記事の説明
明呪品の後半。阿難が問う。なぜ五波羅蜜の名を讃えないのか。仏は答える。薩婆若に廻向しなければ、布施も戒も波羅蜜にならない。種は大地に依らなければ生えない。諸天は、その法を聴くために集う。
目次
- 今回の位置
- 書き下し
- 現代語の要約
- ポイント 導くとは、五つを捨てることではない
- つまずきやすい所
- 次回
今回の位置
④は明呪品の入口でした。帝釈が般若を誦すれば、阿修羅も外道も魔も退く。大明呪は足した真言ではない、までです。今回は、その同じ品の後半です。帝釈が、聞いただけでもすでに諸仏に親近している、薩婆若の大宝は海の大宝のように般若の中に求めよ、と言います。そこへ阿難が割って入る。なぜ檀・尸羅・羼提・毘梨耶・禅の名を讃えないのか。答えは、讃えないのではない。導く、です。諸天の来集は、その導かれた法の所に集う話です。読む範囲は、明呪品のうち、帝釈の「聞般若」から、書写供養の勧めまで。閻浮提の樹陰の喩えは舎利品に入ります。⑥です。
書き下し
その時、釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏に白(もう)して言わく、「世尊、若し人、般若波羅蜜を聞くことを得る者は、已に曽て諸仏に親近し、小功徳より来るにあらず。何に況んや受持読誦し、説く所の如く学び、説く所の如く行ぜんをや。何を以ての故に。世尊、諸菩薩の薩婆若(さつばにゃ)は、当に般若波羅蜜の中に於て求むべし。世尊、譬えば大宝は、当に大海の中に於て求むべきが如し。世尊、諸仏の薩婆若の大宝は、応に般若波羅蜜の中に於て求むべし」と。仏言わく、「是の如し、是の如し。憍尸迦(きょうしか)、諸仏の薩婆若は皆般若波羅蜜の中より生ず」と。その時、阿難、仏に白して言わく、「世尊、世尊は檀波羅蜜(だんはらみつ)の名を讃説したまわず。尸羅波羅蜜(しらはらみつ)・羼提波羅蜜(せんだいはらみつ)・毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)・禅波羅蜜の名を讃説したまわす。何を以ての故に、但だ般若波羅蜜の名のみを讃説したもうや」と。
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仏、阿難に告ぐ。「般若波羅蜜は五波羅蜜を導く。阿難、意に於て云何。若し布施、薩婆若に廻向せずんば、檀波羅蜜を成ずるや不や」と。阿難言わく、「不なり、世尊」と。
「若し持戒・忍辱・精進・禅定・智慧、薩婆若に廻向せずんば、般若波羅蜜を成ずるや不や」と。阿難言わく、「不なり、世尊」と。
「阿難、是の故に般若波羅蜜は五波羅蜜の為に導と為る。阿難、譬えば大地に種を其の中に散ずれば、因縁和合してすなわち生長を得。此の地に依らざれば、終に生ずることを得ず。阿難、是の如く五波羅蜜は、般若波羅蜜の中に住して而して増長を得。般若波羅蜜の護る所と為るが故に、薩婆若に向かうことを得。是の故に阿難、般若波羅蜜は五波羅蜜の為に導と作(な)る」と。
その時、釈提桓因、仏に白して言わく、「世尊、是の善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦し、説く所の如く行じて得る所の功徳、如来の之を説きたもうも、猶おまた未だ尽きず」と。仏、憍尸迦に告ぐ。「我、但だ是の人の受持読誦し、説く所の如く行ずる功徳を説くのみにあらず。憍尸迦、若し善男子・善女人有りて、般若波羅蜜の経巻を供養し、恭敬尊重讃歎し、好華香乃至幢幡を以てせば、我また其の得る所の功徳を説く」と。
釈提桓因、仏に白して言わく、「世尊、我もまた当に是の善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を供養し、恭敬尊重讃歎し、好華香乃至幢幡を以てする者を護念すべし」と。
