今回の位置
前回は、離れない行を仏の如く見よ、でした。燃燈仏の授記も、その不離の上に置かれました。
今回から、受持・読誦の現世功徳に入ります。巻を持つ話が始まりますが、持つ主体を太くする話ではありません。離れずに行ずる者のところでは、毀乱が先に滅する、と説きます。
読む範囲は、塔品第三のうち、「能く受持読誦し、説く所の如く行ず」から、経巻の住处が道場の四辺の如し、まで。舎利・塔との比較は次回です。
書き下し
仏、釈提桓因(しゃくだいかんいん)に因りて、欲色界の諸天子及び四衆――比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)等に告ぐ。
「憍尸迦(きょうしか)、若し善男子・善女人有りて、能く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を受持読誦し、説く所の如く行ぜば、魔若しは魔天、人若しは非人、その便を得ず。終に横死せず。善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦するが故に、忉利(とうり)の諸天、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心を発して、未だ般若波羅蜜を受持読誦せざる者、その所に来至す。
「また次に憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦する時、若しは空舎に在り、若しは道路に在り、若しは或いは道を失うとも、恐怖有ること無し」と。
護られる、と先に置きます。次から、誰が護念し、毀乱がどう滅するかが開きます。
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その時、四天王、仏に白(もう)して言わく、「世尊、若し善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦し、説く所の如く行ぜば、我等皆当に護念すべし」と。釈提桓因、仏に白して言わく、「世尊、若し善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦し、説く所の如く行ぜば、我当に護念すべし」と。梵天王及び諸の梵天、倶に仏に白して言わく、「世尊、若し善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦し、説く所の如く行ぜば、我等もまた当に護念すべし」と。
釈提桓因、仏に白して言わく、「希有なり、世尊。善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦して、是の如き現世の功徳を得。世尊、若し般若波羅蜜を受持する者は、則ち諸の波羅蜜を受持すと為す」と。
仏言わく、「是の如し、是の如し。憍尸迦、般若波羅蜜を受持する者は、則ち諸の波羅蜜を受持すと為す。また次に憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦して得る所の功徳、汝今善く聴け。当に為に汝に説くべし」と。釈提桓因、教を受けて聴く。
仏、憍尸迦に告ぐ。「若し我が此の法を毀乱し違逆せんと欲する者有るも、是の心有りと雖も、漸漸に自ら滅して、終に願に従わず。何を以ての故に。憍尸迦、若し善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦せば、種種の毀乱・違逆の事起こるも、法として応に皆滅すべし。是の故に此の人、終に願に従わず。憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦して、是の如き現世の功徳を得。
「譬えば薬有り、名づけて摩醯(まけい)と為す。蛇有りて飢えて行いて食を求め、小虫有るを見て而も之を食わんと欲す。虫、薬の所に赴けば、蛇、薬の気を聞いて即ち迴還して去る。所以(ゆえ)は何(いか)ん。薬の力、能く蛇の毒を消すが故に。憍尸迦、善男子・善女人もまた是の如し。若し般若波羅蜜を受持読誦せば、種種の毀乱・違逆の事起こるも、般若波羅蜜の力を以ての故に、即ち自ら消滅す。
「また次に憍尸迦、若し般若波羅蜜を受持読誦せば、護世の四天王、皆当に護念すべし。
