タイトル
鳩摩羅什訳『小品般若波羅蜜経』の門前にあたる、僧叡の「小品経序」。408年の訳出経緯、旧訳との違い、般若と法華の相待を、書き下しと短い読みの勘所で解説していきます。
今回の位置
本文に入る前に、釈僧叡(しゃくそうえい)の序。ただの前書きではありません。この経がなぜ訳され、大品とどう違い、法華とどう対になるかを、最初に定めています。
巻第一の連載は、この序から始めます。初品の問答は次回からです。
書き下し
小品経序(しょうぼんきょうじょ)
釈僧叡
般若波羅蜜経(はんにゃはらみつきょう)なる者は、理を窮め性を尽くすの格言、菩薩成仏の弘軌(こうき)なり。軌、弘からざれば、則ち以て群異を寮(りょう)してその帰を指すに足らず。性、尽きざれば、則ち物何を以てか道場に登りて正覚(しょうがく)を成ぜん。正覚の成ずる所以、群異の一なる所以、何か斯の道に由ら莫らんや。
是を以て異教慇懃(いきょういんぎん)にして、三撫(さんぶ)これを以て頻発し、功徳畳校(じょうこう)して、九増(くぞう)これを以て屡々至る。如問(にょもん)は相を玄に摽(ひょう)してその玄を玄とし、幻品(げんぽん)は寄を忘れてその忘を忘る。道行(どうぎょう)はその津を坦かにし、難問はその源を窮む。随喜(ずいき)は趣を忘れて以て終わりを要め、照明(しょうみょう)は不化にして以て玄に即く。
章は三十と雖も、これを貫く者は道なり。言は十万と雖も、これを倍する者は行なり。行、凝りて然る後に無生(むしょう)なり。道、足りて然る後に補処(ふしょ)なり。ここに及んで一切智(いっさいち)と変ずるなり。法華(ほっけ)は本を鏡として以て照を凝らす。般若は末を冥として以て懸を解く。懸を解く理趣(りしゅ)は、菩薩の道なり。照を凝らして本に鏡するは、その終わりを告ぐるなり。終わりて泯(ほろ)びざれば、則ち帰途扶疎(きとふそ)として、三実の跡あり。権応(ごんおう)夷かならずんば、則ち乱緒紛綸(らんしょふんりん)として、惑趣の異なりあり。
是を以て法華と般若、相待って以て終わりを期し、方便と実化(じっけ)、冥一(めいいつ)して以て尽くるを俟つ。その理を窮め性を尽くし万行を夷明(いめい)するを論ずれば、則ち実も照に如かず。その大いに真化(しんけ)を明らめ、本三無きを解するを取れば、則ち照も実に如かず。是の故に深きを歎ずれば則ち般若の功重く、実を美むれば則ち法華の用微なり。此の経の尊きこと、三撫三嘱(さんぶさんしょく)するも、未だ惑うに足らざるなり。
秦の太子なる者あり。跡を儲宮(ちょきゅう)に寓し、韻を区外(くがい)に擬す。斯の経を翫味(がんみ)し、夢想増至す。大品(だいほん)に准悟(じゅんご)し、深く訳者の失を知る。たまたま、究摩羅法師(くまらほっし)、神その文を授け、真本なお存することを聞く。弘始(こうし)十年二月六日を以て、請うてこれを出さしむ。四月三十日に至りて、校正すべて訖る。これを旧訳(くやく)に考うるに、真に荒田の稼芸(かうん)の若く、その半ばを過ぐること未だいくばくならざるなり。斯の経の正文は、凡そ四種あり。是れ仏、異時に適化(てきけ)せる広略の説なり。その多き者は云く、十万偈(じゅうまんげ)ありと。少なき者は六百偈なり。此の大品は、すなわち是れ天竺(てんじく)の中品なり。随宜(ずいぎ)の言、また何ぞ必ずしもその多少を計り、その煩簡(はんかん)を議せんや。梵文は雅質(がしつ)にして、本に案じてこれを訳するに、麗巧(れいこう)に於ては足らざるも、樸正(ぼくしょう)には余りあり。幸くは文悟の賢に冀わくは、その華を略してその実に幾づかんことを。
現代語の要約
般若経は、理を窮め、性を尽くし、菩薩が仏になる道を開く言葉である。章が多くても貫くのは道、言葉が多くてもそれを倍にするのは行である。
法華は本を照らして終わりを示す。般若は末の惑いを解く。一方だけでは足りない。深く歎ずれば般若の功が重く、実を美むれば法華の用が見える。
秦の太子が旧訳の不足を知り、鳩摩羅什(くまらじゅう)に請うて、弘始十年(408年)二月六日から四月三十日までかけてこの経を出した。旧訳は荒田の半ばを耕したようなものである。経の広略は四種あるが、多少を競う必要はない。華を略して実に近づけ、と僧叡は読者に求めている。
ポイント 序は賛辞ではなく、読み方の指定であるこの序で押さえるのは、訳出年代だけではありません。僧叡は、この経の読み方を先に定めています。
一つは、般若を法華の下に置かないことです。法華が本を照らすなら、般若は末の懸を解く。相待です。空だけを取っても、実だけを取っても、足りない、と最初に書いてあります。
もう一つは、言葉の巧さより骨格です。羅什訳は麗巧に足らず、樸正に余る。美しい文を追うより、実に近づけ。この指示は、これから初品の短い問答を読むときにも効きます。文が短いのは、省略が多いということでもある、と後で何度も見えます。
つまずきやすい所
「小品」は、経そのものの劣りを意味しません。同じ羅什訳の大品に対する呼び方です。経題の本体は「摩訶般若波羅蜜経」です。
「荒田の稼芸」は、旧訳を全面否定する悪口でもありません。半分はすでに実っている。ただし半ばを過ぎても、まだ足りない。だから再訳した、という評価です。
「三撫三嘱」は、この経がくり返し勧められ、託される尊さを言っています。序の段階で、すでに受持と嘱累の主題が見えています。
次回
次回から本文に入ります。
巻第一②は、初品の始まりです。仏が須菩提に「菩薩の為に般若波羅蜜を説け」と命じ、須菩提は「菩薩を見ず、得ず」と返します。名前が先に空になります。
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