます。

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