「また次に憍尸迦、是の人、終に無益の語を説かず。言う所の言説、人の信受する所なり。瞋恚(しんに)少なく、終に恨みを懐かず。我慢に覆われず。瞋恚に使われず。善男子・善女人、若し瞋恚する時、能く是の念をなす、『若し我瞋らば、則ち諸根を壊し、顔色変異す。我、阿耨多羅三藐三菩提を求めんと欲す。云何が当に瞋心に随うべき』と。是の如く思惟すれば、即ち正念を得。憍尸迦、善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦して、また是の現世の功徳を得」と。釈提桓因、仏に白して言わく、「希有なり、世尊。般若波羅蜜は廻向(えこう)の為の故に、高心の為にせず」と。
仏、憍尸迦に告ぐ。「善男子・善女人、般若波羅蜜を受持読誦し、若し人、軍陣に於て般若波羅蜜を誦せば、若しは住し若しは出づるも、若しは寿命を失い若しは悩害せらるるは、是の処有ること無し。若し刀箭、向わんとする者も、終に傷くること能わず。何を以ての故に。般若波羅蜜は是れ大呪術、無上の呪術なり。善男子・善女人、此の呪術を学ばば、自ら悪を念ぜず、他の悪を念ぜず、両つながら悪を念ぜず。是の呪術を学んで、阿耨多羅三藐三菩提を得、薩婆若智(さつばにゃち)を得、能く一切衆生の心を観ず。
「また次に憍尸迦、若し般若波羅蜜の経巻の住處、若しは読誦の処は、人若しは非人、その便を得ず。唯だ業行の必ず応に受くべき者を除く。憍尸迦、譬えば道場の四辺、若しは人若しは畜生、能く悩ます者無きが如し。何を以ての故に。過去・未来・現在の諸仏、此の中に於て得道し、已に得、今得、当に得べければなり。是の処、一切衆生、恐無く畏無く、能く悩害する者無し。憍尸迦、般若波羅蜜を以ての故に、是の処則ち吉にして、人の恭敬供養礼拝する所なり」と。
現代語の要約
受持し、読誦し、説かれたとおりに行ずる者には、魔も非人も便を得ません。横死せず、空き家でも道でも、道に迷っても恐れない。忉利の諸天も、発心してその所に来ます。
四天王も帝釈も梵天も、護念すると名乗ります。般若を受持することは、諸波羅蜜を受持することです。この法を毀そうとする心は、次第に自滅して願を遂げません。飢えた蛇が小虫を追っても、虫が摩醯という薬のところへ行けば、蛇は薬の気を聞いて引き返す。毀乱も、そのように滅します。
無益の語を説かず、瞋りにくく、瞋ったときには諸根が壊れると見て正念に戻る。帝釈は、般若は廻向のためであって高心のためではない、と言います。軍陣で誦しても寿命を失わず、刀箭も傷つけない。経巻の住處は道場の四辺の如く、人非人が便を得ません。ただし、必ず受けるべき業だけは除きます。
ポイント 功徳は、所持の賞ではない
今回の功徳は、巻を所有した褒美ではありません。離れずに行ずる場所で、先に壊れるものがある、という話です。
壊れるのは、まず毀乱の側です。蛇が虫を食べる力を失うのではありません。薬の気を聞いて、自ら退く。受持する人が敵を打ち負かす、という構図ではありません。般若の力で、起こった違逆が続かない。
護念も同じです。四天王・帝釈・梵天が守ると言います。守られる主体を太くするためではなく、その所が道場の四辺になる、ということです。経巻の住處が吉なのは、そこが得道の場所と同じ働きをするからです。過去・現在・未来の仏が、そこで道を得る。場所が仏を生むのではなく、般若がある所が、すでにその場になる。
「諸波羅蜜を受持す」も、六度を全部所持した、ではありません。般若を離れずに持てば、他の度はそこに入る。巻第二⑤の大地の喩えの種です。
帝釈の「廻向の為の故に、高心の為にせず」が、この段の留めです。功徳が見えても、それを自分の高さにしない。見える福を薩婆若へ回す。持った巻が自慢の法体になると、巻第一の所有に戻ります。
つまずきやすい所
**「終に横死せず」「刀箭終に傷くること能わず」**を、絶対の護符にしないでください。同じ段に「唯だ業行の必ず応に受くべき者を除く」とあります。必ず受ける業は残る。経は、現世の無事を目的にしていません。
**「大呪術・無上呪術」**は、呪文で敵を呪う術ではありません。自ら悪を念ぜず、他の悪を念ぜず、両方を念ぜない。その学が呪術と呼ばれる。明呪品でまた開きます。ここでは、護りの正体が憎みの術ではない、と先に押さえてください。
瞋りの一段は、感情を消す訓練ではありません。 「我は菩提を求める者が、瞋心に随うのか」と見る。求める方向が、瞋りの続かない理由です。
**「空舎・道路・失道」**は、特別な道場にいないときの話です。護られる場所は、堂の中に限られません。あとの「経巻の住處」と並べて読むと、所持する建物ではなく、行ずる所が場になります。
次回
次回は、供養の比較です。 経巻を書写し供養する福と、如来の舎利を供養する福、七宝塔を供養する福。数が増えても、経巻の福が勝ると説きます。巻第二③は有料で出します。
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