仏言わく。「憍尸迦、是の善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦せば、若干百千の諸天の大衆、法を聴かんが故に、其の所に来たる。是の法師、諸天の為に説法する時、非人、其の気力を益す。若し法師、疲極して説法を楽わざるも、諸天、法を恭敬するが故に、之をして楽説せしむ。憍尸迦、是れまた善男子・善女人、是の現世の功徳を得。
「また次に憍尸迦、是の善男子・善女人、四衆の中に於て般若波羅蜜を説く時、其の心、来たりて難問し及び詰責する者有るを畏れず。何を以ての故に。是の人、般若波羅蜜の護念する所と為るが故に、人の般若波羅蜜の短を得る者有るを見ず。般若波羅蜜にもまた短として得べき無し。是の人、是の如く般若波羅蜜の護念する所と為るが故に、来たりて難問詰責する者有るを畏るること無し。憍尸迦、是れまた善男子・善女人の現世の功徳なり。
「また次に憍尸迦、是の善男子・善女人、般若波羅蜜を読誦するが故に、父母の愛する所と為り、宗親・知識・沙門・婆羅門の敬する所と為り、衰悩鬪訟、如法に能く度す。憍尸迦、是れまた善男子・善女人の現世の功徳なり。
「また次に憍尸迦、般若波羅蜜の経巻の所住の処には、四天王天上の諸天、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心を発せる者、皆般若波羅蜜の所に来たりて、受持読誦し、供養作礼して去る。忉利天・夜摩天・兜率陀天・化楽天・他化自在天上の諸天、発心せる者もまた来たる。梵天乃至無小天上の諸天、発心せる者もまた来たる。憍尸迦、汝、但だ無小天のみ般若波羅蜜を供養するが故に来たると思わば、爾らず。三千大千世界の中の欲界・色界の諸天、発心せる者、皆来たる。善男子・善女人、応に是の念をなすべし。『十方無量阿僧祇の国土の中の所有の諸天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人、是等、般若波羅蜜の所に来たりて受持読誦し供養作礼する時、我当に般若波羅蜜の法施を以てすべし』と。善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻の所住の処、若し殿堂、若し房舎、能く毀壊する無し。先の行業の必ず応に受くべき者を除く。憍尸迦、また是れ善男子・善女人の現世の功徳なり」と。
釈提桓因、仏に白して言わく、「世尊、是の善男子・善女人、云何が諸天の来たりて受持読誦し供養礼敬する時を知るや」と。
仏言わく。「憍尸迦、若し善男子・善女人、大光明を見ば、必ず天・龍・夜叉・乾闥婆等の其の所に来たるを知る。また次に憍尸迦、殊異の香を聞かば、必ず諸天の其の所に来たるを知る。また次に憍尸迦、所住の処、応に浄潔ならしむべし。浄潔なるが故に、非人皆大いに歓喜して其の所に来到す。是の中に先に住せる小鬼は、大力の諸天の威徳に堪えざるが故に、皆悉く避け去る。大力の諸天、数数来たるが故に、其の心、転た大法を楽う。是の故に所住の処の四辺、応に臭穢不浄有らしむべからず。
「また次に憍尸迦、善男子・善女人、身、疲極せず、臥起安隠にして、悪夢を見ず。若し其の夢みる時は、但だ諸仏・諸仏の塔廟、阿羅漢衆・諸菩薩衆、六波羅蜜を修習し、薩婆若を学び、仏世界を浄むるを見る。また仏名を聞く。某甲の仏、某方某国に於て、若干百千万億の衆と恭敬囲繞して而して為に説法す、と。憍尸迦、善男子・善女人、夢中に見る所是の如くなれば、覚めて安楽、気力充足し、身体軽便なり。是の善男子・善女人、飲食を貪らず。譬えば坐禅の比丘、三昧より起くるに、禅を学ぶが故に飲食を貪らざるが如し。何を以ての故に。憍尸迦、非人、其の気力を益すが故に。
「善男子・善女人、是の如き等の現世の功徳を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を受持読誦し、説く所の如く行ずべし。憍尸迦、善男子・善女人、若し般若波羅蜜を受持読誦し、説く所の如く行ずること能わずんば、当に経巻を書写し、供養恭敬し、尊重讃歎し、好華香・塗香・末香・焼香・雑香、衣服・幢幡・伎楽を以て供養すべし」と。
