小品般若経 巻第二⑦ 写して与え、人のために説け

記事の説明

舎利品の終わり、巻第二の結び。菩薩は余の波羅蜜を行じないのか。行ずる。ただし般若が上首である。樹の形はさまざまでも陰は一つ。自分だけ供養するより、写して与え、人のために説け。

目次

  • 今回の位置
  • 書き下し
  • 現代語の要約
  • ポイント 持ったまま閉じない
  • つまずきやすい所
  • 巻第二を閉じる
  • 次回

今回の位置

⑥は、二分の中で経巻を取る段でした。舎利を敬わないのではない。熏じた側を取る。負債人、宝珠、篋までです。

今回で巻第二を閉じます。帝釈が問う。菩薩は般若だけを行じ、余の波羅蜜を行じないのか。仏は、六つとも行ずる、ただし布施の時も般若が上首である、と返す。閻浮提の樹は形も色も葉も花も果も違う。陰は一つで差別がない。五波羅蜜も般若に入れば差別がない。

そのあと、功徳の比較が最後に一段階開きます。自分で写して供養するか、写して他人にも与えるか。舎利でも同じ問いです。与える側が多い。さらに、在在処処で人のために説く福は甚だ多い、と巻を閉じます。

読む範囲は、舎利品の「但だ般若を行ずるか」から、「在在処処、人の為に解説せば其の福甚だ多し」まで。

書き下し

釈提桓因(しゃくだいかんいん)、仏に白(もう)して言わく、「世尊、摩訶波羅蜜は是れ般若波羅蜜なり。仏、是の般若波羅蜜に因りて、皆一切衆生の心・心所行を知る」と。仏言わく、「憍尸迦(きょうしか)、菩薩摩訶薩、長夜に般若波羅蜜を行ずるが故に」と。

釈提桓因、仏に白して言わく、「世尊、菩薩は但だ般若波羅蜜を行じて、余の波羅蜜を行ぜざるや」と。

仏言わく、「憍尸迦、菩薩は皆六波羅蜜を行ず。若し布施する時、般若波羅蜜を上首と為す。若し持戒、若し忍辱、若し精進、若し禅定、若し諸法を観ずる時、般若波羅蜜を上首と為す。譬えば閻浮提(えんぶだい)の種種の樹、種種の形、種種の色、種種の葉、種種の華、種種の果、其の陰は皆一にして差別有ること無きが如し。五波羅蜜もまた是の如し。般若波羅蜜の中に入れば、差別有ること無し」と。

「世尊、是の般若波羅蜜は大功徳有り。無量無辺の功徳有り。無等等の功徳有り。世尊、若し人、般若波羅蜜の経巻を写し、供養恭敬し尊重讃歎し、好華香乃至幢幡を以てす。若しまた人有りて、般若波羅蜜の経巻を写して他人に与う。是の二功徳、何の為す所か多き」と。

仏言わく、「憍尸迦、我還って汝に問わん。意に随って我に答えよ。意に於て云何。若し人有りて仏の舎利を得て、但だ自ら供養す。若しまた人有りて仏の舎利を得て、自ら供養し、また他人に与えて供養せしむ。是の二功徳、何の為す所か多き」と。釈提桓因言わく、「世尊、若し人、仏の舎利を得て自ら供養し、また他人に与えて供養せしめば、其の福甚だ多し」と。

仏言わく、「是の如し、是の如し。憍尸迦、若し善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を写し、供養恭敬し尊重讃歎し、好花香乃至幢幡を以てす。善男子・善女人、般若波羅蜜の経巻を写し、自ら供養し、また他人に与えて供養せしむるに如かず。其の福甚だ多し。憍尸迦、若し善男子・善女人、在在処処に、人の為に般若波羅蜜を解説せば、其の福甚だ多し」と。

小品般若波羅蜜経 巻第二

現代語の要約

帝釈が言います。摩訶波羅蜜は般若である。仏はこの般若によって衆生の心と心所行を知る、と。仏は、菩薩が長夜に般若を行ずるからだ、と受けます。

帝釈が重ねて問う。では余の波羅蜜は行じないのか。仏は、六つとも行ずる、と言う。布施の時も、戒も忍も進も禅も、諸法を観ずる時も、般若を上首とする。閻浮提の樹は、形も色も葉も花も果もさまざまである。陰は一つで差別がない。五波羅蜜も、般若の中に入れば差別がない。

帝釈が最後に較べます。経巻を写して自分で供養するか。写して他人に与えるか。仏は舎利で問い返します。自分だけ供養するか。自分も供養し、他人にも与えて供養させるか。帝釈は、与える側が多い、と答える。仏は印します。経巻も同じである。さらに言う。在在処処で人のために解説すれば、その福は甚だ多い、と。巻第二はここで閉じます。

ポイント 持ったまま閉じない

巻第二は、受持から始まりました。不離の行、毀乱の自滅、塔より経、明呪、五つの導、舎利より経巻。持つ話が続いてきた。終わりは、持ったものを渡す話です。

自分で写して供養する福は、すでに認められている。そのうえで、他人に与えて供養させる福が多い。舎利でも同じ問いを先に置きます。器でも出所でも、自分のところに止めた福より、渡す福が上に来る。

最後の一句が、さらに開きます。与えるだけでも終わらない。在在処処で人のために説け。巻を所持する行が、説く行に移る。巻第一の「得ない」が、巻第二の「持つ」になり、持つが「渡す・説く」で閉じる。持つな、ではない。持ったまま目的にしない、です。

樹陰は、五つを消す喩えではありません。樹はさまざまである。陰が一つである。布施も戒も、形を捨てない。般若の中に入ったとき、別々の岸へ分かれない。⑤の大地と対になります。種は別々、地は一つ。樹は別々、陰は一つ。

つまずきやすい所

「但だ般若を行ずるか」に、仏は否と答える。 ⑤で五つの名を讃えないと聞いたあとでも、行じない、ではない。上首が般若である。五つを従えて捨てる話ではない。

「諸法を観ずる時」も上首は般若。 観そのものが、もう一つの所有にならないように、です。④の空じた行相が、六つの内側でも続く。

樹陰の「差別無し」。 葉も花も同じ色にせよ、ではない。陰が一つ、です。行の形を均一にする文ではない。

写して与える。 紙を配れば福が殖える、という商売の文にしない。自ら供養したうえで与える。自分の分を捨てて渡すのでもない。止めた福を開く、です。

「在在処処、人の為に解説す」。 講壇の専門職だけではない。所在で説く。③④⑤⑥で較べてきた経巻が、ここで口に戻る。書写の教材も、ここで閉じれば通路です。教材で終わらせると、また篋です。

巻第二を閉じる

①不離の行を仏の如く見よ。
②受持すれば毀乱は自ら滅す。
③経巻の供養は塔に勝る。
④般若は大明呪である。
⑤五波羅蜜を導くのは般若である。
⑥舎利より経巻を取る。
⑦写して与え、人のために説け。

巻第一は、菩薩も涅槃も対象として残さない、でした。巻第二は、その同じ経を、受持し、較べ、誦し、導き、取り、渡す。所持する主体を立てずに持つ。持ったものを、人の前で開く。次の巻は、その開いた空が、また功徳の計算に戻らないかを見ます。

次回

巻第三に入ります。 品の名と範囲は、巻第三の目次で先に示します。巻第二の通路は、ここで一度閉じます。

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