現代語の要約
帝釈が言います。般若を聞く者は、すでに諸仏に親近している。小功徳から来たのではない。薩婆若の大宝は、海の大宝のように、般若の中に求めよ、と。仏は印します。薩婆若はみな般若から生ずる、と。
阿難が問います。なぜ布施・持戒・忍辱・精進・禅定の名を讃えないのか。仏は返します。布施を薩婆若に廻向しなければ、檀波羅蜜にならない。持戒も忍辱も精進も禅定も、智慧さえも、廻向しなければ波羅蜜にならない。種を大地に散らせば因縁和合して生える。地に依らなければ終に生えない。五波羅蜜は般若の中に住して増長し、護られて薩婆若に向かう。だから般若が導く、と。
帝釈は、説いても功徳は尽きない、と言います。仏は、行ずる功徳だけでなく、経巻を供養する功徳も説く、と返す。帝釈は、その供養者も護念する、と誓います。
受持読誦の所には、法を聴くために諸天が来る。法師が疲れても、諸天が楽説させる。四衆の中で説くとき、難問を畏れない。短が見えない。短として得るものもない。父母や宗親に愛敬され、鬪訟を如法に度す。四天王天から色界の諸天まで、発心した者が経巻の所に来て、受持読誦し、礼して去る。来る者に法施せよ、と思え。殿堂も房舎も毀たれない。ただし、先の業で必ず受けるべきものは除く。
どうして来たのが分かるか。大光明、殊異の香。住處を浄くせよ。小鬼は大力の天に堪えず避ける。夢には仏と塔と菩薩の行が見える。覚めて身が軽い。飲食を貪らない。坐禅から起きた比丘のようだ。非人が気力を益すからである。行ぜられなければ、経巻を書写して供養せよ、と閉じます。
ポイント 導くとは、五つを捨てることではない
阿難の問いは、自然です。この巻は般若ばかりを較べてきた。では布施は要らないのか。
仏は、五つを外しません。波羅蜜の名を外します。薩婆若に廻向しない布施は、布施ではあっても檀波羅蜜ではない。智慧さえ、廻向しなければ般若波羅蜜にならない。導くとは、五つを従える主人になることではない。五つが岸へ届く向きを失わないことです。
大地の喩えがそれを示します。種が要らない、ではない。地に依らなければ生えない。五つの行は種です。般若は、その種が伸びる場所です。場所を握って種を捨てると、また空に住みます。種だけを盛って地を忘れると、福の計算に戻ります。③の塔と同じずれです。
諸天の来集も、霊験の見せ場ではありません。導かれた法のある所に、発心した者が来る。法師の気力を益し、楽説させる。短を取る問いが立たない。來た天に法施せよ、と思え、と置く。来る者を所有しない。②の「業行の必ず応に受くべき者を除く」も、ここでもう一度残されています。住處は護られる。因果は消えない。
つまずきやすい所
「智慧も廻向しなければ般若にならない」。 六つの最後まで含めています。空を見た智慧も、薩婆若に向かわなければ波羅蜜の名を取らない。④の空じた行相と同じ切れです。
檀・尸羅・羼提・毘梨耶は音写です。 布施・持戒・忍辱・精進です。禅はすでに訳語です。阿難は五つの名を、経の呼び方のまま並べています。
大宝は海に求めよ。 薩婆若を般若の外に置かない、です。海を捨てて宝だけを持たない。③の出所と同じ向きです。
光明と香で天を知る。 感应を集める技法ではありません。浄くして待て、です。小鬼が避けるのも、大力を呼ぶ呪ではなく、不浄を置かない、です。夢の仏名も、証の証書にしない。覚めて身が軽い、までです。
行ぜられなければ書写せよ。 行が先、写しが次です。写しで行を代替する文ではない。できない者に、通路を残しています。
次回
次回は舎利品です。 閻浮提に満てる舎利を一分、経巻を一分として、帝釈は経巻を取る。舎利を敬わないのではない。舎利は般若から生じ、般若に熏じられたから供養される、と。負債人と宝珠の喩えがそこに置かれます。巻第二⑥は有料で出します。
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